3封目 小さなワガママ、大きな幸せ
ガチャリ
鍵を開けると、テレビの音が微かに流れてきた。
その音楽からエンディングか何かだろうと見当をつける。
タイミングとしては間に合ったようだ。
ホッと一息ついた春樹は、玄関の鍵をかけ直して中へ入り込む。
「ただいま」
小さく呼びかけて居間へ向かい、――危うく横滑りするところだった。
「な、何泣いてんの、おまえ……」
「春兄!?」
びくり、と大袈裟に大樹が振り返った。
彼はテレビを消し、焦ったように弁解をする。
「なっ、ちがっ……泣いてねえ!」
「あーハイハイ」
投げやりになだめ、その辺に放り出されていた新聞をめくる。
テレビ欄のところで手を止め、春樹はざっとそこに目を通した。
今の時間帯でやっていたものといえばある程度限られている。
「……あぁ、これ? ドキュメンタリー。『母娘の感動の再会』とか色々収録されてるやつ」
他のチャンネルでは不倫などの番組もやっていたようだが、それは見ていないと信じたい。
新聞を丁寧にたたんでいると、大樹ががっくりと肩を落とした。
恨みがましい目でこちらを見てくる。
「……そうやって人の行動当てんのやめろよな」
「そんな大袈裟な。おまえの行動なんて限られてるだろ。直線的で短絡的だから」
「ひっでー! 何だよソレ!?」
「あ、アイス買ってきたけど食べる?」
「食うっ♪」
「――おまけに単純、と」
ぼそり、と付け加える。
だが彼には聞こえなかったらしく、彼は上機嫌なまま首を傾げた。
「? 春兄、何か言ったか?」
「何も。はい、アイス」
カップ状のものだったので、ついでにスプーンも出してやる。
それを受け取った大樹に「春兄は?」と訊かれ、少し迷い自分も食べることにした。
さっさと飲み物を冷蔵庫に入れ、大樹と共に座る。
「……春兄、これ少し溶けてねえ?」
「気のせいだろ」
さらりと答え、黙々と食べ始める。
不思議そうにしていた大樹も、「ふぅん?」とだけ呟いてそれにならった。
味に大した支障はないのか、それ以上の文句も出てこない。
「ところで、そんなに感動したのか? テレビ見て」
「ん? ……ん~」
大樹が唸るように眉根を寄せた。
思い出そうとしているのか、天井を睨みながら口を開く。
「感動っていうか、何かかわいそうでさ。母親が家出ちゃって、しかも父親が死んじゃって? 女の子一人で頑張ってたらしいんだけど、やっぱ限界で、母親に会いたいー……みたいなのとか一杯あって」
「へぇ」
まあ、そういったドキュメンタリーでは割とある話だ。
「母親に会いたいって泣きながら訴える女の子とか、今まで一度も会ったことのない父親を捜してって頼む兄弟とか見てたら、さあ。…………」
「……泣くなよ、ここで?」
「泣いてねえってば!」
噛みつかんばかりに言い返され、春樹は苦笑した。
確かに今は泣いていなかったが、そこまでムキにならなくてもいいと思う。
「ま、おまえ単純だし。ついシンクロしちゃったりするんだろ」
もしくは思い込みが激しいとも言うだろう。
それともただの泣き虫だろうか。
どちらにせよ、こういったことは何も今日が初めてではない。
なので特別に感じる必要はなかった。
それは大樹も同じなのか、彼は食べる方に一生懸命になっている。
「……でもさ、そーゆうのを見ると確かに思うよね」
「何を?」
「僕らって幸せなんだなって」
「……春兄?」
よくわからなかったのか、大樹が怪訝な顔で手を止めた。
そんな彼にため息を一つついておく。
「だってそうだろ? 僕らにはちゃんと両親もいるし、……そりゃ毎日のようには会えないけど」
父親は一度ちょっとした病気に倒れ、今は倭鏡の病院で安静中だ。
母親の方はそれにつきっきりで看病している。
彼女は元は倭鏡の人間ではないので、倭鏡と地球を自由に出入り出来ないのもその原因の一つだ。
だから会うには春樹たちが倭鏡へ行くしかないのだが、こちらもそう頻繁に訪れるわけにはいかない。
