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倭鏡伝  作者: あずさ
11話「闇夜に溶ける影の道化師」
106/153

6封目 一難去ってまた、

『ママが言ってた、そんなのうそだって』


 ちがう


『うそつき』


 ちがう


『うそをつくのは悪い子なんだぞ』


 ちがう


『うそじゃない? ……ふぅん。だったら』

『変なんだ』

『みんなとちがうんだよ』

『ばけもの?』

『食べられちゃう?』

『やだ、来るなよ』

『こわい』

『こわーい』


 ――違う!!




「ちがっ……! に゛ゃ!?」


 ハッと身体を起こした瞬間、ガサッと何かに頭を突っ込んだ。

 それはチクチクと頭を刺激し、大樹は反射的に地に伏せる。

 ぼやけた視界を瞬きで打ち消し、ようやく自分が公園の草陰で寝ていたことに思い当たった。

 逃げ出してしまったもののすぐ眠気に襲われたのだ。

 ――だからってこんなところで眠ってしまった自分が情けない。しかも熟睡。


「う゛―……」


 呻き、ため息を一つ。今すぐ動く気にはなれない。


 周りは静かなものだった。

 豊かな緑が全体を包んだここは自然の産物。

 遊具は数えられるほどしかないが、それでも子供たちには絶好の遊び場である。

 普段なら木に吊るされたブランコに子供たちが群がっていて賑やかだ。

 しかし今は中途半端な時間だからなのだろうか、ほとんど声も聞こえない。


「ヤな夢、見たなぁ」


 ポツリと呟き、大樹は再び目を閉じた。

 あんな夢を見た原因はわかっている。

 そのせいで大樹は今こうしているのだ。


 ――逃げ出してしまった。そんなつもりはなかったのに。

 気づいたときには足が動き出していた。必死に病院から遠ざかろうとしていた。

 戻らなければ、と強く思う。

 だが駄目なのだ。

 いくら能天気な自分でも、嫌われ、拒絶されることを思うと身がすくむ。


 独りは、嫌だ。

 だが拒絶されるのはもっと怖い。


「だぁああ! オレのアホー! クヨクヨしてんのは性に合わねぇ!」

「大丈夫?」

「……へっ?」


 思わず頭を抱えた大樹はポカンと顔を上げた。

 目の前に、自分を見下ろすようにして女の子がちょこんと屈み込んでいる。

 逆光ですぐには見えず、大樹は数度瞬いた。

 女の子は小さく、六、七歳頃。

 両耳より上の方で髪を二つに結っているのが可愛らしい。

 大きく黒目がちな瞳はじっと大樹のことを見つめていた。


「お兄ちゃん、かくれんぼ?」

「……えーと」


 確かにこんなところで寝転んでいれば、かくれんぼ中に見える。かもしれない。


「そ、そんなとこかも」

「さっき頭抱えてたよね」

「ぅえ!? いつから見てたんだ!?」

「ずーっと、だよ」

「…………」


 ずっとって。ずーっとって。

 ボーゼンと己の振る舞いを振り返り、大樹は再び頭を抱えたくなった。

 明らかに挙動不審だった気がする。


「頭、痛いの?」

「え」

「痛いの痛いの、とんでいけー」


 小さな手が優しく頭を撫でてくる。

 大樹は一瞬、頭の中が真っ白になった。

 だが我に返ってからも女の子の手は止まっていない。


(な、何かオレ慰められてる?)


 しかも、こんな小さな女の子に。

 だが、その手はじんわりと温かく心地良い。無理に払おうという気にはなれなかった。


(……そういえば、ユキちゃんも頭撫でたっけ)


 頭痛のせいで記憶が曖昧だが、確か彼も笑顔で自分の頭を撫でていた気がする。

 いつもなら「子供扱いするな」と言いたくなるが、あのときの彼からは自分を気遣ってくれているのがよくわかった。

 だからつい、大樹も笑い返してしまったのだ。


 涼やかな風が吹き抜ける。

 それにつられ、木々が楽しげに身体を揺らした。

 木漏れ日が注ぎ、土の濃い香りがふわりと届く。

 鳥たちが、笑った。


(あ……――そっか)


