3封目 うそつき
布団を敷き終え、寝る準備は万端だった。
それは拓真も同じだったようで、彼は早々と布団に潜り込んでいる。
中学生が寝るには早い時間だったが、他にすることもないからだろう。
春樹も同じように隣の布団へ潜り込む。少々気まずい思いで苦笑を向けた。
「すいません、急に……。兄がどうしても僕の部屋で寝るって言い出して」
「いや……俺は泊まらせてもらってる身だし」
本当に気にした様子もなく、拓真は軽く相槌を打ってきた。
きちんと返事をしてもらえたことにホッとする。
春樹も葉の強引さには呆れ果てていたので、拓真が不機嫌になっていてもおかしくないとヒヤヒヤしたのだ。
(全くもう……)
どうしてこんなことになったのか。
いや、原因はわかりきっている。全ての元凶は葉だ。
彼が「俺はここで寝るからおまえは出てけ」と自分を追い出したのである。
他に部屋がないわけではない。以前に葉が使っていた部屋だってある。
しかし葉が「親睦を深めろ」だのと訳のわからないことを命令し、拓真の使う客室を指定してきた。
そこまできっぱり言われてしまえば何か反論したところで無駄だ。あの王様には敵わない。
ちなみに普段、春樹は大樹と同じ部屋で寝ている。
二段ベッドで上が大樹、下が春樹だ。
つまりその下のベッドで葉が寝るわけだが、大樹が不満げにわめき――葉にど突かれていた。毎度の光景である。
「なあ……春樹、だっけ?」
「はい?」
ボソリと声をかけてきた拓真はじっと天井を見ていた。何か考え込んでいる。
「あんたは……自分の兄貴のこと、どう思ってる?」
「え?」
意外な質問に瞬く。
……葉のことを?
「あの……?」
「……俺は、正直兄貴とはあまり合わなかった。兄貴は真面目で大人しかったからさ。勉強も出来る方だったし、……多分あんたと近いタイプかな」
「僕と……?」
またもや意外だった。
春樹は瀬名という人物について話を聞かされていない。
そのため、勝手に空のような人物を想像していたのだ。
今考えてみてもその方がしっくり来る。
何せあの葉の友達である。生半可な人ではついていけない。
「親もよく俺と兄貴を比較してたから、つい反発しちゃって。一方的にだけど口喧嘩も多かった。でも……いざ兄貴が亡くなったら、何か……信じられなくて。信じたくなくて」
「……そーゆうものですよ」
兄弟などに限ったことではない。人は誰だって、失ってから大切なものに気づく。
それはとても厄介なことなのだけど。
拓真は布団に入ったまま、相変わらずじっと天井を見ていた。その顔は難しいままだ。
「……でも」
「はい?」
「どうせ聞こえてたんだろうけど。さっき、大樹があんたの兄貴のことフォローしてたよ。葉兄は人殺しじゃないってさ。それに……あの話を信じないと許さないとまで言われた。それ聞いて、何か……大樹は兄貴のこと信じてるってゆーか、慕ってるんだろうなって思えたから。あんたはどうなのかって気になったんだ」
説明しながら、拓真がそっと息をついた。春樹は複雑な思いでそれを聞く。
あのとき、確かに二人の会話は聞こえていた。
部屋のすぐ側まで来ていたし、元々大樹の声は無駄に大きい。嫌でも耳に入ってくる。
『信じねーと許さねぇからなっ!』
その言葉は、必死だった。
「……聞き流してくれても構わないんですけど」
「え?」
「大樹は……小さいとき、ちょっと……嫌なことがあって」
「……?」
興味を持ったのか、拓真が小さく身じろぎをした。
春樹は、話そうかどうか一瞬迷ってしまう。
けれど倭鏡の話までしてしまったのだ。話しても何かが大きく変わるわけではないだろう。
「……大樹が幼稚園に入って割とすぐでした。大樹はみんなに倭鏡の話をしたんです」
あのとき、彼にとっては彼自身が見てきたものだけが全てだった。
他の世界というものを知らなかった。
他人と“違う”だなんて思いもしなかった――。
「倭鏡は……説明したように、少し変わった生き物もいます。そーゆう話は他の子たちにも魅力的だったんでしょう。最初の内は周りの子も大樹の話を聞きたがっていたようでした。みんな小さかったし、やっぱり無邪気だったんでしょうね。……でも、それが親の耳に入ると……」
親はいい顔をしなかった。大樹のことを妙な目で見るようになった。あの子は嘘つきの塊なんだ、と。
大人にとっては、“異世界”などただの胡散臭い存在に過ぎなかったのだ。
