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「はなっ……はなせよこの……っ!」
もがくが、渡威はその抵抗を一切封じていた。
何重にも巻きついた拘束は固く、腕はおろか、指一本動かすのも難しい。
せめて引きずってくれれば足で摩擦を生じさせ、ほんのわずかながら抵抗の意思を示せるものの――枝は大樹を持ち上げるようにしているため、足は全く床につかなかった。
この渡威はどこまでも大樹の意に反したいらしい。
「ちくしょ、このっ。どこ行く気だよ!」
せめてもの思いで叫んでみるものの、渡威は先ほどから答えない。
無視かこのやろう、と余計に腹立たしたが増していくばかりだ。
「てめぇ、こら! ふざけんな! せめて喋れ……ぇえええええええ!!?」
急激に速さが上がる。
まるでジェットコースターのような感覚に襲われ、大樹の喚きは一転して悲鳴と化した。
ていうか速い超速いマジ速い!
スピードが緩んだ頃には頭がクラクラだ。
ほとんど動きは止まっているはずなのに、後遺症なのかいまだに感覚だけはジェットコースターに乗っている気がしてしまう。
「っ……び、びっくりさせやがって……春兄だったらとっくに酔いすぎて吐いてんぞこのやろ……」
あまりの扱いに色々なものが根こそぎ奪われ、漏れた呟きには覇気がない。
それでも負けてなるものかと大樹は気力を振り絞りながら顔を上げ、はたと目を丸くした。
「……体育館……?」
大樹が連れてこられた場所、それは広々とした無人の体育館だった。
そこには自分以外に人はいない。
しかし、大きな幹がそこに鎮座していた。
数多の枝はその幹に収束していく。
幹の真ん中には渡威を示す“核”。
こいつがボスか。
そう悟り、大樹は思い切りその幹を睨み付けた。
“元気なことだ……”
「“うるせー! いいから放せよ早く!”」
“素直に従わないからいけない”
「“そっちが無理にさせようとするのがいけないんだろ!”」
いきなり襲ってきて「従え」なんて一体何様だ。
俺様か。俺様は葉兄だけで十分だバカ!
イライラと唸っていると、ふいに体育館のドアが開いた。
「ダイちゃん!」
「ユキちゃっ……、ぅあ!?」
ぐん、と高度が上がる。
大樹と雪斗を近づけさせまいと、渡威が大樹を捕らえている枝を高く伸ばしたのだ。
あまりに急だったので本当にジェットコースターみたいだった。正直目が回る。
「ダイちゃん、大丈夫ー!?」
「ダイジョ、ぶ……!? う、あ……っ」
「ダイちゃん!?」
「……っ」
拘束が一層きつくなる。痛みは問題ではなかった。それより呼吸が――。
“消えないと更に苦しくなる”
「“なに、がっ……”」
“そう伝えろ”
「っ、は……」
「ダイちゃん……!?」
苦しい。
――素直に渡威に従うのは悔しい。
だが、雪斗を危険な目には遭わせたくない。
それなら渡威の言う通りにして雪斗をこの場から遠ざけた方がいいのではないか?
しかし渡威が約束を守るか?
ここを出たら本当に安全か?
自分はどうなる?
どうすればいい。どうすれば。
“早くしろ”
「“る、せ……!”」
考えがまとまらない。思考が霧散していく。
(……春兄ならどうすんのかな)
ふいに浮かんだ兄の顔に思考を滑らせる。
そもそも油断をするなと怒りそうだ、
そう思ったとき、
「大樹!」
「そ、う……?」
いつの間にか体育館横の高いスペースに昇っていた奏一が、木に飛び移ってきた。
木全体が太くしっかりしているため、小柄な奏一が乗ったところでびくともしない。
多少足元が危なっかしいものの、意外とスムーズにこちらに近づいてくる。
一方でぼすん、と妙な音がした。
下に顔を向ければ、用具入れから取り出したのだろう、様々なボールを雪斗が渡威めがけて投げつけている。
渡威にはそれほどダメージはないようだが気を取られているらしく、拘束による苦しさからは解放された。
だからといってのんびり息をついている場合でもなく。
「奏、何やって……! ユキちゃんも……危ないだろ!」
「雪斗じゃここまで身軽に来れないでしょ。だから雪斗が気を引いて、オレがこっちに来ることにしたの」
「そうじゃなくて!」
焦る大樹に構わず、奏一は大樹を縛る枝を解きにかかる。
しかし強固なそれはなかなか戒めを緩めない。
封御を隙間にねじ込み、てこの要領でようやく、ほんの少し余裕ができるくらいだった。
しかし――確かに、少し緩んだ。
ただ、大樹は気が気でない。
「奏っ」
「……オレ、何だかんだいって、大樹に助けられたよ」
「え?」
「だからちょっとくらい、頑張らせてよ。オレも大樹を助けたい」
そう微笑まれては、止める言葉が見つからない。
“小賢しい……!”
