5封目 ニートな変態は今日も行く
それからというものの仁のつきまといは続いた。
気づけば近所にいるし、気を抜けば登下校中などにもふいに現れて声を掛けてくる。
弟や友人には関わるなときつく言い含めはしたものの――仁はのらりくらりとかわすだけで決して頷きはせず、結局春樹が誰といようとも気にせず構いに来る。
このような行為に対してムキになるのはよろしくない。おそらく反応をすればするほど相手を喜ばせる。
それならばいっそのこと清々しいほどにきっぱりはっきり無視してしまうのが一番だ。
――そうは思う。思うのだが。
「あああもう! 何でついてくるんですかっ!」
「何でって、お前が逃げるから」
「あなたどれだけ暇人なんですか! 仕事は!」
「仕事? ああ、そうだな、フリーターみたいなもんか」
「フリーターだって仕事をして生計立ててますよっ! 働く意思ありますよ!」
「じゃあ、ニート」
「ああああもおおお」
ああ言えばこう言う、しかも意味のなさないやり取りに地団駄を踏みたい衝動に駆られる。
しかし春樹は決してその衝動に負けはしなかった。
それ以上に切羽詰まった問題がのしかかっているのだ。
ちらり、と手に持っていた槍状の武器を見やる。
その武器は封御といい、倭鏡にしか存在しない鋼材が使用された特殊なものだ。
柄の部分に不思議な色をした玉がついており、その玉は今、淡く発光している。
それが示すことは、一つ。
渡威という倭鏡の生き物がこの近くに――いる。
「春兄、これってさぁ!」
忙しなく周りを見ている分やや後方を走りながら大樹が声を上げる。
二人は渡威を封印するために学校からさほど遠くない緑地公園を駆け回っているのだが――。
「うん、この色は多分もっちーだと思う」
「もっちー? って、何だ、それ」
「だからっ! 何でついてくるんですか! 邪魔なんですってば!」
その後を仁がなぜかついてくるものだから調子が狂って仕方ない。
春樹はらしくもなく大声を上げるはめになっていた。
肝心の敵を目にする前から疲労感が半端ない。
「いいですか、あなたのためにも言ってるんです、危ないんです!」
「お前らみたいなガキがやってんだし、ちょっとくらい、なぁ?」
「ガキって言うんじゃねー! あと春兄に近づくんじゃねー!」
「いいだろ、どっちも俺の自由だし」
「うがあっ」
「大樹、その奥!」
「ぅえ!? あ、おう!」
「なぁ? それ以上行くと人気がなくなるぞ?」
「分かってますよ、だから来ないでくださいってば!?」
――混沌にもほどがある。ストレスで胃に穴が開かないことを願いたい。
時間帯はもうすぐ日が暮れる頃。
そのためただでさえ人の少ない奥地へ進めば、人の気配はどんどんなくなり、緑や土の濃いにおいだけがその存在を強めていく。
鬱蒼とした木々が空を覆っているのでますます明るさはトーンを落としていく。
そして結局二人は仁を振り切ることができずにぽっかりと空いた場所へと誘い込まれた。
そこに二つの人影が現れ、春樹と大樹は思わず足を止めた。
その後ろにぴったりと仁がくっついてきたが、もう放置することにする。
忠告は散々したのだ。何かあったって知らない。構ってやるものか。
「歌月くん……」
「もっちー!」
「誰?」
「「うるさい」」
割り込む仁に兄弟揃って口調をきつくすれば、ようやく彼も「何だよ」と不満げに言いながらも大人しく引っ込んだ。
そのまま立ち去ればいいのに動く気配はない。
現れた人影のうち、一方はきつい瞳でこちらをじっと睨むように立っていた。
春樹と歳の変わらない少年で、長い黒髪を無造作に一本で束ねた様子は今までと特に変わらない。
風で彼の髪が揺れるたびに、それは彼の苛立たしさを表しているかのような錯覚に襲われる。
