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このまま家で一日を過ごしても仕方ない。
ぼんやりしていればそれだけで明日は来てしまう。
そんなわけで、春樹と大樹はとにかく行動に移すことにした。
何かあったのなら昨日の可能性が高い。
それなら昨日の大樹の行動を振り返ってみようと思ったのだ。
「昨日はユキちゃんと公園で遊んだぜ」
腕を組んで首を傾げるようにしながら大樹が記憶を辿っていく。
春樹はうなずいた。
確かに昨日は夕飯まで帰ってこなかった。いつもの彼らしいといえばらしいのだけど。
「じゃあ公園に行ってみようか」
「おう!」
「――待て」
提案した春樹よりも早く外へ飛び出そうとした彼の襟首をつかまえる。
ぐえっと潰れたような声が聞こえた気がしたが、春樹はそれを聞かなかったことにした。
聞いてないったら聞いてない。
「何だよ春兄!」
「おまえ、そのまま行くつもりか?」
「へっ?」
きょとんと瞬く大樹に頭痛を覚える。
猫の耳に猫の尻尾。そんなフル装備で外へ出た日にはどんな噂が立つかわかったものでない。
そんなことになれば、朝のゴミ捨てなどでよく近所の主婦たちに話しかけられる立場の春樹は一体どう振る舞えばいいというのか。
「だって……どうすんだよ?」
「とりあえずこれ被って」
「ぅおっ?」
「それと、これ」
「……え、それ春兄のじゃん」
被せた帽子を押し上げた大樹は、春樹の差し出したものに目を丸くした。
そう、彼の察しの通りこれは春樹のパーカーである。
春樹と大樹では身長差があるため合うはずもない。
「だからだよ」
手渡した春樹はため息をついた。曖昧に笑う。
「丈が少し長いから、ちゃんとシッポも隠れるだろ?」
「あぁ、ナルホドっ。でもこれ、袖がぶかぶかになるぜ?」
「それは我慢」
「ひでぇ!?」
大樹は喚くが、ひどいのは彼の方だと春樹は思う。
こんな奇妙なことに付き合わされるこちらの身にもなってほしい。
とはいえ、春樹は幼い頃から大樹のことをトラブルメーカーだったと認識している。
おかげで「またか」くらいに思ってしまえる自分がいるのも確かだった。
春樹はそんな自分自身に同情を禁じえない。感覚が麻痺している気がする。
ともかく言われるままに帽子とパーカーを着用した大樹は、一見、きちんと普通の少年のようだった。
耳も尻尾もしっかり隠れている。
だが満足ではないらしい。
彼はわずかに顔をしかめた。
「何かムズムズしてやだ」
「我慢しろってば」
これ以上文句を言われてもどうにも出来ない。
不満たっぷりに頬を膨らませる大樹を押しやり、春樹は重い体を引きずるようにして家を出た。
* * *
「さて、公園に着いたわけだけど」
そこそこの広さである公園では、ちらほらと子供たちが駆け回っている。
ベンチには談笑する母親の姿。
ごく一般的ともいえる風景だ。怪しいものがあるようには見えない。
だが、だからといって簡単にスルーは出来ない。
春樹は後ろの大樹へ目をやった。
「ここで何して遊んだんだ?」
「昨日はずっとブランコで遊んでたぜ」
「……それだけ?」
「おう!」
自信満々にうなずく大樹。
春樹はブランコを見やった。
今は他の子がキャッキャと笑い声を上げながら乗っている。何の変哲もないブランコだ。
「だって、昨日はずっと遊んでたんじゃ……」
「? だからずっとブランコに乗ってたんだってば」
「ずっと? 何で!?」
「んー、いつの間にかひたすら漕ぐことになってさ。どっちが一杯漕げるかって。それでユキちゃんが酔ったーってギブアップするまで頑張ってブランコしてた」
「…………」
アホだ。アホすぎる。
そんなことをしていても、彼自身はそれを時間の無駄だとは思わないのだろう。
春樹は情けなさに打ちひしがれる一方、ヤケ気味に羨ましくも思った。
いや、それ以前にどうしてそんなことになったのか経緯が気になる。
春樹は聞こうか迷い、しかしロクなことではないだろうと考えを改める。
それよりも大事な問題があるのだ。
「ブランコをしたって猫耳なんて生えてこないし、ね」
「当たり前じゃん、何言ってんだよ春兄」
「おまえのせいだっ」
変なの、という呟きを耳にして思わず喚く。
春樹がこうして当然のことを疑わなければいけないのは大樹のせいなのだ。
そうでなかったら春樹だって猫耳とブランコの関係性を考えようなどとは思わない。思い浮かびすらしない。
ただ、思った以上に大きい声が出たのか数人の子供が振り返った。
春樹は慌てて我に返り、その視線から逃れるように背を向ける。
「昨日寄ったのは公園だけか?」
「あ、トンボ」
「聞け!」
そして尻尾を揺らすな!
