6封目 見えない壁、這い上がる強さ
椿を追った春樹は、大した距離も行かない内に彼女の姿を見つけた。
彼女は力が抜けたのか座り込んでしまっている。
「……椿ちゃん」
春樹はためらいがちに声をかけた。
はっきり言って泣いている女の子の相手なんて苦手だ。
こちらまでぎこちなくなってしまう。
「さっきは大樹の奴がごめん。あいつって無神経でさ」
「…………」
「でも、ただ傷つけるようなことを言う奴でもないから」
「え……?」
「……多分、『しっかり現実を見ろ』『前を向いて現実と向き合え』ってことが言いたかったんだと思うよ」
説明しながら苦笑してしまう。
今なら葉の言っていたことがよくわかるような気がした。
大樹の言葉は変にシンプルすぎるのだ。彼らしいといえば彼らしい。
「…………わかっては、いたんです」
ぽつりと椿が呟きをこぼした。
瞳に涙を浮かべながらも、彼女は一言一言、しっかりと口を開く。
「ママはもう死んじゃったんだって。もう二度と帰ってきてくれることはないんだって。……もう、話すことも抱きしめてもらうことも出来なくて……あの笑顔を見ることも出来ない……」
「…………」
「ずっとそう言い聞かせてきて、諦めようとして。そうやって今まで父とやってきました。だから頭ではわかっていたんです。……でも、あんな風にママが現れたら! 私に笑ってくれたら! 頭ではあり得ないと思っても、つい『もしかしたら』って……っ。……ずっと、ずっと願ってたんです。会いたかったんです。もう……もう二度とあんな悲しい思いはしたくないんです!」
「椿ちゃん……」
「だから」
彼女は声のトーンを変え、自嘲気味に笑ってみせた。
それは次第に泣き笑いへ変わる。
「わからなく、なっちゃったんです。……春樹さんの話はやっぱり信じられないようなもので、でも……嘘をついてるようには見えなくて。だからってママを信じている気持ちを捨てることも出来なくて……がんじがらめにされて放り出された気分で……っ!」
どうすればいいのかわかりません、と消えそうな声で彼女が呟く。
その微かに震える細い肩を見て、春樹はほんの少し目を細めた。
確かに、こんな問題は簡単に解決出来るものではないだろう。
この少女一人であっさり抜け出せるような、そんな単純な迷路ではないと思う。
「……僕らの前にはさ……きっと、何も見えないんだよね」
「え……?」
ゆっくり話し始めた春樹に、椿が顔を上げた。
そんな彼女に、春樹は尚話し続ける。ゆっくりと。自分にも言い聞かせるように。
「見えないって結構大変だと思うよ。自分が真っ直ぐ歩けているのかもわからないし。見えているなら障害物をよけて行くことも出来るけど、何があるのかすらわからないんだから」
「…………」
「何もないかもしれない。すごく大きなものが待ち受けているかもしれない。罠だってあるかもしれない。……それでも、進んでみなきゃ何も始まらないんだ。進まないとわからないんだよ」
右に進むか、左に進むか。それとも真っ直ぐ行くのか。
彼女が何を信じどう行動するか、結果がわからなくても彼女自身で選び、動くしかない。
進んでみないとどうにもならない。
「でも……進んだ先が罠だったら? 落とし穴に落ちて身動きがとれなくなったら?」
「――そのために強くなるんだよ」
「その……ために?」
「うん。困難を避けるためじゃない。何があっても前に進めるように。乗り越えられるように」
必要なのは、壁や罠を見つけ、それを避ける力ではなく。
それすらも打ち破れるような強さだから。
「だから……一度落ちたら、また這い上がって……そして進んでいくんだ。そのたびに、きっと少しずつ強くなれると思うから」
「……今の私に這い上がれる自信なんてありません……っ」
「――安心しろよ」
突然割り込んだ声にぎょっとする。
二人は一斉に振り返った。
「「大樹!?」」
「おまえが落ちたら、オレが無理にでも引っ張りあげてやるっ」
驚く二人ににっと大樹が笑ってみせる。
そんな彼を見て、呆気に取られていた椿が再び泣き笑いを浮かべた。
照れ隠しなのか、無理にそっけない言葉を呟く。
「何言ってんの……あんたじゃ……頼りないよ……」
「春兄もいるからダイジョーブだって。春兄はすっげー頼りになるぜ? なっ、春兄!」
笑顔を向けてくる大樹に苦笑する。
なぜ、そこで僕に振る?