もう一方はこの空気に関わらずヘラリとした空気を崩さなかった。
若いものの春樹たちよりずい分年上で、バンダナを頭に巻き、その隙間から覗く短髪をくしゃりと撫でる。
「いやぁ、お久しぶりです」
「……久しぶりってほどでもないと思うけど」
苦々しく答え、春樹は声をかけた方――もっちーを半眼で見やった。
バンダナで隠れ額の核は見えないものの、彼は渡威だ。
かつて春樹たちと共に行動し、そして――裏切った。
「それにできるなら、この人のいないときに来てほしかったよ……」
「こっちだって余計な邪魔はほしくねぇよ。だけどしょうがねぇだろ、こいつ、四六時中お前らに張り付きやがって!」
少年――歌月渚がイライラをあからさまにぶつけ、声を張り上げる。
彼らの真の狙いは大樹であり、仁がつきまとっているのは春樹なわけだが、そもそも春樹と大樹は行動を共にすることが圧倒的に多い。
結果的に大して変わらないのだろう。
それにしても春樹の周りにいる人物をことごとく敵に回す奴だなと、春樹は呆れ半分で仁を振り返った。
彼は興味深そうに自分たちを見回しているだけで余計な茶々を入れるつもりはないらしい。
それは助かる。春樹の精神的にも。
「この人が張り付いてるのは否定しないけど……だったらもう少しくらい待てばいいのに」
「もうそろそろ、時間もありませんので」
ゆるりと口にしたもっちーが口の端を上げ、何でもないことのように手を上げた。
その手から一気に無数の枝が伸びてくる!
「おわ!?」
「大樹、離れろ!」
「分かってるって!」
二人は距離を取るために走り出した。
仁もついてくるがいよいよ邪魔だ。何なんだこの人。
「野田さんは帰ってくださ……うわっ」
頬を枝がかすめ、ひやりとしたものが背を伝う。
今までがふざけていたというわけではない。
そういうわけではないだろうが、会話もそこそこに切り上げていきなり襲ってくるということは……今回こそは本気、なのだろうか。
「セーガ!」
短く叫び、セーガを召喚する。
本当は仁のいる前で呼びたくなかったのだが――なぜならセーガは仁を前にするとものすごく不機嫌な態度になる――そうも言っていられない。
現れたセーガは素早く状況を見取り、身を翻した。春樹と一緒に駆けてくる。
その後ろをもっちーの起伏のない声が追随してきた。
「春樹サン、今のこっちの能力が木を操ることだって大樹サンから聞いてなかったんですか?」
「……聞いてないね」
ちらと隣を走る大樹に目をやれば、目の合った大樹はあからさまに狼狽した。
「えっ、だ、だって」と慌てた様子で口ごもる。
だが、春樹とてこんなときに大樹を責めるつもりもない。
「もっちーが来たってことは聞いてたけど。まぁ、そのときに能力まで気にしなかった僕にも非はあるよ」
淡々と答え、枝の動きが止まったところで体勢を立て直す。
セーガが警戒するように前に出た。
それを見たからか追うのをやめたもっちーは「そうですか」と短く独りごち、小さく笑う。
「それなら、こんな木々の多いところにわざわざ来てしまったのもうなずけます」
「……!」
周りの木々全体が大きく揺れ出す。ざわめき出す。
「春兄……!」
声を上げた大樹の顔色は悪かった。
大樹の“力”は人間以外の声を聴くこと。
それには普段声なきものと思われがちな自然も対象に入る。
そのため今、彼には春樹に分からない声が聞こえているのだ。
「大樹、何て……?」
「来る……!」
切羽詰まった大樹の声とほぼ同時に風が大きく吹き荒れ――大量の木の葉が舞い降りる。
これがもし春だったならば桜吹雪として見る者を圧倒していたかもしれない。
だが、今は秋。
常緑樹らしく枯れる前に色づこうという気配はない、深い緑が一挙に舞い、それらが春樹たちめがけて降り注ぐ!