小中学生といえどもなかなか忙しいし、何度も訪ねて邪魔してしまうようなことは避けたかった。
しばらく食べる手を止めていた大樹が、やがて納得したようにうなずく。
「当たり前のことが一番幸せなんだっていう、あれだろ?」
「どこかの使い回しみたいなセリフだけど……そーゆうこと」
両親がいるのは、当たり前のことだけど。
当たり前が当たり前ではない人もいるから。
「でもさあ」
「……何だ?」
「だからって、春兄は別に我慢する必要ないんじゃねーの?」
「……は?」
春樹は思わず目を丸くした。
――今までの会話で、どうしたらそんなセリフが出てくる? 全く噛み合っていない。
(こいつと会話してると、たまに混乱してくるな……)
何が我慢なのか訊こうと思い、やっぱりやめておく。
どうせますます頭が痛くなるのがオチだろう。
代わりに、春樹は話題を変えることにした。
「全然話は変わるんだけどさ」
「ん?」
「おまえのクラスで、この辺に住んでる女の子っているか?」
「へ? ……何で?」
今までの話とは本当に関係ない質問に、大樹がぽかんとした面持ちでこちらを見た。
「全然話は変わる」と言っておいたのに、どうやら対応しきれなかったらしい。
「さっき見たんだよね、公園で踊ってる女の子。でもどこかで見た顔で……もしかしたらおまえのクラス写真で見たかもしれないんだ」
簡単に事情を説明すると、彼は「げえっ」と顔をしかめた。
「春兄、人のクラスの奴まで覚えてんのかよ!?」
「ってツッコむとこはそこなのか?」
「だってオレ、一回しか写真見せてねーじゃん。何でそんなの覚えられるんだよ」
「何となくだって。それに違うかもしれないし」
「だからって……」
まだ不満そうに何か呟きながら、大樹が部屋へとって返す。
部屋からはゴソゴソと妙な音がしていた。
それが部屋を漁っている音だと知り、春樹は反射的にため息をついてしまう。
あれを片づけるのは自分だというのに。
しばらくしてから戻ってきた大樹の手には、例のクラス写真があった。
「こほのへんにすんでるのはこふぉいつとこふぉいつと」
「スプーンくわえながらしゃべるなよ……」
「だって早く食べなきゃドロドロになっちゃうだろ」
言い返しながら、大樹が最後の一口を完食した。
だが、春樹としては言ってやりたい。
食べながらしゃべるのならともかく、スプーンをくわえながらしゃべるのは意味がないのでは、と。
「――あとコイツ」
「あ、その子だ」
黒い髪に、勝ち気な瞳が真っ直ぐとカメラを見ている少女。
「椿ぃ?」
まさか、という感じで大樹が声を上げた。
そんな彼にはっきりとうなずいてやる。
確かにこの子だ。間違いない。
「椿ちゃんっていうのか?」
「そう、佐倉椿。オレのクラスの委員長。でも……ダンスしてるなんて聞いたことないぜ?」
「おまえに言う必要もないだろ、そんなこと」
「そうだけどさあ」
むぅ、と唸った大樹に苦笑する。
そんなに信用出来ないのだろうか。
「確かに暗かったけど、きちんと近くで顔も見たんだから間違いないって。お母さんが心配してるからってすぐに帰っちゃって、名前は聞けなかったけど……」
「じゃあやっぱちげーよ」
「――え?」
やけにきっぱり言われ、春樹は瞬いた。
大樹の顔を凝視する。
「何でだ?」
「だって、あいつの母親いねーもん」
「いない……?」
「何年か前に死んだんだってさ。……交通事故で」
死んだ――?
「え……え? それってさっきのテレビの話じゃなくて?」
「春兄……いくらオレでも、テレビとクラスの奴をごっちゃになんてしねえって」
「――だよな」
混乱しかけた春樹は、大樹の呆れた声で我を取り戻した。
しかし疑問は解消されない。
双子だとかよほどの他人の空似というオチでない限り、春樹にはあの少女が佐倉椿だと断言出来る。
しかしそうなると矛盾してしまうのだ。
(母親が心配しているってのはとっさに出た嘘……?)
