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倭鏡伝  作者: あずさ
3話「君はここにいる」
22/153

5封目 八度目の正直

 何か言いたげだ、というのはわかっていたけれど。


「日向」

「……何? 杉里くん」


 呼ばれて振り返った春樹は、心の中でどこかホッとするのを感じた。

 今は昼休み。

 朝からずっと蛍が話しかけるタイミングに迷っていたのを、春樹は妙にはっきりと感じていたのだった。

 かといってこちらから話しかけるのもためらわれ、その間の気まずさといったら息苦しかったほどである。


「おまえの家、両親いないのか?」

「……え?」


 思ってもみなかった言葉に、思わず目をパチクリさせる。

 どこからそんな情報を?


「……昨日、おまえの弟に会って。そんなこと言ってたから」


 言いながら、蛍は彼の席――つまり自分の隣に腰を下ろした。

 それを目で追いながら、春樹は小さく苦笑する。

 何となくだが話は読めてきた。


「弟がどんな言い方をしたのかわからないけどさ。僕の両親はちゃんと二人共生きてるよ?」

「……そうなのか?」

「でも、ちょっとした事情で離れて暮らしてるから。弟とほとんど二人暮しみたいなのは本当だよ」


 付け加えると、彼が軽く目を瞠った。

 次第に気の毒そうな色を帯び始める。


「……大変、なんだな」

「確かに楽なものじゃないけど……」

「……悪い」


 ぼそり、と呟かれた言葉に目を丸くする。

 それから込み上げてきたのは、やはり苦笑じみた笑みだった。


「昨日のこと、言ってるの?」


 尋ねた自分に、蛍は答えを返してこなかった。

 無表情に机に目を落としている。

 それは気まずさからの行為だろうか。


(『普通に平和な家庭で暮らしている奴に俺の気持ちがわかるわけないだろ』、だっけ)


