1封目 海賊ご登場
春樹の成績表が「模範生」なら、大樹の成績表は「対称」である。
基本的に主要教科を苦手とし、副教科を得意とする大樹の成績表を見て、春樹はそんな感想を抱いた。
手先の不器用な彼は家庭科も苦手なのでその辺が残念なところだ。それさえなければ隼人も「面白い」と手を叩いて笑うかもしれない。
――成績表が面白くても何の得もないが。
『大ちゃん、六年間連続で先生から「元気な子」って書かれてるわよ?』
そう楽しげに言っていた母を思い出す。子供の成績にはそれほどこだわらない親なのだ。倭鏡に住んでいたらどうでもいいことのように思えるのかもしれない。
とは言っても、春樹の成績表を見て「頑張ったじゃないか」と父は褒めてくれたし、母も頭を撫でてくれた。(さすがに頭は恥ずかしかったが。)
努力をきちんと認めてくれるのは、子供としてもとても嬉しいことだ。
(だから大樹は甘えちゃうんだろうけど)
心の中でぼやき、前を歩く大樹を見やる。
彼の足取りは浮かれまくっていた。もう遊ぶことしか考えていない。
「葉兄ーっ」
王室へ入った大樹が声を張り上げる。なぜか腹筋をしていた(……)兄・日向葉は顔をしかめた。
「チビ樹、ノックくらいしろ」
「チビ樹じゃねえっ」
「ていうか葉兄、何やってんの……?」
「秘密特訓」
しれっと答えた彼に唖然とする。
ふとしたときに技が増えている彼のことだから何かはやっているのだろうと思っていた。
しかし、意外と地味というか何というか……。
「冗談はさておき」
「え、どこからどこまでが冗談?」
「全部だ全部」
「…………」
もうツッコむ気も失せる。
「んで? 部屋は案内してもらったか?」
「おう! 病院行く前に荷物置いてきたぜ」
「相変わらずバカデカイ部屋だよねぇ……」
しみじみと呟く。そんな春樹に、葉は小さく笑っただけだった。
だが本当に広いのだ。普段一般の家で生活している身としてはどうにも慣れない。
部屋で一息ついているときに城の者が来て、服やら何やらと用意してきたのには正直ビビってしまった。しかも着替えさせようとする城の者に服を脱がされかけ――二人とも叫んでしまったのは、今思うと恥ずかしい。結局丁重に断り、何とかその場を乗り切ることは出来たが。
(いや、普通恥ずかしいよ! ていうかないよ日常で服脱がされるとか!)
城の者も気を遣ってくれているのだろう。しかし気持ちだけで十分だ。それ以上はこちらが疲れてしまう。
――これでも本当に王家の人間なのだから悲しいような情けないような……。
「そういえば葉兄も着替えさせてもらってるわけ?」
ふと疑問に思う。想像は出来なかった。というよりあまりしたくない。
「あ? ……いや、自分で着替えてるけど」
「え……でも……」
「ああ、おまえらには俺が指示したんだ。無理矢理剥ぐ勢いでいいぞって」
「「ただの嫌がらせ!?」」
絶対に自分たちを気遣っての指示ではない。しかも何だ、無理矢理って。剥ぐって。
「冗談はさておき」
またそれか、とツッコもうとしてやめる。
葉の声のトーンは先程よりも真面目であった。
その雰囲気に呑まれ、春樹と大樹はそっと顔を見合わせる。
「おまえら、夏休みで浮かれるのは結構だがちと気をつけろよ」
「……?」
何に気をつけるのか。
そう考えたとき、真っ先に浮かんだのは渡威のことであった。だが、倭鏡の渡威は比較的大人しいと耳にしたことがある。
蛇足ながら、渡威でありながら春樹たちの仲間であるもっちーは、部屋のフカフカしたベッドがかなり気に入ったらしい。今もベッドの上で寝転んでいるかトランポリンとして使用しているはずだ。
「葉兄、気をつけるって……」
「――最近、海賊騒ぎが起きててな」
「え?」
予想外の言葉に目を丸くする。聞き間違いではないかと、春樹は自分の耳を疑った。
「海賊……?」
「ああ。商船を襲ったり誘拐じみたことまでやったり、な。あと一歩ってところで捕まえられなくて被害はまだ続いてるんだよ」
説明し、葉が肩をすくめる。その表情からは「面倒くせえ」というオーラがちらほらと見えた。王様がそんな態度でいいのだろうか。
「……倭寇みたいだね」
「わこう?」
きょとんと首を傾げたのは大樹だった。無意識に呟いていた春樹は曖昧にうなずいておく。
「倭寇っていうのは昔の海賊だよ。朝鮮半島とか中国大陸とかで結構暴力的なことをやってたらしいんだけど」
「ふーん……?」
よくわかっていないようで、大樹が微妙な相槌を打ってきた。
だがそれほど理解してもらう必要性もない。肝心なのはこんな豆知識ではないのだ。
「葉兄。その海賊もやっぱり乱暴なの?」
「あー……いや。怪我人は出てるが重傷ってわけじゃねぇし死人もいない。だからいいってわけじゃねぇがマシな方だな」
「そっか……。とりあえず気をつけるね」
