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倭鏡伝  作者: あずさ
11話「闇夜に溶ける影の道化師」
103/153

3封目 未知の力

「大樹、大丈夫か?」

「ダイジョーブ……倭鏡に来たら少し楽になった」


 声を掛けた自分に、大樹は小さく言葉を返した。

 だがその言葉に力はない。

 身体の熱も一向に鎮まる様子を見せない。

 春樹は眉を寄せた。


「セーガ、もう少し急げる?」

 ――“ああ。振り落とされるなよ”

「わかってる」


 うなずいたと同時にセーガのスピードが上がる。

 下へ目をやると多くの木々が視界の端から端へ流れていった。

 春樹は大樹を抱え直すようにして前へ向き直る。

 普段なら大樹は春樹の後ろに乗るが、今日ばかりはそうも出来なかった。

 今の大樹にそれを望めば、彼は病院に着く前に落下してしまうだろう。危険極まりない。


 ――“病院、見えたぞ”


 呟きと共にセーガのスピードが緩む。

 セーガはふわりと軽く、何の衝撃も感じさせず地に降り立った。

 実際、飛翔中もスピードの割に揺れはなかった。セーガならではの大した安定感だ。


「セーガ、ありがとう」


 名を呼ぶと共にセーガの姿が消える。

 いつもそれに続く大樹からの礼はなかった。

 春樹は息をつき、次いで病院の門をくぐる。

 とたんに病院特有のにおいが鼻をついた。

 春樹は割とこのにおいが好きだ。どこかホッとする。

 それは父がここにいるせいなのだろうか。

 きちんとした原因はわからないし、いやむしろ原因などないかもしれないし、大樹は苦手としているようだが。


「あの」


 受付を見つけた春樹は身を乗り出した。

 平日のせいかそんなに混んでいないため、相手もすぐに気づいてくれる。


「はい。――あ」


 春樹と認めた相手は破顔した。

 春樹たちはよく父の見舞いに来るので顔を覚えられたのだろう。

 その証拠に相手はにこやかに口を開く。


「こんにちは。今日も、ですか?」

「いえ、今日は……」

「――どうしたかな?」


 突然頭上から声が降り注ぎ、春樹は心底驚いた。

 慌てて振り向きその主を見やる。

 白衣を少しも違和感なく着こなした、眼鏡の男性。

 その柔らかい口調のせいか、それとも優しい笑顔のせいか、不思議と警戒心を起こさせない。

 きっと子供にも老人にも人気があるのだろう。


「……土屋は医師(せんせい)


