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倭鏡伝  作者: あずさ
12話「乙女が謳う愛の讃歌」
116/153

6封目 呼ばれて飛び出て

「……っ」


 薄暗い倉庫の中、春樹は慎重に唾を飲み込んだ。

 入り込んでくる風はひやりとしているのに、緊張のせいか汗が噴き出そうになってくる。


 目の前には、一頭の牛。

 全身を黒々と染め上げた牛が鼻息も荒くこちらを見ている。


(闘牛士の経験なんてないんだけど)


 ヤケ気味に思い、封御を構える。

 それを合図にしたかのように、牛が突進してきた!


 一直線。その勢いは凄まじい。

 春樹は慌てて横に避けた。

 しかしあちらも切り返しが早い。すぐに身体を捻り方向を転換してくる。


「セーガ!」


 短く叫んだ瞬間、現れる黒い影。

 それは翼で牛を薙ぎ払った。

 牛は倒れるまでいかなくとも、よろめき勢いが殺される。


 ――“鼠の次は牛か”


 ぼそりとやや呆れたように呟くものだから、春樹は小さくうなずいた。

 そう、最初は確かに鼠だった。

 素早い動きに苦戦しつつも春樹は封印しようと四苦八苦していた。

 そこへ何がどうなったのか、突然この牛が現れたのだ。

 さすがに春樹も驚き、その隙を突くようにして鼠は外へ飛び出してしまった。

 とっさに追おうかと思ったが、そうなるとこの牛も引き連れていくことになる。

 それはもっと大変だ。


 迷いは一瞬。

 砂季たちには大樹がついている。

 ここは大樹を信じることにし、春樹はこうして牛を食い止めることに専念したのである。

 それにしても牛って。


 ――“夕飯にでもしたらどうだ”

「でもこれ、野牛じゃないかな。しかも労役用」


 少なくとも乳用ではない。乳用ならもっと痩せて乳房が大きいはずだ。

 そんなことを話していると、再び牛が突っ込んできた。

 台詞をつけてみるなら「モ~ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ!」だろう。

 大樹に聞いてみなければわからないが。


 春樹は封御を中段に構え、牛の足へ鋭く突き放した。

 足を崩せば牛も動けなくなる。

 そうすればこちらに勝機も――。

 だが、


「っ、止まらない……!」


 痛覚が鈍いのか、牛自身止められなかったのか。

 怪我を負ってもなお牛は突っ込んでくる。

 カチリ


「また増えた!?」


 鼠のとき同様、牛が二頭へ増えた。


 ――“御主人!”


 とっさにセーガが身を乗り出す。

 春樹は迷わずその背へまたがった。ぐっと上がる高度。


 ――“大丈夫か?”

「うん、ありがと」


 ホッと息をつく。

 さすがに牛も空中へはやって来られないようだった。

 助走をつけてあがいているのが、渡威のせいなのか妙に人間らしい。


 春樹は倉庫の出入り口を閉めて回った。

 また鼠のように逃げられては困るからだ。

 その間も牛は興奮したようにウロウロと回っている。


「さて、と。あとは渡威本体を封印出来れば……」


 カチリ


「!?」


 また。音と共に現れた何か。

 それに春樹は絶句した。


「うそ……」


 やっとのことで呟いてみても、眼前の光景は変わらない。

 低く唸るソレは大きく、しなやかに四肢を動かしてみせる。

 そのたびにチラチラと黒い紋様が目の奥で揺れるようだった。


 ――“虎だな”

「あっさり現実を教えてくれてありがとう……」


 そう、出てきたのは虎だった。

 牛も確かに迫力はあるが、草食と肉食ではやはり与えられるインパクトも違う。


(どうする?)


