4封目 理由なんてそれで十分
ざわめきは嫌でも耳に入ってきた。
星山奏一が転校してきた翌日、クラス内では静かな動揺が確かに広まりつつあった。
原因はもちろん転校生の奏一であり――雪斗の幼馴染みである日向大樹だ。
ある意味では雪斗自身も原因の一つになっているのだろう。
それを冷静に感じ、雪斗はそっと苦笑する。
今朝からみんなの視線が妙に絡みついてくるように感じるのは気のせいではあるまい。
「あのね日向くん。ここは……」
「んー? あ、ここはこうしてさ!」
「わぁ、さすがだね」
「へへー」
少々離れたところで二人の話し声が聞こえてくる。それはいかにも楽しげだ。
「なあ……雪斗。まずくないか?」
「えー?」
ぼんやりしていた雪斗は、いきなり肩に手を置いてきたクラスメートにのんびり顔を向けた。
ニヘラと笑みを作ったが、相手の表情は思いのほか真剣だ。
雪斗は呼応して眉を八の字に下げる。
相手の言いたいことは大体わかっていた。だからこそ笑って誤魔化しておきたかったのだが。
「あいつら、朝からずっとあんな感じじゃん」
「そうだねぇ」
「……奏一が大樹と仲良くなるのは問題ないさ」
「小動物みたいだよねぇ」
「ああまあ小さいのが固まってると何となく和む――ってちげぇよそうじゃなくて!」
「そうー?」
「だって、あれはおかしくないか?」
「そうかなぁ? 仲がいいのは、いいことだよー?」
「だっておまえ」
言い、クラスメートが目を伏せる。
言おうか迷った様子だった。
それでも結局覚悟を決めたらしく、彼は静かに口を開く。
幾分、普段より声のトーンを落として。
「今日、一度も大樹と話してないだろ」
「…………」
雪斗は素直に感心した。よく見ているものだ。
だが、もしかするとそれも当然かもしれない。
今までずっと一緒にいた雪斗と大樹が離れているのだ。
クラスの名物扱いをされていた二人が別々に一日を過ごせば、やはり気を引く。
それにただでさえ大樹の声は通るので目立つし、雪斗の代わりにいるのが物珍しい転校生。
クラスの中で目立つなという方が無理だといえるだろうか。
「俺さ、昨日ふざけて凸凹コンビ解散だとか言っちゃったけど……何ていうか、悪いこと言った気になっちまって」
「あははー。言ったからってその通りになるわけじゃないよ」
「そうだけど」
「そ。言霊信仰を馬鹿にするわけじゃないけど非科学的ね」
ずいと割り込んできた影。
その影を見るなり相手は気まずそうな顔になり、目を泳がせた。
「佐倉。何だよ急に」
「放課後になったんだから、いつまでも残ってないで早く帰りなさいよ。先生も言ってたでしょ? 最近は日が暮れるのが早くなってきたから気をつけなさいって」
「ハイハイ。うちのクラスだけだぜ、こんなに委員長らしい委員長は」
ブツブツ文句を言いながら相手は離れていく。
椿はそれを仁王立ちで見送っていた。
彼の言うことも一理あると、雪斗はつい笑ってしまう。
これほど頼もしい委員長はなかなかいないだろう。学級会以外でこうも威厳を出せるとは。
「……で、実際のところどうなの?」
仁王立ちしたまま振り向いてくる。
やっぱり迫力あるなぁと思いつつ、雪斗はヘラリと表情を崩した。
「うーん。思ってたよりあからさまでビックリ」
「私も。もしあの話が本当だったとしても、もっとじっくりくるのかと思ってたし……昨日の今日であれじゃ不自然すぎるもの。気付いてる? 大樹、雪斗だけじゃなくて他の子ともほとんど話せてないんだから」
気付いてはいた。
もちろん一言も話さないというわけではないが、必要最低限の会話しか彼はしていない。
用があって話しかけてきた相手と雑談を始めようとすると、巧みに奏一が逸らしていくのだ。
しかもそれで何となくきちんと話が終わった気になるため、恐らく大樹自身は気付いていない。
奏一と話している笑い声が無邪気なのはその証拠だろう。
「何のつもりなんだか……」
椿の呟きは微かな重さを伴って消えていく。
「心配?」
「ていうか、少し不気味」
強気な彼女にしては珍しい言葉で、雪斗は失礼ながらも目を丸くした。
「不気味ー?」
「だって、……星山くんはすごく笑顔で話してるでしょ。私の友達も可愛いって言ってるし。……でも、その笑顔の裏で何を考えてるのかさっぱりわからなくて。こんなこと言ったらいけないんだろうけど、ちょっと怖いかなって」
「あははー。そういう意味じゃ、ダイちゃんって勇気あるよねぇ」
「あいつは鈍感なだけでしょ」
椿の声音は心底呆れている。
あまりにもばっさりと切り捨てられ、雪斗は思わず笑ってしまった。
