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倭鏡伝  作者: あずさ
幕間「“特訓”と書いて“地獄”と読む」
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幕間「“特訓”と書いて“地獄”と読む」

 それは、


「特訓しよーぜっ!」


 ――とてもとても唐突な、弟の一言から始まった。




「……で?」


 綺麗に磨き上げられた板張りの道場の真ん中に立ち、日向春樹は張り切って準備体操をしている弟――日向大樹を見やった。

 この弟の考えが突拍子なく、行動が唐突なのはいつものことである。いつものことであるが、だからといって「はいそうですか」とすんなりうなずくわけにもいかない。


「道場まで借りちゃってさ、どーゆうつもり?」

「だから特訓だってば、特訓! 渡威はオレたちを狙ってんだろ? だったら負けないようにしねーと」


 あっさり笑顔で言い放つ大樹の瞳に曇りはない。嘘でも何でもなく本心からの言葉のようだった。

 しかし、と春樹は未だ疑念を隠さないまま彼を見据える。

 確かに大樹の言うことはもっともであり、おかしなことではない。遅かれ早かれ、特訓とやらを始める必要はきっと出てきたことだろう。

 それでも急に言い出すからには何か理由があって良さそうなものだ。


(まあ……渡威が僕らを狙っていることに変わりはないし、自衛の力を上げておいて損はない、か)


 春樹はぐるりと道場の中を見回す。

 この道場は普段、倭鏡の子供たちが使用しているところで春樹たちも時には混じることがあった。

 多くの子供たちが活気に溢れて動き回っているこの空間も、自分たち二人だけだとずい分広い。

 ――とはいえ、学校の体育館ほどはないだろう。


「……まぁ、どんなつもりか知らないけどいいよ。せっかく借りたのに使わないのはもったいないし」

「よっしゃ! そんじゃ春兄、いくぞ!」

「いつでもどうぞ」


 小さくため息をつき、まだあまり馴染まない棒を握る。封御を模した、稽古専用の棒だ。それは封御と同等の長さ・太さでありながら先端が丸く、怪我がしにくいようになっている。余計な装飾も一切ない。


 まず大樹が駆けた。先手必勝とでも言わんばかりの勢いに春樹は苦笑する。確かに大樹らしいけれど。


「大樹はさ」


 棒を中段に構えながら春樹は肩をすくめる。


「いちいち振りが大きいよね。速さはあるのにもったいないっていうか」

「よく言われる!」

「直せよ」


 馬鹿正直に突き出された棒を春樹は体さばきだけでかわし、自らが手にしていた棒で逆にからめとる。思い切り体勢を崩された大樹はたたらを踏みながらもすぐに距離を取り構え直した。――動きは無駄ばかりだし無茶苦茶だが、確かに順応性とスピードはあるのだ。


「春兄! 動けよ!」

「馬鹿言わないでよ。自慢じゃないけどお前より体力ないんだぞ? 大樹につられて動いてたらこっちがバテちゃうよ」

「むー」


 不満げに頬を膨らませた大樹は――いたずらを思いついた子供のようにニヤッと笑った。

 春樹はとっさに棒を握る手に力を込める。――何だ?


 大樹が再び直進してくる。

 それはやはり彼の性格を表したかのように単純なもので、春樹は眉間にしわを寄せた。

 先ほどよりも勢いはあるがやはり素直に突き出される突き。


(同じ……?)


 風圧を感じながらも春樹は様子を見るために再び棒で棒を制し、


「でや!」

「!?」


 足が離れた、と思った瞬間に吹き飛ばされていた。広さのある道場のほぼ端まで押され、とっさに棒を後ろに突き出すことで壁に激突するのは避けられる。しかしその衝撃は棒を伝わり手が痺れるほど。

 突然のことに思考が追いつかない。事実として大樹に吹き飛ばされたのは分かる。だが、腕力のない彼がどうして春樹をここまで押し返せる?


(いや――押し返されたわけじゃ、ない……?)