 渡威本体を封印すれば全て片がつく。

 しかし渡威は何に、どこに憑いているのか。

 これらの動物に全く関係ないものではないはずなのだが。


(鼠、牛、虎)


 増えるのはどれも二体まで。

 増える際には音がする。

 鼠。牛。虎。


(……子、丑、寅)


 ――十二支だ。


 カチリ

 再び虎が現れ、春樹は息を呑んだ。

 セーガを触れる手にわずかに力を込める。

 現れるまでの間隔がどんどん短くなっているようだ。


(十二支で、二体、音)


 聞き覚えのある音だ。割と身近にあるもののような気がする。

 虎が飛び掛ってくる。

 セーガはそれを巧みに避け、春樹はゆっくり周りを見渡した。

 落ち着け。考えろ。


(子は十二支の一つ。一番目。北の方角)


 それと?


(およそ午後十一時から午前一時の間……)


「――時計だ!」


 カチリ

 兎が飛び出してくる。

 通常よりもボリュームのすごいその姿にギョッとしたが、音を聞いて確信が深まった。

 時計の針が振れる音だ。

 増えるのが二体ずつなのは、それぞれの担当する時刻が二時間だからなのだろう。


 春樹はぐるりと辺りを見渡す。

 下に時計はない。箱ばかりだ。

 となると。


「セーガ、上だ!」

 ――“御意”


 バサリと重たい音をたて、しかし軽々とセーガは高度を上げる。

 すぐに時計らしきものは見つかった。

 二階と呼ぶほどのものではない、備え付けられた細い通路に佇むように置かれている。

 目覚まし時計のような類いでなく、掛け時計なのだろう。

 ここからではよくわからないが、封御の光が一層強くなる。アレで当たりだ。


 セーガもそのまま飛翔して近づこうと――。

 グラリと大きく揺らいだ。


「わ……っ、セーガ!?」

 ――“ちっ……”


 珍しい舌打ちが聞こえ、春樹は瞬く。

 それから慌てて下を見やった。

 すると、なんと。兎がセーガの足にしがみついていたのだ。

 それだけならまだしも、兎はどんどん大きく、重たげになっていく。

 顔が肉と毛に埋もれそうなほど。


 カチリ

 新たな兎。

 素早く現れたソレは、地に降り立つなりギュッと身を丸める。

 一瞬の間。

 まるでソレは叩きつけられた毬のように思い切り跳ね上がった。

 空いていたはずのセーガの後ろ足へしがみつく!


「えええっ」


 短い前足を精一杯に伸ばしてしがみつく、二羽の兎。シュールだ。

 しかも相当の重さらしく、セーガも振り払おうと苦戦している。

 だが兎はめげない。体積を増しながら必死に食いついてくる。

 下へ引きずり込むつもりか。

 どうでもいいが、とうとう顔は埋もれてもはやただの毛むくじゃらだ。


 春樹はこめかみを押さえた。

 落ち着こう。色々と。とりあえず落ち着こう。


(子、丑、寅、卯)


 次は? 何が出てくる?


(――っ、まずい!)


 思い当たった春樹は血の気が引く思いがした。

 まずい。急がないと。

 そうしないとどうなるか、見当もつかない!


「セーガ! 少しだけ耐えて!」


 声をかけ、その背に立つ。

 さすがセーガなのか、その背は揺らがなかった。

 春樹は息を詰めるようにして前を見据える。


 そして。

 気持ちと呼応するかのように、セーガは広く大きく翼を広げていく。

 それは瞬時に硬化していった。

 その上を春樹は駆けていく。

 ぐんぐん伸びていく翼。

 時計まであと五メートル、三メートル、あと、


 カチ、


 微かな音と同時に春樹は跳んだ。

 手すりを越え、一気に封御を突き立てる!


 カッ――!


 全てを遮るかのような光。

 目が眩む中で、春樹は何かが時計から飛び出てきたのを感じた。


(間に合わなかった……!?)


 徐々に落ち着いていく光。

 元に戻る周りの風景。

 春樹は恐る恐る様子を窺う。

 牛もいない。虎も、兎もいない。


 ピチピチピチ


「…………」


 ピチピチピチ


 目の前で懸命に跳ねているもの、それを春樹はじっと見下ろした。

 体が骨板で覆われた、頭が馬の首のような形。

 全長およそ十センチメートルの、


「た……辰は辰でも、たつのおとしご……?」


 ピチピチピチ


 海の生き物だから苦しいのだろうか。

 跳ね方にやや力がない。

 渡威本体は封印したのでその内消えるだろうが……。


「いっそ封御で突いてあげた方がいいかな」

 ――“それもありなんじゃないか?”

