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倭鏡伝  作者: あずさ
14話「災厄は忘れた頃に」
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エピローグ 大人と子供

 壁も天井も白を基調とし、清潔感を保った、ややゆったりとした空間。

 そこにぼんやりと立ち尽くしていると、ふいに目の前で人影がうごめいた。


「……ん?」


 喉に張り付いたようですんなりとは出なかった、かすれた声。

 春樹は重たい頭を無理に起こし、ただ黙ってその影を見つめた。

 影はしばし息を詰めていたようだが、やがて、億劫そうにこちらへ顔を向ける。

 相変わらずののっぺりとしていて掴みどころのない目が絡むと――


「……よぉ」


 仁は、気の抜けるような声で口の端をわずかに上げてみせた。


「ここは……なんだ、病院か」

「そう、です。救急車で運ばれて、手術もして、何とかようやく落ち着いたそうですよ。一時は危うかったみたいですが、今では面会も大丈夫だろうって」

「あぁ、そりゃ……助かった。ぐっすり寝た気がするな、うん」

「……そうですね」

「なんだ、なんて顔してるんだ」


 ベッドから身を起こそうとし、しかし無理だと判断したのか再び体を横たえた仁が手招きをする。

 本来であれば彼の指示に従うのは吐き気がしそうだったが、今ばかりは抵抗する気にもなれず、春樹は黙って少しだけベッドに歩み寄った。


 隙間から見える包帯や傷跡は痛々しい。

 それでもこうやって喋れるに至ったというのは奇跡的なことだ。

 鉄筋の重なり具合などでずい分と救われたようだが、なんという悪運の強いことか。


「なあ、一応言っとくが。これは俺が勝手にしたことで、その結果だし、お前が罪悪感を持つ必要はないんだぞ」

「……罪悪感なんて」

「責任感でもいいが」


 訂正され、言葉に詰まる。何を言えばいいか分からなかった。

 先ほどから言い知れない感情が頭をかき回しては思考を乱し、破り捨てていく。

 何を考えればいいのか、何を言えばいいのか、ひっきりなしに浮かんでは消えて結局何もまとまらない。


「そういや、弟は? 一緒じゃないのか」


 ことさら不思議そうに、それでいて何でもないことのように問われ――今度こそ春樹は言葉を失った。


「そもそも今何時だ? あぁ、もしかして遅いから帰らせたとか……」

「……」


 返事の代わりに、視線を冷たい床に縫い付ける。

 遅いというのは間違いではない。

 今はもう日も落ち、外はすっかり暗くなっている。

 その暗さをここから眺めるのは二度目で、つまり、仁が病院に運ばれてから丸一日経とうというところだった。


 その間、結局大樹は戻ってこなかった。

 当然葉や両親にそのことを伝えないわけにはいかない。

 そして結果、一部といえども騒ぎになり、今、倭鏡の城内は特に慌しくなっている。

 その騒然とした空気の中で「お前は親父たちのところにいろ」と葉に言われた春樹だったが――どうしても居たたまれなくなり、仁の様子を見ることを口実にその場から消えてしまったのだった。


 そんな春樹の様子に、さすがに何か感じるものがあったらしい。

 仁は怪訝そうに眉根を寄せた。


「……春樹?」

「いない、んです」

「いない……?」

「大樹が、どこにも、いなくて。でも封御が落ちて、て。多分、目の離した隙に……あっちが焦ってたの、分かってたつもりなのに、それなのに僕はあいつを一人にして、それで」

「おい」


 身を乗り出した仁がきつく両腕をつかんでくる。

 ハッとして顔を上げると、仁は少しばかり苦痛に顔を歪めていた。

 それでもこちらの腕を放すことはなく、彼は肺の底からそっと息を絞り出す。


「あー……俺は、その、事情は分かんねぇし。だけど気を失う前に何となく聞こえてたが、お前が弟を行かせたのはなんていうか、俺のためだろ。そのおかげで俺は、まあ、生きてるようなもんだ。だからお前が自分を責めるのはおかしいんじゃないか」

「でも!」

「でもじゃねえ」

「だって……! 大樹がっ、大樹があいつらに……! 野田さんだってそんなに大怪我をして! 僕は何もできませんでした、どうすることも……っ」

「どうすることもできなかったんだから、そりゃ、仕方ないだろ」

「……え……?」


 震える声で仁を見上げると、仁はようやく手を放し、その手を春樹の頭へ乗せた。


「泣けよ」

「――……え?」

「お前は今、感情が混乱して整理できてないんだろ。だから泣けよ、そんで一度リセットしろ。そうすりゃ、お前もまた落ち着けるだろうし」

「何、言って」


 訳が分からない。

 分からなくて――迷子になったような途方に暮れた面持ちで瞬くと、仁は細く息をついた。


「……環境も思考も正反対なのに似ている、そんな俺だから思ったことだが」

「正反対なのに、似てる?」

「ああ。なんつーんだろうなぁ……俺は泣くことを許されなかった、が、お前は泣くことを選ばなかった。俺は甘えたくても周りに優しい親や友達なんてもんがいなかった、お前は周りに人がいたのに甘えなかった……というか、甘え方が分からなかったんだろうな。それに俺は自分でも大人になりきれてないってどこかで何となく自覚してたが、お前も変に意地とかプライドとか高くて子供になりきれてないだろ。だから、まあ、結果的にやってることは正反対なのに何となく近いんじゃねぇかと、そんな風に俺は思ったわけだ」


