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倭鏡伝  作者: あずさ
13話「未来を奏でる不協和音」
128/153

3封目 不協和音

 ただいま、と呟いても返事はなかった。

 室内に暖かさを感じられず、奏一は肩をすくめて中へ入る。

 後ろからその寒さを吹き飛ばすほどの声が聞こえたのは直後のことだった。


「おっじゃましまーす!」

「ひ、日向くん……ビックリした。そんなに大声を出さなくても……」

「んー。ほら、挨拶はしっかりしなきゃと思って!」

「……でもウチ、誰もいないから……」

「へっ?」


 呟けば、何度も瞬かれる大きな瞳。

 奏一はその瞳を覗き込み、小さく苦笑してみせた。


「両親が共働きなんだ。それで帰りも毎日遅くて……。だから今は誰もいないよ」

「……そっか」


 わかっているのかいないのか、大樹がコクンとうなずく。

 奏一は笑ってみせた。にっこりと嬉しそうな笑顔を貼り付けるのはもう慣れたものだ。

 その笑顔のまま大樹の手をつかみ、引っ張り込む。


「ほら、中で話そう? 外だと声が響いちゃう」

「あ、そっか。おじゃましまーす」


 奏一はマンション暮らしなので、外で話していると同じフロアの住人にとってはやはり迷惑になりうる。

 さすがの大樹もそのことには気付き、素直に奏一に従った。

 それにしても、誰もいないと知って尚「おじゃまします」と言うとは。


 奏一は一度、じっくりと大樹を眺めてみる。


 自分と同じほどの小柄な身だが、やたらと元気なのはすぐに知れた。

 しかもかなり人懐っこい。悪く言えば馴れ馴れしい。

 友達になってくれと申し出たのは奏一だが、速攻で「これから奏って呼ぶな」と浮かれた調子で言われたときには奏一も目を丸くしてしまった。

 しかし一方できちんと「おじゃまします」と挨拶をしてみせる辺り、どうもつかめない。

 「不思議な奴」というのが今のところの素直な感想だった。さらに本音をぶちまけるなら「変な奴」でもいい。


 その大樹は家に入ってから絶えずキョロキョロしている。

 全くもって落ち着きがない。


「ボクの部屋は目の前だよ。ちょっと行けば見えるけど、あっちがリビング。部屋に荷物を置くと狭くなっちゃうから、荷物はとりあえずリビングに置いちゃった方がいいかなぁ」

「ん、わかった。……なあ、奏」

「なぁに?」

「親がいないって言ってたけど、夜ご飯とかどうしてるんだ?」

「お金もらってるよ?」


 質問の意図がわからず小首を傾げると、大樹は目を丸くした。


「へっ? お金? って、え?」

「えっと……そのお金でコンビニに行ったりするんだけど……。だって親に料理するような時間はないから……」


 呟き、しゅんと俯いてみせる。

 実際、奏一にはどうでもいいことだった。

 最近のコンビニはなかなか品揃えもいいし、味も悪くない。むしろ下手な人が料理するより美味いと言ってもいいだろう。だから何の問題も感じない。お金があれば飢えることはないのだ。作った人が親か、名も顔も知らない人かの違いなだけで。

 ――それなのに、目の前の大樹は変な表情をする。不可解だ。そして不愉快だ。

 きっと彼は、食事をコンビニ等で済ませる習慣がないのだろう。

 普段、手作りの食事をすることが当たり前なのだろう。


(とんだ温室育ちの坊っちゃんだね)


 しかし、都合はいい。

 奏一は上目で大樹を見た。微笑む。


「いつもは一人だから寂しいけど……」


 ――嘘だ。気楽でいいじゃないか。


「今日は、日向くんが一緒だから」


 ――だから、これは罠。


「だからボク、嬉しいな」

「おうっ。オレも友達と食べるの好きだぜ! だから嬉しい」


 打てば響くような、無邪気な笑顔。

 あまりの即答ぶりに虚を衝かれた。

 奏一は一瞬言葉を詰まらせ、それでも笑顔は崩さずに事なきを得る。


(……くそ。調子が狂うな)