 そう言ってしまった後で、実は少し大変だったという事情を知ってしまったのなら、蛍のこの反応にも納得がいく。気まずくも思ってしまうだろう。

 だが。


「杉里くん。僕の気持ちなんて、同じ事情の人じゃなきゃわからないんじゃない?」

「…………」

「気の毒そうにされても、僕は困るんだけど」


 昨日の彼と似たようなことを言ってやると、彼はバツが悪そうに顔を歪めた。

 そんな彼を見て肩の力を抜く。

 元々悪い人ではないのだろう。そうでなければ大樹があんなになつくこともない。

 きっと彼は、少し口下手で不器用な性格なだけだ。


 春樹は今までの重苦しい雰囲気を打ち消し、蛍に笑顔を向けた。


「なんてね。ごめん、言ってみただけだよ」

「は……?」

「それに僕も、昨日は言いすぎちゃったし。――これでおアイコ。ね?」

「……そう、だな」


 ぎこちなくうなずいた彼が、次にホッとしたような微かな笑みを見せる。

 初めて見るソレに、春樹も思わず微笑を浮かべた。

 これだけで気まずかった何かがかなり和らぐ。


 ふと思い当たったことがあり、春樹はさらに会話を続けた。


「……あのさ。話の腰を折っちゃうようで悪いんだけど……。杉里くん、作文のこと」


 これで八回目だ。自分でも嫌になる。

 だが、これで最後だという確信があったからこそ、今日はすんなりと言葉が出てきた。


「ああ。……先生にちゃんと言った」

「うん。朝、先生から聞いたよ。ありがとう」

「……何でおまえが礼を言うんだ?」

「ううん、何となく」


 そう言って小さく笑う。

 困っていたのは事実なのだ。これで春樹の肩の荷も下りた。


「ありがとうっていえばもう一つ。昨日、弟を助けてくれたんだよね?」

「助けたっていうか……たまたま通りかかっただけだ」

「でも助かったよ。あいつ、無鉄砲だから後先考えないし」

「……確かにそんな感じだったな」


 蛍がうなずき、互いに苦笑してしまう。


「でも、あんな弟がほしかったかもな」

「ええ!? ……苦労するだけだよ?」


 素ですっとんきょうな声を上げてしまう。

 それほど驚いたのだ。アレがほしいだなんて、なんて物好きな。


「生意気で短気で落ち着きないしうるさいし物わかりも悪くてすぐ泣くすっごいワガママな奴だよ?」

「そうなのか?」


 一息で一気に述べた自分に、蛍がおかしそうに苦笑した。

 その反応に微かに顔が赤くなってしまう。

 ――つい、我を忘れるところだった。

 何だか無性に恥ずかしくて、春樹はわざとらしくコホンと一つ咳払いをした。


「と、とにかく。アレが弟だと大変だってこと」

「でも……賑やかになりそうだろ?」

「……それは否定しないけど」


 賑やかどころか、騒音の一つはもれなくプレゼントでついてくる。


「俺、一人っ子だから。昔からうらやましかったんだ、そういうの」

「へえ……」

「まあ……その分、親は俺に甘かったけどな」

「……杉里くん……」

「親父なんてよく俺の頭なで回してたよ。親父の手って本当にごつくてデカイんだ。でも……まあ、温かかったし嫌いじゃなか……」

「……杉里くん?」


 不自然なところで言葉を切る彼を、不思議に思って覗き込む。

 すると彼はその視線から逃げるように顔をそらした。

 だが、春樹は見てしまった。蛍の顔が真っ赤になっているのを。


「僕、そんなにしゃべる杉里くんって初めてかも。……お父さんのこと、好きなんだね」


 笑って話しかけても、蛍は黙ったまま黒板を睨みつけるだけだった。

 顔は明らかに不機嫌なのだが、春樹にはどうもそれが怒っているようには見えない。

 もしかして彼は……。


(……すごい照れ屋なんじゃ……)


 思い当たった答えに、妙に笑いが込み上げてくる。

 意外といえば意外だが、すんなり納得出来るのはなぜだろう。


「……何笑ってんだ」

「あ、ごめん。何か意外で……。正直に言うと、杉里くんって怖いイメージがあったから」

「……まあ、小学生のときは中学生相手とケンカしてたからな。今は全くだけど……」

「……うわあ」


 淡々と教えてくれた彼に曖昧な呟きを返す。

 ということは、噂の一部はあながち間違いではないということだ。


「――あ、そうだ」

「え? ……どうしたの、急に?」

「いや……おまえの弟、何か忘れていかなかったか?」

「え……」


 ふいに鼓動が速くなる。

 それってもしかして!?


「何か槍? みたいな棒なんだけど……」

「杉里くんが持ってるの!?」

「お、おう……」


 勢いよく立ち上がった自分に蛍が気圧された。

 半歩分ほど身体を引いている。

 だが、今の春樹には全くもって気にならない。

 ――どこを探しても見つからないはずだ!


(助かった……! これでもう葉兄に怒られなくて済む! セーフ! ありがとう神様っ)

「……日向?」


 自分の世界に入ってしまいそうだった春樹を引き戻したのは、蛍の遠慮がちな声だった。

 春樹は慌てて我に返る。


「へ? え、あ、何!?」

「……何かまずかったか? その……勝手に持ち帰ったりしたら」

「ううん、そんなこと! 大切なものだったから、放置されてるよりずっと良かったよ。ありがとう、杉里くん」


 笑顔を向けると、蛍が決まり悪そうに頭を掻いた。

 これも照れたせいの行為だろう。段々春樹にもわかってきた。


「ただ……今、家にあるんだ。すぐに必要か?」

「うん、出来れば早い方がいいかな」

「それなら放課後、どっかで待ち合わせないか? そこに持ってくから」

「わかった。何かごめんね、色々と」


 何から何まで迷惑をかけているようで苦笑するしかない。

 そんな自分に彼は軽く肩をすくめた。「気にしていない」の意だろうか。


「……俺も、おまえの弟にすぐ渡せば良かったんだけど。でも、呼んでも気づいてないみたいだったから」

(……大樹の奴……)


 何もかも彼のせいではないか。全く、本当に困った奴だ。


「そういや、あのときの猫はどうしたんだ?」

「……一応、飼うことになったんだけど」


 言いながらため息をついてしまう。

 昨日のあの後、大樹は再びみいにべったりだったのだ。

 自分たちの言ったことをきちんと理解しているのか、いないのか。

 春樹としては不安で仕方ない。


「動物なんて飼ったことないし、やっぱり自信なくて」

「……その猫、俺が飼おうか?」

「え?」


 意外な言葉に目を瞬かせる。春樹はじっと蛍を凝視してしまった。

 何だか今日は、自分の予想していなかったことばかりで妙に忙しい。


「……俺、昔猫飼ってたから」

「杉里くんが?」

「ああ。親父が……猫、かなり好きで。俺もたくさん猫のこと教えてもらったりしたんだ」

「…………」


 苦笑した蛍に目を細める。

 離婚していなくなってしまった父のことを考えている彼は、今、どんな気持ちなのだろう。


(みいがいれば……きっと、杉里くんの寂しさも少しは和らぐんだろうな……)