 半信半疑で大樹を見やる。

 それに気づいたのだろう、棒をぶんぶん振り回した彼はこちらを見るなり得意げに笑ってみせた。


「どーだ!? 動けただろっ」


 確かにその場からは動いた。動かされた。


「……誰の入れ知恵?」


 痺れた手を何度か握ったり開いたりしながら尋ねる。

 問われた大樹は嬉しそうに笑みを深くした。


「ユキちゃんと奏とゲームしてて、必殺技とかあったらカッコ良くね? って話になってさ」


 ユキちゃんと奏。

 沢田雪斗と星野奏一は彼の友人だ。同じクラスでもある彼らはよく家に遊びに来るので春樹とも面識がある。そのうえ彼らは倭鏡のことを知っている。


「で、いくつか試してみたんだけど……オレ、色々声聴いたり力借りたりするけどさ。やっぱ木と風が特に相性いいのかなって思うんだよな。んで、その二つならもうちょっと何かやれるんじゃないかってことになって」

「……なるほど。今のは風の力か」

「さっすが春兄、頭いいな!」

「実際に受けてその話を聞けば、そりゃ分かるよ」


 本気で尊敬にも近い眼差しを送られ、苦笑する。

 つまるところ大樹は棒の先端に風の塊を纏わせ、触れた瞬間にそれを爆発させた。その風圧で春樹は吹き飛ばされたのだ。

 ――ただ触れただけ。それだけであそこまで吹き飛ばされたのではたまらない。

 そして大樹はそれを試したいがためにこうして春樹に特訓を持ちかけてきたのだろう。


「……はっ……」


 知らず声が漏れた。それは思いがけない隠し玉への焦りからか、それとも。


「子供が好きそうな技ではあるけどね」


 言いながら体勢を整える。もう手の痺れもない。


「……まぁ、確かに最近なまってたし。ちょっと無理してみるのもいいか」


 その言葉に呼応するように舞い降りる、黒い影。

 とたんに大樹が喚き出した。びしりと指をこちらに向けて。


「あ、ずりぃ! セーガはずりぃぞ春兄!」

「大樹だって力使ってるだろ。大樹が良くて僕は駄目、なんてそれこそ不公平じゃないか」


 大樹が自然に働きかけることができるように、春樹の呼びかけに応えるこの守護獣もまた春樹の力だ。

 漆黒の翼を撫で、春樹はゆるりと笑う。


「大丈夫、ちゃんと加減はするから」

「むぅ……分かった、そんじゃ遠慮しないからな!」

「いや、お前も加減しろよ」


 噛み合わない会話に思わずツッコミが炸裂する。

 どうもこの弟は熱くなると人の話を聞かない節がある。


――“御主人、無理はするなよ”


 セーガの低い呟きに春樹は無言でうなずいた。

 それから静かに大樹を見据え、――呟く。


緋焔ヒエン





 声と共にセーガの翼が大きく広がり、それは鮮やかなアカへと姿を変える。

 見たことのない光景に大樹は数歩後退った。セーガの翼が色を変える、それが意味することは大きな技を放つということだ。

 今まで大樹が見たことがあるのは「魄戍はくじゅ」と「翡翊ひよく」。

 魄戍は純白であり絶対の防御を示した。翡翊は翡翠色となり、硬化した翼の槍が容赦なく降り注ぐ。


「ひえん? ってゆーのか?」


 まばゆいほどの輝きに目を細めながら尋ねると、春樹はにっこりと笑った。


「そうだね。当たったらボン、かな」


 言うなり燃え始めた翼が大量の火の玉を作り出す。それらが一気に向かってくる!