 この男に「近い」と判断されるのは非常に複雑だったが、春樹は返す言葉も思い浮かばなかった。

 そうなんだろうかとぼんやり考え、結局分からないまま立ち尽くす。


「で、俺から見たらよ、お前、めちゃくちゃ不安定だよ。アンバランス」

「何が、ですか」

「子供っぽかったり、大人っぽかったり、そういうの、グラグラしてるんだな。……さっきも言ったが、お前、甘え方ってあまり分からないだろ」

「……」

「多分、お前が泣けないのってそういうところが大きいと俺は思う。泣けないのは、甘えだ」

「甘、え……?」

「泣けなくてもいいんだよ、っていう周りへの、不器用なりの精一杯な甘えだな」


 思いがけない言葉で思考が追いつかない。

 追いつこうとすることを無意識に拒否してしまう。


「お前の周りは温かいんだな、贅沢なほどに。あり方を決め付けるような奴も少ないんだろうさ。だからお前には選択する余地があったし――お前はその自由に甘えることにした。多分、それがお前なりのギリギリの甘え方だったんだ」


 そこまで言い、仁はポリポリと頭を掻く。


「でも……そんなのはちと歪んでるだろ。泣くって行為は、いわば生理現象なんだしよ」

「それは……」

「俺には甘えたくもなけりゃ遠慮もねえだろ」


 だから、と彼は言う。もう一度。


「泣けよ」


 それは小さな呟きにも近い声だったのに、妙に力強くて。


 春樹は思わず瞬いた。

 泣いてもいい、と言われたことは何度かあったはずだ。

 しかしそんな理不尽な命令をされたことはなかったような気がする。


「……ほんと、変なところで恐ろしいほど素直だよな」

「――え?」


 呆れたような仁の物言いに再び瞬くと、ぱたりと雫がシーツにシミを作った。


「……え? え?」


 嘘だ、ととっさに思う。

 今まであえて気にしないでいたとはいえ――ずっと泣けなかったのだ。

 それをまさか、こんな簡単なことで。こんな男によって。


 そうは思うものの、一度溢れたソレはすぐには止まらない。

 どうやら止め方もまた忘れてしまったらしい。


「……っ」


 この男に言われたからではない。

 きっと、仁が無事だったことによる安堵と、大樹への不安。

 それらが一度に襲いかかり、感情が混乱してしまっているだけだ。

 それこそ、その整理のために今、吐き出しているだけなのだ。


 そう自分を納得させ、春樹は深く息を吸い込んだ。

 涙がこんなにも熱いものだなんて、とうに忘れていた気がする。


「俺は大丈夫だ。あと、弟も大丈夫だ。多分」

「無責任なこと、言わないでください」

「可愛くねぇな」

「結構です」


 だからいちいち指摘するなと軽く睨めば、仁は憎らしいほど楽しげに目を細めるだけだった。



「さて、ちょっと今のことは忘れてほしいのでセーガに頭から丸かじられてみましょうか」

「ちょえええ、怖ぇな、これがヤンデレってやつか」

「デレてないのでただのヤンですね。若気の至りというものです」

「なに、ヤング? ヤンデレってヤングデレ? グしか略されてねぇし」

「いいから横になってください」

「抵抗くらいさせろよ」

「まるっと意識失うだけですよ、大丈夫」

「一応俺は入院中の怪我人なんだが」

「大怪我してもすぐに助けてもらえますね、良かったです」

「多忙なお医者さんたちの手を煩わせるのは、その、悪いと思わねぇか?」

「そうですね。全く、これだから野田さんは」

「俺のせいかよ」


 ひとしきり落ち着いた後、そんな実のないやり取りを済ませ、春樹は短く息をついた。


 ただ吐き出しただけだ。

 吐き出しただけだというのに――それでもずい分と気持ちがすっきりしたように思える。


 泣いてリセット。

 仁の言った通りになったのは非常に悔しいが、思考がクリアになってきたことは素直に喜ばしい。

 そっと備え付けの鏡を見やればまだ目の縁が赤かったけれど、今の春樹にはあまり気にならなかった。


「……とりあえず、野田さんの意識が戻って良かったです」

「ものすごく今さらなことだが、まあ、なんだ、ありがとな」

「いえ。それではやることがたくさんあるんで、今日はもう帰りますね」

「ああ……」


 仁の返事はどこか気だるげで、やはりまだつらいのだろうと思わせた。

 当たり前といえば当たり前だ。

 普通に振る舞っているものの、本来はもっとしっかりと休んでおくべき状況である。

 それでも彼がまるでいつも通りのように振る舞っているのは、取り乱していた春樹を気遣ってのことだったのかもしれない。

 もしくは、単なる見栄だったのかもしれない。

 そのどちらにせよ、春樹がいない方が彼もまたゆっくりできるだろう。


 帰り支度を始めた春樹を眺めながら、仁が無精ひげを撫でる。

 そして春樹が部屋を出ようとしたところで、ふいに、何でもないことのように口を開いた。


「結局、弟のことはどうすんだ?」


 春樹は振り返る。

 そこに迷いはなく、あるのは、力強い笑みと意志。


「もちろん――取り戻しますよ」




■14話「災厄は忘れた頃に」完

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