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倭鏡伝  作者: あずさ
7話「街角に佇む訪問者」
62/153

6封目 特異体質

 ツンと鼻をつく、病院独特のアルコールのにおい。

 そんな空気に包まれながら、春樹は固い椅子にじっと座っていた。

 椅子からヒヤリとした冷たさを感じ、わずかに体を震わせる。


「春ちゃん」


 静かに開いたドアから百合が顔を出し、春樹は反射的に腰を浮かした。

 ソワソワとしていた自分に、彼女はにっこりと微笑みかけてくる。


「大ちゃんなら大丈夫よ」

「……本当?」

「ええ。やっぱり“力”の使いすぎだったみたいだけど……しばらくすれば自然に起きるでしょうって」

「そっか……」


 小さく呟き――深くため息をつく。

 全身で安堵の気持ちを表した気分だ。緊張も一気に体から抜け出ていった。


 そんな自分に、百合がクスクスと笑った。彼女は手招きで自分を病室へ促す。

 誘われるままに入った春樹は、そこで父の梢と目が合った。

 その隣にはもう一つベッドがあり、そこに大樹がぐっすりと寝ている。

 そのすぐ側に立っている、眼鏡をかけた先生が主治医だろう。

 なかなか子供に人気のありそうな風貌だ。

 イメージは「近所の優しいお兄さん」である。毎週金曜日には図書館にでも通っていそうな。


「君が春樹くんだね?」

「あ……はい。そうです」

「弟さんは大丈夫だよ。でも、あまり無理はしないよう注意してあげてね」

「はい、気をつけます。どうもありがとうございました」


 深く頭を下げると、「ずい分しっかりしているね」と微笑まれた。

 そのまま彼は、両親に「何かあったら呼んでください」と会釈して出ていく。

 両親も礼を言って見送り、病室には家族だけが残されることとなった。


 ホッと一息ついた自分に、梢が笑って声をかけてくる。


「それにしても……春樹が駆け込んできたときは本当に驚いたな」

「本当。心臓が止まるかと思っちゃった」

「……笑いごとじゃないよ……」


 ほのぼのと笑顔を浮かべる両親に、ため息を一つ。


 ――歌月渚と対面した翌日、春樹はいつも通り大樹を起こそうとした。

 しかしあれからずっと眠り続けたままの彼は、どんなに春樹が頑張ってもその目を開けようとしなかったのだ。

 反応が何一つなく、身じろぎすらしない彼に、春樹は思わず顔を青くしてしまった。

 そして慌てて倭鏡に連絡を取ることにしたのである。


 その結果がこれだ。

 ホッとしたような、拍子抜けのような……少々複雑な気持ちであるのも否めない。


「春ちゃん、学校は?」

「休むって連絡しといたから大丈夫だよ」


 しかし、今頃先生たちは首を傾げているかもしれない。

 電話口で「弟がマンダラ病という厄介な病気の末期状態に一晩でなっちゃって、実家に帰っている母が戻ってくるまで一人に出来ないんです! 今もすごく苦しそうで! もし今日僕が学校に行って弟に何かあった場合、もしかしたら取り乱すあまり『訴えてやる!』なんて言い出しかねないんで休ませてもらいます!」などとまくし立てられれば、誰だった驚くのを通り越して呆気に取られるだろう。