「それじゃ……」


 ピチピチピチ――ぷちっ


「あ」

 突いたとたん、奇妙な音がした。

 そろりと封御を上げてみると、そこにはもう何も残っていない。

 元々渡威の作り出したコピーなので当然の結果ではある。

 しかし、潰したのやら封印したのやら。わからない。

 どこまでもシュールだった。



◇ ◆ ◇



「春兄!」


 封印を終え山を下りると、真っ先に出迎えてくれたのは大樹だった。

 その後ろには砂季と悠人もちゃんといる。

 見た限り怪我もなさそうで、春樹はホッと息を吐いた。

 良かった。巻き込むような形になってしまい申し訳なさが残るが、特に心配はなさそうだ。

 別の心配といえば……。


「春樹くん。大丈夫かい?」


 気づいた悠人、そして砂季もやって来る。

 春樹は小さくうなずいた。


「はい。そちらもご無事で何よりです。けど……大事な話を邪魔してしまい、すいませんでした」


 そう、二人の話を邪魔してしまったこと。

 それが気になっていた。大事な話だったからこそ尚更だ。


「そんなこと」

「春樹たちのせいじゃないよ」


 二人は苦笑気味に首を振る。

 それに対し、春樹は曖昧に表情を取り繕うしかなかった。

 詳しい事情を知らずに、アレが春樹たちとどんな関係を持っているかなど理解も想像も出来ないだろう。

 二人がアレを春樹たちのせいだと――こちらに非があるかは別としてだ――実感出来なくても無理はない。

 かといって一から説明するには難があるので、春樹は素直にその反応に甘えることにした。


「それに」


 ふと、悠人が呟く。

 彼もまた春樹に劣らず曖昧な表情をしていた。

 自分でどんな表情を作ればいいかわからないのだろう。

 わずかに眉を下げ、目尻を和らげ、ポカリと小さく口を開ける。


「あの出来事のおかげで、自分の気持ちが少しは整理出来た気がするんだ」

「それって……」

「先生、そーいうのはビシッとした顔で言ってこそ説得力があるってもんよ」

「こら砂季、茶々を入れるな」


 一転、悠人の顔がしかめられる。

 その表情が面白かったのだろう、砂季は楽しげな笑い声を上げた。

 ご主人様の楽しそうな様子が嬉しいのか、クリとマロンの尻尾も揺れ始める。

 それを眺めていた大樹が肩をすくめた。


「あのな。オレがネズミのやつを封印して追いついたとき、二人で口喧嘩してたんだぜ」

「え?」

「その前から少しだけケンカっぽい雰囲気はあったんだけどさ。落ち着いてからきちんと話し合ってる内に、どんどん大声でやり合い始めたらしくて。だけど途中で砂季姉が『そうよ先生のことが好きだもん! 大好き! 悪い!?』って逆切れして、そしたらあっちも『俺だって!』って怒ったように言い始めて。そんで何か、お互いスッキリしたみたいだけど」


 大樹にはその二人のやり取りがよくわからなかったらしく、しきりに首を傾げている。

 春樹はもう一度彼らを見やった。

 その光景全てが、何だか妙に自然で。


(うん、良かった)


 全てが上手くいったわけではないかもしれない。

 この先どうなるかもわからない。ただ、今このとき、この瞬間。

 そのひと時がここに在ること、それが良かったと思う。


「ねえ、先生」


 砂季がクスクスと笑う。まだ不安もあるだろうに、彼女の笑顔は確かだ。


「あたしのこと、好き?」

「ぶっ」


 …………。

 愛を確かめ合うのは大切であり大事なことだ。それはいい。それはわかる。

 だが、春樹たちがいることを忘れないでいただきたい。

 悠人もさすがに途方に暮れている。

 春樹はこっそり彼に同情した。


「あのな、砂季」

「好き?」

「……大樹、行くよ」

「へっ?」

「空気読んどけ」


 放っておけばいつまでも観客でいそうな大樹の手を引く。

 この場にいても気温は冷えて寒くなるばかりだし、下手をすると馬に蹴られて何とやらだ。


 獣の勘で空気を読んだのだろうか。

 クリとマロンまでこちらに駆け寄ってきた。


「さっきだって、あたしは言ったけど先生は『俺も』って言っただけでしょ? ……あたしだっていつも自信があるわけじゃないんだよ。知りたい。ちゃんと先生の言葉で聞きたい」

「砂季……」

「先生。――あたしのこと、好き?」

「好きだ。……愛してる」


 訪れた沈黙。

 そして、――倒れる音?


