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倭鏡伝  作者: あずさ
14話「災厄は忘れた頃に」
137/153

2封目 特殊科

 事態は思っていたよりも異様なのかもしれなかった。


 翌日、春樹は弟のはしゃいだ声を聞いた。

 戸締りをするから外で待っていろと言った矢先のことで、春樹はしっかり戸締りしたのを確認してからその声の場所を探す。

 大樹は声変わり前だからだろうか、子供特有の甲高さがあるので見つけやすい。


「大樹、どうし……」


 言いかけ、春樹はその足を止めた。


 家のすぐ傍に昨日の男が立っていた。

 彼はまた何か手品を披露しているらしく、色とりどりのハンカチを手に持っている。

 それを見て大樹が「すっげー」と感嘆の声を上げているのだ。


 男が春樹に気づき、顔を上げる。春樹は若干身を固くした。

 ――実際に大樹にまで絡んでいるのを見て、いよいよ警戒心が頂点近くにまで上がっていく。

 何なんだこの男は。なぜこんなにも纏わりつくのか。


「よぉ」


 男はことさら気楽そうに腕を上げ、旧友に対するかのような親しみすら感じさせる挨拶を向けてきた。

 しかし春樹としては同様な気楽さを向けられるはずもなく、ただ黙って男の挨拶を素通りさせる。

 何か用があるのなら言えばいいのに、男はそれすらしてこない。

 ただ、手の中でパンと何かが弾け、そこから数個のマスコットが飛び出してきた。

 おぉ、と素直に感心してから大樹が振り返る。


「あ、春兄! なぁなぁ、このおじさんすっげーんだぜ!」

「大樹、行くよ」

「春兄?」


 きょとんとしたまま動かない彼の腕を半ば無理矢理引っ張り、男の横を通り過ぎる。

 大樹はお気に入りのローラースケートを履いていたので連れていくのは楽だった。


「どうしたんだよ、春兄」


 訳が分からないのだろう、なすがままに引っ張られてくる大樹は不思議そうだ。


 弟の大樹は春樹より一学年下の小学六年生。

 しかし小六にしてはずい分幼く、周りからはもう少し下に見られがちだ。

 そしてそれ相応に無邪気だとでも言うべきか、どうも警戒心というものに欠けている。

 子供らしいといえば聞こえはいいが、その分無茶で無謀で無鉄砲、春樹はずい分と苦労させられてきた。


 ずんずんと先に進み、そっと後方を振り返る。男がついてくる様子はなかった。

 しかしこちらのことをずっと見ている。

 ――昨日の蛍や隼人の気持ちが、ようやく分かってきた。これは確かに薄気味悪い。

 はあ、と春樹は重苦しい気持ちでため息をつく。


「大樹。知らない人と話しちゃ駄目って先生に言われなかったか?」

「手品見せてくれたじゃん。もう知ってるぜ」

「それは知ってるって言わない」


 的外れなことを言う彼にむっつりと返せば、大樹は「ふーん?」と首を傾げた。

 腕から抜け出し自力で滑り始め、春樹の隣に当たり前のように並ぶ。ここがいつもの定位置なのだ。


「でもさー、知らない奴と話さなきゃ友達も新しくできねーよ?」

「……」


 あんな怪しげな男と友達になるつもりだったのだろうか、と春樹は思わず絶句する。

 相変わらずこの弟の思考は突拍子がない。


「……とりあえず、あの人にはあまり近づかないで」

「何で? 春兄の知り合いじゃねーの?」

「は?」


 意味が分からず問い返せば、大樹はぱちぱちと快活そうな瞳を瞬かせた。

 首を傾げた拍子に彼の色素の薄い髪が揺れる。


「だって、春兄に謝りに来たって言ってたぜ」

「……謝りに?」


 やはり会ったことがある、のだろうか。

 分からなくて春樹は返事に詰まった。どうしようかと困り顔で視線をさまよわせる。

 するとふいに大樹が足を止め、何か変なものを飲み込んでしまったときのような奇妙なしかめっ面で一時停止するものだから、一体どうしたのかと心配になって声をかけようとした瞬間、彼は「ああ!」と思い切り叫んだ。

