5封目 信じられない、信じない
「大樹!!」
家へ飛び込むなり、春樹は自分でも驚くほどの声で叫んでいた。
もどかしい思いで靴を脱ぎ捨て、弟の姿を探す。
彼は部屋でテレビゲームをしていた。
こんなときに! と怒りが膨れ上がりそうになったが、よく考えてみれば大樹は今の状況を知らないのだ。
文句を言っても仕方ない。
「大樹、椿ちゃんの家行くぞ! 準備しろっ」
「椿の? 何でまた……」
「いいから早く!」
さっさとしろ、とゲームの電源を消すと、大樹がとたんに悲鳴を上げた。
「あ――――っ! オレの記録が――――っ!!」
「あとで何時間でも付き合ってやるから!」
「んなこと言ったって、これ春兄の苦手な格闘ゲーム……」
「文句もあ・と・で」
ずいっと彼の前で凄むと、気迫に負けたのか大樹が押し黙った。
そんな彼に封御を渡してやる。
封御というのは渡威を封印するのに使用する、槍に似た形の武器だ。
これで渡威の持つ“核”を突けば封印出来るのだが、いつどこに渡威が現れるかなどわからない。よって今の自分たちには必需品である。
それを受け取った大樹と家を飛び出す。
気持ちは焦っていても鍵だけはきっちり閉めた。
几帳面な性格なのだ、こんなときでも。
「春兄、何がどーなってんだよっ? 椿がどうかしたのか?」
自分の後を追いかけてくる大樹に訊かれ、春樹はちらりと後ろを見た。
「どうなってるのかは僕もわかんないよ」
「はあ?」
「でも葉兄が言ってたんだ。それに……明らかに椿ちゃんの様子はおかしかったし」
「それはオレも思ったけど……」
公園まで全速力で来た二人は、一度その足を止めた。
椿が走り去った方へ歩を進めながら、キョロキョロと家の周りを見回す。
「ところで春兄、椿の家知ってるのか?」
「何で僕が知ってるのさ」
「何でって……じゃあどうやって行くんだよ」
不思議そうに顔を覗き込んでくる大樹に目を丸くする。
――何だって?
「……って、おまえも知らないの?」
「おう。知ってんのはこの辺に住んでるってことだけ」
胸を張る彼に唖然としてしまう。
そんなのちっとも威張れることではない。
春樹は、てっきり大樹が道を知っていると思い込んでいたのに。
「それじゃおまえを連れてきた意味ないじゃん!」
「!? 春兄……オレを道案内させるためだけに連れてきたのかよ!?」
「う、いや、そーゆうわけじゃ」
「ひっでー! それ以外に役に立つことないって言いたいのか!?」
「誰もそこまでは……」
言っていない、と思ったが大樹は全く聞いていなかった。
彼はキッとこちらを睨んでくる。
といっても、状況が状況なだけに大して怖くない。
「~~~~春兄のアホっ! ぶじょく!」
(……えーと)
侮辱の使い方、間違ってるし……。
「……ごめん、僕の言い方が悪かったよ。別に役に立たないだなんて思ってないから」
口調をいくらか柔らかくして謝ると、大樹が上目でこちらを見た。
全く、彼の真っ直ぐさにはたまに苦笑したくなる。
「……ホントか?」
「ホントホント。それで頼みがあるだけどさ」
「頼み?」
「うん。あそこに小鳥がいるだろ? 椿ちゃんの家を知ってるかもしれないから、訊いてきてほしいんだ」
「! ……ナルホドっ」
納得した大樹が、ポンと手を打った。
それから二羽の小鳥の元へと駆けていく。
少しして、彼は何か話すような素振りを見せた。
――そう、彼の能力は“人以外の声を聞けること”なのだ。
話すことも一応可能らしいので、動物とも会話が出来るのである。
他にもニ、三言会話した大樹が、くるりとこちらを向いた。
彼は駆け戻ってきながら、笑顔で結果を報告してくれる。
「この先の角を右に曲がった、二つ目の赤い屋根の家だって!」
言われた通りに進んでみると、確かにその家は存在した。
表札にもきちんと「佐倉」と書いてある。
「……おまえの“力”って便利だよね、こーゆうとき」
「何だよ。聞くだけならともかく、話すのはけっこー疲れるんだぜ?」
「わかってるって。……おまえがいて助かったよ」
微笑むと、大樹の顔がパッと輝いた。
これでもう、さっきの言い合いは彼の頭の片隅にも残っていないだろう。
春樹はこっそり安堵の息をついておく。
「それにしても……問題はここからだ」
「? 問題って何だ?」
「だって……ぅわ、待っ、大樹!」
今にも呼鈴を押そうとする大樹にぎょっとする。
ちょっと待て!