 内心で舌打ちを鳴らす。

 しかし一方でやりやすいと思った。

 これほどまでに単純な相手なら楽勝だろう。やり応えが感じられないほど。


 それから二人は、まずコンビニへ行って夕食を調達することになった。

 大樹はあまり金がないと困った顔を見せたが、足りない分は奏一が払うということで片が付いた。

 元々、普段から夕食だけでは余る金額をもらっていたのだから一食くらい余分に使っても困らない。

 ついでにお菓子もいくつか購入した。新発売や季節限定と広告されたものを中心に買い込む。

 「踊らされているなぁ」と思ったが、大樹が嬉々としているので特にツッコむことはしなかった。

 帰ってきてからはゲームをして時間を過ごし、夕食を済ませ、一息。


 大樹に風呂を貸している間、奏一は自室にある電子ピアノに指を滑らせた。

 もう日は暮れているので音量は小さめに。


(何ていうか……)


 いつもは一人で過ごしていた時間が、あっという間だ。

 鍵盤を強く叩く。


 奇妙な苛立ちがあった。

 不可解で慣れない。

 その苛立ちの正体がわからないことに対する不快感。


(何なんだよ、全く)


 顔をしかめ、滑らせる指を速める。

 溢れる音。その音を聴くのは心地良かった。慣れ親しんだ感覚にホッとする。


「うっわー。奏、すっげー」


 集中していたからだろう、後ろに立っていることに全く気付かなかった。

 背後からの声にビクリと肩を震わせ、奏一は指の動きを止めてしまった。

 音の世界が一瞬にして壊れ、現実が戻る。


「ひ、日向くん」

「あ、お風呂とタオルありがとな」

「うん……」

「奏ってピアノやってんだ?」


 興味津々の瞳で覗き込まれ、奏一は小さくうなずいた。

 適当に鍵盤を叩けば、ポーンと軽い音がする。

 頭にタオルをかぶっている大樹はそれだけで拍手をしそうな輝きを見せた。


「ピアノとかすっげー! かっけー!」

「そう……かなぁ」

「おう、そう!」


 ぐっと握り拳で大樹は熱弁を振るう。

 よほど珍しいらしい。奏一にとってはただの日常の一つだというのに。


「なあなあ、オレもやっていいか?」

「え? いいけど……」


 何とも図々しい願いのように感じたが、断る理由もない。

 はい、と席を譲ると、彼は嬉々として先ほど奏一が占めていた席に座った。


(あー……どうでもいいけどちゃんと髪拭かないと風邪ひきそう)


 軽く注意しようかと迷ったが、


(……馬鹿は風邪ひかないか)


 奏一は肩をすくめるだけにした。


 一方、大樹は慣れない手つきで鍵盤を叩いている。

 初心者丸出しの「猫ふんじゃった」だ。

 ピアノを習っていない者でも、ちょっとした機会で習得できる曲の一つだろうが、それでさえ所々間違っている。

 強弱も何もない、テンポもバラバラ。最低だ。

 ただ。

 すごく楽しそうで、明るくて、真っ直ぐな音色だった。


「……澄んだ音、してるね」

「そっか? へへー♪ サンキュ」


 逆に言えばただそれだけしか褒めるところがなかったのだが、だから奏一はただそう感想を述べたのだが、褒められたのは素直に嬉しいようで大樹はすぐに笑顔を浮かべる。


(――また、だ)


 訪れる、鈍い違和感。得体が知れない。気持ち悪い。

 奏一は軽くこめかみを押さえた。深く息をつく。何をやっているのかと自分に強く言い聞かせた。

 彼とのお遊びに長く付き合う必要などない。一気にいこう。


「ねぇ、日向くん」


 浮かべるは、心細さ。


「ん?」

「沢田くんのことなんだけど……」

「ユキちゃん?」


 手を止めた大樹がこちらを見やる。

 いきなり言われて瞬く彼から目を逸らし、奏一は顔を伏せた。か細い声を絞り出す。


「うん……。ボク、嫌われていると、思うんだ」

「は?」


 顔を伏せているので、彼がどんな顔をしているかはわからない。

 ただ、聞こえた声音はひどく間抜けに感じられた。

 あのね、と呼吸を一置き。震える声で続きを紡ぐ。


「今日、日向くんが二人きりにしてくれたときも面白くなさそうな顔されちゃった。あのときは言いづらくて誤魔化しちゃったけど、本当はボクの家に行くのは嫌だってはっきり言われたんだ……」


