エピローグ 束の間のおやすみ
長い廊下を足早に歩き、少々重めのドアを開く。
その広い部屋にふさわしい大きな椅子に、一人の男が堂々と足を組んで座っていた。
ドアの音に男がゆっくりと振り向く――。
「何やってんだてめーはっ!」
春樹のハリセンを奪って男の脳天に叩きつけると、凄まじい音が部屋に響き渡った。
条件反射なのか大樹が頭をかばっている。その隣で春樹は冷静に耳を塞いでいた。
そして当の男はというと……。
「いってぇ! 脳が割れたらどうすんだよ!」
「お望みなら脳をミキサーに入れてジュースにしてやらぁ」
「怖っ! ぎゃー誰か助けてー! お巡りさん、不法侵入者です――っ」
「ここは俺の城だっ!」
喚く相手に思い切り怒鳴り散らす。なぜ自分が訴えられなければならないのだ。むしろ不法侵入に近いのは相手の方だというのに。
憮然として睨みつけると、ようやく相手が動きを止めた。にっこりと笑みを浮かべる。
「おお! 春樹と大樹! お疲れ――」
「空……てめえはよっぽど俺に手を下されてぇようだな?」
「……葉もおかえり~♪」
「…………」
いけしゃあしゃあと笑顔を向けてきた空にため息をつく。
しかし何を言っても体力の無駄に終わる予感がはっきりとあった。
「空、おまえ何で人の部屋でくつろいでんだよ」
「ん? もう一人のおまえ待ち。何か仕事長引いてるみたいで暇だったからさぁ」
「あのな……」
呆れて言葉が出せないでいると、噂をすれば何とやら。
空の言う「もう一人の葉」が姿を現した。妙に疲れた様子で中に入ってくる。
「ああやっと……ん?」
「もっちー?」
「……っ!」
こちらの姿を認めたもっちーがあからさまに目を輝かせた。あっという間に変身を解き、元の姿に戻って駆けてくる。
「お、おかえりなさい!」
「もっちー! お疲れ!」
「ぐは!?」
駆けてきたもっちーを大樹が思い切り抱きしめた。
苦しそうな悲鳴に春樹が止めようとしたが、もっちーがそのまま大人しくなったので、春樹も動きを止める。もっちーはまんざらでもないようだ。しみじみしている。
「ああ……大樹サンのこの抱擁も久しぶりや……」
実際、それほど日にちは経っていないのだが。
「もっちー……本当にお疲れ様」
もっちーのただならぬ様子に春樹が苦笑する。
その優しい心遣いが身に染みたらしく、もっちーは大袈裟に涙ぐんだ。
「うぅ、ほんまおおきに」
「何だよその反応。オーバーな奴だな」
「何言うてまんねん!」
肩をすくめた葉をもっちーが睨む。
そのえぐりたくなるほど丸い目で睨まれ、葉は少し眉をひそめた。実際、そこまでつらい仕事はなかったと思うのだが……。
「仕事しろって言うから真面目にやったら『熱があるんじゃないですか』なんて言われるし! かといってサボったら『真面目にやってください』って思い切り怒られるし! 一体どうしろっちゅーんじゃああっ!」
――なるほど。
どうやら本当に苦労したようだ。うっかり関西弁すら忘れて喚いているのがそれをありありと物語っている。
「……で?」
「あ?」
脇腹を突付かれ、思わず顔をしかめる。
しかしこちらの表情の変化はどうでもいいらしく、空はなおも一定の間隔で突付いてきた。心なし声をひそめる。
「どうだったんだよ」
「どう?」
「片はついたのか?」
「……ああ」
相手の意図が呑み込め、葉は小さく笑った。うなずく。
一応協力者なのだし、空ともっちーにも話を聞く権利はあるだろう。
「……ちょーっと待て?」
「何だよ、せっかく話してやったのに」
「いや、あのさ。パッと聞くと美談みてーだけど、よく考えたらそれ、結局何の解決にもなってなくね?」
首を傾げた空が唸る。話を聞いていたもっちーも似たような仕草をしていた。
「解決?」
「だってわかってないんだろ? ダチの死の真相」
「あー……」
それは確かだった。春樹がそれらしい推理をしてみせたものの、それを裏づけるような証拠もない。他の可能性だっていくらでもある。
けれど。
「いいんだよ」
葉はそっと呟いた。小さく、けれどしっかりと。