「いきなり僕らが押しかけたら、あっちも警戒するだろっ」
「けいかいぃ?」
慌てて止めに入った春樹に、大樹がすっとんきょうな声を上げた。
しかし可能性は十分にあるのだ。
春樹はついさっき彼女と会話して逃げられたばかりだし、彼女は何かを隠しているようだった。
正面から乗り込んでも拒絶されては終わりである。
「そんなこと言ったって、他にどーすりゃいいんだよ!」
「とりあえず中の様子がわかれば……」
呟き、春樹は目を閉じた。
大樹がきょとんとしてこちらを見ているが構わない。
神経を一点に集中させ、――静かに呟く。
「――セーガ」
呟きと共に、うっすらと煙が現れた。
その中から黒い、犬のようなものがゆっくりと歩み出てくる。
普段は羽も生えているのだが、ここが倭鏡ではないことを考慮してか今は消してあるようだ。
こうして見ると、普通の犬とも大差ない。
「セー……っむぅ!?」
瞳を輝かせて叫ぼうとした大樹の口を反射的にふさぐ。
彼がセーガを気に入っていることは知っているが、ここで騒ぐには彼の声は大きすぎる。
暴れる大樹を無視し、春樹はセーガへ微笑みかけた。
「セーガ。ちょっとお願いがあるんだけど……頼まれてくれる?」
セーガが黙って顔を上げる。まるで「早く言え」というように。
そんなセーガの態度に、春樹はホッと胸をなで下ろした。
「この家の中の様子、見てきてほしいんだ。何か変わったことがあったら教えてほしい」
簡潔に説明すると、セーガがくるりと体の向きを変えた。
後ろ向きのまま一度うなずき、隙間を利用してするりと家の敷地へ入っていく。
それを見守っているところで、ようやく解放された大樹が勢い良くこちらを振り返った。
彼は涙目で見上げてくる。
「~~~~っ」
通訳するなら、「せっかくセーガと会えたのに!」だろう。
気持ちはわかるが、今はそれどころではない。
春樹はセーガへ視線を戻した。
セーガはカーテンの隙間から家の中を覗いている。
そこで何を見たのか、彼はわずかに目を細めた。
軽やかな足取りでこちらへ戻ってくる。
――何かあったのだ。
「セーガ、どう……」
どうだった、という言葉を無意識に飲み込んだ。
セーガはこちらを見上げ、静かに口を開く。
――その報告内容に、二人は同時に叫んでしまった。
「「渡威!!?」」
お互い、その声の大きさにハッとして口をつぐむ。
「と、渡威って……え?」
「椿の家に?」
混乱する二人をよそに、セーガがただうなずいた。
彼の冷静さはいつものことだが、それにしても何という急展開だろう。
こんなのありだろうか。
(……葉兄が視たのはこのことか……)
思い当たり、無性に泣きたくなる。
あの兄はなぜ、こんな大事なことを教えてくれない?