もしあれ以上春樹といたくなかったのなら、適当に嘘を言って逃げた可能性もある。
(でも、そうなら最後のセリフはおかしいし……)
「また会えたらいい」が社交的なものだったとしても、「この時間帯にいることが多い」だなんて教えないだろう。
ますます訳がわからない。
「春兄、何考え込んでるんだよ?」
「何って……」
「そんなに気になるなら、明日直接聞いてやるって。そうすりゃ手っ取り早いだろ。考えたってどうせわかんないんだし」
任せろ、と笑う大樹を無言で見る。
疑問の答えになっていない、だが一理ある言葉にため息をつきたくなった。
「いいよね、単純な奴って」
◇ ◆ ◇
(~~~~……眠れない……)
日付けもそろそろ変わる頃、春樹はもぞもぞとベッドから這い出た。
眠りたい気持ちは山々なのだが、どうも色んなことを考えすぎてしまう。
おかげで頭の中はぐるぐる、もやもやしたものが渦巻いている。
(夜、大樹と変な話してたせいだな……)
さっきから会話が頭から離れないのだ。
何度も繰り返し流れてくる。
『僕らって幸せなんだなって』
『春兄は別に我慢する必要ないんじゃねーの?』
『だって、あいつの母親いねーもん』
「…………母親、かあ」
呟き、上を見上げる。
いつも通り大樹はぐっすり眠っていた。
ちょっとやそっとのことで起きないのは百も承知だが、念のため音をたてずに部屋を出る。
電気の消えた廊下は、ひんやりと静まり返っていた。
「…………」
簡単に着替えを済ませた春樹は、居間にある鏡の前で数秒たたずんだ。
家にある一番大きな鏡。そして、倭鏡への入り口。
(……どーしようかな……)
一瞬行くのをやめようかと迷い、――その迷いが吹っ切れないまま、彼は鏡の中へと踏み込んだ。
◇ ◆ ◇
――不気味なほどの静けさ。古い部屋特有の埃臭さとかび臭さ。そしてどこまでも並ぶ、本の山々。
それら一つ一つを感じながら、春樹はそっとその部屋を出た。
まだ中に人がいるせいか、廊下にも電気がついている。
「……何となく来ちゃったけど……」
比較的ゆっくり歩きながら、どうしようと独りごちる。
倭鏡に来て何かをしよう、というわけではなかったのだ。
自分らしくもない、と思わず苦笑してしまう。
普段ならこんな突発的な行動をするのは大樹の方なのに。
(……とりあえず葉兄のとこ行っておかないとね)
別に来たことを報告するのが義務ではない。
しかし毎回のように報告しているため、それが当然のようになってしまったのだ。
まあ、その方があちらにしても何かと対応しやすいだろう。
一番上まで来た春樹は、葉がいるであろう部屋へたどり着いた。
軽くノックしようとし、中の声に手を止める。
(……? 他に誰かいる……?)
ノックをやめ、気づかれないようにそっとドアを開ける。
覗き見なんて悪趣味な気もするが、この際そんなことはどうでもいい。
「では東の方はどうなされますか?」
「そうだな……。今のところはそっちより、増加しているこの辺を何とかしたいんだが」
「そうですね。それではそちらを優先しましょう」
「ああ。細かい指揮は現場を知っているおまえに任せる。頼んだぞ」
「かしこまりました」
淡々とした会話に耳を澄ませていた春樹は、ドアから身体を離すと顔をしかめた。
まずい。仕事の話だ。
(大変なときに来ちゃったかな……)
葉の口調からしても、大事な話だというのは間違いない。
このままでは邪魔してしまいそうだ。
帰った方がいいと判断した春樹は、音をたてないよう注意しながらそろそろとその場を離れた。
だが、二・三歩いかない内に再び中から声が聞こえてくる。
「それでは、ゆっくりお休みください」
「……ああ。ま、出来ればな」
どうやら話が済んだらしい。
小さな足音がこちらへ向かってくる。
(え、ウソちょっと! このままじゃバレるし!)