「あ!?」
「奏っ!!」
気付いた渡威が数本の枝を向け、奏一を叩き落した。
たまらず奏一は落下する。
同時に雪斗が駆け出しギリギリで抱きとめたが――その瞬間、さらに伸びてきた枝が雪斗もろとも薙いだ。
二人が体育館の壁まで吹き飛ばされる。
「奏!? ユキちゃん!!」
“ふざけたことを。手間を取らせてくれる……”
呆れ果てた渡威の言葉。
意識を失うには至らなかったらしく、痛みを堪えて起き上がろうとする二人。
そこに追撃を加えようというのか、さらに伸びていく太い枝。
――ぶちり、と。
「……じゃ……ねえ……」
“何?”
思い切り――キレた。
「オレのダチに手ぇ出してんじゃねえっ!!」
“ナ……ニ……!?”
大樹を中心に一気に突風が巻き起こる。
大樹を戒めていた枝は膨れ上がる風圧に耐え切れず飛び散った。
自由になると同時に落ちてきた封御を受け止める。
くるりと手中で回転させ穂先は渡威へ。
そのまま大樹は高さを全く感じさせないほど静かに着地した。
「な、何この風……!?」
「伏せててっ」
驚く奏一を無理に伏せさせ、雪斗もまた身を潜める。
それを視界の端で確認し、大樹は渡威を見据えた。
枝が、葉が、無数に蠢いている。
“ク……ッ”
枝が動く。同時に大樹は身を屈め素早く中に潜り込む。
追って締め付けようとした枝を力任せに切り捨てた。
降り注ぐ大量の葉。
それらが突如硬化し身を切りつけてくる。
だが大樹は構わなかった。
作戦も何もない。ただあるがままに突き進む。
“止まれ!”
視界一面を埋め尽くさんばかりの葉――。
――ああ、
「“邪魔だ!!”」
“!?”
風圧。蹴散らされる葉。
粉々に消え散った壁を突き抜け、
近接。
勢いのまま太い木の枝に足をかける。
その音か勢いにか、渡威がわずかに強張った。
そんな渡威にビシリと封御を向け。
「“ケガさせてたら、もっと仕返しするところだったからな!”」
言うと、驚いたように渡威が全体の動きを止めたが――大樹はそのまま核に封御を突き立てた。
一瞬で目映い光が辺りを覆う。
ほんの少しの静寂。
光が消えると、存在感の大きかった木が跡形もなく消えていた。
ついでに散らばっていたはずの大量の葉も消え失せている。
床には、雪斗が投げつけたいくつかのボールが転がっているだけだ。
「え……終わった、の……?」
伏せていた奏一がわずかに身を起こす。
雪斗も立ち上がり、ホッと胸を撫で下ろした。
だが。
「ちがう」
「え」
「ダイちゃーん?」
「玉がない……」
本来、渡威本体を封印すれば、渡威は玉へと姿を変える。
それが封印した証でもあった。
それを倭鏡に持ち帰り、改めて封することで一連の封印作業は終了したと言えるのだ。
しかし、それがないということは。
(あれはコピーだった?)
とっさに考え、しかし自信が持てずに肩を落とす。
あんなに大きなものがコピーだったというのだろうか。
大きさは関係ないにしても、あんなにはっきりと喋っていたのに?
