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倭鏡伝  作者: あずさ
11話「闇夜に溶ける影の道化師」
104/153

4封目 翡翠色の雨

 嫌な予感がする。

 春樹は寒気にも似たその予感を振り払えず、大樹の寝る病室へ急いだ。

 渡威の、そして歌月の狙いはわからない。

 けれどそれがもし大樹に――大樹の持つ白い“力”に関係しているとしたら。


(やばい……!)


 あちらにとって今は機会だ。

 大樹は防衛の術を持てないし、普段隠れている白い“力”ははっきりと存在を主張している。隔てるものが何もない。


 気持ちが急く中、春樹は頭に院内の地図を浮かべた。

 大樹のいる部屋は三階。

 階段を使った方がきっと早い。

 角を曲がって、その先――いや、もう一つ向こうのものを使った方がわずかに早いだろうか。

 少しでも早く。早く行かなければ安心出来ない。


「こらっ」

「!?」


 突然前を遮られ、とっさに踏み止まる。

 勢いを殺しきれず、春樹は数歩たたらを踏んだ。


「元気なのは結構だけど、院内では走らないように」

「あ……」


 軽く眉を上げたのは、看護士であろう若い女性。

 長い髪を後ろで一本に束ねた彼女は快活そうな瞳で春樹を射抜く。

 とっさに焦燥感が込み上げた。

 春樹は一瞬言葉に詰まり、すぐに頭を下げる。自分でもやりすぎたと思うほど勢い良く。


「すいませんでした」

「え、あ。……わかればいいの。今度から気をつけてね」

「はい」


 素直な返事に満足したのか、彼女は目元を和ませる。


「急いでどこへ行く気だったの?」

「……いえ」


 説明している暇も、余裕もない。

 漠然としたこの不安を言い表す術もなかった。

 だが言葉を濁す春樹を怒るでもなく、彼女は「そ、」とだけ言って息をつく。ポンと軽く肩を叩いた。


「引き止めてごめんなさい。でも、危ないから走るのは駄目よ」

「はい」


 うなずいた春樹に、より大きくうなずいて彼女は離れていく。

 そっと振り返って見やれば、彼女は近くの同僚と話し始めていた。


「ねえ、さっきのって王家の……」

「え、そうなの?」

「そうよ。ほら、今の王のお父さんが入院してるじゃない?」

「ああ、そういえば」

「あんた何話してたのよ」

「何って言われてもね。走っていたから注意しただけよ」

「えーっ、度胸あるー」

「だって知らなかったんだもの。……ところで、私のナースキャップ知らない?」

「え? あんたまたなくしたの?」

「違うわよ。私、絶対机の上に置いておいたし」

「でもないんでしょ」

「それは……」

「あんたってばそそっかしいからねー」


 軽く上がる笑い声。

 それが小さくなっていくのを確認し、春樹は再び駆け出した。

 胸中で「ごめんなさい」と告げておく。

 手すりで身体を引っ張り上げるように階段を駆け上がり――。


「だい、っ……!」


 ドアを開けた瞬間、中に人影が見えて春樹は息を呑んだ。

 相手もこちらに驚いたのだろう。ピタリと動きを硬直させる。

 その場に流れたのは奇妙な沈黙。

 春樹はゆっくりとドアを開け放った。


「何で……?」


 自分の目の前に立っているのは、つい先ほど春樹に注意した女性。


 ――そんな馬鹿な、と思う。

 自分はあれだけ走ってきたのだ。

 例え彼女がここに向かっていたのだとしても、先にいるはずがない。


 けれど現実に彼女は目の前にいる。

 彼女は眠ったままの大樹を抱え起こすようにし、それから困ったように微笑んだ。


「ええと。春樹くん、だよね」


 名を呼ばれ、春樹は微かに眉をひそめる。

 先ほどまで、顔も知られていなかったのに? それとも同僚に聞いたのだろうか。


「春樹くん?」

「あ、はい。……一体何をしているんですか?」

「これから大樹くんの部屋を移すことになったのよ」

「……移す?」


 そんな話は聞いていない。


「私はよくわからないんだけど、何だか大変らしいじゃない? 普通の部屋じゃ心配だから移してくれって話。一体何がどう大変なのかさっぱりなのに」

「…………」


 肩をすくめ、大樹を抱えた女性は歩き出す。

 春樹はじっとそれを見ていた。

 大変というのは“力”のことだろうか。

 だが、移すって一体どこに? 移してどうする?