 今更ながらやりすぎたなぁ、としみじみ思う。

 ちなみに「マンダラ病」なんてものは存在しない。……と思う。


「ところでさ」


 気持ちを切り替え、春樹は両親に向き合った。

 どう言おうか迷い、仕方なしに率直に尋ねる。


「歌月くんのおばあさんが日本人って……本当?」

「ええ、本当よ。……私たちが親しくなったのも、その理由が大きいかもしれないわね」


 懐かしむように百合が目を細める。

 春樹にも彼女の言いたいことはわかるような気がした。

 異世界の者。

 それは少なすぎる、けれど大きな共通点なのだ。


「私だけじゃやっぱり不安だったから……ずい分親切にしてもらったの。嬉しかったわ」

「その人、今は……?」

「亡くなったんだ」


 ボソリ、と梢が答えた。

 その言葉に百合も目を伏せてしまう。


「亡くなった……」


 オウム返しに呟き、ふと渚の言葉を思い出す。


『親父が言ってたんだよ! おまえら日向家が悪いって!』


「……あの……」

「何だ? 春樹」

「父さんたちは……関係してないよね? あの、その……歌月くんのおばあさんの死には無関係だよね?」


 遠慮がちに、けれど必死に尋ねると、二人は揃って目を丸くした。

 互いに顔を見合わせている。


「どうしたんだ、急に?」

「あ……えと、……ごめんなさい……」

「春ちゃん。何かあったの?」

「…………」


 言わない方がいいような気もした。

 渚の言ったことはまるで抽象的で、言ったところで特に何かのキッカケになるとは思えない。

 ただむやみに二人を困らせるだけだ。


 だが、黙っていても二人を心配させることになるのだろう。

 二人の顔を見て、春樹は敏感にそう感じ取っていた。


「あの……歌月くんと会った話はしたよね?」

「ああ」

「そのとき、歌月くんのお父さんが……僕たち日向家が悪いって言ってた、って聞いて……それで気になっちゃって」

「あいつが……?」


 梢が目を見開き――そのまま考え込む。

 春樹は慌ててしまった。やはり言わない方が良かっただろうか?


 そんな自分に、百合がにっこりと微笑みかけた。安心させるように。


「春ちゃん。渚くんのおばあちゃんが亡くなったのは三年前よ」

「え……?」

「だからそれは関係ないんじゃないかしら? もしそれが原因なら、もっと早く行動しているはずだもの」

「……そっか」


 確かにその通りだ。

 それが原因なら、「今」という時間の説明に苦しむ。


 どこかホッとしていると、急に百合が自分を抱き寄せた。

 突然のことに、照れるよりも何よりも硬直してしまう。


「か、母さん?」

「……良かったわ。春ちゃんも大ちゃんも無事で」

「……うん」


 百合の愛情に多少照れつつも、小さくうなずく。

 やはり春樹には、この両親が何か悪いことをしたなどとは思えなかった。

 確かに少しぼんやりしていたりよくわからないボケをかましたり妙にアバウトすぎることもあるが――。


「春ちゃん、今失礼なこと考えたでしょ……?」

「い゛っ……痛い痛い! ごめんなさいすみません気の迷いでした!」

「よろしい」


 笑顔で解放され――ぜぇぜぇと息をつく。

 時に怖すぎる、というのも付け加えておくべきだった。


 ガチャリ


「悪い、遅れた」

「? 葉兄!」


 突然病室へ入ってきた葉にビックリする。

 それは両親も同じようだった。特に百合なんか目をパチクリさせている。


「あら葉ちゃん。どうしたの?」

「……電話で泣きわめいていたのはオフクロだろーが……。『どうしよう葉ちゃん! 大ちゃんが死んじゃうかもしれないのおぉ~!』とか言ってよ。近くにいたみんなにまで聞こえちまったもんだから俺は……!」


