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倭鏡伝  作者: あずさ
12話「乙女が謳う愛の讃歌」
112/153

2封目 ドS女の葛藤

 薄暗い闇の中、影は必死に逃げ場を探していた。

 影の額にはうっすらと汗。息を殺そうとしても焦りのせいで乱れるばかり。


 キィ、とドアが開き新たな影が姿を見せた。

 明かりが細く漏れ入ったがすぐに消える。

 再び訪れる暗闇。増して聞こえる息づかい。


「ひっ……」


 影は声を漏らした。後退る。

 だが、何かにつまずき思い切り後ろに倒れ込んだ。

 尻に床の硬い衝撃。


「てて……う゛っ!?」


 近づいてくる足音。暗さに慣れてきた目に少しずつ見えてくるシルエット。

 それはゆっくりと、しかし確実に腕を伸ばしてきていて。


「もう逃げられないわよ……」

「た、タンマ! 待ってくれよっ……お願いだってば、少しだけ……!」

「ふふ、怖い?」


 腕をつかまれ、影の身体が硬直する。

 見上げるが相手の表情は見えない。

 それが却って恐怖を煽った。身がすくむ。


「やめっ……」

「大人しくしなさい」

「ひゃう!? や、ちょ、あっ、あはははは! ぎゃあっ、だ、ダメだって脇は触んっ、あは、はははは! 苦しっ、苦しい! やだってば! やめ、助けっ……ぅあははは!? 春兄っ、春兄ぃ――!!」

「叫んでも無駄よ。聞こえやしないわ」

「――んなわけないでしょうが」


 パチリと音がし、部屋が明かりに包まれた。

 春樹は中の様子にため息をつく。声だけで予想はついていたが、なかかなどうして彼女は期待を裏切らないのだろう。


「春兄ーっ!」


 砂季の手から抜け出してきた大樹が飛びついてくる。

 彼は本気で半泣きのようだった。いや、涙目なのは笑いすぎが原因なのかもしれないが。

 大樹に逃げられた砂季がつまらなさそうに頬を膨らませる。


「春樹ってばひどいじゃん。せっかくいいとこだったのに」

「……一応聞くけど何してたわけ?」

「おにごっこ。捕まえたらくすぐり放題のルールつき」


 さらりと答える彼女に悪びれた様子は全くない。むしろ楽しげだ。

 春樹はため息を押し殺して彼女を見やった。


「何で部屋中の電気を消す必要があるのさ」

「え、居間と台所にはノータッチよ。料理の邪魔しちゃいけないと思って」


 気を遣ったんだと言いたげな台詞に頭痛が込み上げる。


「そうじゃなくて……」

「だって暗い方が雰囲気出るじゃん? このおにごっこの醍醐味は、大樹をじわじわと追い詰めて怯えさせることなんだから」

「ぅええ!? んなこと聞いてないぜ! オレは逃げ切ったら何か好きなもの買ってくれるってゆーから! ――いてっ。何で叩くんだよ春兄!」

「……何となく」


 ――この弟はどうしてあからさまに不利すぎる条件に気づかないのだろうか。

 城ならともかくここはごく普通の家だ。おにごっこが出来るほどの逃げ場などない。

 案の定、砂季は勝ち誇ったように笑った。


「大樹、世の中には本音と建前があんのよ」

「本音と建前?」

「例えば、口では『大樹ってば元気で楽しくてなんて可愛いの!』って言っておきながら、心の中では『アホでドジなのが可愛いキャラとして許されるのは女の子だけなんだよこのクソガキ』って思っている人もいるってこと」

「な!?」

「ちなみに春樹はそのタイプ」

「ちょ、勝手に僕を悪人扱いしないでよ!?」


 だいたい何だ、その具体的すぎる例は。


「砂季姉じゃないの、それ」

「違う違う。あたしはむしろ、男も女もそんなの嫌だし。だから大樹、安心してね♪」

「おう!」

「いや騙されてるから! 何のフォローもされてないから!」


 むしろ、全ての逃げ道を断ったような気さえする。

 だが砂季はケラケラと軽く笑った。ひたすら楽しんでいる。


「まあ、でも大樹に関してはほんと。ぶりっことかじゃなくて本気ってのがすごくわかるもんね。あたし、『馬鹿な子ほど可愛い』って初めて言った人を尊敬しちゃうわ~」

「何そのくだらない尊敬!」


 もう訳がわからない。

 春樹は肩に疲労の塊が降り積もってくるのをひしひしと感じた。

 だが不思議と慣れた感じがするのは――兄の日向葉のせいだろう。

 彼もまたやたらと人を振り回す人で、春樹たちはよくからかわれるのだ。

 ちなみに葉といえば、マロンとクリの小屋代わりに彼の部屋を使わせてもらっている。

 彼に知れたら後が怖いが、まあバレないだろう。


 投げやりになってきた春樹は部屋のものを壊さないよう釘を刺し、ヤケ気味に風呂場へ向かった。

 自分の周りには世話の焼ける者しかいないのではないだろうか。

 春樹は常に何らかの家事をやらされている気がしてならない。


(砂季姉は家出なんて言い出すし)