まあ、気をつけると言っても自分たちにはあまり縁がなさそうだが。
そんなことを言っている矢先、ふいに部屋のドアがノックされた。仕事だと思ったのだろう、葉が顔をしかめる。
しかし――次の瞬間、彼は王の顔へと変わっていた。
「入れ」
「……失礼します」
一礼し、若い男性が入ってくる。その男性は春樹と大樹に気づき、軽く会釈した。普段なら微笑んだりもしてくるのだが、今日の彼はただ無表情だ。表情が硬い。
「王、港に例の海賊船が……」
「何……?」
葉が眉をひそめる。噂をすれば影がさす、とはこういったことを言うのだろうか。
「どうやら食料などを買いに立ち寄ったようです」
「それで?」
「もちろん取り締まろうとしたのですが……噂がかなり広まっていたので野次馬が集まってしまい、手がつけられないとの報告が」
「…………」
葉が深々とため息をついた。きっと彼の心境は「面倒くせえ」だろう。
どうなるのだろうと見守っていた春樹は、ふいに大樹に腕を引かれた。視線を向ければ、妙にキラキラした表情の大樹と目が合う。
彼の顔はワクワクしていて、いいイタズラを思いついたような、どこかやんちゃな雰囲気を宿していた。こんなときの彼にはロクなことがない。
「大樹、何考えてるのか知らないけど……」
「春兄! オレたちもそこに行こうぜ!」
「――は!?」
「海賊が見れるかもしれねーじゃん!」
「だからって……!」
ぐいぐいと腕を引っ張られて焦る。
確かに海賊という響きはカッコ良いし、一度くらい見てみたいという大樹の気持ちはわかる。白状してしまえば、春樹だってちょっと興味があったりもする。
だが、そういう野次馬根性が(少なくとも)目の前の二人を困らせているというのに!?
「ちょっと大樹!?」
「はーやーくーっ」
「こら、引っ張るな!」
バタバタ……バタン。
――ドアが閉まると、さすがに若い男性もポカンとそのドアを見やった。廊下の声は部屋に届かないというのに、なぜかリアルにあの兄弟が騒いでいるのがわかる。
「……王、いいんですか?」
呆気に取られたまま尋ねる男性に、
「ま、仕方ないんじゃねぇの?」
葉は、兄の顔で肩をすくめてみせた。
◇ ◆ ◇
目的の場所に着いた春樹は唖然とした。
見渡す限りが人、人、人。人ばかりだ。
海賊を取り締まるはずの人も、この野次馬をどう抑えるかに躍起になっている。
(みんな好きだよねぇ……)
元々、倭鏡の人々はお祭り騒ぎが大好きだ。何事にもノリやすい。海賊だなんてまさに今の季節にピッタリだし、興味をそそられない方が不思議なくらいなのだろう。
「春兄、早く早くっ」
――ここにも野次馬根性丸出しな奴が一人。
「全くもう……」
ため息をつき、大樹に引っ張られるままに人込みへ向かう。
背伸びをすると何とか一隻の船が見えた。ここからでははっきりと見えないが、普通の船と大差ないようだ。帆にドクロの絵が描かれているわけでもない。
「だあっ! ぜんっぜん見えねーっ!」
隣の大樹が必死に背伸びしながら喚く。時々ぴょんぴょんと跳ねているが結果は変わらないようだった。不満げに頬を膨らませている。
「ったくもー!」
悪態のようなものを吐き、彼は人込みを掻き分けていった。小柄な彼はそれほど苦労せず中へと進んでいく。
だが、大柄な男にぶつかられ、あっさりバランスを崩し――。
「わ……っ!?」
「邪魔だ邪魔だぁ―――っ!!」
威勢のいい声が後方から飛び、人々はざわめいた。人込みへ猛烈に突っ込んでくる人影にみんなが慌てて左右へ避ける。
春樹もとっさにそれにならったが、そこで大樹がもたついているのに気づいた。バランスを崩したせいで反応に遅れたのだろう。
「邪魔だガキぃっ!」
「へっ……!?」
突っ込んでくる男に、大樹が目に見えて身体を強張らせた。
そんな彼の腕をぐいと引っ張り――男は、いともあっさり彼を担ぎ上げてしまった。
「なん!?」
「俺の進路に突っ立ってるおまえが悪―いっ!」
「ぅえええ――――っ!?」
ハハハと豪快に笑う男の肩の上で大樹が手足をばたつかせるが、男には痛くも痒くもないようだった。その大きな身体に似合わず軽い身のこなしで船に乗り込んでしまう。
「大樹!」
焦り、春樹も慌てて駆け出す。状況はまだ理解出来ないが、このままでははっきりきっぱりやばいということだけはわかった。大樹が連れていかれる!
が。
「え……!?」
後ろから誰かにぶつかられた。そう思ったときには足が地面を離れていた。次いでグラグラと安定感のなさに襲われる。
――自分まで捕まった!?
「あ、あの!?」
悲鳴を上げるが相手は返事をくれない。
春樹は男が船に向かっているのだと知り、徐々に血の気が引いていくをの感じた。
『商船を襲ったり誘拐じみたことまでやったり、な』
……やばい。
非常にやばい!
(ウソでしょ―――!?)




