6封目 主命
『近衛兵の奴らもそっちに向かってる。が、渡威が壁になってなかなか中まで入れずにいるみてぇだな。ルナをそっちに向かわせるが構わないか?』
「わかった。葉兄の判断に任せる」
『お前はまずチビ樹の居場所を探ることに専念してくれ。くれぐれも無茶はすんな』
「大丈夫。場所は歌月くんが案内してくれるって」
「……ふん」
前を走る渚が面白くなさそうに鼻を鳴らす。
春樹は小さく笑いその後に続いた。
その横にはぴったりとセーガがついてくる。
「あいつはこの突き当たりの部屋……うわ!?」
示された部屋のドアが吹き飛ぶ。
古いからだろうか、もうもうと巻き起こる砂埃のオマケ付きだった。
唖然としていると、ガラガラと音を立ててそこから立つ人影。
「おい、おまえ!」
「……あー。渚か。……と、春樹サンも」
立ち上がったのはもっちーだった。
ヘラリとした笑みで服を軽く叩く。
ずれてきたバンダナを整え、こちらに大げさに息をついてみせた。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「もっちー……。大樹は?」
「……」
もっちーは苦い顔を部屋の中に向けた。
春樹と渚は顔を見合わせ、うなずき合う。
中にいるのは間違いない。
しかし、もっちーの様子だと――。
「おいおまえ、いい加減俺にも説明を――」
「あー、残念ながらそんな暇も余裕もないんだ」
「はあ!?」
「しゃがめ!」
鋭い声。とっさだった。考えるより早く身を屈める。
頭上を過ぎる凄まじいほどの風圧。
それに"止まる”という概念はなく、窓へ思い切りぶち当たる。
耳障りな音を立てて砕ける窓ガラス。
反動でいくらかガラスがこちらへ降り注いだが、全てセーガが翼で払った。
『何だ……もう終いか?』
軽い身のこなしでもっちーへ肉薄する人影。
舌打ちと同時にもっちーが腕を伸ばす。
木の腕は盾のように相手の身体を受け止めた。
「大樹!」
思わず叫ぶ。
しかし反応してこちらに顔を向けた彼は、つまらなそうに再びもっちーへ視線を戻した。
『つまらん。子供か』
「大樹!?」
「おいてめぇ! 何やって……!」
『子供はうるさくて好かん』
大儀そうに呟いた彼はこちらへ手を向けた。
そこから生じる、風の塊。
それだけで吹き飛ばされそうになる。
「……セーガ!」
"御意”
飛び乗る。彼の頭上を飛び越え難を逃れた。
とはいえ――混乱は治まらない。
何が起きているのか。大樹はどうしてしまったというのか。
『春樹。神懸かりだ』
「……神懸かり……」
聞いたことがある。
神がかった、という表現は春樹も耳にする言葉だ。
しかし。
「……神懸かりって、こういうものだった?」
『少なくともこっちでの正式なものとは違うな。本来はあくまでも神託を聞くに留められている。要するに変なやり方をしちまったもんだから、訳のわかんねー神様とやらが降りてきてチビ樹の身体を乗っ取った、ってわけだ』
「……はた迷惑な」
ちらりともっちーを見る。
見られたもっちーは少しばかりバツが悪そうに頬をかいた。苦笑い。
「こちらにも色々ありまして」
「……後でたっぷり聞かせてもらうよ」
呟き、立ち尽くしている彼へ視線を戻す。
彼もまた興味深そうにこちらを見ていた。
否、正確には視線はセーガへ。
『……ほう。守護獣を持つか』
「……」
『不愉快だ』
吐き捨てた彼が向かってくる。
「! ……大樹! 起きろ!」
再び向かってきた彼の動きを封御で受け止める。
呼びかけるが、彼はますます不愉快そうに眉をひそめるだけであった。
互いに距離を取る。
身体の節々がわずかな痛みを訴えている。
――やれやれ、だ。元々武闘派ではないというのに。
「……邪神とお見受け致します」
『ははっ。そう呼ぶ者もおるな。自身の都合で判断する……勝手なものよ』