 脱いだ服をきちんと洗濯かごに入れ、風呂場の中へ。

 一度湯を汲み全身に浴びてから湯船へ入った。

 熱めの湯に息が詰まり、そろそろと吐いていく。

 じんわりと痺れにも近い感覚が全身に広がっていき、そこでようやく呼吸を再開した。

 ついでに考え事も再開だ。


(はー……お風呂で和むってやっぱり年寄りじみてるのかな……)


 ――じゃなくて。

 自己ツッコミとして首を振る。

 考えるべきことはやはり砂季のことだろう。

 家出というが、当然砂季の家族は心配しているはずだ。

 学校まで休むつもりのようだし、何とか連絡させた方がいい。

 とはいえ砂季が簡単に説得されるとは思えない。

 彼女はなかなか頑固だし、何より春樹たちは家出の原因を知らないのだ。

 訳も知らずにあの彼女を説得するのは相当至難なことである。


(まずは家出の原因を聞きださなきゃ、か)


 いくら自由奔放な砂季でも、気まぐれで家や学校から逃げ出してくることはない。

 何か。きっと何か理由があるのだ。

 今後の動きが決まったところで春樹は湯船から出ようとし、


「春樹―」

「!?」


 ――ざぶんと凄い勢いで逆戻りすることになった。


「な、なっ、砂季姉!? いきなり開けないでよ!」

「あははは、照れてるの? 可愛いんだから」

「いいから早く出てってよ!」

「背中流してあげようと思ったのに」

「いらない!」

「昔一緒に入った仲でしょ?」

「嘘だ! 昔だってないよっ」

「……自信、ないの?」

「だぁあどこ見ようとしてるんだぁあっ!」

「ちぇー。残念」


 ケラケラと笑いながら砂季が離れていく。

 春樹は思い切り握り拳を固めた。

 嫌がらせだ。彼女は明らかにわかっていて覗きに来た。


「…………っ」


 本当に早く説得して帰らせないと、こちらの身がもちそうにない。




 だが、砂季の嫌がらせっぷりは春樹の危惧以上だった。


「砂季姉っ!」


 部屋に飛び込むと、彼女は寝巻きに着替え、マロンとクリと遊んでいた。

 彼女はクリを抱き上げたまま小首を傾げる。

 一見無邪気な様子は、小動物の効果も相まって可愛らしい。

 だが春樹は悟った。

 いや、正確には思い出した。

 彼女は鬼だ。悪魔だ。昔だって散々いじめられてきたのだ!


「春樹、顔赤いよ?」

「~~~~! 自分の下着くらい自分で洗濯してよ!」

「だって面倒だったんだもん」

「葉兄みたいなこと言わない!」

「あは、そういや昔はあいつと張り合ったなー。どっちがより春樹と大樹をいじめられるか」

「~~ドS女」

「あはは、その呼び名も懐かしい」


 ――ちなみに葉が彼女を称した名だ。つまり、昔から彼女はこうだったわけで。

 何で忘れかけていたのだろう、と春樹は自問して首を振る。

 簡単だ。思い出したくなかっただけである。

 今思い出してみてもロクな記憶がない。


「ねえ、春樹」

「? ――!?」


 顔を上げるより早く、頬にキス。


「な、なっ……!?」

「あたしの下着見て欲情しちゃったとか?」

「――っ!!」


 カッと頭が沸騰しかけ、……それを通り越して脱力してしまった。

 春樹はぐったりと息をつく。

 ここまでからかい抜かれるといっそどうでも良くなってくる。

 昔や葉と違い、「女」を活かしてくるのはたち性質が悪いけれど。


「もういい……」

「あ、予想通り♪」

「……予想?」


 怪訝に問えば、返ってくるのはやたら楽しげな笑顔。

 ――春樹は多少、こういった笑顔に弱い。


「大樹の場合、食べ物あげたり褒めてあげたりすれば元通りでしょ? で、春樹の場合、とことんやれば逆に呆れて怒られない。この辺は少し見極めなきゃだけどね。本当にやりすぎるとキレられる可能性もあるし」

