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倭鏡伝  作者: あずさ
12話「乙女が謳う愛の讃歌」
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エピローグ 乙女の決断

 砂季が家に帰ってから数日が過ぎた。

 特に彼女からの連絡はなく、かといってこちらから連絡するのも気が引けて、春樹たちはいつもと変わらない日常を過ごしていた。

 やや変わった点といえば、母の百合が「せっかくだから」と日本(こちら)にまだ滞在しているくらいだ。

 今となっては、クリやマロンがいないのも何だか少し物足りない。


「春ちゃん、お皿出しといてくれる?」

「うん」


 夕飯時。

 母がいるなら春樹は「手伝い」だけでいい。

 母がいる間は家事の負担がぐっと減って――それでも手伝いはしないと逆に落ち着かない自分は相当“主夫”が染み付いてしまったようだ――母のありがたさを、春樹はしみじみと感じていたりする。


「オレも手伝う!」


 待ってましたとばかりに身を乗り出してきたのは大樹だ。

 百合の存在が拍車をかけたのだろう。いつも以上に目を輝かせやる気に満ちている。

 そんな彼を、春樹はジト目で見やった。


「大樹はいいってば」

「何でだよ、春兄ばっかずりぃ!」

「おまえ、どうせ皿割るもん」

「うっ……」


 数日前の出来事はさすがに記憶に新しいのか。

 大樹は見事に言葉に詰まった。

 しかし諦めの悪い彼は必死に食いついてくる。


「もう割らない! ダイジョーブ!」

「言いながら皿を振り回すな、危なっかしい!」

「しまった!?」

「しまったじゃない!」

「うっかり!」

「そんな可愛らしい表現で済むか!」


 いつもの賑やかな、騒々しいとさえ言っても良いやり取り。

 百合はそれを止めることもなく、楽しげな笑顔で眺めている。

 その間も手は止まらず料理を続けているのは流石だ。

 彼女もやはり、立派な主婦である。


 ピンポーン


「あら。はいはい、どなたかしら」


 呼鈴が鳴り、料理は中断。

 百合は小走りで玄関へ向かった。

 春樹と大樹もひょっこり顔を覗かせる。

 もう日が暮れるというのに一体誰が――。


「まあ」


 百合が軽く目を瞠る。

 しかしそれも一瞬。彼女はゆったりと微笑んだ。


「いらっしゃい、砂季ちゃん。皐月まで」

「こんばんはー。良かった、百合姉ちゃんまだいたんだ」


 そう言って入ってきたのは紛れもなく砂季と、皐月――百合の妹であり、砂季の母親だった。

 彼女は百合を見て驚いたらしい。何度も瞬いている。


「百合姉さん……いたの?」

「ええ。少しの間だけど戻ってきたの」


 どこから、とは言わなかった。

 皐月も尋ねない。

 訊いたところで返ってくる答えは一つしかないのだ。

 その答えを皐月は知っているだろうし、かといってその答えを望んでいるわけではないと百合もわかっている。

 皐月がバツが悪そうに顔を伏せたので、春樹は苦笑した。


「僕、お茶入れてくるね」

「春ちゃん、ありがとう。――さ、とりあえず二人とも中へどうぞ。今日はいきなりどうしたのかしら?」


 台所へ駆けて行った春樹へ続くように、百合は歩いて先を促す。

 砂季と皐月は素直に従った。

 遅れて大樹が慌ててついてくる。


 先に口を開いたのは砂季だった。

 案内されるがままにリビングへ着いたところで、彼女は真っ直ぐと百合を見やる。


「今日は報告に来たの」

「報告?」

「うん。あたし、今日で学校辞めたから」


 ――あまりにもあっさりしていて、春樹はヤカンを取り落としそうになった。

 何の心の準備もなしに聞かされる言葉でない。

 さすがに大樹も驚いたらしく、彼はぽかんと砂季を見上げている。


「砂季姉?」

「あたしもこれが最善かはわからないんだけど……。やっぱいざとなったら、学校に行けないの、寂しいし。友達と簡単に『また明日ね』って別れたり『おはよう』って会える関係じゃいられなくなっちゃうし、バスケも部活みたいには出来なくなるし、さ。でも」