「……親は自分の子供を大樹から遠ざけるようになりました。子供にとって親は絶対の存在だったでしょうし……次第にみんな離れていってしまって。でも大樹は本当のことを話していただけなんです。だから訳がわからなくてますますショックだったんでしょうね」
そしてとうとう、彼は自分たちに泣きついてきたのだ。
どうして自分はみんなと違うの、と。みんなと違うからみんながいなくなっちゃう、と。
あのときの母の顔は忘れられない。
困ったように言葉をなくし、それから悲しそうに大樹を抱きしめたときの母の顔は……。
「……でも……その翌日、倭鏡の話を信じてくれる子に出会って。大樹ってばすっかり元気になっちゃったんですよ」
思い出し、春樹は小さく苦笑した。拓真からもホッとしたような空気が感じられる。
しかし、春樹はすぐに声のトーンを落とした。低く呟く。
「ただ……その子の前以外では、倭鏡の話をしなくなってしまって……」
やはりショックは大きかったのだろう。
大樹は他の人に倭鏡の話をしたがらない。
また、信じてもらえないことに過敏になる節がある。
そこまで大袈裟なほどではないし、普段は特に気にならないが……。
「そんなことが……」
「だから葉兄が拓真さんに倭鏡の話をしたとき、落ち着いていられなかったんだと思います。そして怖かったんでしょうね、信じてもらえないことが」
「…………」
まだはっきり信じきれてはいなかったようで、拓真が気まずそうに黙り込んだ。その横顔からは何を考えているのかまではわからない。プレッシャーをかけてしまっただろうか。
「……実は、葉兄にも似たような経験があるんです」
「……え?」
「といっても葉兄は中学の頃で。覚悟はあったでしょうし……自分からそーゆう立場を選んだんでしょうけど」
「…………」
「これは僕のただの憶測ですけど……瀬名さんも、そんな存在だったんじゃないでしょうか? 大樹を立ち直らせた子のように……瀬名さんも、唯一葉兄を信じてくれた人だったんじゃないでしょうか」
現に葉は言っていた。拓真に向かって「おまえの兄貴は信じたぜ」と。それは嘘でもハッタリでもないだろう。
「……あんたは?」
「え?」
「あんたはそーゆうこと、なかったわけ?」
「……僕ですか?」
瞬き――苦笑する。それはどこか自嘲しているようにも思え、ますます苦笑が込み上げるのだった。
それを呑み込み、代わりに息を吐く。
「ありませんよ」
「……そうなの?」
「僕、昔から周りに同調するのが上手いっていうか……空気を読むのが上手い方で。悪く言えば小賢しく生きるのが得意だったんです」
「小賢しいって……」
拓真が唖然としたように目を丸くした。
しかし、表現に語弊はありそうなものの事実だ。だから春樹は、むやみに自分の境遇を話そうとしたことはない。最近は渡威の件で説明せずにはいられないときもあるが、それだって説明する相手は選んでいる。ダメだと思ったときは適当に誤魔化すだけだ。一応、その辺の人を見る目には自信がある。
だからこそ、時に葉と大樹の仲に入っていけないときがあった。
それは自分が遠慮してしまっているだけかもしれない。しかし、やはり二人にはまた別の絆があるような気がして仕方ないのだ。それは少し寂しく―― 一方で、ずっとそのままでいてほしいと思う。矛盾していることは、自分でもわかっているのだけど。
「……あんたらって、変な兄弟」
ポツリと呟き、拓真がわずかに笑う。呆れたような、苦笑じみたソレ。
それは、春樹が初めて見た彼の笑顔だった。
◇ ◆ ◇
それは一つの偶然だったのかもしれない。必然だったのかもしれない。自分にははっきりとわからない。
だが、母の百合は笑って言ったものだ。「もちろん必然よ」と。「きっとあれは、想いが通じた瞬間なの」と。
そして、それほど“想い”とは強い存在なのだということも。
「…………」
やたら静かな部屋で、葉は思い切り顔をしかめた。
時計の音が妙に耳につき、思わずため息をつく。この動作を何回したことだろう。
「おいチビ樹」
「…………」
自分の上のベッドで横になっている彼は、さっきから何ひとつ返事をしない。
かといって寝てしまったわけではないだろう。拗ねているのだ。
その原因はわかっていた。納得も出来る。
だが、ずっとこの調子ではこちらもイライラしてくるというものだ。ただでさえ自分は気が長い方ではない。
「チビ樹」