「ソレは、僕の弟です。返していただきたいのですが」
『我は呼ばれたから来た。それだけだ。だというのに具合が悪ければすぐに追い返そうとするなどと……やはり人間とは身勝手で始末の悪い生き物だな』
「それは失礼致しました。以後気をつけます。ですから、申し訳ありませんが今回ばかりはお引き取り願えないでしょうか」
『……お主、見た目と比べて随分……大人びたというか、……老成しているというか……』
放っておけ。
『だが、それではつまらん』
割れずに残っていた窓ガラスがびりびりと震え出す。風が騒ぎ出す。
春樹は一歩下がる。目を細めて彼を見据えた。
――あちらの"力”の消費が激しい。
(大樹の普段の"力”はとっくに尽きてる……)
そして今大樹を支えているであろう"白い力”も、邪神のせいで勢いよく失われつつある。
むちゃくちゃだった。
本来ならばあのような使い方はしない。むしろできない。
人には生存本能があり、無意識に"力”を使いすぎないよう、最低限のラインでは制御してしまうはずなのだ。
だというのに、目の前の相手は惜しみなく"力”を解放している。
まるで――自殺行為だ。
『どうした、もう終いか?』
何でもないことのように放った言葉と共に、"力”そのものをエネルギーとしてぶつけてくる。
動けなかった。
体力的な意味でも厳しいものがあったが、それ以上に、その事実に驚いて。
しかしぶつかる直前、黒い影が前に立ち塞がった。
「セーガ!」
もろにエネルギーと衝突したセーガが後方へ弾き飛ばされる。
しかし宙で回転、勢いを殺しながら彼は静かに着地した。
こちらを見やる。
"ご主人、落ち着け。坊主の体が心配なのは分かる”
「セーガ……ごめん」
"……ふん。俺が何のためにいると思ってる?”
皮肉げに言い、彼は前へ向き直った。
***
「やるじゃん、セーガ」
健闘している姿に感嘆の息を漏らす。
一時はどうなることかと思ったが、これなら何とかなるかもしれない。
しかし隣の東雲は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ふん……セイ坊の力はあんなもんじゃないわい」
「じいちゃん?」
空は不思議に思って東雲を見た。
しかし東雲のしかめっ面は変わらない。
東雲がセーガの元主人であることを知っている梢が、控えめに笑みを形作った。
少しだけ困ったような、仕方ないなとでも言いたげな――まるで子供を見守るようなソレ。
「あの子は……難しく考えすぎてしまうところのある子ですから」
「難儀な奴よ。セイ坊と自分を信じればそれでええっちゅうに」
「……ふふ。大丈夫ですよ、東雲さん」
穏やかな表情のまま、視線は鏡へ。
「私の子供たちは、本当に強くなっていく。それだけの力がありますから」
※
「う……!」
『こんなものか?』
セーガごと床に叩きつけられ、低く呻く。
すぐにセーガが立ち上がるが、春樹はそれに続けなかった。
――まずい。どうやって止めればいいというのか。
トドメをささんとばかりに相手がこちらに向かい、
「俺のことも忘れないでほしいですねっ」
短く叫んだもっちーが横から飛び出し、大樹へ攻撃を放つ。
そのため大樹が距離を取ると、隙を見ながら渚が近くに寄ってきた。
「おい、大丈夫なのかよ」
「……あはは。どうだろう」
「あのなぁ……!」
声を荒げようとした渚だが、ふいにバツが悪そうに顔を背ける。
「……くそ。おい、俺にもやれることはあるか」
「……」
「何だよ、今はぐだぐだ言ってる場合じゃないだろ」
「何も言ってないよ」
「言いたそうな顔してたろうが!」
意外な申し出に目を丸くした春樹に牙を剥いてくる。
それは結局今までの彼らしく、春樹は少しだけ肩の力を抜いた。
実際、協力してくれるというのであればありがたい。
自分だけではどう考えても手詰まりだ。
「……渡威は?」
「ん?」
