3
カタン
微かな物音と共にドアが開き、葉は黙って顔を向けた。
入ってきた空が意外そうに目を丸くする。
「何だ。せっかく気ぃ遣ってやったのに寝てねーの?」
「軽い仮眠はとったしな。――ガキ共は?」
「おまえの邪魔したくないからってそのまま帰ったよ」
「……で、おまえは図々しくも戻ってきたと」
「あ、心優しい友に向かって何て言い草だよ!」
「てめーなんざ悪友で十分だ」
「あら、一応友とは認めてくれるのね」
「言ってろ」
いつものように軽い口調でやり取りをしていると、ふと空が椅子にどっかりと腰を下ろした。
それを横目で見た葉は、何て図々しい奴だと顔をしかめる。
もしこの場に春樹がいたなら「他人のこと言えないでしょ」ともれなくツッコんでくれたに違いない。
空はにまにまと笑みを浮かべてこちらを見ていた。
そのことにますます顔をしかめる。気色悪いったらない。
「……何だよ?」
「いや、おまえの弟ズを相手にしてて思ったんだけどよ。相変わらずっつーか、生きがいいっつーか。お兄さん、自分はもうすぐじじいかもって思っちゃった。歳はとりなくないネー」
「ヤメロその口調」
しみじみと呟く彼に仏頂面を向ける。聞いていて全く面白くなかった。
おまえがじじいなら、同い年の俺もじじいか?
「――いや、でもホント。おまえらってやっぱ兄弟だよな」
「あ?」
「形はそれぞれ違うかもしれねーけどよ。負けず嫌いなトコとかすげー似てる」
そう言った空は不敵に笑っていた。
だが、葉にはその顔も楽しんでいるようにしか見えない。
事実、彼は本当に楽しんでいるのだ。昔からこういう奴である。
「あいつら、将来どうなるか楽しみだよな~。負けず嫌いはどんどん伸びるぜ?」
「たりめーだ」
あっさり言ってのけた自分に、空が小さく笑った。どうやら予想はしていたらしい。
それにしてもよく笑う奴だ。
「伸びてくんなきゃ困るんだよ。何せあいつらは俺の弟なんだから」
「そりゃ、自分を過剰評価しすぎじゃねー?」
「じゃあおまえは俺に、自信なくてもじもじとしたりいじけたりしてほしいのか?」
「……気持ちわりーな、そんなおまえ」
「だろ」
自分だってそんなのはゴメンだ。想像すら出来ない。
もしそんな風になれば、春樹や大樹なんてパニックに陥るのではないだろうか。
やはりあっさりとしている自分に空がヤレヤレと肩をすくめた。
だが、客観的に見れば「お互い様」がぴったりな気がする。こっちだってヤレヤレだ。
「……でもよー。この先、あいつらのどっちかが倭鏡を治めることになるんだろ?」
「そうなるな」
今の現王が言うのだ。間違いない。
……まあ、こちらの気が変われば話は別だが。
「……今までは何とかやってこれたけど、今後もそう上手くいくとは限らないしな。ただでさえ今は不安定な状態が広がりつつあるんだ。親父が倒れたり渡威が騒ぎ出したりよ。最悪な場合、内乱みてーなもんだって起きないとは言い切れねーぜ? まあ、滅多にそんなことさせねーけどよ」
「……それは、おまえの“力”が――そう言ってるのか?」
「さあな」
珍しく表情を硬くする彼にニヤリと笑ってみせる。
そのことについて何か言いたげにした空は、結局その口を開こうとはしなかった。
葉はそのまま続ける。
「変えていかなきゃいけねーんだ。時代はいつだって流れている。それに合わせないで同じ状態を保つなんて無理な話だ。そうだろ?」
「そりゃ……一理あるかもしれないけどよ」
「―― 一番可能性が広がっているのは、あいつらなんだ」
呟き、小さく笑う。
彼らは可能性の塊だ。
自分の“力”を持ってでも、彼らの未来を読み切ることなど出来ない。
出来るはずがない。
だからこそ。
「でもよ」
「あ? ……まだ何かあんのか?」
「いや、俺もおまえの言ってることはわかるぜ? それにあいつらなら、けっこー面白いことやってくれそうだし期待もするけどな。でも……言う時期、早すぎたんじゃないか?」
「早い? 跡を継げって話か?」
「そっ。だってよ~、実際大問題だぜ? この倭鏡を治めていかなきゃなんねーなんてよ。時間はまだたっぷりあるにせよ、いきなり言われちゃプレッシャーも大きいんじゃねーの?」
言われなくてもわかっている。それは葉自身も思ったことだ。
「早く芽を摘み取るような真似をすると……咲く前に枯れちまうぜ?」
軽い口調とは裏腹に、真剣な眼。
一度間を置いた葉は、それをあっさり笑い飛ばした。
呆気に取られた彼が不満そうに眉を寄せる。
何がおかしいんだ、とでも言いたげに。
「悪いけどな」
思わず込み上げるのは、やはり不敵な笑み。
「俺は、勝ち目のない賭けはしない主義なんだ」
「は……」
要領の得ない答えに、空が目を点にした。
そんな彼に意地の悪い笑いを付け加えてやる。何てマヌケなんだ。
「~~んだよ、そりゃ。おまえってば何だかんだ言って弟クンたちのこと愛しちゃってるんだからよォ。このブラコンめ」
「てめーはそんなに土の中で永眠してーか?」
「……さり気ないんだか直球なんだかわかんねーな、その脅し」
参リマシタ。
そう意思表示するために彼が両手を上げ、葉も軽く肩の力を抜いた。
全く、こいつは無駄な体力を使わせるから嫌だ。
「あ、でもあと一個質問」
「あぁ? ぐだぐだうっせーな……。何だよ?」
「その“可能性”の中におまえは入ってねーの?」
「はあ? 俺?」
「おまえだって力はあるんだし、やるときゃやるだろ? それに十分若いわけだし。未来を良くしていけるような可能性、あるんじゃねーの?」
いかにも正論そうに尋ねてくる彼を思わず睨む。
さっきじじいがどうとかほざいていたのはどこのどいつだ。
「出来るところまではやってやるよ。でも長く居座る気はねーな」
「何でまた?」
「めんどくせーじゃん」
「……結局行き着くのはそこかよ」
聞いて損した、と空がため息をついた。
そんな彼にも葉は反応らしい反応を示さない。
当たり前なのだ。何よりも直接の原因はソレだと言って過言はないのだから。
「まあ、でもそうだよな~。王様なんてやってちゃ、あんま真海ちゃんにも会えな――」
「どうやらてめーは、よっぽど墓石の下が好きらしい」
またもや余計なことを言おうとした彼に、葉はゆらりと立ち上がった。
ゆっくりと威厳を込めて歩み寄る。
「ち、ちょっと待て! 何する気だオイ! しかも何だよ、その珍しく爽やかな笑顔は……冥土の土産のつもりか!? あぁ!?」
「知らねーな。さあ、晴れやかに逝ってこい」
「逝っ!?」
どうか誤字でありますように。
そんな儚い空の祈りは、どうやら無駄に終わりそうであった。




