エピローグ 前へ、
不思議な騒動から数日が経った。
あの後は父親も帰ってきて、椿は今までと何ら変わらない毎日を過ごしていた。
少し変わったことといえば、ちょっとした秘密を共有したことで、以前より大樹や雪斗と話す機会が増えたことだろうか。
それも、相変わらずハリセンで引っぱたくような関係だが。
「――やっぱここかあ」
いつもの公園で踊っていた椿は、ため息をついて音楽を止めた。
どうしても同じところでつまずいてしまう。
これは春樹に見られたときも失敗していた部分だ。
あれから何度も練習しているのに。
何がいけないのだろうとブツブツ考えていた椿は、ガサガサと近づいてくる音に顔を上げた。
じっと目を凝らしていると、ひょっこり現れた顔。
しかもソレは、よく見知った顔で。
「あ、春兄が言ってたのってホントだったんだ」
「大樹!? 何でここに!?」
「ジャンケンに負けてパシられたんだよ。その帰りに寄ってみた」
ほら、と買い物袋を持ち上げる彼に顔を引きつらせる。
まさか彼に見つかってしまうなんて。
「寄り道なんかしたら、春樹さんに怒られるんじゃないの?」
「そこまで子供じゃねーよ」
大樹がムッとしたように頬を膨らませた。
だが、自分の持ち物を見つけるなり興味深そうに覗き込んでくる。
「椿、ダンスやってるんだよな?」
「……そうだけど」
小さく答える。
あまり触れてほしくない話なのに、そんなあっさり触れないでほしい。
「春兄がすっげー上手いって言ってたぜ?」
「……春樹さんは優しいからでしょ」
「春兄は嘘なんて言わねーよ」
再び大樹がムッとした。
そんな彼に苦笑する。兄の話をするととたんにコレだ。
「どうでもいいけど、ダンスのこと、みんなには言わないでよ」
「へ? ……何で?」
「何でって……」
きょとんとする彼に呆れる。それくらい察してほしいものだ。
「恥ずかしいじゃん。……あんたも、どうせバカだと思ってるんでしょ? こんなことに夢中で。……将来、ダンサーになりたいだなんて夢見てて」
「いや?」
ぽつぽつと呟くと、彼は驚くほどあっさり答えてきた。
思わず顔を上げると、彼は不思議そうに首を傾げている。
「何で恥ずかしいんだ?」
「え、だって……」
「夢中になれるものとか、将来の夢がちゃんとあるってカッコいーじゃん」
「カッコイイ……?」
「おうっ」
にっと笑う彼にボーゼンとしてしまう。てっきりバカにされると思っていたのに。
そこで唐突に、椿は大樹と二人きりだということを思い出した。
あれ以来、話すことはあっても二人きりなのは今が初めてなのだ。学校では常に雪斗が近くにいたせいでもある。
彼には、言わなければいけないことがある。
「……あのさ、大樹」
「んー?」
「……あのときは、……ごめん」
「あのとき?」
大樹が目を丸くする。
彼は目を虚空に泳がせ、首を傾げた。
必死に「あのとき」を思い出そうとしているようだ。
そんな彼を焦れったく思う。
もしこれがわざとなら、首を絞めてやりたい。
「だからっ、ママは死んだって言われて、私カッとなっちゃって……あのとき叩いてごめんって言ってるの!」
「――ああっ!」
ワンテンポ遅れて、大樹にも合点がいったらしい。
彼は笑顔で手を叩いた。
場違いな反応にハリセンでツッコんでやりたくなるが、ここは自主規制である。
せっかく謝ってるのにハリセンで引っぱたいてしまっては台無しだ。
「ヘーキヘーキ。それにオレ、あの後春兄に怒られたし。もっと違う言い方あるだろって」
「でも……あれでハッと目が覚めたのも事実だから」
「ふうん? よくわかんねーけど……んじゃ、どーいたしまして?」
「ま、そーゆうことになるかな」
少し変わった会話に小さく笑う。
「んじゃ、オレからも一つ“ありがとう”だなっ」
「え? ……私何かしたっけ?」
「オレたちの話、信じてくれたじゃん。だからサンキュッ」
「あ……」
思い当たり、知らずに顔が赤くなる。
改めて言われると妙に照れくさかった。
「だって春樹さんが嘘ついてるようには見えなかったし。それに大樹、嘘つけなさそうだもんね」
彼が馬鹿正直だというのは、クラスでもなかなか有名だ。
しかし、そんなちょっとした皮肉には気づかなかったらしい。
彼は嬉しそうに笑うだけだった。
「……って、そろそろ戻んなきゃホントに怒られるっ!」
ハッとしたように大樹が叫んだ。彼はバタバタと支度を始める。
――といっても、買い物袋を持っていた程度で特にすることもなかったが。
「じゃな、椿! また明日っ!」
「うん、バイバイ」
最後の「イ」が言い終わらない内に彼は走り出していた。
その慌ただしさにしばらく立ち尽くす。
やがて彼の姿が見えなくなると、思わず笑いが込み上げてきた。
「――……おもしろい奴」
呟き、小さく息を整えた。再び音楽をかけ始める。
流れてくるのは、もう聴き慣れてしまった曲。
椿は顔を上げた。身体全体でリズムを刻みつつ、ステップを踏み始める。
――頑張ろう。
この先、どうなるのかなんてわからないけれど。
夢を目指す今の自分は、きっと嘘じゃないから。
少しでも、強さにプラスされるだろうから。
だから、恐れないで。
何も見えない前を、今しっかりと向こう。
静かな公園に、軽快な音楽が響き渡る。
■2話「子守唄はレクイエム?」了