 そうだ。

 ――そうなのだ。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

「おう! あのなっ……ふぎゃ!」


 勢い良く起き上がろうとし、大樹はまた草の茂みに頭を突っ込んだ。

 まただ。またやってしまった。


 のろのろと草陰から這い出てきた大樹を見て、女の子はそっと小首を傾げる。

 その様は人形のようで微笑ましい。


「頭、まだ痛い痛い?」

「あ、はは……今のはビミョーに痛かったけど。でももうダイジョーブ!」

「ほんと?」

「おう! オレ、独りじゃねーし」


 信じられる友がいる。大切な家族がいる。そして助けてくれる“力”も、いる。


 土屋が話していた“力”のことはよくわからない。

 だが今まで、大樹は自身の“力”に、それによって多くの自然や動物たちに助けられてきた。

 たくさん支えられてきた。


 自分は独りではない。

 ――みんなみんな、大好きだ。


「助かったぜ、ありがとな♪ おまえ、名前は?」


 笑顔で頭を撫で返してやると、女の子は柔らかく微笑んだ。


「……良かった。それでこそいつもの大樹だね」

「え?」

「――大樹!」


 背後の声に、大樹はとっさに振り返った。目を丸くする。


「父……さん?」


 何で。だって、父は入院中なのに。

 そう簡単に外へ出歩いていいはずが……。


 そこでようやくハッとする。

 それと同時に大樹は言葉を失った。

 彼の表情でわかった、気づいてしまった。

 彼は自分を追いかけてきたのだ。恐らく、逃げ出してしまった自分を心配して。


 申し訳なさと、嬉しさと。

 様々な感情が一度に込み上げ、大樹は梢の腕の中に飛び込んだ。

 受け止めてくれた腕の中は大きくて温かい。

 それに何だか懐かしくて――少し、くすぐったい。


「父さん……」


 ぎゅっとしがみつくと、それだけでホッとした。

 病院のアルコールのにおいも気にならない。


「ごめんな。ありがとっ!」

「ああ」


 笑顔で見上げた大樹に、梢はただ穏やかな笑みを返す。

 それから彼はくしゃりと大樹の頭を撫でた。


「大樹は一人でここに?」

「あ……ううんっ。あのな、女の子がいて……れ?」


 振り向いた先に人影はない。


「あれ……? さっきまでいたのに」


 キョロキョロと周りを見るがどこにも見当たらない。

 大樹は少々拍子抜けしてしまった。まだ名前も聞いていなかったのに。

 がっかりした様子の大樹に梢も事情を察したらしい。彼は微笑んだ。


「大樹が会ったのは神様だったのかもしれないな」

「へっ?」

「この公園の名前、大樹は知っているかな」

「えと……深零公園だよな」


 深いに零と書き、「みふる」。

 初めて見たときは読めなかったものだ。

 倭鏡には所々、特殊な読み方の地名がある。


「そう、深零公園だ。けど昔は、神が降ると書いていたそうだよ」

「神が降る?」

「ああ。ここは特に緑が多いし……神様もゆっくり出来たんじゃないか?」

「へー……」


 では先ほどの女の子がその神様だというのだろうか。

 まさかと思いつつ、そうなら面白いなと大樹は思った。

 梢がそっと手を握ってくる。ゴツゴツと大きく、優しい手。


「さあ、みんなが心配しているぞ。……帰ろう、大樹」

「……おう!」



◇ ◆ ◇



 春樹と葉はとある病室へ駆け込んだ。

 大樹を探していた二人に、突然その彼が見つかったという連絡が入ったのだ。

 それだけならいい。

 だが、その見つけた人が父の梢だという。

 二人は自分たちの耳を疑った。


 ガチャンとドアノブが乱暴な音を立てる。

 春樹、葉と続いて部屋へ飛び込んだ。

 そんな自分たちを出迎えたのは、土屋と百合、そして――梢と、大樹。

 大樹はこちらを見るなり駆け寄って来た。


「春兄!」

「大樹……!」


 感動の再会――

 すぱぁん!!