優雅に飛ぶ赤とんぼに目を奪われている大樹を、春樹は思い切りハリセンで引っ叩いた。
また子供たちの視線が集まる。
弾けるような景気のいい音にギョッとしたようだ。
怯えと好奇心がない交ぜになった熱い視線である。
「叩くなよっ、しかもシッポに当たったじゃんか!」
「動かすからだろ、目立っちゃいけないっていうのに」
「勝手に動くんだから仕方ないだろー!? だいたい、さっきから春兄の方が目立ってるじゃねぇか!」
「目立たせてるのはおまえなんだよ!」
「ぬれねずみだっ!」
「濡れ衣だ!!」
疲れる。本当に疲れる。
力一杯にツッコミを入れた春樹は一度落ち着こうとため息をついた。
子供たちは完全に興味をこちらに向けている。
その一方で母親たちが子供の手を引っ張っていた。
近づいちゃいけません、などと言っているのだろう。悲しいが今回ばかりはそうしてほしい。
「……とにかく、大樹もちゃんと考えてよ。そのままなんて嫌だろ?」
「うっ……わかった、頑張る」
うなずいた彼は口を引き結んで地に目線を落とした。必死に考えている。煙が出そうなほど。
「昨日、は……ユキちゃんと別れた後……あ。蛍に会ったぜ! 空手の帰りだって」
「杉里くん?」
「そっ。少し話しただけだけど」
――望みは薄いが、元々手がかりは極端に少ない。
片っ端から潰していく方が恐らく早いだろう。
「杉里くんの家、近くだし行ってみようか」
「おう!」
* * *
そんなわけで。
某マンションの一階に着いた春樹と大樹は、呼び鈴を押して杉里蛍の登場を待った。
思ったより早くドアは開く。
突然の訪問に驚いたのか、出てきた彼の表情は訝しげだ。
普段の不機嫌な様子とは微かに違う。
ちなみに彼が出てきた瞬間、大樹の背中で何かがピンと直立したように見えた。
もちろん何が動いたのかなど言わなくてもわかっているのだが。
――言いたくないだけなのだが。
「おっす!」
「こんにちは。今、家に誰かいるかな?」
「いや、俺一人だけど……どうしたんだ、急に?」
「えーと……実はね」
苦笑し、春樹は大樹を少しだけ前に押しやった。
周りに誰もいないことを確認。深呼吸。
覚悟を決めて帽子を取る。
ひょこり、と。
視界に飛び込んできたソレに、蛍は確実に凍った。
感情の全てが欠落したかのように一時停止した。
そして。
「…………」
キィ、
バタン。
「杉里くん!?」
「うわ、こらドア閉めるなよ中に入れてくれよー!?」
「杉里くん、これ現実だから! 逃げても事実は変わらず目の前に在り続けるから! とりあえず話を聞いてっ!」