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倭鏡伝  作者: あずさ
12話「乙女が謳う愛の讃歌」
113/153

3封目 狩られるより狩るタイプ

「へぇ、あのドS女が家出ねぇ」


 鏡を通して存在する異世界、“倭鏡”の王室。

 和の要素の多い倭鏡の中で、不思議と洋装な城の広い空間。

 そこで、目の前の男はニヤリと笑った。

 その笑みは実に楽しげで、しかし普段の目つきの悪さが相まって不敵に見える。

 春樹はため息をついた。


「他人事だと思って……」

「いやいや、他人事だなんて。可愛い弟の身に降り注いだ災厄だと思ってるぜ」

「災厄、ね。他に何か言うことは?」

「頑張れ」

「……どうも」


 春樹はもう一度、ここぞとばかりにため息をついておく。

 砂季と気の合う葉なら何かわかるかもしれないと思ったのだが期待はずれだ。

 ――今、なぜか書類の整理をさせられている我が身が悲しくなってくる。


「当の本人は今何してんだ?」

「大樹と一緒に犬の散歩」

「チビ樹も懲りない奴だな。一緒にいたらいじめられるのが目に見えてんのに」


 それは葉と大樹の関係についても言えることなのだが、春樹はあえて素直にうなずいた。


「ま、ね。昨日も頬を冷やしてたら背中に氷入れられたらしくて。ぎゃあぎゃあ騒いでたよ」


 砂季の親が帰った後の話だ。

 騒がしいから何かと思えば、「またか」と言わずにはいられなかった。

 砂季にやめるようたしなめても、彼女は「だって大樹の悲鳴って楽しいんだもん」と聞く耳を持たない。

 大した趣味である。下手に深入りすると今度はこちらに矛先が向くのでたまったものでない。

 春樹は処理の済んだ書類を束にしてまとめ、大きく息をついた。

 そのせいで吹き飛びそうになった紙をとっさに押さえておく。


「……親もわからないってことは家が原因じゃないんだよね」

「わからないぜ。親が自分で苦しめてることに気づいていない可能性もある。ま、低そうだけどな」

「うん……砂季姉なら一度はちゃんと抗議しそうだよね」


 彼女は親にも物事をはっきり言うタイプである。親からの強要に甘んじたりしない。

 それに何だかんだ言って、彼女の両親は娘のことを大切にしているのだ。


「砂季姉の態度を見たら学校絡みかなって思ったんだけど……」

「学校ねぇ。ピンとこないな」

「そうなんだ。いじめられて行きたくないって感じじゃないし」

「あいつは狩られるより狩るタイプだろ。あのドS女をいじめられる奴がいるなら拝んでみたいぜ」

「……それは言えてる」


 似たもの同士の所以か、葉が言うと妙な説得力がある。恐ろしいものだ。


「で、結局どーすんだ? 明日から学校だろ」

「うん、本当に何日も休ませるわけにいかないだろうし……何とかするよ」

「何とか、ねえ?」


 楽しげに笑われ、春樹は肩をすくめた。

 書類を整理し終え、おもむろに立ち上がる。

 手渡せる量でないので机に乗せたままだ。これ以上は春樹の手に負えない。


「何か考えはあるのか?」


 訊かれ、春樹は微苦笑した。葉を見やる。

 彼の表情はまるでこちらの考えを全て見透かしているようだ。


「強力な助っ人、呼ぼうかと思ってるんだ」

「だろうな」


 ――やはり、見透かされているらしい。



◇ ◆ ◇



 外はいかにも散歩日和だった。

 公園を歩きながら、大樹はウキウキと後ろを振り返る。

 ちなみに大樹の手にはリードが握られていた。

 その先には尻尾を振ったクリがちょこんと座っている。


「ほら、砂季姉もマロンも早く!」

「あ~……早すぎるっての」

「砂季姉ってば体力ないぜー?」

「にゃにおうっ。襲うぞこのやろー」

「げっ」


 マロンを従えた砂季が手を握ったり開いたりしてみせ、大樹は慌てて距離を取った。

 砂季はわざわざ嫌な場所をくすぐってくるので侮れない。

 大樹はそのせいで何度も泣きそうになったものだ。


「まあ、姉弟で犬の散歩?」

「へっ?」


 ふいに声を掛けられ、大樹はその主を見やった。

 相手は中年のおばさんで、ベンチに腰掛けニコニコとしている。

 そのすぐ側にはベビーカーと、ベンチに繋がれた子犬。

 クリと似ているので同じチワワかもしれない。


「こんにちは」


 追いついた砂季がにっこりと笑いかけた。

 犬を飼っているとよくあることなのだろう。慣れた様子で話を弾ませている。会話はやはり犬を中心として。

 大樹は話についていけそうにないので、繋がれた犬の頭を撫でた。

 ふさふさと毛並みが気持ちいい。


「“な、おまえ名前は?”」

 ――“寿限無寿限無だよ”