「うあああ!? ちょ!? どわぁあ!?」


 叫んでいる余裕は正直なかったのだが、それでも叫ばずにいられないのは大樹だからか。

 飛んでくる火の玉はサイズがまばらで捉えにくい。野球ボール程度のものもあればサッカーボールほどのものもある。

 いくつかは避け、いくつかは棒で叩き落とし、とにかくがむしゃらに乗り切ろうと躍起になる。

 しかし数が多くそれだけではやはり無理があった。思い切り右腕に当たり、その勢いで棒もまた手放してしまう。

 いやそれより。


「熱っ――くない?」


 燃えるかと思ったが、それはぶつかるなり炭のように一瞬にして消えた。

 心臓がやたらとうるさいまま、大樹はポカンと当たったはずの腕を見下ろす。熱くない。それどころか、服は煤けてしまっているが焼け落ちた形跡もない。

 訳も分からずに春樹を見ると、彼は呆れたようにため息をついた。


「当たり前だよ、火力は最小限に抑えてるから。道場燃やしちゃまずいだろ?」

「あ、そっか」

「でも、本来なら今ので僕の勝ち――かな?」

「っ、まだだぜ!」


 ムキになって叫び、すぐさま棒を拾って駆け出す。しかし再びセーガの翼が燃え上がった。無数に湧き出る炎の塊。


「春兄、さっきから動いてねーじゃん!」


 腹に溜まっていく苛立ちを叫びながら飛んでくる炎を避ける。ほとんどギリギリだが、――いける、この速さなら避けられる!

 ことごとく避ける大樹に春樹の表情にも焦りが見えた。

 そのままいくつもの炎の弾丸を避け、射程距離へ。

 ――また吹き飛ばしてやる!


「魄戍」


 突き出した棒は純白の壁に遮られた。しまった、と思うのと同時にその壁が消え失せる。その先に春樹の姿はない。


「動くのが望み?」


 セーガの翼を足がかりに春樹は大樹の頭上を越え、その背後に降り立っていた。背中に突きつけられる、棒。


「っ……」

「まあ、緋焔を全部かわされるとは思わなかったけど……、っ!?」

――“御主人!”


 凄まじい風圧に春樹が叩きつけられそうになり、それをセーガが体で受け止めた。そのおかげで大したダメージにはならなかったようだが、春樹は目を丸くしてこちらを見てくる。

 ゴトリ、と大樹の後ろで春樹が持っていたはずの棒が落ちた。


「自分の武器じゃなきゃダメなんて決まりはないぜ?」


 言いながらも息が上がってくる。――正直、この技はまだ慣れていない。連発はきつい。


「……何らかの媒体があればいい、ってわけだ」

「ん、そゆこと」

「ちなみに媒体なしじゃ駄目なの?」

「ぅええ、それは無理。何かに集めるイメージじゃねーとできないし」

「あれ、でも何度か風で吹き荒らしたことが……あぁ、そっか。それは大樹自身を媒体にするわけだ。だけどその場合、大樹自身に大きな負担が来るから強い風は無理、と」

「あーもうっ、難しそうなことブツブツ言うなよなー!」

「大事なことだろ。それより息上がってるけど」

「春兄こそ、大して動いてねーくせにちょっとつらそうじゃん?」

「……火力をギリギリに抑えるのは放出しちゃうより疲れるんだよ。ついでに魄戍も、完全な球にしちゃった方が楽なんだけど」


 へえ、と大樹は呟いた。分かるような、分からないような。


――“御主人”

「……ん。でもセーガ、もう少しだけ」

――“……御意”


 春樹の身を心配し、たしなめるような口調だったセーガは、それでも彼に大人しく付き従った。

 ありがと、と微笑んだ春樹は少し疲れた表情で大樹に向き直る。彼の手に武器はない。しかしそもそもセーガの力が強大なのでそれは大樹にとってあまり有利なことにはならない。


「大樹。何で僕が緋焔を出したか分かる?」

「へっ? ……新しい技を試したかったから?」

「それはお前だろ。まあ、全くの的外れってわけでもないけど。……これで分かるかな?」


 春樹が手を上げ、それに呼応してセーガの翼が大きくはためく。それは再び炎と化した。


「また緋焔か? でもそれくらいのスピードなら避けられ……っ」

「大樹と違って僕は学習するよ」

「? ――んな!?」


 炎の弾丸ではなかった。炎の翼はしなやかに姿形を変え、大樹の周りを取り囲む。そして一気に燃え上がる!