確かに思っていたよりあっさりと封印できてしまったが、だとすれば本物はどこに――。
ビュ……ッ
鋭く何かが空気を裂く音が聞こえ、大樹は反射的にそちらへ身構えた。
何かが凄い勢いで向かってくるのをかろうじて見取り、とっさに封御を持つ腕でガードする。
ソレはきつく腕に巻きついた。
何かと思い――ぞっとする。
ソレは、木の枝だった。
それもじわじわとこちらに伸びてきていて、まるで意思を持っているかのような。
「途中までは上手くいきそうだったんですけどねぇ」
枝の先から聞こえてきた声。
大樹は顔を上げた。
信じられないような、信じたくないような、似ているが違う感情を持て余しながら。
「……もっちー」
「お久しぶりです」
にっこりと笑う、頭にバンダナを巻いた男。
それは大樹が最後に見たもっちーの姿そのものだった。
変わっている点といえば、男の腕から枝が生え、その先端が大樹の腕に巻きついていることくらいだろう。
「じ、じゃあ、さっきの渡威はもっちーのコピーなのかっ?」
「そうですね。厳密に言うと正しくないですけど」
「……どーゆうことだよ」
「この姿の能力が、木を操ることなんですよ」
あくまでも淡々と説明してくる彼に、大樹はムッと眉を寄せる。
何だよその敬語。あのヘンテコな関西弁はどうしたんだよ。それも全部その男の姿のせいなのか――そこまで考え、大樹は気付いた。
「え? その人、倭鏡の人なのか」
「ええ、まあ」
「……ってかそんなことどうでもいいし!」
「大樹サンが聞いたのにひどいなぁ」
はは、ともっちーが小さく笑う。
混乱する。相手が何を考えているのか理解できなかった。
あんな別れ方をしたのに、どうしてそんな風に笑うのか。
さっき渡威を仕掛けてきたのももっちーだというのに。
何で。何で? 何が?
「……だぁあああわかんねぇー! はっきりしろバカー!」
「はは、大樹サンらしい」
バカにされている気がしたのは気のせいだろうか。
のらりくらりとした態度に調子が崩されていく。
「今回は上手くいくかも、と思ったんですけどねぇ」
「なん……?」
「友達を狙うところまでは良かったんですけど」
「!」
反射的に怒りが膨れ上がり、コントロールしきれなかった風が巻き起こった。
荒々しくもっちーのバンダナをはためかせるが、もっちーは動じない。
「大樹サンの性格を考えれば、有効でしょ」
「てめ……!」
「けど、実際に攻撃してしまったのは失敗でした。やっぱりまだこの“力”を扱うのは慣れていないようです」
――本当は雪斗や奏一にまで手を出すつもりはなかった?
ふ、と風が落ち着く。
現金だなぁとばかりにもっちーが苦笑したが、あまり気にならなかった。
確かに、言ってしまえば雪斗たちに手を出したことがもっちー側の敗因だ。
そしてもっちーなら、そうなることを予測できたはず。
もっちーが一度息をつき、改めてこちらを見下ろす。
心なし、腕に巻きつく力が強くなった。
「大樹サン。一緒に、来てくれませんかね」
それはお願いなのか。願いにも似た、ただの命令なのか。
「……やだ」
「何でですか」
「みんなに心配、かけるだろ。そしたらオレ、絶対怒られるし。何で来てほしいのかちゃんと理由を教えてくんなきゃ行かねぇ」
おや、ともっちーは目を丸くした。
「驚いた。色々、大樹サンも考えてるんですねぇ」
「どーゆう意味だよっ」
「いえ、褒めたんですって」
本当なのかどうなのか、もっちーの表情からはさっぱり読めない。
当然ながら駆け引きは苦手だった。
面倒だから本音でこいよバカ、と密かに毒づく。
どーんとばーんとくればいいのに。ぼーんって。
「理由、言えないのかよ?」
「うーん。難しいですね。段階というものがありますし、上手く言葉だけで説明できるかどうか……だからこそ、まずは来てほしいんですが。どうしても、無理ですか」
「…………」
「大樹サン?」
「……明日、春兄が帰ってくるし」
ぽつりと呟くと、もっちーは二、三度瞬いた。
ゆるりと笑い、それと同時に枝が大樹の腕から退いていく。
「それじゃ、来てくれないですよねぇ」
「…………」
「それではまた、近いうちに。――時間も、あまりありませんので」
そう言い残し、もっちーはその場から姿を消した。
残っているのは大樹、そして雪斗と奏一だけだ。
二人はもっちーが完全にいなくなったのを確かめ、おそるおそるやって来る。