「わかってもあいつが戻ってくるわけじゃねぇし……それより大切なことがわかった気がするしな」
「大切なこと……?」
「――俺、しばらくしたらまたあっちに遊びに行くわ」
「「「は?」」」
突拍子のないセリフにみんなが目を丸くする。それによって多少の支障が生じるであろう春樹なんかは見事に固まっていた。
そんな彼らにニヤリと笑う。
「拓真にはまた家に来いって誘われたしよ」
「え、で、でもだからって……」
「それに……瀬名の墓参りにも、行くつもりだしな」
「――……。……急に来ないでちゃんと連絡してよ。買い出し、わざわざ行くハメになるのは嫌だから」
冗談めかして春樹が肩をすくめる。しかし主夫の言葉はあながち冗談ではないのかもしれない。冗談にしては妙にリアルだ。
「……え、もしかしてその間の仕事はまたワイに……!?」
「よろしくもっちー」
「のおおぉぉ――――っ!!」
あっさり笑顔で言い放った自分にもっちーが心の底から叫んだ。
だが葉は一切気にしない。微妙に「鬼」やら「悪魔」やらと罵られた気もするがそれも無視だ。
「……おまえがあっちに行くなんてねぇ」
「何ニヤニヤ笑ってんだよ、気色悪い」
「いや、それも進歩なのかなーってさ」
ケラケラと空が笑う。
その笑いに顔をしかめた葉は――ふいに肩の力を抜いた。
「……そうかもな」
嫌なことばかりが目についても、それが全てとは限らない。
ソレはきっと、――きっと、捨てたものではないだろう。
それは瀬名が証明してくれたことだ。
「王!!」
――ふいに城の者が駆けてきた。
ノックすら忘れるほど焦っていたようで、みんなは怪訝に相手を見る。
こんなに人がいるのを想像していなかったであろう女性は、少々たじろいだように言葉を詰まらせた。多くの視線に焦点を合わせられず戸惑っている。
「は、春樹様に大樹様まで。お取り込み中でしたか?」
「いや。どうした?」
「あ、いえ……仕事の件で少々不備が――」
仕事上の不備。それを聞いてもっちーが青ざめた。
だが、葉は特に意に介することなく女性を一瞥する。
「かなりまずいのか?」
「いえ、そこまで大袈裟なものでは……ただ、指示がなければ動けない状態でして」
「時間は?」
「かかると思われます、大分」
「そうか」
短く答え、葉は真っ直ぐに女性を見た。
真剣な目で見据えられ、女性が肩を強張らせる。
「あ、あの……」
「先に戻っといてくれ。すぐに行く」
「わかりました。失礼します!」
勢い良く頭を下げ、来たときと同様、バタバタと部屋を出ていく。
その後ろ姿に葉は小さく息をついた。まだ落ち着きに欠けているところを見ると新人だろうか。
「……さて」
呆気に取られていた春樹たちを見やり、葉はニヤリと笑った。軽く手を振り部屋を出る。
「後はよろしく」
「え? ――あっ」
後はよろしく。
その真意にいち早く気づいた春樹が顔をしかめた。声を張り上げる。
「葉兄! 仕事サボらないでよ!?」
「さーて何のことやら?」
「わ……ワイはもう嫌やぁ――っ!」
とたんに部屋がやかましくなるが、葉はちっとも気にしない。むしろ笑いが込み上げてきて仕方なかった。元気な奴らだ、本当に。
と。
「おまえもひどいねー」
「……空」
いつの間にか隣を歩いていた彼に呆れた視線を送る。彼自身もちゃっかり逃げ出してきたくせに何が「ひどいねー」だ。
「春樹もチビ樹も今から仕事に触れといた方がいい経験になるだろ。俺なりの優しさだ」
「よく言うよ」
「うるせ」
カラカラと笑った空を軽く睨む。
だが、空は怯むことなくさらに笑った。
「で? 優しい王様はこれからどうするわけ?」
「……日向ぼっこでもするか」
「賛成」
「あ? おまえも来んのかよ?」
「いーじゃんいーじゃん。お供するよん」
悪びれなく笑う彼にため息をつく。
だが何だか馬鹿らしくて――葉も、思わず笑ってしまった。
「それじゃ、行きますか」
のんびりと光を浴びて、雲を眺めて。
少し考え事なんかしてみるのもいいだろう。
さて――墓参りには、何の花を持っていこうか。
■8話「過去と未来の狭間に眠れ」了