「こんなもん……っ」


 周囲の炎を全て吹き飛ばしてしまわんとばかりに風を撒き散らす。強い風に炎は掻き消え――たかと思われたのは一瞬で、揺らめいた後、それらは一層激しく燃え上がった。

 その熱さに、激しさに、ゾッとする。

 それはまさに――全てを食い尽くそうとするかのようで。

 風が、空気が、飲み込まれていく。

 それらを大きな力とする大樹にとってその光景はある種の恐怖に近かった。炎が意思を持った巨大な化け物のようで、迫り来る熱さに足がすくむ。


「なん、なんだよ……っ」

「空気中の酸素は燃やすのを助けてくれる、って理科の実験でやらなかった?」

「うるせーっ」


 きつく睨みつける。しかし炎の揺らめきがそれを邪魔して春樹の表情はよく分からない。――悔しい。勝てるかもしれないと、思ったのに。


「大樹、そろそろ降参……」

「まだだ!」

「……頑固だな、もう」


 呆れと少しばかりの苦々しさが混じった口調。それは馬鹿にされているようで大樹はきつく拳を握る。まだだ。まだ諦めない。まだ動ける。まだやれる。

 大樹は棒を思い切り床に突き立てた。それに体重を預け、少しばかり息をつく。周りを見るが全て火で囲まれ、逃げる場所はない。右も左も、前も後ろも。

 ――残るは。


「大樹、その中に長時間いることは危険なんだ。だからもう……」

「上っ!」


 床についていた棒の先端へ意識を集中させる。みるみると集う風の塊。それを、――爆ぜる!





「っ、大樹自身を吹き飛ばした……!?」


 炎の壁から勢いよく突き抜けてきた大樹。

 正直それは予想外で春樹はとっさに炎を掻き消した。抜けられた今、むやみに力を使う必要はない。


「けど、空中で身動きは……!」

「もういっちょー!」


 叫んだ大樹がぐるりと棒を回転させ、再び「爆発」の勢いをつけて「飛んで」くる。無茶苦茶だ。二度技を食らった春樹だから分かるが、たとえ吹き飛ぶだけにせよ、あの勢いにさらされることは確実にダメージを伴う。


「あのバカ……っ」


 舌を打ち、向かってくる大樹から距離を取ろうと数歩下がる。

 と。


「――あ」


 意気揚々と飛び込んできた大樹がふいに間の抜けた声を上げた。春樹は気づく。――ガス欠だ。


「セーガ!」

――“御意”


 春樹の呼びかけにすぐさま動いたセーガは宙へ羽ばたいた。そのまま床に叩きつけられそうになった大樹の下へ潜り込み、彼をその背に乗せる。それからセーガは重さを感じさせない様子でふわりと春樹の前に降り立った。

 覗き込めば、大樹はぐったりとセーガの背に突っ伏している。


「……うぅう、クラクラするぅ」

「力の使いすぎだよ、バカ」

「バカって言うなぁ~……」

「アホ」

「ひでぇっ」


 しかし実のところ、春樹もあまり大樹のことを言っていられない。思いがけず夢中になり、いつも以上に無茶をした。

 気づいたセーガが春樹を支えようと近くに寄ってくる。その背を撫で、春樹は小さく笑った。


「セーガ、心配かけてごめんね。ありがと」

――“……今後気をつけるなら、まあ、いい”

「うん、頑張る」

――“頑張りすぎるなと言っているんだが”

「……えっと、努力します?」

――“……”