 聞いている限り、蛍自身も猫が好きなようである。

 みいのことを考えても、きちんと知識のある人に飼ってもらった方が安全なのは確かだ。

 これは自分の勝手な判断だし、ただのエゴ的な考えかもしれないけれど。


 大樹のことを考えるとためらわずにはいられなかったが、


「じゃあ……お願い出来る?」


 ――春樹は、真っ直ぐと蛍を見た。




◇ ◆ ◇



 ガタガタン!

 激しい物音に予想はついていたものの、春樹は思わず身をすくめた。

 しかし倒れた椅子など眼中にないようで、立ち上がった大樹はボーゼンとこちらを見てくる。


「何……だよそれぇ……?」

「勝手に決めたのは悪いと思うけど……」

「何で!? だって春兄、飼っていいって言ったろ!?」


 必死に訴えてくる彼から目を背ける。

 やはり罪悪感に近いものがあるので、泣きそうな彼の顔は見ていられなかった。


「……大樹、言ったよね? 誰かが助けてあげなきゃ死んじゃうかもしれないって」

「言ったけど……」

「その“誰か”が来たってことだよ。それも、僕たちより適した人が」

「でもっ!」


 声を荒げた大樹は、けれどそれ以上言葉が見つからないようで、ただ拳を握り締めただけだった。

 そのままうつむいてしまう。


「大樹……大丈夫だよ。杉里くん、いつでも遊びに来ていいって言ってるし。ね?」

「……杉里……、蛍……?」


 ぽつり、と大樹が呟いた。

 がばりと顔を上げ、こちらの両腕をつかんでくる。


「蛍? その新しい飼い主って蛍なのか!?」

「え? そ、そうだけど……」

「…………、――なんだぁ……」


 ふにゃりと大樹から力が抜けた。

 そのままズルズルと座り込んでしまいそうだったので、春樹は慌てて彼を支える。


「大樹?」

「全然知らない人で……下手したら外国とか行っちゃって、もう会えないのかと思ったぁ」

「はあ?」


 何でそこで外国が出てくるのだろう。

 彼の思考が飛躍するのはしばしばだが、それでも突拍子がなさすぎる。


「何だよもーっ! 春兄、もっとちゃんと説明しろよな!」

「おまえが途中で遮ったんだよ」


 ホッとしたあまり叫び出す彼に呆れる。

 今度は逆ギレなんて、もうついていけない。何なんだ一体。


「だって春兄、いきなりみいを人にあげるって言うんだもん。焦るだろ」

「そんなこと言われても。でも……杉里くんならいいのか?」


 尋ねると、少しだけ間が空いた。

 一度みいに顔を向けた大樹が、再びこちらへ目を向ける。

 ばっちり目が合い、彼はやがて、こっくりとうなずいた。


「本当はやっぱ、ずっと一緒にいたいけどさ。昨日、春兄と葉兄に言われたこと考えてみたんだよな」

「覚悟とか、そういった話?」

「そう。んで……やっぱ難しいことはよくわかんねーんだけど。べたべたかわいがったりするだけじゃダメってことだろ?」

「うん、そうだね」


 かなり省略されている気もするが、決して間違いではない。


「だから、オレがそーゆうのもちゃんとわかるまでは仕方ない……と思う。それに蛍なら、何となく頼りに出来そうだし。

 ――あ、でも! オレ、頑張ってわかるようにするから! そしたら……また、みいのこと飼ってもいいだろ?」

「……わかった。杉里くんにもそう言っておくよ」


 微笑むと、パッと大樹の顔が明るくなった。

 彼は「ひしっ」と擬音がつきそうな勢いでみいを抱きしめる。


「“みい! オレ、毎日遊びに行くからな!”」

「いや、毎日はさすがに……」


 あちらの家が迷惑するだろう。

 いくらいつでも遊びに来ていいと言われても、やはり限度というものがある。

 程々にしておかないと母親のブラックリストに載ってしまいそうだ。

 それだけはちょっとばかりご遠慮願いたい。

 何せ、母親の力とはげに恐ろしきものである。


(それにしても、泣いたカラスがもう笑ってるよ……)