「い……いったぁー!? 何すんだよ!」

「うるさい! 心配かけて! どれだけ探し回ったと思ってるんだ!」

「だからってハリセンで叩くことねぇじゃん! オレボケてないのに! 今度からカラスがいても助けないぞっ」

「仕返しがセコイよ。食事つくらないぞ」

「んなっ……そっちのがセコイじゃんかー!」

「まあまあまあ」


 割って入ったのは葉だった。

 彼は屈み込むようにして大樹に目線を合わせる。

 だがその仕草は大袈裟すぎてどこか嫌味だ。

 大樹の目も一層険しくなる。


「チビ樹。春樹のハリセンはもはや身体の一部だ」

「チビ樹ゆーなっ……は?」

「だからおまえがボケなくても、常人が素手で殴るところはハリセンで張り倒す」

「人を勝手にお笑いマシーンみたいにしないでよ!」


 確かにとっさに出てきたのはハリセンだったが、それが常だと人に吹き込まれるのでは勝手が違う。

 慌てる春樹を横目に、葉は軽く笑った。おどけるように肩をすくめる。


「ま、それは冗談だとして。春樹のアレは一種の照れ隠しみたいなもんだ。本当にチビ樹のこと、心配してたんだぜ?」

「あ……ごめ……」

「それに俺だって、とても、とーっても心配したんだ。あんなに小さくて見えにくいチビ樹がどこかで潰れているかもしれないと思うと胸が痛くて痛くて」

「葉兄っ!! どこが心ぱ、ひゃう!?」


 怒気を含んだ大樹の声が突然甲高く跳ね上がる。

 それはしゃっくりが飛び出したように突拍子ないタイミングで間が抜けた。

 大樹はわずかに顔色を青くし、対する葉はニヤリと笑う。

 それはもう生き生きとしたニヤリだ。不敵なうえに妙に輝いている。


「やめっ、離れろよアホ!」

「いやいや手放すとまたいなくなりそうで、お兄様は力一杯おまえを抱き締めていないと気が済まないんだ」

「だったらその手は何だっ、ぎゃああキモい触んなくすぐんなぁああ!」

「ほらほら愛の抱擁だぞ~」

「ひゃわぁあ!? おおお鬼! 悪魔―っ!」


 愛の抱擁という名のくすぐり地獄から抜け出せない大樹の悲鳴が続く。

 それは日常の空気と同じで春樹はため息をついた。こんな騒がしさで日常を感じるなんて。


(……葉兄だって人のこと言えないよね)