「とりあえずわかった……。ありがとう、セーガ。戻っていいよ」
呼びかけると、彼は再び姿を消した。
その際、一度だけこちらに目を合わせる。「頑張りな」と。
彼の姿が完全に消えると、春樹は気を取り直して家を見上げた。
「……困ったことになったな……」
まさか渡威が絡んでいたなんて。
春樹は大樹を見た。彼も戸惑ったようにこちらを見ている。
きっと考えていることは同じだ。
「どうすんだ、春兄?」
「どうしよう……。封印しなきゃいけないのは確かなんだけど」
そのためには家の中に入らなければいけない。
そうなると再び最初の問題に突き当たってしまう。
これでは堂々巡りだ。
かといって、渡威を外におびき出す方法も浮かばなかった。
「何とか彼女を説得出来ないかな。いざとなったら一から全部教えてでも」
「倭鏡のこととか? ……無駄じゃねえの? あいつ、そーゆうの全然信じねーもん。オバケとかUFOとか」
非科学的なことは、というニュアンスに春樹はうなずいた。
それが当然の反応だろう。
異世界の存在だなんて、雪斗のように全く疑わずに聞いてくれる方が珍しい。
「でも出来る限りやってみないと……」
呟いた春樹は、家のドアがわずかに開いていることに気づいた。
椿がそっと覗いているのだ。
やはり騒ぎすぎて、中まで声が届いていたのだろう。
それが気になって少し様子を見に来たに違いない。
春樹に気づかれたと知り、椿が慌てて奥に戻ろうと身体を引っ込めた。
「椿ちゃん! 待……っ」
ドアが閉まる!
――そう思った瞬間、大樹が間に割り込んだ。
「逃げんなっ!」
「きゃ……っ、大樹!? 手、ドアから放しなさいよ!」
「おまえこそ話くらい聞けっつ~~の~~~~っ」
今にも閉まりそうなドアを大樹が力ずくで止めようとしている。
そのとき、ドアの間から女性の姿が見えた。
全体的にどこかうっすらとした、存在感すら薄い女性。
その女性はこちらを見て……口元だけで笑む。
(渡威だ……!!)
額に、渡威の証である核が見える。
はっきり確信すると、春樹は大樹を手伝った。
そうなれば当然、彼女が力で勝てるはずもない。
あっさりドアは開かれてしまう。
「…………っ!」
彼女は観念したように家から出てきた。
しかしドアを閉め、それを背にかばいながら、である。
「……何なんですか、一体」
それは春樹に向けられた言葉のようだった。
春樹は一呼吸置き、慎重に言葉を選ぶ。
「……さっき、中に女の人がいたよね?」
この質問に彼女は答えなかった。
構わずに続ける。
「実はあれ、渡威っていう倭鏡の生き物なんだ」
「と……い? わきょう……?」
聞き慣れない単語に、彼女が眉をひそめる。
まあ、大体予想していた反応だ。
「信じられないかもしれないけど……鏡を通して存在する異世界というものがあって、そこが倭鏡なんだ。僕たちの父さんはそこの人間で……。あ、でも母さんはこっちの人間だし、ちょっとした能力があるだけで普通の人と変わらないんだけど」
「異世界……? 能力?」
「うん。……それで渡威っていうのは、元々倭鏡の生き物で。よく悪さをしていたせいか、本当は封印されていたんだ。でも、この前それが盗み出されて……封印を解かれた渡威が何体かこっちの世界に逃げちゃって。だから今、僕たちはソレを封印しようとしてるんだよね」
「……あんたも、なの?」
まだ疑わしげにしながら、椿が大樹に視線を移した。
突然話を振られて目を丸くした彼が、やがて、バツが悪そうな顔でうなずく。
「そっ。ユキちゃんも知ってるぜ?」
「雪斗が?」
彼女が小さく目を見開いた。
だがそれ以上の反応も示さず、そのまま黙り込んでしまう。
それを境に、「詳しいことはまた後で説明するけど」と春樹は話を戻した。
「だから、あの女の人は渡威なんだ。それは額の核が証明している。……あの人は、椿ちゃんのお母さんじゃないんだよ」
「!!」
椿がカッとしたように顔を上げる。
その反応に、春樹は思わず目を伏せた。