葉は立ち上がり、上のベッドを覗き込んだ。
そこでは、大樹がわざとらしく背中を向けて横になっている。あえて表現するなら「ツーン」だろうか。
「起きてんだろ? 少しはこっち見ろや」
「…………」
「チビ樹」
「…………」
「……チビ。バカ。単細胞。どチビ、チビ助、チビ丸、チビ太郎……」
「チビチビ連呼するなあっ!」
ガバリと大樹が掛け布団を蹴り上げる。
そのまま威嚇するように睨んできた彼に、葉はニヤリと笑ってやった。
ハメられたことに気づいたのだろう。瞬時に大樹の顔が真っ赤になる。楽しい奴だ。
「な、なんっ……~~~~!」
「まあまあ。落ち着け?」
「誰のせいだよ!」
「おまえカルシウム不足じゃねえか? 牛乳飲めよ」
「牛乳はまずい!」
そういう問題だろうか。どうでもいいが牛や製造会社に失礼だ。
どうも覗き込んでいる状態もつらいので、葉は上のベッドに上がり込んだ。とたんに大樹が顔をしかめる。狭いと言いたいのだろう。確かに広いとは言えない。というよりきっぱり狭い。春樹ならまだしも、相手が自分なら仕方のない話だ。
「なあ? おまえが怒ってんのは、俺が倭鏡の話をしたからだろ?」
「……だって葉兄たちが言ったんじゃん、あまり話さない方がいいって……」
まだ拗ねている彼の声はくぐもっていた。それを聞いて葉は軽く苦笑する。
――確かに昔、そう言った。
事実そう思ったし、そうした方が彼のためでもあったから。
だが。
「こっちにも色々事情ってモンがあるんだよ」
「……わかんねーよ、そんなんじゃ」
「ま、大人の事情ってやつ? ガキのおまえにゃ確かにわかんねえだろうな」
「ガキじゃないっ」
からかう自分にすぐムキになってくる。それがますます楽しく、葉はかろうじて込み上げてきた笑いを押し留めた。代わりに口の端を上げてみせる。
「その元気がありゃ大丈夫だな」
「は?」
「いや。……にしても、前から気になってたんだけどよ。おまえ、よくこっちに住むこと選んだよな」
「へっ? ……どーゆう意味だよ?」
言いたいことがつかめなかったのだろう。大樹が怪訝そうに眉を寄せた。大きく首を傾げてまでいる。相変わらず頭の回転が遅い奴だ。
「いや……だからよ。おまえ、幼稚園で色々あったわけじゃん」
「……ん」
だからこそさっきまであんなに拗ねていたのだ。
その中には、「話さない方がいい」と言った自分が話したことに対する不満も含まれているのかもしれないが。
「そのとき言われたろ? つらかったら倭鏡で暮らしてもいいって」
泣きじゃくった大樹に百合が提案したのだ。倭鏡で暮らせば、きっとそんな思いをすることはないから、と。
しかし、大樹はなかなか首を縦に振ろうとしなかった。
そしてその翌日、きっぱりとその提案を断ったのだ。
「正直、みんなビックリしてたんだぜ? ぜってーうなずくと思ってたから」
「? そりゃユキちゃんがいてくれたし……」
「その前だってうなずこうとしなかったじゃねぇか」
「……ああ。だってさ」
ようやく合点がいったようにうなずいた彼は、思いがけず笑顔になった。
「オレ、みんな好きだもん」
「……は?」
「倭鏡のみんなも、日本のみんなもすっげー好きだから。倭鏡の学校には行かなくてもみんなと遊べるけど、日本の方はあんま接点ねぇじゃん?」
理屈は少々妙であるが、何となくわかるような気もした。
倭鏡では王家ということもあり知名度も高い。それに百合が異世界の人間だということは周知の事実なので、その辺を気にする必要もなかった。とにかく、それらに限ったことではないが、どことなく馴染みやすい要素が重なっているのだ。現に倭鏡のみんなとはしゃいでいる彼を、葉は幾度となく目撃している。
それに比べ、日本はそう簡単にいかないのかもしれない。第一、たまにしか会えない理由を友達に説明出来ないだろう。どこの学校に通っているのか、どこに住んでいるのかと訊かれても困る。
(ま、当時はそこまで深く考えちゃいなかったんだろうけど)
何か感じるものはあったのだろう。いざというときに勘は働く奴だ。
「そういやおまえ……みんなと違うのは嫌だって泣きわめいても、倭鏡のことを嫌だとは一回も言ってねえもんな」
「おう! オレ、倭鏡は大好きだし。“力”だって気に入ってるもんな! ……まあ、そのせいで使いすぎて春兄が怒るんだけど……。いっそみんなが倭鏡の人間だったら話は早いんだけどなー……。そうすりゃ、オレもこっちでも“同じ”になるじゃん?」