 単にからかっているようにしか見えないが、それも彼なりの心配の表れだ。

 素直に心配だったと言えばいいのに。

 いや、よく考えてみれば彼は実にストレートにそう言っているのだが。

 ――なぜ葉が言うと嘘くさく聞こえるのだろう。


「大樹くんは安静にしていなければいけないので……」


 苦笑気味に土屋が止めに入る。

 そこでようやく大樹は解放された。

 当の彼はくすぐられたせいで息が上がっているものの、すっかり元気だ。

 “力”が元に戻っていないことを除けばいつもの大樹である。

 葉に向かって負け犬の遠吠え状態なのも、らしすぎる。

 それがわかっているからこそ、梢と百合も楽しげに笑い合った。


「相変わらず仲がいい」

「……父さん」

「親父」


 ふと反応し、互いに顔を見合わせた春樹と葉は、揃って梢に詰め寄った。

 ゆったりと椅子に腰を落ち着けていた梢が小首を傾げる。


「どうした?」

「親父がチビ樹を見つけたんだってな」

「ああ」

「どうしてそんなことしたの?」


 春樹が問えば、梢は目を丸くした。

 春樹は緩くかぶりを振る。


「父さんだって入院患者なんだよ。大樹のことは僕たちも探していたんだから父さんは安静に……」

「ああ春樹、それは大丈夫だ」

「え?」

「もう先生にも言われたんだよ」

「そっか、じゃあダイジョーブだな♪」

「どこがだ!」


 笑顔で相槌を打った大樹をハリセンで引っ叩く。

 そのまま、危うく父にまでハリセンをかますところであった。勢いって恐ろしい。


「あら春ちゃん、大事なことよ。同じことを何度も言えば、聞いている人も飽きちゃう」

「母さん違う! 論点が違う!」


 のほほんと見当違いなことを言われても困る。そうではなくて。


「僕が言いたいのは、ちゃんと先生の言うことを聞かないと駄目でしょってこと!」

「けど」

「けどじゃない」

「でも」

「でもじゃない」

「だが」

「父さん。……もし父さんが無理をして倒れたりしたら、大樹だって自分を責めちゃうよ。僕たちもみんな心配する」


 静かに述べると、梢は優しく笑んだ。

 その微笑みに春樹は次の言葉をつかみ損ねる。

 どこかで春樹自身もわかっていたのだ。

 梢はわかった上で行動を選び取ったのだと。そんな彼にあれこれ言っても仕方ない。


 だが、梢は一度倒れている。

 そのとき春樹たちは本当に心配したのだ。

 あれがもう一度起こるかもしれないと思うと――無駄でも言わずにはいられない。

 出来ることならもう二度とあってほしくないことなのだから。


「悪かった。これからは気をつけよう」

「……うん」


 うなずくと、クスリと笑い声が聞こえた。

 怪訝に振り返れば土屋が笑っている。


「私が言うよりもずっと効果がありそうですね」

「はは、参りました」


 春樹と葉は、笑い合う彼らに肩をすくめた。

 全く。父は根が呑気なのだ。


「あ、それと。大樹くん」

「へっ?」


 土屋に突然名指しされた大樹は何度も瞬いた。

 落ち着きなく周りを見回し、人差し指を彼自身に向ける。


「オレ?」

「うん。……さっきは私の言葉が不安にさせたみたいだからね。申し訳なく思うよ」

「あ……」

「でもね、誤解しないでほしいんだ。“違う”のは決して悪いことじゃない」


 土屋は大樹の両肩に手を置き、そっと屈み込んだ。

 大樹がつられるように彼と視線を合わせる。

 土屋の視線は柔らかく、温かい。


「みんな、違うんだよ」

「みんな?」

「そう。例えば、私と大樹くんは違うね。じゃあ私と君のお兄さんたちは? お父さんは、お母さんは? 友達はどうかな? ……みんな、違うんじゃないかな。性格や顔が似ている人はいるかもしれないけど、決して“同じ”ではないだろう」


 大樹がぎこちなくうなずく。

 彼は戸惑っているようだった。

 けれど視線は土屋に真っ直ぐ注がれたまま。それとも外すことすら出来ないのか。


「違うのは当たり前なんだ」

「当たり前……」

「大切なのはみんながそれを受け入れることだよ。だから大樹くんも、違うことを恐れなくていい。大樹くんは大樹くんだ」


 言って、土屋は静かに立ち上がった。

 大樹はその動作を追って顔を上げる。そのまま白衣の裾を引っ張った。

 シワのあった白衣がピンと伸びる。


「せんせー」

「うん?」

「オレ、難しいことはよくわかんねーけどさ。せんせーのこと、好きだぜ」


 あっさりと笑顔で告げられた台詞はどこか的外れだったが、不思議とその場に馴染んだ。

 春樹は無意識に表情が緩んでいたことに気づき、微かに引き締める。

 だがこの場が和み始めているのは確かだ。

 ――今朝からの忙しさを振り返ってみると、今力が抜けてくるのも仕方ない。

 しかし、物事とは思いがけない方へ転がることもあるもので。


「土屋先生!」


 突然一人の男が駆け込んできた。

 彼もまた白衣を着ている。

 土屋より若いであろう彼は、走ってきたのか息が荒い。

 その様子から何かを感じ取ったのだろう。

 土屋は顔をしかめるより早く、目つきを鋭く変えた。

 ノックもされなかったドアは勢いを殺せず未だ揺れている。


「どうした」

「それが、その」


 男はためらい、土屋に耳打ちをした。

 その時間はごくわずか。簡潔すぎる内容のはずだ。

 だがそれで事足りたのか、土屋は目を見開く。


「何だって?」


 聞こえていなかったわけではないのだろう。

 男もそれは承知しているようで、繰り返しはしない。

 意味の成さないうなずきだけを送った。


「とりあえずあなたに伝えるように、と」

「……わかった」


 土屋がうなずくと、男は一礼をし部屋を去った。

 思いのほか今度は静かに閉められ、気まずい沈黙が辺りを漂う。

 それを破ったのは百合だった。

 彼女は座っていた椅子から遠慮がちに腰を浮かせた。


「忙しいようでしたら私たちは戻りますけど……」

「いえ。……あなた方にも関係がありますので、どうかそのままで」

「俺たちに?」

「はい。東雲さんをご存知でしょうか?」

「ええ、もちろん」


 梢が代表してうなずく。

 春樹と葉はとっさに顔を見合わせた。

 大樹を探すとき、彼の話をしたばかりだ。まさかここでその名を耳にするなんて。

 土屋はぐるりと見渡した。一呼吸起き、低く、呟く。


「――彼が、大量の渡威に襲われたそうです」


 その表情は厳しかった。

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