やはり予想は当たっていたのだ。あの女性は彼女の母親の姿だと。
「――信じられません」
震える声で呟き、彼女は強く拳を握った。
懸命に平静を保とうとしているが、その姿が却って痛々しい。
「異世界? 渡威? 能力? そんな……そんなこと、信じられるわけないじゃないですか。馬鹿馬鹿しいにも程があります。……私は信じません」
「……何なら、僕の“力”を見せてもいいよ?」
「信じませんっ!」
彼女は全てを拒絶する勢いで言い放った。とりつく島もない。
「……だから言ったじゃん、春兄」
「大樹……」
ほら見ろ、と言わんばかりの大樹に苦笑する。
だが、彼の顔を見てその苦笑も消えた。
口調からして呆れた顔をしていると思ったのだが、彼はむすっとした顔で椿のことを睨んでいる。
何やらとてつもなく不機嫌らしい。
「もう帰ってください。早くここから出てって!」
「でも! 椿ちゃん、僕たちは……っ」
「あなたたちなんでしょ!? ママが言ってたのは! だったらもう来ないで!」
「え? 言ってたって何を……」
「ママが言ってたの、『もう会えないかもしれない』『私を消そうとしている人がいる』って! せっかく会えたのに……そんなことさせません! ママは誰にも渡さない……っ!」
強い口調で言われ、春樹は何も言い返せなかった。
ふと葉の言葉を思い出す。
『会いたいときには会いに来い。甘えたいときは甘えろ』
彼女は母親が死んでから、それがしたくても出来ない状況だったのだ。
だからこそこうして母親が現れた今、必死にしがみつこうとしている。
もう手放すまいと。二度と失うまいと。
それを引き離すのは――どうも残酷な気がしてならない。
(どうすれば……)
どうしようもなくて焦りが募る。
一旦出直そうかとすら思った。
その刹那、大樹が突然わめき散らし始める。
「だあぁも―――っ!! 何なんだよさっきから!」
「だ……大樹?」
どうやら我慢の限界だったらしい。
彼は地団駄を踏みそうな勢いで椿に詰め寄った。
もはや暴走しているとしか思えない。
「椿! 信じる信じないじゃねえっ! あれは渡威なの、もう決定なのっ!!」
「違う! ママだもん!」
「さっきからママ、ママって……あれは渡威だって言ってるだろーが! 春兄の言うことが信じられねーのか!? おまえは渡威に騙されてんだよっ!」
「違うって言ってるでしょ!? ママは帰ってきてくれたのよ! 私が寂しがってたから……だから帰ってきてくれたの! そう言ってたもん!」
「しっかりしろよ! ――おまえの母親は死んだんだっ!!」
パンッ――――
椿の手が大樹の頬を打った。
彼女は瞳に涙をため、力一杯に大樹を睨む。
小刻みに震える身体を必死に抑えながら、――声を絞り出すように吐き捨てた。
「……っ、最低……っ!!」
「あ……椿ちゃん!?」
走り去る彼女に慌てる。
何でこんなど修羅場になってしまったんだ!?
「追え! 春兄っ!」
「だっておまえは……!?」
「オレはダイジョーブだって」
大樹がしっかりとうなずいた。
彼は真剣な面持ちで家を見上げる。
「オレ、渡威の相手してるから。さっさと椿を説得して戻ってこねーと、春兄の出る幕なくなるぜ?」
あくまでも強気に笑う彼に、春樹は感心の意味を込めつつ苦笑した。
「……わかった。でも無茶はするなよ」
「おうっ」
「封印の仕方はわかってるな?」
「核を封御で突けばいいんだろ? それくらい覚えてるって」
「無理だと思ったらとりあえず逃げるんだぞ」
「……わかってるよ」
「あと深追いもするな、命取りになるから」
「だぁっ! 春兄細かいっての!」
大樹がうんざりしたようにわめく。
しかし仕方ないだろう。彼一人では自分も何かと心配なのだ。
早く行けと急かされ、春樹は椿の元へ駆け出した。
◇ ◆ ◇
「…………」
春樹の姿が見えなくなると、大樹は家へと向き直った。
ズカズカと歩み寄り、ドアの取っ手に手をかける。
「……椿のバカヤロー」
呟き、一度深く息を吸った。
気合いを改めて入れ、――思い切りドアを開く。