笑顔で提案してくる彼に苦笑する。言っていることがもはや滅茶苦茶だ。訳のわからないことを平然と言う辺り、さすが大樹である。
葉はふと目元を和ませた。彼をまじまじと見る。
「おまえ、案外強いんだな」
「へっ?」
意外な言葉に大樹が目をパチクリさせ――次の瞬間、サッと顔を青くした。ご丁寧に思い切り後退り出す。といっても、この狭いベッドの中では大した距離にはならない。
「葉兄!? 熱でもあるんじゃねぇか!?」
「あ?」
「それとも何か企んでるんだろ!? じゃなきゃ葉兄がオレを褒めるはずねえじゃん!」
「ほほぅ……?」
わめく彼に、葉は張りついた笑みを浮かべてみせた。ジリジリと彼に迫っていく。彼の顔に恐怖の色が広まったのも構わない。
人がせっかく素直に感心してやったのに、何とも嬉しい反応をしてくれやがる。
思い切り皮肉めいたことを考え、葉は大樹の腕をがっちりとつかんだ。逃げ場をなくした彼から悲鳴が上がる。
「楽しく嬉しい反応、どうもありがとう」
「へっ? ど、どういたしまして……?」
「だから俺も、おまえの望み通りの反応をしてやるよ」
「何――ひゃうあ!?」
彼の脇腹に触れると、彼はとたんに奇妙な悲鳴を上げた。彼はくすぐられるのに弱く、よくこんな奇声を出すのだ。たまにどうしたらそんな声が出るのか不思議に思う。とりあえず葉の知る限りでは「ひゃ」から始まる場合が多いようだ。ただし以前に「だうあああ!?」という、明らかにくすぐられて出すような声ではないものも聞いたことがある。ちなみにそれを聞いた葉は、失礼ながらも爆笑してしまった。ひどい兄だ。自分でそう思う。
「や……っ、やめ!? 触んな! はなっ……」
「だっていじめてほしかったんだろ? 褒められたくなかったんだよな?」
「ちがっ! ひゃう!? や、死ぬ! マジ死ぬっ!!」
ジタバタと必死に暴れるが、彼が力で自分に勝てるはずもなかった。大樹は元気の良さとは反比例して――また身長に比例しているのか――案外力はない。今の葉なら片手対両手でも腕相撲で勝てるだろう。確か春樹も大樹より強いはずだ。
「ぎ、ギブ! ギブ――ッ!」
大樹の叫びは本気と書いてマジだった。それを境に、葉は割とすんなり彼を解放してやる。そうしないと面倒なことになるからだ。やはり加減というのは大切である。
解放された大樹はしばらく文句を言う気力もないようだった。まさに息絶え絶えだ。いくら苦手とはいえ、ちょっと弱すぎではないだろうか。
「元の原因はおまえだからな?」
「だからって……こ、殺す気かぁ……」
「これくらいじゃ死なねぇよ」
呆れ、彼の頭をペシペシと叩いてやる。そのまま、何か文句を言われる前に下のベッドへと潜り込んだ。
「さて寝るか」
「くっそー……何かオレばっか損したような……」
「細かいことは気にすんな。寝なきゃ身長も伸びねえぜ?」
「うるせえっ!」
からかう自分にわめいた大樹が、ふてくされたように掛け布団をかぶり直した。わかりやすい反応に笑ってしまう。
しかも――数分後にはすっかり眠り込んでしまったようだった。さすがの早さだ。くすぐられて疲れきっていたのも眠気を手伝ったのかもしれないが。
(みんなが好き、ねえ……)
彼の言葉を思い出す。どこか不思議な響きのように感じながら。
彼の幼馴染みであるユキちゃん――沢田雪斗のことが好きだというのは納得出来た。大樹にとっては救世主のようなものだ、大袈裟に言えば。しかし、他の人はどうなのか。
(……離れていった奴らを好きだなんて思えねぇけどな)
少なくとも自分はそうだった。“好き”はおろか、“嫌い”だとすら思えなかった。“どうでもいい”、それがピッタリだったのだ。
それに。
(俺は“力”を持て余していた)
視たくもないのに視えてしまう。それは時にひどく苦痛だった。こんなものはいらないと思うことも多かった。今ではコントロールも身についてきたのでそれほどでもないが――それでも、大樹のように笑顔で好きだということは出来ない。
(逃げ、だったのかもしれねぇな……)
自分は中学を卒業してすぐに倭鏡に住みついた。それ以来、用事がなければここへ戻ってくることもなくなった。
しかし、それは一種の“逃げ”ではなかったか?
(…………)
その答えがわかるはずもなく。
外では、夜が刻々と更けていくばかりだった。