 苦笑した自分にセーガはただ呆れたように見、


 ピコ パコンッ


「え!?」

「い!?」


 突然頭に衝撃があった。春樹と大樹はほぼ同時に頭を押さえる。痛かったわけではない。痛かったわけではないが……。


「何面白そうなことしてんだよ」


 そう低い声が背後から聞こえ、二人はとっさに振り返った。


「よ、」

「葉兄……!?」


 ピコピコハンマーを手にした兄に二人は唖然としたまま動けない。鋭い目つきをますます細め、仏頂面で彼は自分たちを見下ろしていた。


「おいチビたち」

「チビじゃねえっ」


 大樹はいつものことのように返すが、春樹は頬を引きつらせる。何故だろう。確かに普段と同じように見えるのだが、なぜか口調が、オーラが、――怖い。


「あの、葉兄? 勝手なことしたの、もしかして怒ってる……?」

「まあ、そうだな」

「何でだよ、ちゃんと借りていいって言われたぞっ」

「そうじゃなくて」


 低く呟いた彼はピコピコハンマーを肩にかけた。軽く自身の肩を叩くたびにピコピコ音が鳴る。緊張感のカケラもない。


「何でそんな面白そうなことに俺を混ぜねぇんだ、この愚弟ズめ」


 ……。

 ……え、ええー……。


「というわけで混ぜろ」


 えええええー……。

 言葉が出せないでいると葉が落ちていた棒を拾って春樹に渡してきた。

 ――渡してきた、というのはずい分優しい言い方のように思える。厳密に言うとぶん投げてきた。もはやそれが攻撃なのではないかと思わせる勢いで、春樹は取り落としそうになったソレを慌てて受け止めた。


「葉に、」

「チビ樹はダウンしてるみたいだからとりあえず春樹な」

「え、ちょ、僕もそろそろ限界なんですけど!?」


 繰り出されるピコピコハンマーを戸惑いながら受け止めていく。しかし当たるたびにピコピコ鳴るので正直とても気が抜ける。集中するのが非常に難だ。


「うわ、ちょ、ねえっ、聞いてる!?」

「聞こえねぇな」

「鬼ぃ!?」


 予想以上の速さで突き出されるピコハンを必死に棒でさばいていく。押される一方で反撃ができない。確実に物理的にも押されており、このまま壁にまで追い詰められては逃げることもできない。

 と、ふいに葉の足が上がった。


「!」


 セーガが口でその蹴りを止める。同時に翼を広げ、春樹はそれに飛び乗った。深追いをすることはせず、セーガは宙を飛び距離を取る。

 軽く身を引いた葉が大げさに肩をすくめ、自身の手でピコハンをピコピコ鳴らした。――やはり馬鹿にしているのだろうか。


「怖ぇ怖ぇ、危うく足を持っていかれるところだったぜ」

「……そこまではしないと思っての蹴りだったでしょ」

「さてねぇ。だがまあ、少し分かったことがある」

「……?」


 警戒を解かないまま葉を見ていると、彼はぐるぐると腕を回した。今さらの準備運動のつもりらしい。


「春樹と犬っころの連携はまずまずだ。いちいち言葉で言わなくてもお互いの動きを分かっている。それは褒めてやってもいい」

「……」

「あと春樹、お前、接近戦鍛えてないだろ」


 ギクリ、と身体が強張った。


「別に責めるわけじゃねぇよ。お前は犬っころのおかげで長距離の方が長けてる。だから接近戦に持ち込まれたときは逃げの一手に専念して距離を稼げるような戦い方を選んだ。――だろ?」

「……う、わぁ……そこまで読まれると怖いを通り越して気持ち悪い……」

「ま、一気にあれこれと手を出しても身につかねぇだろうしな。お前なりの戦略があるならいいんじゃねーの」


 だけどあの程度じゃ「逃げる」にしてもまだまだだな、と付け加えられ、春樹は笑顔を引きつらせた。確かに葉の攻撃を防ぐことはできても、その場から動くことはできそうになかった。あのまま長引いていればそのうちすぐに突き崩されていただろう。