 存外に近すぎる位置で心置きなく叫ばれたものだから春樹の肩も跳ね上がる。心臓に悪いったらない。


「謝るってことは、春兄、嫌なことされたってことだよな!」

「え? え……えぇ?」

「何だよ、だったら早く言ってくれりゃぁいーじゃん!」

「ちょ、大樹?」

「くっそー。何されたんだよ春兄? オレ、殴ってこようか?」

「やめろってば」


 意気込み始めた大樹の肩をつかみ、慌てて止めさせる。

 鉄砲玉の弟なら本当に殴りに行きかねない。

 人懐っこい反面、喧嘩っ早い奴でもあるのだ。


 しかし子供の自分たちが単純に喧嘩をしたところで、大の大人に敵うとは思えない。

 “力”を使えばあるいは可能かもしれないが、そんな私事で“力”を使うだなんてもっての他だ。

 そもそも揉め事はできるだけ避けたいものである。


 「大丈夫だから」と繰り返せば、不満そうに唸りながらも大樹はしぶしぶ了承した。

 素直に学校へ向かい始める。


(それにしても……)


 春樹は次第に増えていく登校中の生徒たちの背中を見ながら思考に耽る。

 ――家まで知られていた。

 そのうえ待ち伏せるかのようにあの場にいた。

 大樹には大丈夫だと言ってみせたものの、これはもう、呑気に思い出を引っ張り出している余裕はないのかもしれない。

 自分だけならいざ知らず、弟の大樹にまで構いに来るようでは確かに問題だ。

 隼人の言葉をそのまま借りるのは若干癪な気もするが、何かあってからでは遅すぎる。


「……春兄ー? 眉間がぎゅーってなってるぞー?」


 大樹の能天気な声にハッとし、顔を上げる。


「ごめん、何でもない」


 考えていたことを一瞬の内に消し去り、春樹は曖昧に笑みを取り繕ってみせた。



◇ ◆ ◇



 下校の時間、委員会も掃除当番もなかったのをいいことに春樹は我先にと帰宅した。

 弟の大樹をそのままにしておくことは不安だったが、蛍や隼人に今朝のことは話してある。

 そしてもし可能なら大樹と一緒に帰ってくれと頼んだ結果、彼らは快く了承してくれた。

 何だかんだといって頼もしい彼らだ、きっと大丈夫だろう。


 家に着いた春樹は辺りを見回す。

 かなり急いだのでまだ子供たちが帰宅していない家が大半なのだろう、周りはいたって静かなものだった。あの男がいる気配もない。

 ふう、と息をつき、一応用心を怠らないまま家に入る。


(セーガなら何か知ってるみたいだけど……)