「“……じ、じゅげ?”」

 ――“じゅげむじゅげむ”

「“ほえー……何かすげーな”」


 よくわからないが、どことなく厳かに聞こえるのは気のせいだろうか。


「“こいつはクリだぜ!”」


 笑って軽くリードを引っ張れば、ちょこちょことクリが寄ってくる。

 しかしクリは寿限無寿限無でなく大樹を見上げた。その瞳は潤んでいて愛らしい。


 ――“ダイキー。それより早く遊ぼうよー”

「“ぅえっ? でも砂季姉が……”」

 ――“サキちゃんは話すと長いんだよー”

 ――“あ、わかる。ウチの人もそーだもん”

 ――“あ、ホント? じゃあ寿限無寿限無もずっとここに?”

 ――“うん、けっこー長く。ぼくは偉いから大人しく待ってるんだ”


 それが誇りだと言わんばかりに寿限無寿限無は自慢げだった。

 大樹は思わず感心してしまう。

 ただひたすらじっとしているなんて考えられないことだ。

 そしてそれはクリも同じである。

 マロンは砂季の命令でも大樹の命令でもびしっと「待て」が出来るが、クリは砂季の命令でない限りすぐ集中力が切れる。

 それにチワワはそれほど散歩を頻繁にしなくて良い室内犬のはずだが、クリの場合、下手をするとゴールデンレトリバーのマロン以上に運動好きだ。


 ――“クリはまだ赤ちゃんだから……”


 ぼそりとマロンが呟いた。

 クリが反論するようにキャンキャン吠え、砂季に「めっ」と叱られる。

 クリの尻尾がしゅんと垂れた。


「ごめんなさい。今ので赤ちゃん、起きちゃいませんでしたか?」

「大丈夫よ。この子、騒音にも慣れちゃってるから」


 おばさんは笑い、ひょいとベビーカーから赤ん坊を抱き上げた。

 大樹も興味を持って覗き込む。


「うっわー! 可愛い!」


 思わず声が高くなる。

 しかし本当に可愛いのだ。手足の小さなこと! 頬の柔らかそうなこと!