「さっきみたいに、渡威、使える? とにかく今は隙がほしい」
「……そうだな。俺が使えんのは一部なうえに、半分くらいはてめぇに倒されて動けねぇだろうけど」
「あはは……」
「ちっ」
忌々しそうに呟いた渚は笛を取り出した。
思い切り息を吸い――鳴り響く、甲高い音。
ぞろりと渡威が沸いて出る。
それらは息をつく間もなく一斉に大樹へ。
もっちーがその場から距離を取る。
その間を縫うように押し寄せる渡威たち。
目をわずかに見開いた彼が、驚きからだろうか、棒立ちになった。
その隙を逃すはずもなく、もっちーが蔦で相手の体を絡め取る。
『ちぃ……!』
「動きさえ封じられれば……!」
宙に釣り上げられた相手の表情に焦りが浮かぶ。
しかし。
『なんてな。先刻のことも忘れたか』
蔦が不気味に蠢いた。
次の瞬間それらは彼から離れ、もっちーを突き刺さんとばかりに戻っていく。
すぐさま蔦をかき消すもっちー。
振り向くこともなく叫ぶ。
「渚!」
「俺に命令すんじゃねえっ」
荒々しく答えた渚だが、予測していたかのように素早くもう一度笛を響かせた。
渡威が呼応して勢いを増し、数体の渡威が飛びかかる。
渡威同士が繋がり、輪になり、相手の四肢に絡みつく。
『……!』
「忘れるはず、ないでしょうが。あんな忌々しい感覚」
ふいにもっちーが姿を変えた。
優しげな面持ちのソレは、土屋医師。
梢の主治医だ。彼の"力”は電気を操ること。
ぱちり、と彼の腕で光が弾けた。
渡威の拘束が一層きつくなる。逃がさないように。外さないように。
「大人しく眠ってもらいます!」
動けなくなった相手を、もっちーが前方から、セーガが後方から挟み撃つ!
これで――。
『行け』
攻撃が入ろうとした刹那、短い響きと共に渡威が一斉に弾けた。
もっちーとセーガを押し返す。
それは突然で、不意打ちで、誰も瞬時には反応できなかった。
「おい!?」
「セーガ!」
慌ててそれぞれに駆け寄る。
どちらもそこまで大きなダメージを受けてはいないようだった。
しかし、瞳はきつく相手を睨んだまま。
渚が笛を吹く。
しかし渡威は何ら反応しない。相手を守るように周りに控えている。
「何でだ……!?」
『我の方が強い。それだけだ』
「はぁ!?」
『その笛はこやつらへの信号みたいなものだろう? だから単調な命令の組み合わせだな』
低く笑う。さもおかしそうに。
『そんな命令には飽き飽きしたそうだ』
「なに意味のわかんねぇことを……!」
苛立たしげに渚が睨む。
しかし渡威に威嚇され、わずかに身を引いた。
「……歌月くん……あっちは直接的に訴えたんだ」
呆然と春樹は呟いた。
怪訝そうに渚が視線を寄越してくる。
「大樹は、……相手は渡威の言葉を理解できるし、理解させることもできる。だから渡威に直接訴えた。渡威はあっちの命令が、僕らの命令よりも上だと判断したんだ」
「そうでしょうね」
体勢を整えたもっちーが顔を歪める。
「それに、渡威は本能的に強いモノに惹かれやすいんですよ……正直、俺もキツイ」
人やモノに憑くとされる渡威。
その対象には強い想いの込められたものがなりやすい。
それは渡威としての本能がそうさせるというのだ。
人の形を取っているからこそ自分は抗っていられるのかもしれない、と、もっちーは所在なさげに答えた。
『他愛もない』
まるで飽きたとでも言いたげに。
無表情にぼやいた相手が手をかざし、再び"力”をエネルギーとして放ってきた。
いよいよどうしていいか分からず歯噛みする。
しかし負けるわけにはいかない。後には退けないのだ。
「魄戍!」
短く叫びセーガを向かわせる――が。
「……!? っあ!?」
セーガの翼は変わらなかった。
セーガが驚いたように振り返る。
そんな彼の挙動は珍しく――しかし、壁に叩きつけられた春樹には悠長に見ている余裕もなかった。
"ご主人!”