「魄戍!」
とっさに反応できたのは幸運だったのかもしれなかった。
春樹の叫びに呼応し、セーガの翼が一際大きく広がっていく。
黒々とした闇色の翼はみるみると純白に色を変え、ソレは三人を、そしてセーガ自身をも包み込む。
「っ……」
詰めていた息を細く緩やかに吐き出し、春樹は額の汗をぬぐった。
――外界から一切遮断されたような安定した空間、ただただ白で埋め尽くされた絶対の防御。
「春兄、ダイジョーブか?」
大樹が心配そうに顔を覗き込んでくる。
この空間は春樹の、そしてセーガの“力”であるが、この技は“力”の消費が半端ではない。
そのため以前、春樹は扱いきれずに早々と倒れてしまったことがある。
大樹はそれを思い出したのだろう。
実際ぐっと疲れは増したのだが、今はあのときほどでもない。
だから大丈夫だと答える代わりに大樹の髪を掻き乱した。
「うわ!?」
「この場でもっちーの“力”は厄介だね……」
あの木の葉もおそらくただ木の葉が降ってくるわけではあるまい。
仮にそうだとしても、あの量が勢いを増して降り注いできたならなかなかの脅威だ。
「野田さん、これでも帰らないって言うんですか」
真っ白な壁を興味深そうに叩いている仁に憮然と声をかける。
すると振り返った仁は目を丸くし、大儀そうに顎を撫でた。
「別に邪魔しちゃないだろ、だからいいじゃねぇか」
「いるだけで邪魔ですよ、気が散ります」
「じゃあ笑ってくれよ」
「知りません」
脈絡のない相手ににべもなく返す。そんな余裕があるものか。
「それにしてもすごいな。なんていうか、なんだ、何も感じない」
「一時的なものですよ……長くはもちません」
主に春樹が、だ。
セーガを呼び出すだけなら特に何てことはないが、この技を使うには大量のエネルギーを使用する。
そして魄戍にいる間は常にエネルギーが放出されていることになるのだ。
この技を使用している限り相手の攻撃を受けることはないだろうが、この場から動くことができるわけでもなく、ただ無駄に時間を過ごしてしまえば春樹の力が尽きてジリ貧だ。
「大樹の“力”はどうだ?」
「オレ? ……木の声は聞こえない……てか、聞こえるけど何言ってんだか分かんねぇ。多分もっちーのせいだと思う」
「風は?」
「多分ダイジョーブ」
「じゃあ……」
春樹の考えを大樹に打ち明けようとし――仁がぐいと顔を近づけてきたので力づくで引き剥がす。
邪魔だ。限りなく。
「まずはあっちの攻撃をやめさせるよ」
「へっ……?」
一瞬、光が漏れた。
そう思った次の瞬間には翼は解き放たれ、そこから勢いよく大樹が飛び出した。
反射的に後退ろうとしたらしいもっちーはすぐに考えを改め、再び手をかざす。
それに呼応するかのようにまた木々が大きくざわめき鋭く木の葉を散らし、
「緋焔!」
春樹が短く叫ぶと同時にセーガの翼はすぐさま色を変えた。
鮮やかな、まばゆいほどのアカ。
燃えるようなと称したくなるソレは、事実、激しく燃え立っていった。
その炎の翼は一閃するように大きく広がり落ちてきた木の葉を吹き飛ばす。
炎の勢いに押され、燃え上がり火の粉と相違ない状態に陥った木の葉はもっちーたちの方にまで流れていく。
「く……っ」
苦々しい呟きを残し、もっちーが手を下げる。
これ以上同じ技を続ければ彼ら自身にも被害が及ぶのは明白だ。
春樹はその様子を見ながらも動くことはしなかった。
大樹は風を纏うようにして突撃しに行ったのでおそらく火の粉すら吹き飛ばすことができるだろう、心配いらない。
しかし春樹自身に消しきれなかった火の粉を避けていられるほどの余裕はなかった。
緋焔が暴走しないように操るだけで精一杯なのだ。
ここは草木が多い、下手をすれば大火事になる。
(多少は火傷するかもしれないけど……)
肉を切らせて骨を断つ。
相手にそこまでの効果を与えられるかは大樹次第だが、今はこうでもしなければ――。
ふいに布か何かで視界が遮られ、ついで頭に重みを感じた。
あまりにもそれは不意打ちで、春樹は切れそうになる集中力を必死に繋ぎ止めながら何事かと確認しようとし、それがくたびれたコートだと気づいた。
「言っとくが。安物のコートだから、長くはもたないぞ」
見れば、仁自身も被るようにしながらコートを春樹の頭上に持ち上げている。