「……ナースキャップは、見つかったんですか?」

「え?」


 突拍子のない質問に面食らったらしく、女性は目を丸くした。何度も瞬く。


「あ、ああ。ナースキャップね。見つかったけど……よく知ってるわね?」

「いえ……」


 春樹はそっと封御を取り出した。

 横目で見てみるが何の反応もない。大人しいものだ。

 今さらになって走ったせいの激しい動悸がやって来る。

 春樹は細く息を吸った。


(封御に反応はない……)


 周りには白いベッドや白い壁。

 備え付けられた冷蔵庫のような備品。

 変わったものは特にない。何もないはずだ。

 少なくとも渡威がいるはずはない。


 けれど。

 春樹は知っている。

 たった一体、封御に反応を示さない渡威がいることを。


「……もっちー」


 ピタリと、女性は足を止めた。


「……春樹くん? 今、何か言った?」

「もっちー。……何のコスプレ?」

「コスプレちゃう!!」


 …………。

 …………。


「やっぱりもっちーだ」

「ああっ、関西人としての性がぁ!?」

「人じゃないしもっちーのは似非でしょ?」

「心は立派に関西人を目指しとるんや!」

「まだ目指してる途中なんだ?」

「は、春樹サンのいけずっ。ああ言ったらこう言うんやから!」

「――それより」


 すっと声のトーンを落とす。

 するともっちー、いや女性の顔もつられるように強張った。

 春樹はそっと封御を握り締める。


「もっちー。どーゆうつもり?」

「……何がや」

「大樹をどうするの? ……本当に部屋を移すわけじゃないよね。それなら僕を騙そうとする必要がない。最近よく出掛けていたことに関係、ある?」

「……ま、そんなとこやな」

「……裏切るの?」

「…………」


 もっちーは答えなかった。顔を伏せて口を開かない。

 それは肯定と同じ。

 ――ふいにもっちーの姿が溶け、だが大樹を落とすより早く形を成す。


「僕……!?」

「――ごめんな」


 低い呟きと共に舞い降りる影。影は駆ける。

 そして。


魄戍(はくじゅ)!!」


 ――!?

 息を呑む暇もなく春樹の周りが真っ白に包まれる。

 その壁はふわりと軽い。それなのに押すとびくともしない。

 本来それは外敵から守るためにあるが、技を発動した者以外では中からもこじ開けることが出来ない。

 まるでその空間だけが周りから孤立しているように。


「しまった……!」


 閉じ込められた。

 このままでは大樹が連れていかれてしまう!


(……いや、落ち着け……っ)


 まだだ。まだ間に合う。


 もっちーの能力は相手のコピー。

 この“力”も春樹の能力からコピーしたのだろう。

 だが、それはあくまでもコピー。本物ではない。

 能力に限りがあるし威力も落ちる。

 その証拠に、春樹の目の前は早くも光が漏れつつあった。


「もっちー……」


 なぜ裏切るような真似をするのか。わからない。


(だけど)


 瞳を閉じる。

 念じ、手繰り寄せるのは糸。鋭い針のような糸。繋ぎ、光が突き抜けるような感覚。


 目の覚めるような漆黒が、純白の壁を打ち消した。


「……“本物”を見せてあげるよ」

「……っ!」


 現れたセーガと共に見据えると、もっちーはたじろいだ。

 数歩後退り、無理に笑顔を向けてくる。その額にはうっすら汗がにじんでいた。


「思ったよりけったいな“力”やな。消費量が半端やない」

「ここでゆっくり休んでいってもいいんだよ」

「気遣いだけでええ、おおきに」

「遠慮しなくていいのに」

「ワイは奥ゆかしいんや」


 瞬間、もっちーは土屋へ姿を変える。

 春樹はわずかに息を呑んだ。いつの間に彼までコピーしたというのか。


「クスクス……春樹くん、病院で騒ぐのは感心出来ないよ」

「もっちー。悪ふざけは程ほどにね」

「せやな」


 口の端だけで笑ったもっちーが突っ込んでくる。

 春樹はとっさに距離をとった。


「セーガ!」

 ――“ああ”


 セーガが素早く前に躍り出る。

 彼はもっちーと春樹を遮る位置で低く唸った。

 もっちーが動きにためらいを見せた隙に、春樹はその横をすり抜ける。

 今は何よりも大樹の確保だ。もっちーを倒す必要はない。

 早く大樹を――。


「っつ!?」


 急に足に痛みのような痺れが走り、春樹はたまらず倒れ込んだ。


 ――“御主人!”