 涙目でちらと大樹を見やる。

 大樹はポカンとしていた。

 まだ奏一の言葉を現象として捉えられていないらしい。


「うーんと。ユキちゃんが? そう言ったのか?」

「うん……」

「何かの間違いじゃねぇ? だってユキちゃんだぜ」


 あろうことか、本気で笑い飛ばしてくる。

 それが無性に腹立たしかった。

 しかしそんな気持ちを簡単に表情に出す奏一ではない。

 再び俯き、肩を震わせた。


「日向くんはボクのこと、信じてくれないの……?」

「そうじゃなくて……むー。そうだ、明日、ユキちゃんに直接聞いてやるよ。その方が早いし、もし本当なら何か理由があったんだろうし。そうすれば奏もすっきりするだろ?」

「やっぱりボクのこと信じてくれないんだ……っ」

「そうじゃないってば! ただ、えぇと何だっけ、誰にでも間違いはあるっていうし! 間違いで仲良くなれなかったら悲しいじゃん?」

「沢田くんが嘘をつくかもしれないよ」

「何で?」


 ――ああ、全くもって苛々する。


「沢田くんがボクのことを嫌いなら、日向くんにボクのことを悪く言うよ。今日のお泊まりだって、本当はボクが沢田くんを誘わなかったんだって言うかもしれない」


 上目で見ると、大樹は心底途方に暮れた表情をしていた。うぅ、と小さな呻き声。


「だからさ、きっと間違いだって」

「どうしてそう思うの?」

「ユキちゃんがそんなこと言うはずないし、奏のことも信じてるし。だったら何かの間違いしかねーじゃん? それなら明日はっきりするし、今色々考えてもなぁ」


 オレ考えるの苦手なんだよ、と大樹はため息をついた。

 奏一は黙り込み、頭を掻く彼を見やる。


(『奏のことも信じてるし』?)


 吐き気がする。

 おかしい。普段なら計画通りだと、簡単なものだと鼻で笑いたくなるほどなのに。


(……そうだよ。思った以上にあいつへの信頼は強いみたいだけど、オレだって信用を得たわけだ。ここから先なんて簡単じゃないか)


 わずかに首を振って気を切り替える。

 奏一は弱々しい笑みを浮かべた。


「……わかった。ごめんね、困らせて。ボク、こんなこと言えるの日向くんしかいなくて……」

「奏?」

「ボクの親、仕事でいつも遅いでしょ? それに転勤が多くて……ボクも転校ばかりだった。だから仲良くできる友達なんて全然いないんだ。……それで、こんな風に相談できる友達って初めてで……」

「~~~~っ」

「え、日向くん?」


 みるみる内に大樹の瞳に涙が溜まっていく。これには奏一も度肝を抜かれた。

 いくら何でも嘘だろう、これだけで泣けるなんて涙腺が故障しているとしか思えない。

 しかし大樹は本格的にボロ泣きだ。

 ああ本当に変な奴だなぁと呆れるやら感心するやらで眺めていたら――いきなり抱きついてきた。


「奏! ダイジョーブ!」

「え? え?」

「友達だから! クラスの奴もみんないい奴だしっ……」

「……うん」

「オレもユキちゃんも! 絶対奏のこと好きだから! な!?」

「……、うん」


 引きはがそうかと思ったが、腕に込められた力は相当だ。

 奏一はされるがままで苦笑した。


「でもボク、慣れてるよ? だから日向くんが泣く必要なんて……」

「泣いてねえっ」

「う、うん……」

「それにやだ! 奏が慣れててもオレがやだっ!」

「……そっか。ありがとう」


 言葉とは裏腹に、冷静な頭で「うざったいなぁ」と思う。苛立ちが積もる。

 ――その一方で、ぼんやり、温かいなと思った。


「……日向くん。髪、ちゃんと拭かないと。風邪、ひくよ?」

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