「……大丈夫です。長引かせません」
驚きを打ち消し、春樹はきつく前を見据えた。
セーガの翼が猛々しく燃え上がり、突き刺さらんばかりの木の葉を燃やし尽くす。
その間にも大樹は距離を詰めていた。
技をやめなければ、そして避けなければと二重に追われていたもっちーへ肉薄する。
だがあちらの反応も速い。
とっさに繰り出した腕、否、腕から突出している枝で封御を受け止めた。
大樹は構わず押し通す。
弾かれればそれ以上の勢いで弾き、割り込み、押し付ける。
「もっちー……!」
「わっ、た、っと!? おい、渚! おまえも何とかしろっ」
さすがに分が悪いと思ったのか、もっちーが後方に立っていた渚へ顔を向けた。
その間も大樹は攻撃をやめず、向き直ったもっちーが引きつった苦笑を貼り付ける。
何となくそれにまた腹が立ち、大樹は乱暴に木の枝を払った。
今、もっちーが頼るのは歌月渚の方なのだ。
かつてはそれが自分たちだったのに、今敵対しているのは自分たちで、それで。
(くそっ……)
「俺はてめぇらみたいに戦闘向きじゃねーんだよ」
「だからってなぁ……」
「うるっせー!」
当たり前のように会話をする彼らがいっそ憎らしく思い切り足を払う。
腕と渚に注意を向けていたもっちーにとって不意だったのだろう、払われたもっちーはあっさりとバランスを崩し、よろめいた。
チャンス。
それは格好のチャンスだった。
額を、額の核を封御で突けば、渡威は封印できる。
今、この場でもっちーを封印することができる。
だが。
「……っ」
その現実が目の前に現れたとき、大樹の思考は唐突に乱れてしまった。
――封印? 自分が? もっちーを?
腕が動かない。
この腕を振り上げれば、それを相手に突き立てれば、それで全てが済むというのに。
「……大樹サン」
何を言おうというのだろう、もっちーがよろめいた体勢を整えようとしながら気遣わしげに声を掛けてくる。
きっと今自分は情けない顔をしているに違いないと、大樹は奇妙な感覚に陥った。
「大樹、封印するんだ!」
そんな自分を叱咤する、厳しい声。
大樹は反射的に振り返る。
「はるに……っ」
「渡威は玉を壊さない限り死にはしない! また解けば元に戻るから! だからとにかく今は封印しちゃって……!」
「あらら。ネタバレは良くないですね」
「!?」
思い切り油断していた。
もっちーの枝が勢いよく身体に巻きつき、動きを拘束される。
見ればもっちーがのんびりとした笑みを浮かべていて、
「セーガ!」
――“御意”
炎の塊が巻きついていた枝をやすやすと燃やし、解放された大樹は反動でたたらを踏んだ。
かろうじて転ばずに事なきを得る。
もっちーが小さく舌打ちをした。
「春樹サンもしぶといですね……まだ使える力が残ってたんですね。しんどいでしょうに」
もっちーの指摘に春樹は答えなかった。答える余裕がなかった。
事実、魄戍の後に緋焔と大技を連発しているため力の消耗が著しい。
崩れ落ちそうになる膝を封御でかろうじて支えているものの、いつまでもつか。
「……っ」
荒くなりそうな呼吸を必死に抑えているとふいに肩をつかまれた。
息を詰めて顔を上げれば、仁が「文句あるか?」とぶっきらぼうに言い、言葉を返せないでいると「あっても聞かねぇが」とあっさり続けてくる。何だそれは。
この男に支えられるというのは非常に悔しい、悔しいが、意地を張っている余裕もない。
春樹は結局口を開くのも惜しいとばかりにもっちーと渚、そして大樹の様子に注意を配った。
何かあればすぐにでも動けるようにしておかなければ……。
「渚」
もっちーが今度は顔を向けずに言葉だけ発する。
このままでは事態が動かない、そう判断したらしい。
そしてそれは、この場にいる誰もが感じていたことだった。
おそらく、渚本人も。
「チッ……分かったよ」
苦々しく答えた渚は忌々しそうに顔をしかめ、片手を上げる。
何をする気だと体を強張らせた瞬間、
「!?」
彼の背後にいくつもの光が現れた。
その光は二対。
その二対の何かが次々と増えていく。
そして。
にゃー にゃー にゃー
ミャー ミャー ニャー
にゃー ミー ニィー
大量の猫が草むらから飛び出し、大樹の方へと飛び掛かった!