「……僕が頼りになるかはわからないけど。でも、椿ちゃんは一人じゃないよ?」
「…………」
「それに椿ちゃん、僕に言ったよね。逃げたくない、真っ向勝負で勝ちたいって。それは全てに言えることだと思う。もちろん今回のことにも。……大丈夫、椿ちゃんなら出来るよ」
「……はい」
椿がうなずき、しっかりと立ち上がった。
そんな彼女にホッとする。
どうやら、とりあえず立ち直ったようだ。
「……それにしても」
ちらり、と大樹へ視線を向ける。なぜ彼がここにいるのか。
「どうしたんだ? 大樹。まさかもう封印し終えたとか」
「まさか」
大樹が困ったように肩をすくめた。
彼はすぐに顔をしかめる。
「家に入って封印しようとしたら、包丁向けてきてさ。しゃーないから一度戻って来たんだよ」
「おまえにしては妥当な判断だな」
「春兄がうるせーから」
僕のせいかい。
内心そうツッコみつつ、それでも春樹は安心した。
もしそこで無茶をして突っ込み、ケガでもされては大変である。
相手が大樹なだけに、当然のようにあり得そうで怖い。
「包丁……? ママが?」
「あ……」
椿が表情を曇らせ、春樹は小さく戸惑った。
聞いて嬉しい言葉ではないだろう。母親の姿をしたものが人に包丁を向けたなんて。
そんな春樹の気遣いの視線に気づき、椿は微笑を浮かべた。
「いいんです。却って吹っ切れましたから。……本当のママはそんなことしません」
「……そうだね」
やっぱり彼女は強いのだ。
芯がしっかりしている、と言うべきか。自分も負けてはいられない。
「――よし。行くぞ大樹!」
「おっしゃ!」
駆け出した自分に、大樹も「待ってました」とばかりについてきた。
彼の気持ちはリベンジに近いもので一杯だろう。
元々負けず嫌いな性格だ。
不本意とはいえ一度逃げてきたことに、ちょっとしたわだかまりを感じていたに違いない。
その後を、椿が戸惑ったように追ってきた。
「あの……っ、私はどうすればいいですか?」
「椿ちゃんは家の前で待ってて。危ないから」
「……はい……」
「何変な顔してんだよ。すぐ終わるからダイジョーブだって」
「変な顔なんて失礼ね! 人がせっかく心配してやってるのに!」
顔を赤くして椿が怒鳴る。
そんな彼女に一瞬呆気に取られた大樹が、下手すれば殴ってきそうな勢いにこらえきれず吹き出した。
「ちょっと大樹! 何笑ってんの!?」
「うん? だっておまえらしくて」
「私らしい……? どーゆう意味よ」
「そのまんま。ぐぁーって勢いで、元気イッパイ?」
言いたいことは何となくわかるが、前半の「ぐぁー」は正直謎だ。
「――あんたに言われちゃおしまいだわ」
「何だよソレぇ!? オレのどこが!」
「「そーゆうとこだって」」
見事なハモリで答えられ、大樹が思い切り言葉に詰まった。
それでも必死に反論してくる。
「何だよ、オレはただ『元気になって良かったな』って言っただけなのに!」
「「言ってない言ってない」」
「いちいちハモるなあっ」
今度は大樹が赤くなる番だった。
「ちょっと言い間違えただけじゃん……」などとブツブツ呟いている。
本当は「『元気になって良かったな』って言いたかった」と言おうとしたのだろう。
大方そうだろうと予想はしていたが、それにしても変なところで間違える奴だ。
(ってゆーか、そんなにふざけてる場合じゃないか……)
今の自分たちの状況を思い出す。渡威を封印しなければ。
「……とりあえず、行くぞ?」
「オッケー」
ドアの取っ手をつかみ大樹を見ると、彼はあっさりうなずいてきた。
彼が封御を握り直したのを確認し、慎重にドアを開けてみる。
しかしパッと見た限り渡威の姿はなく、春樹はさらに二、三歩中へ進んだ。
ちなみに床はフローリングだったので、失礼だが土足のまま上がらせてもらった。
事が済めばきちんと掃除して帰るつもりなので、まあ許してもらおう。
「? ……大樹。何か……音、聞こえないか?」
「音? ……あー、聞こえるかも。ってか渡威はどこ行ったんだよ、こらーっ!」
叫ぶ大樹に苦笑する。それにしても、やはり空耳ではなかったようだ。
どこからか流れる、小さなメロディー。
それはゆっくり、静かにきれいな音色を奏でられているようで……。
(……音、がく……? 何でこんなところに……――)
じっと耳を澄ませている内に、妙に頭がぼんやりしてきた。
ふ……っと、意識が微かに遠ざかる。