「だい……じょぶ」


 あまりにも突然のことに混乱しかけ、冷たいものが背を伝った。

 けれど怪我らしき外傷は見当たらない。痛みもすでに引いている。ただ痺れだけが微かに残る。


「春樹サンらしくないで」

「なに……」

「ワイの今の“力”を確かめもせずに動くなんて」


 土屋の顔で、あの優しげな表情でもっちーが笑う。

 刹那、光が散る。

 パチ、と何かが弾けるような音がした。


「! ……電気」

「ご名答♪ あまり手荒なことはしとうなかったんやけど。まあ、大丈夫。気絶するくらいや」

「簡易スタンガンってところだね。それで? 僕が寝ている間に、誰にも気づかれずに大樹を連れて行けると思ってるの?」

「協力者がおる。何とかなるやろ」

「協力、者?」


 カツ、と足音がした。

 一つの影が姿を現す。

 不機嫌そうな表情で、釣り目がちな目をますます険しくさせた少年。

 身長は春樹よりやや高い。

 少し長めな黒髪は以前見たときと同様、無造作に後ろで束ねられていて。


「歌月……くん……」


 歌月。歌月渚。

 彼の父が渡威を盗み出し騒ぎを起こした。


「おい」


 渚は低く声を漏らした。もっちーを睨みつける。


「話が違うじゃねぇか。おまえならこいつにも気づかれずに近づけるなんて言っといて」

「うーん、物理的にいえばの話だからな。封御は反応しないし、変身さえバレなきゃ警戒されないはずだった」


 急に関西弁をやめ、もっちーは肩をすくめた。

 それを渚は舌打ちで返している。


 すっかり痺れがなくなった春樹は静かに立ち上がった。

 セーガが支えるように傍へやって来る。

 それを合図としたかのように引き締まるもっちーと渚の気配。


 春樹は小さく苦笑した。封御を握り締める。

 ――ああ、もう。


「……本当なんだ……」


 どこかでまだ信じられなかった。もっちーの悪い冗談なのではないかと。

 だが、歌月と繋がっているとなれば。


「容赦、してられないよね」

「! 渚、早く連れて行け!」

「ちっ……命令してんじゃねえっ」

 毒づきながらも渚が大樹を背負い込む。春樹はとっさにそれを追った。

「春樹サンには行かせ……!」

「魄戍!」

「!?」


 セーガの翼が純白へと変化し、一方は春樹を電撃から守り、またもう一方は渚の行動を遮る。

 先ほど春樹がやられたことを片方の翼で成したのだ。

 春樹はすぐにその保護から抜け出し渚へ追いつく。

 動きを封じられた渚は唖然としていて、解放された後も彼から大樹を奪い返すのは容易かった。

 封御で彼の足を払う。

 転倒した彼には目もくれず、春樹は大樹へ駆け寄った。


「大樹! 大樹!?」


 抱き起こして揺さぶっても、大樹が起きる気配はない。

 だが呼吸は安定しているし顔色も悪くない。

 春樹はホッと息をつく。“力”は未だに白いままだけれど。


「セーガ、逃げるよ!」

 ――“御意”

「――これもまた、魄戍とやらで逃げるつもりか?」

「え……」


 駆けてきたセーガに飛び乗った春樹は硬直した。

 周りの窓からゾロゾロと渡威が集まってくる。

 その中のどれだけが本体なのかわからない。

 ただ、封御の光が痛いほどに眩しい。


「……ずい分盛大なお見送りだ」


 込み上げるのは苦笑。

 ゆっくり歩いてきたもっちーも小さく笑った。


「ちゃう。見送りやなくてお迎えや」

「………………もっちー」

「はい?」


 微笑む。


「言ったよね。“本物”を見せてあげるって」

「――……!?」

翡翊(ひよく)っ!!」


 春樹の声と共に変わるセーガの翼。

 それは鮮やかな翡翠色。

 翡翠色は大きく開きその存在を強く高める。鋭く硬く、より美しく。

 その羽が――槍のように、はたまた雨のごとく降り注いだ。

 渡威から短い悲鳴が上がる。

 音を立て床に突き刺さった羽は鋭い跡を残し、蒸発するように姿を消す。


 喧騒が止みその場に残ったのは、呻く渡威と、無傷なもっちー、渚の姿。


「……もっちー。歌月くんも。退いて。退かないなら次は当てるよ」

「……っ」

「――参った」

「……は? てめっ、何言ってんだ!」

「あんなの見せられたら、なあ。分が悪い。そろそろ騒ぎを聞きつけて人が来る頃だろうし」

「……それは」

「春樹サン。そーゆうわけで今回は引き上げます。じゃ」


 拍子抜けなほどあっさりと笑顔で言い、もっちーは踵を返した。

 土屋の姿が溶け、もっちーは液体状のまま外に消える。

 それを見送った渚は短く舌打ちした。

 彼も猫の姿になるなり外に身を翻す。その後を何体かの渡威がのろりと追った。


 皆が消えてしまった後で残ったのは静寂。

 ただ微かに、窓の外から場違いな子供の笑い声が聞こえてくる。


「……行、った」


 呟き、どっと息をつく。しばしそこから動くことが出来なかった。


 ――“大丈夫か?”

「はは……さすがにニ連発はしんどいかも」


 肩で息をし、それでも何とか笑ってみせる。

 魄戍と翡翊、大技をいきなり連発したのだ。

 “力”も体力もだいぶ消耗した。

 だが、体調は悪くなかったのでいつぞやの海賊船のときより楽である。


 ふう、と一息。春樹は大樹の寝顔を覗き込んだ。


「……全く、呑気なもんだよね」

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