春樹は慌てて周りを見回した。
廊下は長いので走り切るには無理がある。
忍者のような走り技も当然持っていないので、それではすぐにバレてしまう。
かといってその辺の部屋に飛び込むような真似は出来なかった。
もし他の人が寝ていたりしたら失礼すぎる。
「――おや、春樹様ではないですか」
結局あっさりとバレ、春樹は観念したようにその男を見上げた。
張り付いたような笑みを浮かべる。
心の中では自分のバカバカ、と呟きながら。
「……こんばんは」
「今晩和。……こんな時間にどうなされました?」
「あ……えっと」
「王に用事でしょうか」
にこりと微笑まれ、春樹は少し戸惑った。
多少言いよどんだが、黙ってうなずいておく。
「王は中にいますよ。けど、あまり遅くならないように。夜更かしは身体に良くありませんから」
「はい。わかってます」
「それでは、おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
男が会釈して去っていく。
きっとそうしながら、彼は「仲の良い兄弟だ」などと微笑ましく思っているのだろう。
完全に彼の姿が見えなくなると、春樹はどっと息を吐いた。
「“様”なんてつけなくていいって言ってるのに」
呟き、肩をすくめる。
この城には礼儀正しく誠実な人が大半を占めているのだ。
いくらずっと年下といえども春樹は仮にも王家の人間、そんな春樹に様づけし、さらに敬語を使うのも仕方ないのかもしれない。
「――春樹? いるのか?」
中から呼ばれ、ギクリと身体が固まる。
一瞬このまま逃げようかと思ったが、そんなことは出来ないと自分でわかっていた。
そんなことをすれば、後で何を言われるかわかったもんじゃない。
「……葉兄」
「んなとこに突っ立って何やってんだよ。さっさと中入れって」
「うん……」
言われるがままに中に入った春樹は、とりあえずドアを閉めた。
どこか後ろめたい思いで葉を見上げる。
相変わらず目つきが悪い、などと思ってしまったが口には出さない。
言えば殴られるに決まっている。
「んで、こんな時間にどうした?」
「どうした、って言われると困るんだけど……」
「何だそりゃ。それにおまえ、さっき逃げようとしただろ」
ずばっと言ってくる葉に詰まる。
毎度のことながらどうして彼は鋭いんだ。
「だって葉兄、仕事の話してたし」
「あんなの、すぐ終わっただろ?」
「でも……せっかく仕事終わったんだし、葉兄、早く休みたいじゃん?」
「はあ?」
思い切り怪訝な声を返され、春樹はついたじろいでしまった。
何か変なことを言っただろうか。
そんな春樹に、葉はあからさまにため息をついてみせる。
「そんなこと言うくらいなら、あの書類の山を片づけてくれ」
「そんなの、中学生に頼まないでよ」
「大して難しいもんじゃねーからおまえにも出来るって」
「いや、そーゆう問題じゃないし」
何かと食い下がってくる葉に呆れる。
一応倭鏡を治める王なのだから、その辺の自覚をきっちり持ってほしいのだが。
「春樹、おまえ頭かてーぞ?」
「葉兄がぐにゃぐにゃしすぎてるんじゃ……ってちょっと」
彼が取り出した白い箱に半眼になる。
彼はそこから何かを一本取り出し、それを口にくわえた。
ついでにどこから取り出したのか火もつけてしまう。
当然そこから立ち込める、煙。
「葉兄、まだ未成年でしょ。何、その煙草」
「残念。倭鏡には未成年が吸っちゃダメって法律はないんだよ」
「ってそれは日本の煙草じゃん!」
「……何でおまえ、そーゆう細かいとこに気づくわけ?」
小さく舌打ちした葉が煙草の火をもみ消す。
その動作を見ながら春樹はため息をついた。呆れたいのはこっちだ。
「葉兄こそ、いつの間にそんなもの持ち込んだのさ……」
「うん? ちょっくら大樹に持ってきてもらったんだ」
「……大樹に?」
「今後の倭鏡に必要なものかもしれないから、実験用にいくつか持ってきてくれって頼んだらあっさり。いやー、あいつって騙しがいあるよな」
「やめなよ、嘘言って自分の弟使うの……」
カラカラ笑う葉に頭が痛くなってくる。
仕事の話をしていたときの彼とは別人なのではないだろうか。
「……ところで、さ。母さんたちにって……今、会えると思う?」
少し口調を変えて問うと、葉が瞬いた。
彼は考え込むように時計を睨む。
「この時間じゃもう寝てるんじゃないか?」
「だよね……。いいんだ、言ってみただけだから」
何でもない、と葉に手を振っておく。
それでもしばらく難しい顔をしていた葉が、何を思ったかにやりと笑った。
「何だ、オフクロが恋しくなったか?」
「そんなんじゃないよ」
「何だよ、たまにはガキらしく甘えてみろや」
「ガキらしくって……そんな歳じゃないよ。もう中一なんだから」
「まだ中一、だ」
言い直され、言葉に詰まる。