「おい!」
「春樹サン!?」
三者三様の焦り。
それが痛いほどに突き刺さる。
「……ごめん、大丈夫……」
痛みはあるが、怪我はない。
顔をしかめて身体を起こす。
自身の状態をまざまざと感じ、愕然とした。
(……まずい)
先ほどの渚との戦いで"力”を使いすぎた。
分かりやすいほど消耗している。これではセーガの技を使えない。
――春樹には、何も、できない。
「くそっ! 何だよあいつ、色々反則じゃねぇかもう!」
渚が毒づく。
思い切り笛を床に叩きつけた。
鈍い音が空しく響く。
「他に手はないのか!?」
返ってきたのは、沈黙。
何とかしなければ。どうすればいい。
どうすれば相手を止めることができるのか。
大樹が、戻ってくるのか。
どうしよう。どう。
ぐるぐると思考は止まらない。まとまらない。
焦りが、じわりと浮かんだ。
「……あるとすれば、春樹サンでしょうね」
ぽつりと答えたのは、もっちーだった。
「……え?」
「この場を打開できるとすれば、春樹サンしかいない。俺はそう思います」
淡々と答えるもっちーを呆然と見上げる。
何を言っているのか、聞こえているはずなのに理解ができなかった。
だって。今、何もできないことが判明したばかりだというのに。
「そうだ、またなんかすげぇ技とかあんだろ。そうなんだろ?」
「無理、だよ……」
意気込む渚から顔を背ける。
確かにセーガにはまだ秘められた力もあるだろう。
しかし、それを扱えるほどの"力”なんてもう残っていない。
セーガのせいではない。春樹自身の限界として。
『春樹』
葉の声が耳に届く。ビクリと体が強ばった。
「葉兄……ごめん、僕……」
『お前には無理なことでも、ワンコロにはできることもあるだろ。そしてそれは、お前にしかできないことなんだぜ?』
「……え?」
まるでナゾナゾのような、ちぐはぐな言葉。
チリン、と、微かな音が鼓膜に触れた。
春樹はハッとしてその音を探す。
野田仁に無理矢理渡された鈴だ。
渚と対峙したときに窓際に吊したが、生真面目な春樹としてはそのまま放置するのも落ち着かなく、結局また回収したのだ。
それが衝撃でこぼれ落ちたらしい。
「……」
その鈴の音は、仁が「情けねぇな、おい」とでも言っているようで。
思い出す。
彼の独白にも近い、緩やかな諭しを。
『子供っぽかったり、大人っぽかったり、そういうの、グラグラしてるんだな。……さっきも言ったが、お前、甘え方ってあまり分からないだろ』
『多分、お前が泣けないのってそういうところが大きいと俺は思う。泣けないのは、甘えだ』
『泣けなくてもいいんだよ、っていう周りへの、不器用なりの精一杯の甘えだな』
『でも……そんなのはちと歪んでるだろ』
それはきっと、今に始まったことではなく、ずっと――。
「……セーガ……」
思い出したとたんに得体の知れない不安が込み上げ、佇む彼を探す。
黒い獣は、じっとこちらを見ていた。
揺らがない。
いつも彼の瞳は、ひたむきに自分を映している。
強く、深く。ただ、あるがままに。
(僕には無理でも……)
――セーガ、なら。
「……そう、だね」
呟き、両の腕に力を込める。
封御を支えにし、春樹はゆっくりと立ち上がった。
考えは今でも上手くまとまらない。
いつだって自分はグラグラと不安定だ。
きっと子供っぽくも大人っぽくもなれない、中途半端で頼りのない、不器用な人間だ。
しかし、それでも、だからこそ。
彼の眼差しに、想いに、委ねようと思う。
「……僕は確かに、そういう下手な甘え方をしていたのかもしれない」
「春樹サン……?」
「どんなに無理をしても、セーガは見捨てないでくれるから……それに甘えて僕が全部背負えばいいやって……。もしかしたら、その方が楽かもしれないからって……。でも、僕はセーガの主だから」
眼差しに応えるように、春樹も真っ直ぐとセーガを見つめる。
揺らぎそうになる気持ちを抑え込み、静かに微笑んだ。
「これからは背負うよ。自分の責任と、委ねられる信頼を」
"……"
「だからセーガも……僕に、預けてくれる? 僕と一緒に――……背負ってくれる?」
"……御意”
そう、厳粛に応えた彼は、クッと低く笑って。
"当たり前だ”
いつもの調子で、穏やかに微笑んだ。
『くだらぬ話は済んだか?』
飽き飽きとした様子で相手が言う。
春樹はぐっと歯を食いしばった。
力を込めて相手を見やる。視線で射抜く。
口を開く。言葉に力を、想いを乗せる。
「我、主として命ず」
セーガの翼が白く目映く輝く。
それは翼に止まらず、四肢を、尾を、頭を、全身を染め上げていく。
それは、神々しいまでに。
「我が両の手となりて、足となりて、力となりて、我に――応えよ」