 そっと胸を押さえ、反応を投げかけてみるものの――彼は警告するばかりで詳細を語ろうとはしない。

 おそらく春樹が命令すれば、春樹に仕える形であるこの獣は口を割らずにはいられないだろう。

 しかし春樹としてはそんなことで強制をしたくはなかった。

 彼には彼なりの気持ち、考えがきっとあるのだ。


 とはいえ、だからといって放っておくこともできない。

 あの男に近づかないようにと警告されたところで、すでに家はバレているし、あの男が諦める気配もない。

 それならばあの男が何者なのか、やはり突き止めないことには話も進まないのではないか。


 そう覚悟を決め、春樹は居間の姿見の前に立った。

 綺麗に磨かれたソレは春樹の全身をすっぽりと映してしまう程度には大きい。

 控えめに立てかけてあるものの、初めてこの居間に踏み入ったなら真っ先にその存在に気づくのではないか。


 その鏡に手を伸ばし、心持ち息を詰め――そのまま、何の抵抗もなく中へ。


 目を開けた次の瞬間、春樹は本の山の中にいた。

 異世界、“倭鏡”。

 そこに堂々とそびえ立つ城の一室である書斎だ。

 多少薄暗いその部屋は、それほど使われる頻度は多くないのか、それとも単に古い書物が多いのか、いつ来てもどこか埃っぽいにおいがする。


 普段ならここで本を眺めているのも居心地が良いが、今はそうのんびりしている気分でもない。

 春樹は静かにその部屋を後にし、広く長い廊下を歩き出した。

 時折すれ違った者が声をかけてっくるが、それらはたいてい挨拶であり、春樹を咎めたり引き止めたりする声ではない。

 春樹はそれら一つ一つに丁寧に言葉を返すものの自身の足を止めはしなかった。

 目指すべきは、王室。


 王室の扉はやはりそれ相応の豪華さ、威圧感がある。

 それは決して煌びやかな装飾だけが原因ではないはずだ。

 しかし幼い頃から出入りしていた春樹にとってそれはすでに慣れたもので、特にためらいもなくノックした。

 控えめな、やや癖のあるタイミングでのノックに対する返事はしばしの沈黙。

 辛抱強く耳を澄ませているとふいに扉が開いた。


「葉兄」


 珍しくあちらから開けてくれたことに驚き、顔を上げると、王であり兄である日向葉は意外そうに瞬いた。


「何だ、春樹一人か。珍しいな」

「うん……」


 目の前の男は目つきも悪ければ口も悪い。態度も悪ければ意地も悪い。

 しかし確かにこの倭鏡を統べる王であり、そして春樹や大樹と血の繋がった実の兄だ。

 面倒くさがり屋で俺様で春樹や大樹とはあまり似ていないが確かに兄なのであり――。


「おいこら、なんか失礼なこと考えてやがんな?」

「あ、ちょ、ぼ、暴力反対!」

「まだ殴ってねぇよ、エア暴力だ」

「エア!? ていうか“まだ”ってことは殴る気だったんじゃ!?」

「細かいこと気にしてっとハゲるぞ」

「誰のせいですか」

「チビ樹か」

「それも否定できないけどっ」


 くだらない会話に思い切りツッコみつつ、我に返る。

 違う。こんな兄弟漫才をしに来たのではない。

 どうどう、春樹は自身を落ち着けながら彼に向き直る。


「葉兄、ちょっとお願いがあって来たんだ」

「お願いぃ? 珍しいな。言ってみな」


 普段ならあっさり「面倒くせぇ」ときっぱりぐっさり断りそうなものだが、真剣な面持ちの春樹に何か感じることがあったらしい。

 彼は玉座に戻り、大儀そうに腰を下ろしながら先を促した。

 春樹はホッとしてうなずく。

 いい加減な面が目立つが、それでもいざという時には頼りになる兄なのだ。


「どうしても思い出したいことがあるんだ。ソッチの病院、紹介してくれないかな」

「……そりゃまたずい分と突飛なお願いだな」

「うん、忙しいところ悪いんだけど……」

「お前のことだ、明日の学校の提出物だとかそんなくだらないことじゃねぇだろ」


 冗談混じりに言われ、苦笑する。

 確かに違うが、もし大樹だとしてもそんなことで病院を頼りはしないだろう。

 何より大樹はあまり病院を好んでいない。

 父が入院しているのでお見舞いには喜んで行くが、自分自身を診てもらいに行くことはむしろ嫌っている。


 葉は一度立ち上がり、棚の引き出しを乱暴に開けた。

 ガサゴソと無造作に漁る音がする。

 どんどん選り分けているが後で整理し直さなくて大丈夫なのだろうか。

 よく仕事を押し付けられる春樹としてはその整理が自分に回ってくるのではないかと奇妙な疑心暗鬼に陥りそうになる。


「思い出したいこと、ねー。てことは特殊科だろうな」

「うん、だから葉兄に頼みたくて」


 倭鏡の病院はまず一般科と特殊科に分かれる。