 みいに事の説明をしている大樹に苦笑する。

 この言葉は彼のためにあるようなものだろう。

 本当にコロコロと表情が変わる奴だ。

 ――否、コロコロと変わる気分がすぐ顔に出る奴だ。


「“あのな、蛍って……ほら、一緒に公園にいた奴がいたろ? みい、しばらくそこの家の子になるんだぜ”」

「ニャ?」

「“そうそう。いや、いい奴だぜ? タイヤキくれたし”」

「にゃー……」

「“そりゃ……まあ……。でもダイジョーブ、オレも毎日遊びに行くから!”」

「ミャア」

「“おう! 約束な♪ あ、たまには泊まりに来いよ”」

「ニャニャ!」

「“もちろん! ぜってーだからな!”」

「ミャー」

「“オレも好きだぜー!”」


 ……ハタから聞いていると、やっぱりよくわからない。

 一体彼らはどんな会話を繰り広げているのだろう。

 少なくとも、大樹の反応からしてバカップル上等な会話をしていても不思議はない。


「……あ、ところで」


 時計に目をやった春樹が声を上げると、大樹もきょとんとしてこちらを見た。

 ちなみにみいは未だに彼の腕の中だ。

 あまり触りすぎると猫にとってストレスになりそうだが、それはいいのだろうか。

 まあ、嫌なら嫌だとみいも言うだろうが。


 そんなことをぼんやり思いつつ、春樹はもう一度時計を確認した。


「これから杉里くんに会うから、おまえも来るか?」

「蛍に?」


 大樹が目を丸くする。急は話だと思ったのだろう。

 春樹は軽く息を吐き出し、それから苦笑した。


「封御、杉里くんが持ってたんだって」

「――マジ!?」


 驚愕した彼の瞳に、みるみると理解の色が広がっていく。


「やった、これで葉兄にごちゃごちゃ言われねえっ! 助かったあ~。サンキュー神様!」

「…………」

「ん? どうした、春兄?」

「いや……やっぱり僕たちって兄弟なのかなって」

「はあ?」


 思考回路というか反応というか、今のはほとんど似たり寄ったりであった。微妙に複雑な心境だ。


「まあ、どうでもいいとして。僕たちはお互い相手の家を知らないから公園で待ち合わせたんだよね。そこに封御持ってきてくれるって言うから、それで」

「んじゃオレも行く! ――“みいも一緒に行こうぜ?”」


 後半をみいに向けると、みいも承諾したらしく一声鳴いた。春樹も笑う。


「そうだね。きちんと杉里くんと顔合わせした方がいいし」


 何せ彼が新しいご主人様となるのだ。

 今日すぐというわけではないが、それでもきちんとご対面した方がいいに決まっている。

 そんなわけで驚くほど話がとんとん進んでいる感覚にとらわれながら、春樹は大樹と共に家を出ることにした。




◇ ◆ ◇



 ――が。


(何か雲行きが怪しいな……)


 空を見上げ、どんよりした雲にそう独りごちる。

 そのせいか公園には全く人がいなかった。

 少々肌寒いし、進んで外で遊びたくなるような天候ではない。

 その結果と考えれば特に不思議でもない。

 しかしもちろん例外はあるもので、大樹は少し離れたところでスケボーで遊んでいた。

 時間にまだ余裕があるからと春樹が許したのだが、それにしても平和な奴だ。少々うらやましい。


(傘持ってくれば良かったかな……)


 急がないと一雨来そうである。

 そういえば、天気予報でも夕方から天気が崩れると言っていたような、いなかったような。


「日向」


 ふいに背後から声がかかり、慌てて我に返る。

 そこには当然、その声の主がいた。


「杉里くん」

「悪い。もしかして待ったか?」

「ううん。だってまだ、待ち合わせの時間にもなってないし」


 そう言って腕時計へ目を走らせる。

 まだ五分近く余裕はあった。

 どちらも時間にはしっかりした性格のようだ。


「早速だけど、コレ」


 蛍が鞄の中から封御を取り出す。

 それが封御だときちんと確認し、春樹は思わずホッとした。

 もちろん蛍を疑っていたわけではないが、それとこれとは別問題である。


「ありがとう」


 春樹も手を差し出し、受け取ろうと――


 ザアアアッ!!


「!?」


 二人の間を遮る壁のように、突然もの凄い勢いの水が目の前に降り注いだ。


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