 ほとんど無理矢理城から追い出されたのだろう。心優しい周りの人たちによって。


「あら? ……私、そんなこと言った?」

「……おい」

「大ちゃんね、“力”の使いすぎですって。でも特に心配はないみたい。良かったわよね」

「~~~~」


 あっけらかんとした百合に、葉ががっくりとうなだれた。

 春樹と梢は苦笑してそれを眺める。

 やはり日向家で最強なのは母の百合だ。間違いない。


「……ま、堂々と仕事サボれたし別にいいか」


 ――最も面倒くさがりなのは葉だ。それも間違いない。


 しかし、背の高い葉まで入ってくると少し病室も狭く感じられた。

 ただでさえ、本来ならここは梢のみの一人部屋なのだ。

 まあ、これといってワガママを言うつもりもないが。


「うん……?」


 ふいにぼんやりとした声が発せられ、みんなの注意を一気に集めた。

 大樹が身じろぎし、うっすらと目を開ける。

 しかしすぐには焦点が合わないのか、彼は数度瞬いた。

 そうしている内に意識もはっきりしてきたのか、彼は一度、ピタリと瞬きを止める。


「…………」


 家族全員が見入っているという現象に異常なものを感じたのだろう。

 一瞬、大樹の思考が目に見えて止まった。


「……おはよう?」

「おはようじゃねえ」

「あたっ!?」


 葉が思い切り大樹をど突く。

 しかし、仮にも寝込んでいた相手にその処置はいかがなもんだろう。


「“力”の使いすぎだぁ? てめぇ、昔俺がコントロール教えてやっただろーが。なのに何でそんなアホなことやらかすんだよ? あぁ?」

「痛いっつーの! しゃべるたびに殴んなあっ!」

「殴れば少しはマトモになるかもしれねえだろ」

「葉兄、そんな壊れかけのテレビじゃないんだから……」


 なだめ、けれど笑ってしまう。

 これは彼なりの「心配」の表れなのだ。

 少々屈折している気もするが、それが却って彼らしい。


「大樹、具合はどうだ?」

「へっ? ……何かダルイけど……それよりハラへったぁ」

「……そーゆう奴だよね、おまえって」


 呆れ、春樹はため息をついた。

 目の前の彼はすっかりいつも通りだ。

 あまりにも変わらなさすぎて、昨日の出来事は夢だったような気さえしてしまう。


「あれ? っつーか、何でオレこんなとこにいるんだ?」

「だから“力”使いすぎてぶっ倒れたんだっつーの。さっさと理解しろや」

「へっ……? ――そーだ! 春兄は!? ダイジョーブか!?」

「だ、大丈夫だから! 落ち着けってば!」

「――……」


 慌てる自分を、まじまじと見てくる。

 しかし本当に無事なのがわかると、彼は嬉しそうな笑顔になった。

 その笑顔にはあまりにも裏表がなく、春樹もつられて苦笑してしまう。


「大ちゃん、お腹空いたなら下の食堂に行く?」

「行くっ!」

「春ちゃんも食べるでしょ?」

「うん……そうする」


 慌てていたものだから、今朝は何も食べていない。落ち着いた今は空腹だ。


「葉ちゃんは?」

「俺はいい。さっき食ったばかりだから」

「そう? じゃ、二人共行きましょ?」

「おう!」


 促した百合に、大樹が嬉しそうにベッドから抜け出た。

 さすがの元気である。今まで眠り込んでいたとは思えない。

 春樹も苦笑して部屋を出ようと――。


「春樹」

「? ……何?」

「今後こんなことがないよう、チビ樹のことちゃんと見てろよ?」


 やや真剣な顔で言われ、春樹は怪訝に葉を見た。

 そんなの、わざわざ言われなくてもわかりきっていることだ。

 ため息をつく。


「わかってるよ。そう何度も倒れられちゃ、僕だって体もたないし」

「いや……」

「葉」


 何か言いかけた彼を、梢が静かに遮る。

 肩をすくめて黙り込んだ葉の代わりに、梢は穏やかに笑いかけた。


「さ、行っておいで」

「……うん……」

「春兄ーっ?」

「あ……今行く!」


 すっきりしないものを感じながらも、春樹は慌てて病室を駆け出した。



◇ ◆ ◇



 病室に葉と梢だけが残っていると、ややして医者が戻ってきた。

 葉の姿を見るなり目を丸くしたが、一瞬後にはにこやかな笑顔を浮かべてくる。


「これはこれは。お忙しい中、弟さんのお見舞いに? 感心ですね」

「いや、まあ……」


 当たっているのに素直にうなずけない。どことなく複雑な気分だ。


「息子は先ほど目が覚めましたよ」

「ええ、少し前に鉢合わせしました。さすがに若いと元気ですね」


 楽しげに医者が笑う。

 しかし「それは違うな」と葉は密かに思った。

 別に若いから元気なわけではない。あの無駄な元気は大樹だからこそだ。

 奴のあの元気はどんなに歳をとっても健在だろう。本当に体の自由が利かなくならない限り。


 梢と医者が話していると自分の出る幕はなく、葉はその辺の椅子に腰かけた。

 ぼんやりと医者の胸のプレートに目をやる。

 「土屋」、と名字だけを口の中で呟いた。


「それにしても、あの子が回復力の早い子で良かった。でなければ……」


 ふと、医者――土屋が口を閉ざした。

 気まずそうな視線の先には自分がいる。

 何だ?