「こら、危ないだろっ。急に飛びつくなんて」

「ごめんね先生。でも嬉しすぎて止まらないの」

「いや、だからって……そもそもおまえが一番安静にしておかないといけないのに」

「大丈夫。砂季ちゃんは元気で丈夫な子です、先生が一番知ってるでしょ?」

「それは、まあ。いや待て、とりあえず上から降りてくれ」

「大丈夫大丈夫。たまには外でというのもスリルがあって――」

「こらそこぉおおっ!! 弟の情操教育に悪影響を与えそうなことを平然と言わないでくれますか!!」


 せめてもっと離れてから、いやそういう問題ではないかもしれないが!

 思わず声を大にしてツッコんだ。

 ツッコめば負けだとわかっていてツッコんだ。ツッコまずにはいられない、いられるはずがない。


「春兄?」

「ストップ、シャラップ、しゃべるの禁止」

「ちょっ、まだ何も言ってねぇよ!?」


 大樹がわめくが、わかっている。彼が口を開くと場が混乱するだけだ。

 こちらの騒ぎを考慮してか、砂季はすんなり悠人の上から降りた。

 しかしニヤニヤと笑っている。


「やあね、春樹のおマセさん」

「理不尽なんですけどっ!」


 ケタケタといつも通り笑う砂季と、苦笑しつつもどこか微笑ましそうな悠人。

 まあ、何はともあれ。


(良かった)


 ――の、かな?



◇ ◆ ◇



『アーサの馬鹿。心配したじゃない。無断で学校休むし、電話は繋がらないし、家にもいないし』

「ごめんごめん。和美には連絡くらいしようと思ってたんだけどさ。見事にしそびれちゃった」

『もう……。今も従兄弟の家にいるの?』

「うん。でも明日には帰るし、ちゃんと学校にも行くつもり」

『それならいいんだけど』

「……ねえ。和美は怒ったり呆れたり、しないわけ?」

『もうしてるじゃない。普段からアーサってばめちゃくちゃだし』

「そうじゃなくて。あたしと先生のこと、とか」

『だから怒ってるし呆れてるわ、存分に』

「う……」

『もっと早く言いなさいよ。頼りなさい。アーサみたいな無茶な友達を持ってるんだもの、私だって少しは無茶に耐性、あるんだから』

「あはは、そうかも。ごめんね、……ありがと」

『しおらしいアーサなんて気味悪いわ』

「ちょっとー、砂季ちゃんってばデリケートなんだからね。あたしの心はガラス細工、今、和美さんの言葉で大きくヒビが入りました」

『粘土細工の間違いじゃなくて?』

「あれ、もしかして本当に怒っちゃってる?」

『ついでに本当に呆れてる』

「それでも見放さず友達でいてくれる和美ってば素敵。愛してる!」

『ハイハイ早速の浮気はやめましょうね』

「ちぇー。……和美。本当に、さ。友達でいてくれるかな」

『アーサみたいな濃い友達を一度でも持っちゃったのが運の尽き。普通の子じゃ物足りなくなりそうよ。安心しなさい』

「……ん、やっぱ愛してる! 先生より!」

『そうやって先生をいじめるの、やめなさいよ』

「でも慌てる先生って可愛いんだよねー」

『惚気もほどほどに』

「はいはーい。……っと、ご飯みたい。春樹が呼んでる」

『わかった。とりあえず電話ありがと、少し安心したわ。アーサ、詳しいことはまた明日ね』

「うん、また明日」


 …………。

 …………。


「また明日、か」

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