話には入り込めなくても不穏なものを感じたのだろう。二人ともどこか不安げだった。
特に奏一にとってはわからないことが多すぎる。軽くパニックを起こしてもおかしくない。
「ダイちゃん、大丈夫ー?」
「ユキちゃん……」
「ねえ……終わったの? あの人は誰? あの木は結局何だったの?」
奏一の疑問はもっともだ。
そして説明してもらわなければ納得できないだろうし、ここまできたら下手な話では誤魔化されないだろう。ありのままを話すしかない。
――ありのままを話したところで現実離れしていることに変わりはないのだが。
雪斗がこちらを見やり、困ったように眉を下げる。
その視線にはたっぷりと気遣いが含まれていた。
「あー……と、ねえ。僕も全部は知らないけどー……」
「……いい、ユキちゃん。オレが話す」
壊れ物を扱うかのように話し始めようとした雪斗を制し、口を開く。
こちらの意思を尊重してくれた雪斗は大人しく黙った。
話に入らないようにと、散らばっていたボールを片付けに行く。
「つっても、上手く話すの苦手だけど。んと、……倭鏡っていう世界が、あるんだよ」
――こことは別に存在する、倭鏡という名の異世界。
そこで生きる者はそれぞれ特殊な“力”を有していること。
そこにはここでは見られない変わった生き物がいて、先ほどの木の騒ぎは、その生き物が原因だということ。
それは渡威と呼ばれ、その何体かが現在、倭鏡からこちらへ逃げ出してしまったこと。
そして大樹は、渡威を封印しなければならない立場だということ。
それらを全て、大樹は拙いながらも説明してみせた。
奏一はその間、ただ黙って聞いている。相槌すらない。
一通り話し終え、大樹はおそるおそる奏一を窺ってみる。
柄にもなく緊張していた。
いつもはだいたい春樹が説明しているし、大樹は雪斗(最近は椿もだが)以外に倭鏡の話をしないようにしていた。
――上手く、伝わっただろうか。
いや、それより……
「その、嘘は言ってない……はず、だけど。間違ってることはあるかもしんねーけど、でも多分、ダイジョーブだと思うし。まだ全部は説明できてないだろうけど、大体はこんな感じなわけで……」
宙に目を泳がせ、挙動不審になりながらももう一度奏一を見やり。
「信じてくれる、か?」
落ち着かない気持ちで問うと、奏一が大きく瞳を瞬かせた。
ふう、と一息。上げた顔はどこか呆れている。
「信じるも何も……。何かもう、全部が非現実的で」
「うっ」
「でも、現実でかなり非現実的なことが起きたばかりで」
「……奏?」
「信じて納得するしか、ないじゃない?」
苦笑じみた笑みを浮かべ、肩をすくめる奏一。
大樹は目を丸くした。
まじまじと奏一を見つめ、彼の言葉を反芻する。
はやる気持ちをまずは抑え。
ええと。ええと。
だから。
それはつまり。
「奏ーっ!」
「うわ!?」
飛びつき、ぎゅうっと思い切り抱きしめる。
奏一は勢いで後ろに倒れこんだが大樹は構わなかった。
素直に、純粋に、ただただ嬉しい。その気持ちが溢れて止まらない。
「ちょ、大樹、苦しいよ……!」
「そうだよダイちゃん、少し落ち着いて~」
「だって!」
だってこの気持ちを、他にどうやって伝えればいい?
「……外にあの二人を待たせてるから、そろそろ行かなきゃだしね~」
言いながら、片付けを済ませた雪斗がひょいと大樹を引き離す。
持ち上げられるようにして立たされた大樹は、ああそうかと思い出した。
渡威の騒ぎがあったせいで正直なところ忘れそうだった。
というより本音をぶちまけると忘れていた。
「奏、ダイジョーブか? 会える?」
「……うん」
問われた奏一は小さくうなずき、立ち上がる。
顔を覗き込んでみるとその瞳はしっかりと力強かった。
これならきっと大丈夫だろうと、大樹もホッと息をつく。
それから、ニッと笑みを向けた。
「あのな、ほんとありがとなっ!」
「え?」
「えっと……さっき助けに来てくれて。そんで信じてくれて。だから『ありがと』!」
さ、早く行こうぜと彼の手を取る。
手を取られた彼はされるがままだった。
特に文句を言うわけでも手を振りほどくわけでもなく、ただただ大人しくついてくる。
のんびりと後ろを歩き始めた雪斗を振り返り、「ユキちゃんもありがとな」と笑えば、彼も「どういたしましてー」と笑い返してきた。
「……オレ、も」
「ん?」
きゅっと、手が握り返される。
「友達になってくれて、本当のこと話してくれて……オレも、『ありがとう』」