「そして」


 葉がピコハンをひょい、と肩の上に上げてみせた。

 一気に跳躍して突き出してきた大樹の棒を受け止めてみせる。ピコンと気の抜ける音のおまけ付きで。


「チビ樹、さすがの回復力――と褒めてやりたいとこだが、不意打ちは卑怯じゃねぇの?」

「葉兄のっ、存在がっ、不意打ちみてーなもんだろ!」

「はっ。背丈も小さけりゃ心も小せぇか」

「小さくねー!」


 突っ込んできた大樹を横に避け、その際にピコンと頭に一発。

 ――となるはずだったが、大樹も寸でで頭をずらしそれを避けた。葉が瞬く。

 しかしそれは一瞬で、彼はニヤリと口の端を上げた。


「まだ風で読む力が残ってたか。ほんとお前、量は持ってるんだよな。コントロール悪いのがもったいねぇ」

「うる、せえっ!」

「だけど無闇に突っ込みすぎだ。力に頼ってばかりじゃなくて自分でも相手の動きを読め、判断しろ」


 嘆息した葉が大樹の間合いに入り腕をつかみ、


「のぁ!?」


 投げた。


 セーガごと突っ込んだ春樹は大樹が壁にぶつかる前に受け止める。なかなかの勢いだが苦になるほどではない。

 セーガの背につかまった大樹はしばし肩で息をし、それから後ろにいる春樹の方を振り返る。


「春兄! サンキュー!」

「いや……」


 その元気の良さは羨ましいし、春樹にも分けてほしいほどだ。なにせ現状は芳しくない。


「どうしよっか、この状況」

「春兄、さっきの緋焔とかってのは?」

「無茶言わないでよ……お前とやり合ったときにどれだけ連発したと思ってるのさ」


 そしてセーガの技が出せない今、春樹にとっての勝機はほとんどないに等しい。

 もはや「どうやって逃げよう」に思考が切り替わりたい気持ちでいっぱいである。

 この兄が素直にそうさせてくれるとは思えないが。


「大樹のサポートを僕とセーガでするしか……」

「サポート?」

「うん。かく乱ならまだいけると思う。葉兄の攻撃を一つでも防げれば、多分そこから隙ができるからそこに大樹が……」

「倒せばいいんだな! りょーかいっ」


 無謀な気もするが、単にやられるのは癪であるし、それならあの兄が飽きるまでこちらが「やられない」のが一番の勝利だ。

 そう思うことで自分を落ち着かせ、二人は再び葉に立ち向かおうと高度を下げ、


「話し合いは終わったか?」

「!? しまっ――」


 悔やむ。この兄が大人しく待っていてくれるはずがないではないか!

 セーガにいともあっさり飛び乗ってきた葉に背後を取られ、ついで首に腕を回された。やばい。動けない。

 春樹を人質に取られた大樹の顔色も青ざめる。

 そんな二人に、葉はにっこりと滅多に見せない極上の笑みを浮かべてみせたのだった。


「――で、どうするって?」

「「…………」」





「鬼ぃ……悪魔ぁ……」

「もう無理、ほんと無理、帰って家事するとかそんな気力ないから……むしろ帰る気力もないから……」


 息絶えた、に近い状態で二人は恨み言を吐きまくる。もはや立ち上がることもままならない。

 しかしその言葉を素通りさせているのか葉は全く気にした様子がなかった。それどころかピコハンで頭を叩いてくる。うざい。


「何だよお前ら。若いくせに手応えねぇな」

「うぐぐ……」

「若さの問題じゃないと思う……」


 ぐったりしていると、セーガが申し訳なさそうな顔で寄り添ってきた。春樹は緩く笑う。


「セーガのせいじゃないよ」

――“だが……”

「ま、そうだな。犬っころの力が使えなくなったらアウト、じゃ今後も困る」


 あっさり言った葉はピコハンを抱え、二人を見下ろす。

 見下ろされた二人は嫌な予感に血の気を引かせた。

 そんな二人を楽しくて仕方ないと言わんばかりの笑みで葉は言い放つ。


「特訓だな」


 ――弟の唐突な一言で始まった「特訓」とやらは、まだ、地獄の幕開けに過ぎなかったらしい。





■幕間「“特訓”と書いて“地獄”と読む」完

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