さすが委員長。その辺の男より男前。
「あ。ボク、ちょっと行かなきゃ……。日向くん、待っててもらってもいいかな。すぐ済むから」
「おう、わかったー」
大樹の呑気な声に笑いかけ、――奏一がこちらを見た。
雪斗は素早く腰を浮かす。
「委員長、ダイちゃんの相手お願い~」
「え? えっ?」
◇ ◆ ◇
放課後、それも遅い時間となれば、校内といえども人気のない場所が出てくる。
奏一は普段よりずっとのんびりとした足取りでそこへ向かっていた。
雪斗は数歩遅れてそれに続く。
「……どういうつもり?」
「何のことかな」
「僕とダイちゃんの仲を壊すとは聞いたけど、ダイちゃんを孤立させるとは聞いてないなあ」
「孤立? 何を言ってるのかわからないよ。ボクがたっくさん、仲良くしてあげているじゃない?」
「…………」
振り向いた奏一は笑っていた。
何がおかしいのかわからないし、わかりたくもない。
奏一は壁に背を預ける。
雪斗は突っ立ったまま彼と対峙することになった。
自然と見下ろす形になるが、相手に気圧された様子はない。
それどころか楽しげに笑い声を漏らすのだ。
「児戯は児戯だよ。くだらないしすぐ破綻する。……何も今回が初めてじゃないからオレにはよくわかるんだ。見てなよ、あんたたちもすぐに」
「奏一」
「気安く呼ばないでくれる?」
「……初めてじゃないのは知ってるよ~」
あくまでものんびり告げると、奏一の顔色がわずかに変わった。表情が険しくなる。
「いわゆる転勤族ってやつで、今まで何度も転校してきたんだってね。そのたびに友達との仲を壊してきたって……」
「うるさい」
「今まではそれで良かったかもしれない」
「……うるさい」
「でも、両親の仕事も落ち着いて、これからはこの学校に残るって聞いたよ。少なくとも卒業まではいるって。……それなのにわざわざ自分の立場を危うくして、どういうつもりなのかなあ?」
「うるさいって言ってんのが聞こえないの!?」
荒げた声は廊下に響いた。
奏一は顔をしかめ、乗り出した身をもう一度壁に預ける。
腕を組んでこちらを睨む様からは簡単に苛立ちが知れた。
「人のことをコソコソ調べるなんて気味悪い。プライバシーって知ってる? ……まあいいや。あんたの言う通りだよ、沢田雪斗。オレは転校するたびに友情とやらをめちゃくちゃにしてきたし、今回、あんたたちの仲を壊すことにオレのメリットはない」
「だったら」
「でも無理」
放たれた言葉は毅然としていた。
――理解できない。なぜ、彼がそこまでこだわるのか。
呆然としていると、奏一も余裕を取り戻してきたらしい。
彼は自嘲気味に口元を歪めた。
「もう止まらないんだよ。いつの間にか手段が目的になってた。……メリットがないのに何で壊そうとするのか? 決まってるじゃん」
こちらを見上げ、口角を上げる。
「楽しいからさ」
その言葉に雪斗は眉をひそめた。
「楽しい……?」
「特に大樹みたいな奴。疑うことを知らないで、穢れなんて見たこともないような顔してさ。いい子ぶっちゃって吐き気がする。あーゆう奴って…………グシャグシャにしてやりたくなるんだよね」
「!」
奏一のすぐ傍の壁に手をつく。
その手を一瞥し、奏一は無感情にこちらを見上げるだけだった。
その反応が腹立たしく、雪斗は歯噛みする。
声が震えぬよう押し殺すので精一杯だった。
「ダイちゃんに何かしたら許さないよ」
「……ふうん」
やはり無感情な呟きを放ち、奏一はするりと雪斗の腕をくぐり抜けた。
笑う。いっそ無邪気に。
「そろそろ戻らなきゃ。大切な日向くんを待たせちゃ、悪いもんね?」
◇ ◆ ◇
大樹は一人、机に腰かけ足をブラブラさせていた。
――退屈だ、ものすごく。
先ほどまで椿と他愛ない話をしていたが、家の用事があるとのことで帰ってしまった。
やたらと謝っていたが、用事があるなら仕方ないし、そもそも大樹は彼女と何か約束をしていたわけでもない。謝られる意味がわからなかった。
だから変な奴だなあとのんびり思いつつ大樹は彼女を見送ったのだ。
あんたも早く帰りなさいよ、とちゃっかり小言を残していったのは相変わらずだったが。
「奏、遅せぇなあ~……」
そういえば雪斗もいつの間にかいない。
今日こそ一緒に帰ろうと思っていたのに。
何となく機会を逃していたが、雪斗に奏一のことをどう思っているのか聞いてみるという約束もあるのだ。
しかし本人がいなければどちらも果たせない。
「むぅ……」
つまらなく思い頬を膨らませ、
「――ん?」
ふと、封御に光が灯った気がした。