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何とか必死になだめ、春樹と大樹は蛍の家に入ることに成功した。
大樹の「入れてくれなきゃ泣き喚くぞっ」という脅しが効いたらしい。
ものすごく怪訝そうに、ものすごく疲れたように渋々と自分らを招き入れた彼の表情のなんと不機嫌だったことか。
だが、彼が不機嫌そうに見えるのはいつものこと。
春樹と大樹はそれを知っていたし、本当に不機嫌なのとは違うともわかっていた。
だから謝罪よりも礼を述べ、二人は案内されるままに彼の部屋へ足を運ぶ。
彼らしい、物の少ない部屋だ。
「……それで?」
律儀にも飲み物を渡してくれた蛍は、腰を下ろすなり眉をひそめた。
喜んでジュースに口をつけている大樹をジロジロと見やる。
すっかり帽子を取ってしまった彼の頭にはやはり猫の耳。
また、部屋の中だからとパーカーで尻尾を隠すこともしていない。
その尻尾はゆらゆらゆっくり揺れている。
「今朝、起きたらこんな状態だったんだ」
春樹は渡された麦茶を一口含み、まるで咀嚼するようにしてから肩をすくめた。
蛍がはっきりと目を丸くする。
「今朝? いきなり?」
「うん。昨日から今日にかけて何かがあったせいだと思うんだけど、原因ははっきりしてなくて。それで昨日の行動を振り返ってみたんだよね。そうしたら大樹が、昨日は杉里くんに会ったっていうから。何か知らないかなと思って来ちゃったんだ。急でごめんね」
「いや、急なのは別に構わないけど……俺、何も知らないぞ。長く一緒にいたわけでもないし、だいたいそんなものが生えてりゃ嫌でも目につくだろ」
それはそうだ。
そもそも、昨日大樹が帰宅してきてから春樹は彼と一緒にいたのだ。
その間だって不審なことはなかった。
だが、それでも何かないかと思ってしまう――いや、思いたいのが正直なところである。
「まさかとは思うけど、こうなる原因とか知らない?」
「あのな……」
わかっていて尋ねた春樹に、蛍が顔をしかめる。
そこで大樹がピッと挙手をした。
ハイ、と指名すると彼は意気揚々と身を乗り出してくる。
「なぁなぁ、逆に考えてみたらどーだっ?」
「逆?」
「オレが変なんじゃなくて、みんなが変なんだよ」
「……は?」
「これからみんなにも生えるのかもしれないじゃん! オレがたまたま早かっただけで!」
「ない」
「何だよ春兄、絶対なんて言えな」
「ない」
そんなことがあってたまるものか。
強く否定する春樹に、大樹は不満げに頬を膨らませた。
尻尾がぴたりと止まる。
――と、それを目にした蛍がいきなり噴き出した。
「? 何だよ蛍」
「いや、悪い……わかりやすすぎて」
尻尾がじっとしており、先端が時々ピクリと動く場合、猫は苛々しているのだと彼は教えてくれた。さすが小動物が好きなだけある。
しかし、それ以上に彼が思いがけず笑ったことの方に春樹は驚いた。
普段は無表情を作ることの多い彼だが、動物には比較的素直に接するのかもしれない。(その相手が今は大樹だというのが微妙な光景だが)
「本当の猫みたいに反応するんだな、それ」
「んなこと言われても、オレはあんま意識してねぇし……、っ!」
言葉を切った大樹はバッと後ろを振り向いた。
何事かと思ったとたん、玄関の開く音。
猫の耳もきちんと機能しているのだろうか、彼はその微かな音にいち早く気づいたらしい。
「え、もしかして杉里くんのお母さんが帰ってきた?」
「いや、こんな時間に帰ってくるはずは――」
答える蛍も曖昧で自信がない。
だが誰であろうと今の状況はまずい。
大樹を見られたら何と言い訳をすれば良いのか!
「大樹、早く帽子! パーカーも!」
「ち、ちょっと待ってくれよ! あれ、帽子どこいった!?」
ワタワタと動き出す。
しかし慌てれば慌てるほど上手くいかない。
そうしている間にも足音が近づき、
「グッモーニン♪」
…………。
…………。
入ってきた人物に、一同はしばし言葉をなくした。
金色のサラサラとした髪。整った顔立ち。
それらを爽やかに煌かせて、その少年は笑顔で立っていた。立っていやがった。
「……、え」
「やぁ、みんな揃って楽しそうじゃないか! そして大樹クン!」
春樹が反応しようとするより早く、彼――咲夜隼人はハイテンションで口を開き出した。
ビシッと擬音がつきそうな勢いで指を差してきた彼に、大樹は思い切り後退る。
だが隼人はそんなこと構いなどしない。構うはずがない。ニコニコといい笑顔だ。
「なんて楽しそうなカッコをしてるんだい」
「楽しくねぇっ!」
「でも惜しいね、せっかくなら首輪まで完備しないとダメじゃないか」
「聞けよ!? ていうか来るなこっち来んなぁああ!」
慌てて逃げるが、部屋の中ではそう暴れるスペースもない。
大樹はいともたやすく捕まった。
しかも尻尾をつかまれて。
「ふぎゃあ!?」
「ははは大樹クン、人を見て逃げるなんて失礼だね」
「いたっ、痛い痛い痛いっつってんだよ隼人のバカアホマヌケ!」
「Oh, ずい分凝ってるね!」
「話聞けってば!?」
とたんに部屋が騒がしくなり、春樹と蛍は顔を見合わせた。
突然の展開に置いてけぼり状態だ。
そして大樹の嫌がりっぷりはいつも以上に激しい。
耳はピンと立ち、尻尾は直立、そのどちらの毛も完全に逆立っている。
「……? 耳まで動くのかい?」
「ぎゃあ! 触るな引っ張るな! 痛いんだってばっ」
「……咲夜、ちょっと待て」
見ていられなかったのだろう。蛍がため息をついて二人の間に割って入った。
離れた大樹はすかさず蛍の後ろに回り、その背にしがみつく。
彼の隼人を見る目は完璧に威嚇体勢だ。唸り出してもおかしくない。
というより唸っているように聞こえる。
そしてある意味、今の蛍にとって大樹はもはや小動物と大差ないのだろう。
扱いが見事に小動物を庇うソレだ。亀を助ける浦島太郎でも可であるが。
「Why? 大袈裟だなぁ」
「あのな……慣れない内から乱暴に撫で回したり引っ張ったりすれば、嫌がるのは当然だ」
「それはリアルの話だろう? ――え?」
首を傾げた隼人は、三人が三人とも微妙な表情になったことにようやく気づいたらしい。
数度瞬いた。
彼は試しにともう一度大樹に手を伸ばそうとし、しかし、大樹が思い切り尻尾を膨らませて威嚇したので手を引っ込める。
「……リアルだっていうのかい? 冗談抜きに?」
「……僕が話すよ」
様子を見守っていた春樹は、仕方なく前に進み出たのだった。