 一般科とは主に日本にもあるような外科や内科などの類だ。

 ふつうの人間にも起こりうる怪我や病気を主な対象として取り扱う。


 それに比べて特殊科は倭鏡特有の症状を扱う。

 例えば“力”の不足により倒れた場合などは特殊科の対象になるのだ。

 また、症状だけでなく治療法に特殊な“力”を使う場合もこちらに分類されることが多い。

 そして今回、超自然的な方法を頼りたい春樹としては一般科ではなく特殊科の分野に踏み入ることを選んだのだった。


「ま、今は仕事も一息ついたことだし問題はねぇよ。一筆書いてやるし連絡も入れといてやる。お前はここに行け」


 さらさらと手近にあった紙にメモし、それを渡す。

 受け取った春樹は小さく笑った。


「葉兄が仕事をちゃんとやってるなんて珍しいね」

「最近監視の目がきつくなってよ。あいつらも成長するもんだな、ついさっきとっ捕まったわ」

「……お城の人たちをあまり変な方向に成長させないであげてよ、かわいそうに」

「人間、成長することをやめたら終わりだと思わないか?」

「カッコイイこと言おうとしても日頃の行いで台無しです」


 遠い目をする兄にぴしゃりと言う。

 この兄にははっきり言ってやらないと分からない。

 いや、分かっていてもあえてスルーして滑走していく。

 要するに言っても無駄だということなのだが、それでも言わずにいられないのは春樹の小まめな性格が災いしているのだろうか。


 何だか我ながら情けなくなるようなことを考え、振り切るように踵を返す。

 しかしふいに春樹は立ち止まり、こちらを黙って見送ろうとしていた葉を振り返った。


「あ、ねえ、葉兄」

「あ?」

「葉兄はさ、僕が泣けなくなったときのこと、覚えてる?」


 ついでのようにさり気なく切り出してみたのだが――事実、それほど深く考えて質問したわけではないのだが――葉は思いがけず真剣な表情になった。


「……お前の思い出したいことってのは、それか?」

「あ、いや。直接的じゃないんだけど……」


 緩く笑って誤魔化す。

 とはいえ決して嘘ではない。ただ無関係だと言い切るほどの材料もない。

 どう言えば正解になるか分からず説明にまごついている春樹を珍しいと思ったらしい。

 葉は少しだけ笑いを含むように目元を和ませた。それでもキツイことに変わりはないのだが。


「さあな、俺もはっきりとは。少なくとも小学生になる頃から自覚はあったと思うが」

「やっぱりそれくらいだよね……。あとこれも直接関係しているわけじゃないんだけど……僕がカラス嫌いになったのって、いつ頃だっけ?」

「それも唐突だな、おい。……あー、それこそ小学生に入る頃じゃねぇの? 幼稚園の時はそうでもなかった気がするが」

「そっか……」


 そうなると約六、七年も前の話になる。

 その頃に出会ったのだとすれば確かに忘れていてもおかしくないのかもしれない。

 しかし――本当にそれだけか?


 春樹は自慢じゃないがあまり人の顔や名前を忘れないタチだ。

 人は成長するのでそのたびに顔も変わっていくかもしれないが、あの男は恐らく三十代ほど。

 時間が経ったからといって春樹が分からなくなるほど大きく変わるだろうか。


 考え込んでいる自分に視線が降ってくる。

 いつの間に玉座から降りたのだろうか、葉が乱暴に髪を掻き回してきた。


「うわっ」

「何だ、泣きたくなったのか」

「……そうじゃないよ」


 そういえば泣けないかもしれないと相談したときも心配されたなと、春樹は他人事のように思い返しながら苦笑した。


「泣きたくなったときは言えよ、俺が力づくで協力してやるから」

「怖いよ」


 わざわざ「泣かせてください」と頼むだなんてどんなマゾだ。春樹にそんな趣味はない。


「それに、泣けなくても別に僕が困らないならそれでいいって言ってくれたでしょ。葉兄も、父さんも母さんも」

「まぁな」

「だから僕もそれでいいよ」


 言い、小さく笑う。

 そのままを受け入れてもらえたことに安心したし、実際、生活面で困ってはいない。

 だからそれでいいと春樹も今の今までやって来たのだ。

 もし泣けないのはおかしいと責め立てられていたら春樹ももっと気に病んだかもしれないが、幸いなことに春樹の家族は色んな意味で大らかだった。

 異世界の者と結婚しようとするぶっ飛んだ思考の持ち主が両親なので当たり前といえば当たり前なのかもしれない。


「心配かけてごめんなさい。それじゃ、行ってきます」

「気をつけろよ」


 短い言葉のやり取りを交わし、今度こそ春樹は王室を出た。

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