 ふと、砂季は言葉を切る。彼女は確かに笑った。


「本当に会いたい友達には学校じゃなくても会えるし。バスケも何とかなると思うし。それに何より……赤ちゃん、産みたいから」


 母は強し、と言うべきか。

 きっぱりとしたその態度に迷いはなく、春樹は言葉が出てこなかった。

 今さらになって砂季が制服姿であることに気づく。

 これで見納め――いや、着納めだと思うと、当たり前の姿も凛として見える。


「皐月はちゃんと納得したの?」


 百合が首を傾げる。

 多少なりとも心配が含まれた響きに、皐月は眉を下げた。ため息をつく。


「何度も話し合ったわよ。けど、誰に似たのかしら……頑固でちっとも意見を変えないの。根負けしたわ」


 隣では砂季がこっそり舌を出している。

 それに気づいた春樹は肩をすくめた。

 彼女を説得するのは確かに至難の業だろう。一筋縄で上手くいくはずもない。

 お茶の準備が出来たので、盆の上へ。

 春樹は手際良くそれらをみんなの元へ運んだ。


「三谷先生とはどうなってるの?」

「先生? あー……」


 春樹から湯のみを受け取った砂季は、それで暖をとるかのように抱え込みながら顔をしかめる。

 その表情はあまりにもうんざりとしていた。

 春樹はギクリとしてしまう。

 まさか。まさか結局別れてしまったというのでは――。


「今頃、あたしの家でお父さんと将棋中」

「……は?」

「結婚を前提に付き合いを考えています、ってちゃんと親に挨拶に来てくれたんだけどね。やっぱりあたしの両親、いきなりだしすぐに賛成出来ないみたいで。それでもめげずにアタックしてたら、お父さんが『じゃあ将棋で俺に勝ってみろ』とか言い出して」


 そして最近、悠人は毎夜仕事帰りに砂季の家へ寄り、未来の義父と将棋の勝負に明け暮れているらしい。


「へ、へえ……」

「ひどいんだから。お父さん、将棋すっごく強いのにそれで勝負しかけて。プロとの対戦で目をつぶって逆立ちしながら勝ったことのある相手に、今から将棋のルールを学んでる先生が勝てるはずないじゃん!」


 というより、どんな奴だ。そしてどんな勝負だ。

 果たしてそれが本当に純粋な将棋の勝負だったのか。

 しかし、その辺に関しては彼女にとって些細なことらしい。

 彼女は不満げに頬を膨らませた。


「全くさぁ。親馬鹿っていうか何ていうか」

「当たり前ですっ!」


 勢いをつけて皐月が立ち上がる。

 その拍子にお茶がこぼれた。

 近くにいた大樹が被害に遭ったらしく短い悲鳴が上がる。

 百合が素早く対処してくれたので特に問題はなかったようだが。


「うう、服がお茶のにおいする……」

「大丈夫よ大ちゃん。健康に良さそうなにおいだもの」


 訳がわからない。

 しかし、今の問題はそこでない。

 皐月だ。彼女は立ったまま、キッと砂季を睨むように見下ろした。


「こんなに可愛くて可憐で大切で大好きな娘を前にして親馬鹿にならない親がいますかっ!!」


 …………。

 …………。


「えーと」

「お父さんも、悠人さんがせめてあなたに相応しい男になってくれることを願ってるの。そのために心を鬼にしてるのよ」

「将棋で?」

「少なくとも逆立ちして将棋が出来るくらいじゃないと赤ちゃんの世話なんて無理ね」


 そんな馬鹿な。

 春樹は呆れたが、百合はニコニコ笑っているし、大樹は「へえー」などと感心している。

 勢い余って皐月に抱きしめられた砂季は、ややうんざりした表情を作っていた。

 仕方ないかもしれない。

 親をないがしろにするつもりはないが、普段からコレなら砂季の反応も無理はない。

 そしてこんな両親が相手なら、確かに軽く妊娠の相談をすることも出来なかっただろう。

 まあ、何というか。


(やっぱり姉妹なんだな……)


 このズレたピント、親馬鹿っぷり。皐月はやはり百合の妹だ。


「お母さんとお父さんがお祖母ちゃんとお祖父ちゃんになったとき、どうなっちゃうのか怖いわ……」


 砂季がため息混じりに呟いたことに、春樹は全力で同意した。

 娘にでさえこうなのだ。孫が出来たとなるとどこまでいってしまうのか。

 春樹はそっとお茶をすする。ひとまず落ち着きたかった。

 鼻腔をくすぐる湯気が香ばしい。もう一口。


「なあ春兄、そういや赤ちゃんってどうやって出来んだ?」

「ぶっ、……げほっ、ごほっ」


 入った。お茶がどこか形容しがたいところへ入った。


(保健の時間で習わなかったっけ!?)


 (むせ)たせいですぐには言葉が声にならない。

 胸中で叫び、しかしすぐに思い直した。

 大樹に授業の成果を期待する方が間違っている、のかもしれない。

 それにしたって突然な。確かに赤ん坊の話ではあったが。


「なぁに、大樹。知りたいなら砂季ちゃんが教えてあげよっか?」

「固くお断りしますっ」

「何よ春樹、こういうのは経験者の教えが一番じゃない」

「そんな生々しい話はいらない!」

「失礼なっ」


 言い合いは次第に激しくなっていく。皐月が目を丸くしたほどだ。

 しかし、当の大樹は自分が原因であることを気にした様子もなく、呑気な笑顔で百合を見上げた。


「母さんは? 母さんなら知ってるよな」

「そうねえ」


 さすが大樹の生みの親。彼女もまたほのぼのと笑顔を放つ。


「子供は、親の愛の結晶だから。まずは愛し合うことかしら」

「…………」

「…………」


 春樹と砂季はピタリと言い合いをやめ、互いに顔を見合わせた。

 数秒の沈黙。

 二人で百合に向き合う。

 何ていうか。


「「参りました」」


 ――やはり、母は強い。



■12話「乙女が謳う愛の讃歌」完

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