「…………」


 春樹はため息をついた。

 昔散々からかわれたのに、今でも彼女のことを嫌いになれないのは、きっと上手く見極められていたからだ。それは少し悔しく、だがどこか嬉しくもある。

 春樹はマロンを撫でながら砂季の隣へ腰を下ろした。

 クッションもなく、ベッドを背もたれにするのは少々痛いが構わない。


「砂季姉、何で家出なんか?」

「ん? 色々あるんだってば。それよりあたし、目がこんな風にしょぼしょぼなるくらい酸っぱいものがほしい気分。何かない?」

「誤魔化さないでよ。いつまでここにいるつもり?」

「つれないなー。……まあ、頑張っても一週間が限度でしょうね」


 肩をすくめ、砂季が呟く。

 彼女もこの家出に無理を感じているようだった。

 そもそも持ってきたものがほとんどペットの餌やトイレシートばかりだ。

 最初から本気で家出をするつもりはなかったのかもしれない。


「……もしかして母さんに会いに来た?」

「え?」

「何となくだけど……それに最初、すぐ母さんと葉兄のこと聞いてきたし」

「……鋭いね、春樹は。それも大きいかな。あたし、百合姉ちゃん好きだもん。出来れば会って色々話したかったよ」


 笑い、――砂季は顔を伏せた。


「……あたし、学校に行けるのかな」

「……砂季姉……?」


 ピンポーン


「……ちょっと待ってて」


 タイミングが悪い。

 しかし無視をするわけにもいかず、春樹は後ろ髪を引かれる思いで玄関へ向かった。

 大樹が先に出ていたのか、何やら妙に騒がしい。


「隠すというの!?」

「ちがっ……そーゆうわけじゃ」

「いいからどけなさい!」

「でも砂季姉は嫌がるかもだし……」

「そんなこと関係ないわ!」

「何だよそれ! 砂季姉の気持ちは無視かよ!?」

「子供のくせに生意気なことを言って……!」


 手が振り上げられる。次に訪れたのは乾いた音。


「――叔母さん」


 声をかけて歩み寄ると、玄関に立つ彼女はハッと息を呑んだ。

 彼女は母の百合より三つ下の、砂季の母だ。

 以前会ったときより、疲れているのか老けて見える。

 疲れているのは砂季を探し回ったせいかもしれないが。


「大樹、大丈夫か?」

「……痛くなんかねぇもん」

「でもほっぺ、少し赤くなってるから。冷やして来い。あと一応砂季姉に伝えて、親が来てるって」


 軽く背を押しやると、大樹はうなずき、中へ駆け出した。

 春樹はそれを見届けてから叔母へ向き直る。静かに頭を下げた。


「弟が失礼なことを言ったようで、すいませんでした」

「あ、あぁ……いえ、私もカッとしちゃって。八つ当たりだったわ」


 バツが悪そうに顔を歪められ、春樹は「そうですか」とだけ返しておく。

 一部始終を見たわけでないが大樹が一方的に悪いとは思えなかったため、彼女の言葉を否定する気にもなれなかった。


「とにかく、砂季がここにいるのはわかってるの。早く出してちょうだい」


 落ち着こうとしているのだろう、声音が低い。

 春樹は表情を崩さず彼女を見上げた。


「砂季姉がここにいるのは事実です。けど、その言い方は心外ですよ。砂季姉が自ら来ただけで、僕らは彼女を捕まえたり隠したりなんてしていません」

「けど!」

「大樹に、あなたが来ていることを伝えさせました。それでも出てこないのは僕らのせいじゃありません、砂季姉の意思です」


 あくまでも淡々と告げると、彼女の顔が次第に気色ばんできた。

 眼に力が込められている。口調も幾分険しさを増して。


「あなたたちが砂季を惑わしていないと言える?」

「子供の僕らが、ですか」

「……!」


 揚げ足を取られた。それがますます彼女を苛立たせた。


「姉さんはどこ? ちゃんと話させて」

「母さんは今、いません」

「どこだかの異世界にいるというの!?」

「そうです」

「ああもうやめて、訳のわからないものに砂季を巻き込まないで! 屁理屈なんかどうでもいいわ、とにかく砂季を返してちょうだい」


 春樹は細く息を吐く。

 彼女がこういう人だとわかっていたから諦めは早かった。

 それに娘を想うからこその態度でもあるのだろう。

 異世界の存在など間に受ける方が珍しいし、ここで彼女を責めるのはあまりにも酷だ。

 少なくとも一度は砂季と対面させてやった方が互いのためでもあると、思う。

 だが。


『……あたし、学校に行けるのかな』


 あのときの表情が気になった。


「――帰ってください」


 でも、と彼女は食い下がる。

 春樹は真っ直ぐと相手を見つめた。


「帰ってください」

「……砂季は私の娘よ」

「砂季姉が納得しない限り、同じことですよ。無理に連れ帰っても何度だって抜け出すでしょう。そうやってまた行方がわからなくなるより、ここに留めておいた方がそちらにも良いと思いませんか。……砂季姉のことは僕らがしっかり見ておきます。だから帰ってください」


 冷静に落ち着き払って言われた言葉に、彼女はぐっと詰まってしまった。

 中学生に諭されるということがプライドを傷つけたのか、しばし苦悶の表情でこちらを見やる。

 それでも図星と、打算と、妥協と。

 様々なものが絡み合った挙句、彼女は小さくうなずいた。


「……わかった。今日はこのまま帰るわ。でも砂季に伝えておいて。馬鹿なことは早くやめなさいって。せめて……悩みがあるのなら、せめて私たちに相談くらいしなさいって」


 去っていく彼女の背に春樹はハッとした。

 ――親もまた、砂季の家出の原因を知らないのだ。

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