「どわあああ!? ぅえ!? な、うわああああ!?」
あまりにも大量の猫だったため、次第に重みに耐えられなくなった大樹がひっくり返る。
その様子を春樹はポカンと眺めていた。
助けなければと思うのだが、あまりにも予想外でとっさに反応できない。
「な、何だよこれぇえ!? 卑怯者ぉおー!?」
「ずい分とまあ……」
大樹の悲鳴混じりの声に、もっちーが呆れたような唖然としたような声でぼんやりと呟く。
それに気を悪くしたのは渚だった。
「だから使いたくなかったんだ……って、おいてめぇら! じゃれついてばっかいないで引っかくなり何なりしろよ! 敵だぞ!」
「ぎゃっ、ちょ、くすぐったいー! はなれっ……重、ちょ、誰かあ!?」
「さすが大樹サン……動物には懐かれる……。まあでも、大樹サンも攻撃できないみたいだし相殺じゃないか? 上出来だ」
「上から目線で言ってんじゃねえ」
渚の声は明らかに苛立っている。
しかしもっちーの言うことは事実であり、さすがの大樹も猫が相手では乱暴なこともできずに身動きが取れないでいる。
ハタから見ると非常にシュールな光景なのだが、問題はそこではない。
もっちーもすぐに気持ちを切り替え、今度こそとばかりに大樹に枝を伸ばし――セーガの唸り声が威嚇となり猫たちは騒がしい声を上げて一目散に逃げていく。
大樹が立ち上がるのと、セーガが軽く地を蹴り春樹たちを乗せ、もっちーと渚を素早く横切るのはほぼ同時だった。
「……どうする?」
セーガの背を支えに立ちながら、春樹は低く声を絞り出した。
と。
「!? 放せ!」
上がった声は、渚のもの。
振り返ったもっちーがわずかに目を丸くする。
それは予想外の光景だったのだろう。
第三者の仁が渚の背後に立ち、彼自身の腕を渚の首に回して身動きができないようにしているなどというのは。
春樹はもう一度、「どうする?」と繰り返した。
それに反応したもっちーは迷うように顔を左右に巡らせる。
右には、封御を構え直した大樹。
左には拘束された渚と、セーガと共に油断なく窺う春樹。
やがてもっちーはゆるゆると息を吐き出し、小さく両手を上げてみせた。
いわゆる降参のポーズ。
「手ごわいなぁ……分かりました。今回は……いや、今回も、ですかね。諦めます」
言うなり大量の木の葉が宙を舞い、今度は魄戍を出すこともままならずとっさに両腕で顔をかばう。
そして――治まった頃には、もっちーの姿も渚の姿もなかった。
木の葉を煙幕代わりにして逃げたのだろう。
封印はできなかったがこちらにも大きな被害はない。
そのことにようやくホッと息をつく。
ただ。
「俺がいて良かったろ、なぁ」
得意げなわけでもなくただ当たり前のような調子で仁がそんなことを言うものだから、春樹は再び表情に影を落とした。
事実のような、しかしそもそも彼がいなければもっと早く集中して何とかなっていたような、何とも言えないむず痒さに顔をしかめる。
「……どうですかね」
だから否定も肯定もしなかったのは、春樹の素直な気持ちなのかもしれない。
「春兄ー! 春兄! ダイジョーブか!?」
「ああ、うん……」
「へえ、立ってるのもやっとのくせに、なぁ」
「……何ですか」
「いや、素直じゃないなと。何なら家まで送ってやるから、どうだ、中でゆっくり休むってのは」
「家には入れません、意地でも入れません」
「でも」
「セーガ、噛んじゃっていいよ」
――“御意”
「おい、この犬も少しはためらえよ、なあってばおい」
気だるさが身体中に広がる中、春樹は思う。
『もうそろそろ、時間もありませんので』
時間がない。
それは一体、どういう意味なのだろうか。彼らは何を企んでいるのだろうか。
――考えたところで、答えなど分かりそうにもないのだけれど。