瞬間的にどうすればいいかわからなくなってしまった。
「葉兄……」
「おまえは確かに、他の奴らよりしっかりしてるかもしれないけどな。どうあがいたって十二歳のガキなんだよ。それは事実だ」
「でも」
「でも、じゃねえ」
反論しようとして頭を小突かれる。
顔を上げると、彼は呆れたような苦笑じみた笑みを浮かべていた。
「おまえ、何遠慮してんだよ?」
「え……?」
「さっきも言ったよな。俺の邪魔をしたくなかったみたいなこと。おまえは昔からそうだ、親父やオフクロに対しても」
「葉、にい……?」
彼が何を言いたいのかわからなかった。
無意識に声が掠れてしまう。
「おまえさ、俺らにまで遠慮してどうするんだ?」
「遠慮なんか……」
「会いたいときは会いに来い。甘えたいときは甘えろ」
――核心を、衝かれた。
あまりにも真っ直ぐな言葉に逃げ道が塞がれてしまう。
春樹には笑うことしか出来なかった。
それも、どうしようもない泣き笑いしか。
「そんなこと言われたって、さ。わからないよ……どうすればいいのか」
「出来るだろ? 今日だってここまで来たんだから」
「……え?」
「ちょっと不安に思ったり、悩んだり。つまんないときでもいい。来たいと思ったら来ればいいんだよ。……おまえ、親父やオフクロが迷惑がると思うか? むしろ大歓迎だろーよ」
彼の言っていることはよくわかった。
春樹自身もその通りだろうとは思う。
ふと、頭に引っ掛かった言葉。
――春兄は別に我慢する必要ないんじゃねーの?――
「…………大樹も……」
「どうした?」
「……大樹も、わかってたのかな」
小さく呟き、簡単に話の流れを説明する。
その説明すらぎこちなくなってしまったが、葉はただ黙って聞いていた。
時々「おまえららしいな」と苦笑が混じる。
「……そのときは、何言ってるのか意味わかんなかったんだけど」
「そりゃな。だってあいつ相手だぜ?」
「それってどういう……?」
「おまえもあいつのボギャブラリーの少なさは知ってるだろ。……でもまあ、あいつは本能でわかってるようなとこもあるし。そーゆうときは色々補って意味を考えてやんねーとな」
葉のあっさりした言い方に小さく笑ってしまう。
確かにその通りかもしれない。
「おまえはおまえなんだ。人が不幸だろうが何だろうが、そこに基準を合わせることはない。幸せになるための我慢なんて今のおまえに必要ないんだよ。
誰がおまえに『幸せになるな』なんて言った? おまえが満足して誰かが文句を言ったか? ……たまには、もう少し我儘も言ってみな」
「……それが葉兄なりの解釈?」
「まあな。きっと百点満点だぜ?」
にやり、と口の端を上げて葉が笑う。
あまりの彼らしさに春樹もつられて笑っていた。
正直、すんなり笑えたことに小さく驚く。
何だかさっきよりすっきりしたようだ。
「――で? これからどうするんだ?」
「……帰るよ。学校もあるからもう寝なきゃいけないし」
「いいのか? 親父たち叩き起こしてもいいんだぜ?」
「そこまでしなくていいからっ」
ムチャクチャなことを言う葉に慌てる。
さっきの会話で我儘がどうとか言っていたが、やはり限度があるだろう。
しかも父親の方は一応病人なのだ。
まかり間違っても飛び蹴りを食らわすような起こし方をしてはいけない。
「……それに、葉兄のおかげで大分すっきりしたから」
「そりゃ良かったな」
「うん、ありがと。……じゃあね、葉兄。おやすみ」
「ああ」
短い返事を背に、部屋を出る。
本当に早く寝なきゃ、と駆け出そうとし――いつの間にドアまで来たのか、葉にぐいと腕をとられた。
突然のことにバランスを崩しそうになる。
「? 葉兄、まだ何か――」
「言い忘れてたけどな」
早口に言われ、春樹は思わず口をつぐんだ。
怪訝に眉を寄せる。
「おまえがさっき話してた女の子」
「椿ちゃん?」
「早くしないと、もしかしたら大変なことになるかもしれないぜ?」
「――え?」
目を丸くして彼を見ると、彼は再びにやりと笑った。
「それだけだ」と言い残し、ボーゼンとしている春樹を尻目に部屋へ戻ってしまう。
バタン、とドアは無情にも音をたてた。
(な、な、……)
しまいには電気も消えてしまい、春樹は唖然として立ち尽くした。
葉が人をからかうのが好きなのは知っている。
人を驚かせたり戸惑わせたりするのが好きなことも知っている。
しかし真剣なときはきちんと考えてくれるし、やはり頼りにもなる。
現に今だって十分助けられた。それなのに。
(最後の最後であんな意味深なこと言わなくても!!)
春樹が気になりだしたら止まらないタイプだと知っていてあんなことをするのだ。もはやどうしようもないだろう。
春樹は仕方なく廊下を戻り始めた。
月明かりの差し込む窓を見上げ、深々とため息をつく。
今夜は、やっぱり眠れないかもしれない。