「ああ、大丈夫」


 比較的のんびりと梢がうなずいた。土屋に微笑を向ける。


「こいつは……葉は知っていますから。というより、一番初めに気づいたのが葉だったので」

「……そうですか。では話を続けますが……、“力”を使いすぎて病院に運ばれる者は他にもいます。ほとんどの人は自己管理していますから、そう多くはないんですけどね」


 運ばれてくる者はよほどのことがあったか、酔いすぎてついうっかり、などのケースが多いという。両極端な話だ。


「その場合の処置は主に二つです。一つは自然に回復を待つ。今回の大樹くんもこれでした。まあ、よっぽどひどくない限り……時間差はあれど、これで目を覚ますでしょう」


 ちなみに大樹はかなり早い目覚めだ。“力”の消費の度合いを考えると。


「ただ……正直、彼はギリギリでした。自然回復を待つか、もう一つの方法をとるかの」

「もう一つの方法というのは?」

「輸血と同じ原理です。足りない“力”を直接送り込む。しかし……おわかりでしょう。彼にはこれが出来なかった」


 土屋は目を細め、大樹の寝ていたベッドを見た。首を振る。


「驚きましたよ。彼のような例は見たことがない。きちんと調べるまでは、あなたの言ったことも信じられませんでした」

「では……」

「ええ。調べた結果はそちらの言う通りでした。まあ……ありえないことではないでしょう、混血ということを考えれば」


 そう言って一息ついた彼は、神経質そうに眼鏡の淵へ触れた。

 早口だったペースを少し抑える。


「だからといって、日常には何ら支障はありません。ご安心ください」

「そうですか……。どうかこのことは、あまり他言しないよう頼めますか? 言ったところでどうなるわけでもないでしょうが、やはり余計なことは気にしてほしくない」

「もちろんです。患者のプライバシーを守るのも私たちの役目ですから」


 土屋が安心させるように微笑む。

 それを同じく微笑で返し、梢が深々と頭を下げた。

 促され、葉も適度に頭を下げておく。


「あなたもお大事に」と土屋が出ていくと、葉はホッと息をついた。

 どうも堅苦しい話は苦手だ。仕事でいくらか慣れてきたとはいえ。


「……これで決定的、か」

「そうみたいだな」

「混血ったって、俺と春樹はこれといって変わりないのによ。何でチビ樹の奴だけなんだろうな?」

「葉」


 少々厳しい口調でたしなめられ、葉はムッとして梢を見た。ため息をつく。


「わかんねぇな。わざわざ秘密にすることのほどでもねぇだろ? ちょっと異例ってだけで何も悪いことじゃない」

「だが……わざわざ知らせることでもないだろう? ……それに聞いたことがあるよ。大樹は昔、自分がみんなと違うことに対して泣いたことがある、と」

「……あれは……」


 反論しかけ、ためらう。

 それは日本でのことだ。

 葉も覚えている。あのときのことを。

 小さな彼が、必死に泣きじゃくっていたときのことを。


『なんで……? 何でオレだけなの? なんでみんなとちがうの!? やだ……もぉやだ! みんないなくなっちゃう……っ』


 ――誰も、彼の問いに答えてやることが出来なかった。

 ただ一生懸命彼をなだめてやることしか出来なかった。


「……あれは……幼稚園の頃だ」


 目を閉じて首を振る。浮かんできた映像を振り払うかのように。


「もうずい分前のことだ。どうせチビ樹だって忘れてる。それに……チビ樹は翌日、幼稚園から帰ってきた頃にはケロリとしてたんだぜ?」

「……葉。大樹の気持ちはおまえが一番わかるだろ? 似たような体験をしたおまえなら、きっと誰よりもわかっているはずだ」

「…………」


 噛んで言い含めるような口調に、葉はただ口を閉じた。じっと視線を切り結ぶ。


 訪れる静寂。

 どちらも、動かない。


「――ったく」


 先に沈黙を破ったのは、悔しいが葉自身だった。

 ため息をついて肩を落とす。

 さすがに自分を産み、育ててきただけあってこの両親は手強いものだ。

 どう考えてもマトモにやって勝てる気はしない。

 というより、やり合おうという気すら起こさせてくれない。


「親父はチビ共に甘すぎだな」

「私はおまえにも甘いつもりだよ。少しは厳しくするべきかな?」

「へぇへぇ」


 おなざりに返事をし、軽く手を振る。

 葉はそのまま彼に背を向けた。スタスタと歩き出す。


「んじゃ、俺ちょっくら戻るわ。城で変な話が回ってちゃやべえし」

「そうだな。気をつけて帰りなさい」

「そっちこそお大事に」


 軽く言い合い、今度こそ病室を出る。

 それから足早に出口へと向かった。

 冗談めかしていたが、葉は割と本気だったのだ。

 母のうろたえ声は、妙な噂が広まるには十分すぎるほどの迫力だった。

 早めに処理しておかないともっと面倒なことになりかねない。

 もしかすると、数日後には大樹が死んでしまったことになっているかもしれないほどである。


(……特異体質、ねぇ)


 どうもしっくりこない単語を思い、葉は外へと踏み出した。

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