「うわーうわー指もちっちゃい、プニプニしてるっ」

「あんたもそんな感じだけどね」

「んなぁ!?」


 聞き捨てならなかったが、砂季は明後日の方を見て答えようとしない。

 そんな二人を見ておばさんはコロコロと笑った。


「仲の良い姉弟ね」

「いやあ、ペットみたいなもんですよー」

「砂季姉っ!」

「はいはい。それじゃ失礼しまーす」


 笑い、砂季は歩き出す。

 大樹とクリも寿限無寿限無に別れを告げ、慌ててその後を追った。

 特にクリの勢いは強く、大樹は引っ張られそうになる。

 ともかく、彼女の隣に並んだ大樹はジトリと彼女を睨んだ。


「砂季姉、あんま変なこと言ってると怒るぞ!」

「あはは、それにしても赤ちゃんもワンコも可愛かったなー」

「さーきーねーえー……」

「わかったってば、……」


 ふいに彼女は笑うのをやめた。それはあまりに唐突で、大樹は驚きに目を丸くする。

 だが不自然な間はほんの一瞬。こちらを見た彼女は綺麗にウインクを決めた。


「じゃ、喉も渇いたしお詫びにジュースを奢ってあげよう」

「え、マジで!?」

「マジマジ。ちょっと買って来るから、マロンのこともお願いね」

「おう!」


 意気揚々とうなずいた自分に、砂季はマロンのリードも渡し、道路の向かいの自動販売機へ駆けていく。

 大樹は二匹分のリードを、輪に手を通ししっかり握って待つことになった。

 その間、何度も人々が二匹を見ては微笑ましそうに通り過ぎていく。

 手を振る者もいた。

 大型犬と小型犬の組み合わせが特に人目を引くのだろう。

 大樹もそのことに気づき視線を気にしなくなっていたが――ふいに一人の男が、こちらを見て足を止めた。

 目を丸くし、何度も二匹を、そして大樹にまで目を配る。

 それは今までにない反応で大樹は少々たじろいだ。


「な……何だよ?」

「あ、いや。知り合いの犬に似ていたもんだから」


 照れるように笑った男性は、背が高く、歳は三十代くらいに見えた。

 日焼けした肌と細くつりがちな目で一見厳しそうだが、笑顔は思いがけず子供っぽい。

 気を悪くさせたならごめんね、と謝る姿も素直で気持ちいい。

 去っていく背に大樹は手を振り、


「ぅわっ」


 マロンとクリが唐突に砂季のいる道路へ駆け出した。

 クリだけならまだしも、マロンの力には敵わない。

 リードも手に巻きついているので放せない!


「どうしたんだよ!? こらっ、危な……っ!」


 転んだら引きずられる。

 いや、それより――車が来る!


「やばっ……!?」

「危ない!!」


 ――車がエンジン音を唸らせて走り過ぎていく。


 大樹は瞬き、恐る恐る後ろを見やった。

 そこで先ほどの男性と目が合う。

 男性は後ろから大樹を抱き上げ、二匹のリードを短く引っ張ることで止めに入ったのだ。

 すぐに降ろされたが、さすがの大樹も平然とはしていられない。

 今のは危なかった。ドクドクと鼓動が熱く速いのに、背筋がいやに寒くなってくる。


「大丈夫かい?」

「お、おう……ありがと」

「いや、無事で良かった」


 男性はホッとしたように笑う。

 その笑顔につられ、大樹も徐々に落ち着きを取り戻してきた。


「大樹!」

「あ、砂季姉」


 見ていたのだろうか。彼女は血相を変えて走り寄ってきた。

 大丈夫だと笑ってみせようとした大樹の肩をつかみ、激しく前後にシャッフルし出す。


「何やってんのもう! びっくりしたじゃない! 大丈夫だったわけ!?」

「ちょ、待っ、今の方がダイジョーブじゃな……っ」

「砂季?」

「!?」


 男性が声をかけると、砂季は目に見えて固まった。ぴしりと音を立てて石化し、やがてぎこちなく顔を男性へ向ける。

 その動きの鈍さは、大樹にいつぞやの二宮金次郎を思い出させた。

 懐かしいがそれはさておき。


「砂季姉? ――ぅおっ?」


 明らかに動揺した様子の彼女は大樹の手を取り、一目散に駆け出した!


「砂季っ、……朝霧! 朝霧!?」


 男性が慌てて呼び止めるが、砂季は振り返らない。

 どんどん速さを上げ、止まる気配すらなかった。

 その上競争と勘違いしたのか、マロンとクリが嬉々として前へ前へと走り出す。

 大樹は再び引っ張られるはめになった。


「やり過ごしたと思ったのに何でまだいんのよあいつ」


 顔をしかめた砂季が毒づく。

 大樹は訳もわからず彼女を見やった。意識は出来るだけリードに向けて。


「あの人、砂季姉の知り合いか?」

「三谷悠人」

「へっ?」

「私の学校の先生。バスケ部の顧問」


 不機嫌に言い、彼女は深く息をついた。

 さすがに追ってくる気配はなく、少しずつ走るペースも落ちてきている。

 数歩先で「もうおしまい?」とでも言いたげにクリがちらちらと振り向いていた。


「別に先生に会ったからって逃げなくてもいいじゃん」

「……あのね。ただでさえ部活サボってて気まずいの。さらにあたしは家出中で学校に行く気もないの。もっと言っちゃえばあたしは今あの人に会いたい気分じゃない。わかる?」

「えぇ?」


 わかる? と訊かれても。

 正直な気持ちとしてはよくわからなかった。

 そもそも大樹は家出中でないし、勉強は苦手だが学校と先生のことは嫌いでない。

 何と答えればいいのか迷っていると、ふいに砂季が足を止めた。

 慌てて大樹も止まるが、強く引っ張られたのかクリから高い悲鳴が飛ぶ。

 一方でマロンはぴったりと砂季の隣に並んでいた。

 だが、砂季は目もくれず一人で頭を抱え出す。


「あああ!」

「!? どーしたんだ?」

「ジュース忘れてきたっ!」

「……えええ!?」

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