 呼ぶと、彼はもう一度「どうしたかな」と微笑んだ。

 彼は春樹たちの父の主治医だ。だから自分たちとも面識がある。


「実はその……大樹が」

「大樹くんが?」


 説明に窮して大樹を見やると、土屋もつられるように視線を移した。

 ぐったりしている彼に目を留め、そのまま細める。

 だがそれはすぐに見開かれた。

 春樹は土屋が見せた一瞬の厳しい表情を見逃さなかった。


「先生?」

「……大丈夫。きっとすぐ良くなるよ。おいで」


 すぐに微笑み、彼は大樹の手を引く。

 春樹はうなずいて彼の後へ続いた。


「あの、でもいいんですか? 仕事があるんじゃ」

「何を言っているんだ。これも仕事の内、だろ?」

「それはそうですけど……」

「君たちのお父さんは、最近すこぶる調子が良くてね」

「?」

「私は今、することがなくてブラブラしていたんだよ」


 おどけるように言って笑う。

 春樹は瞬き、一緒になって小さく笑った。

 実際、いくら父が元気だとしても他にも仕事はあるだろうに。ふわりとした気遣いが心地良い。


 土屋が向かった先は地下で、レントゲン検査などが行われるような階だった。

 他の患者も備えられたソファーに転々と座っている。

 待ち時間なのかみんな退屈そうだ。なかには隣に座った同士雑談に興じている者もいる。

 病院内なのであからさまに声を張り上げる者はいないが、ざわめきに乗せて上がる笑い声は思ったよりずっと明るい。


 土屋はそんな人々と会釈を交わしながら廊下を通っていく。

 会釈のたびに患者は嬉しそうに笑った。

 そんなちょっとしたところからも彼の人望が窺える。さすが元王の主治医であると言うべきか。


 春樹たちは一番奥の部屋へ連れてこられた。

 中には数人の同じく白衣を着た人々と、奇妙な機械。

 土屋は中にいた一人へ何か耳打ちし、その一人はごくわずかにうなずいた。

 機械へ歩み寄り何かをいじり出す。


「……あの」


 見たことのない部屋と機械に不安が生じた。

 それを察した土屋が笑ってみせる。温かく。


「そうか、君たちは初めてだよね」

「はい」

「とりあえず座って。……そうだなぁ、確かにこの部屋を使うことはあまりない」


 小さな椅子に座った春樹と大樹に、彼はのんびりと言う。

 そののんびりした口調は不安を煽らないためだろう。その気遣いは嬉しい。

 だが今の大樹には意味がない。

 大樹はこの部屋に来てからまた耳をふさいでしまっている。


「“力”も輸血のように扱えることを知っているかな?」

「はい、耳にはしています」

「それを可能にしているのがこの機械なんだよ」

「……これが、ですか」


 まじまじと見てみるが、春樹にはよくわからない。

 仕方なしに曖昧にうなずいておいた。土屋が言うのだから、そうなのだろう。


「…………っ」

「大樹?」


 呻いた大樹の肩を支える。他にどうしてやることも出来ないのがもどかしい。

 土屋はしゃがみ込み、大樹の目線の高さに合わせた。眼鏡越しに覗き込む。


「心配いらないよ。今は“力”が溢れてしまっているだけだから」

「溢れて……」

「放っておいてもしばらくすれば落ち着くと思うけど……大樹くん、頭はまだ痛い?」

「ガンガンする……っ」

「そうか。なら、少し楽にしてあげようね」


 微笑んだ土屋が腰を上げる。

 そこへ先ほど耳打ちされた男性が例の機械を前へ押しやった。

 先ほどまで沈黙していた機械が微かな唸り声を上げる。


「先生。一体どうするんですか?」

「簡単だよ。余分な“力”を少し抜いてあげるんだ。……大樹くん、この機械の……この、棒の部分を握ってくれるかな。軽くでいいから」

「こう……?」

「そう。そうしたら少し肩の力を抜いてね。――いくよ?」


 ばちっ




(え――?)


 一瞬、温かいと思った。

 特に指先に熱いものが集い一心不乱に熱を発する。

 それを心地良いとも悪いとも思わない内に、冷たいものが流れた。

 その冷たさは尋常でなく、痛みを急激に掻き消していく。

 次いで襲ってきたのは浮遊感。フワフワクラクラ目眩がする。


 けれどこれら全ての反応は本当に一瞬のことで。

 何がどうなっているのか理解するより早く――身体中の力が抜けていくのと同時に、大きな何かがすっぽりと意識を包み込んでしまった。




「なっ……!?」

「大樹!!」

「吸収しすぎだ! スイッチを切れ! 早くっ!」


 ばちばちっ……


 耳障りな音が響く。

 春樹は気を失った大樹を抱き寄せた。

 さっきまで熱いくらいだった彼の体温がぐっと下がっている。

 表情は穏やか。けれどピクリとも動かない。ホッとするべきなのか焦るべきなのか。

 ――もちろんホッとなんて出来なかった。周りの反応が嫌でも緊張を煽る。


 ばちばちと激しい火花が散るような音。

 機械に備え付けられたメーター。

 そのどちらも止まらない。

 大樹はもう機械に触れていないというのに。


「このままでは彼の“力”が……っ、早く!」

「駄目です、止まりません!」

「何だと……!?」


 ――――っ!!


 それはまるで、大きな風船が破裂したような、一瞬で激しい音だった。

 音は止み、機械は黙って煙を上げる。

 代わりにざわめく周りの声。


 春樹はそっと顔を上げた。かばうようにしていた大樹を慌てて揺さぶる。


「大樹! 大樹!?」


 彼は動かないし、話さない。きつく瞳を閉じたまま。

 途方に暮れる春樹の耳に、土屋の呟きが流れ込んできた。


「……そんなまさか……この機械が壊れるなんて……?」


 彼の声は震えていた。現実を信じられず視線が落ち着かない。


「許容量を超えるなんてことがまさか……」



◇ ◆ ◇



 しばらくして大樹は個室に移された。

 落ち着きを取り戻した土屋が言うには、何てことはない、「“力”を少し吸収しすぎた」そうだ。

 時間はかかるかもしれないが安静にしていれば目が覚めるだろうと言い、また、こうなってしまったことを彼は深く詫びた。

 いくら王家の者とはいえ十三の子供でしかない春樹に頭を下げたのだ。

 それは医師としての誠意なのだろう。

 けれど。


(本当にそれだけ?)


 春樹は疑問を感じずにはいられない。

 確かに大量の“力”を消費すれば、人は意識を失い、眠り込む。

 春樹にも経験があった。

 しかし問題はなぜそんな事態に陥ったかだ。

 機械が故障したのか? それとも――?


「すげー顔」

「わ!?」


 突然額を指で突付かれた。春樹は慌てて顔を上げる。

 廊下で道をふさぐように立っているその相手は、よく見知った顔で。


「……葉兄」

「眉間にシワ寄ってたぜ? どうせまた何か考え込んでたんだろ」

「別にそんなこと……」

「俺が目の前にいることにも気づかないのにか?」

「…………」


 反論出来ずに黙り込む。

 兄の日向葉はしてやったりと楽しげに笑った。

 だがここがどこか思い出したのだろう。すぐに声のトーンを下げる。


「連絡が来た。チビ樹の様子は?」

「変わらないよ。ずっと眠ったまま」

「ふぅん。――だからチビ樹のこと、ちゃんと見とけって言ったのによ」


 ぽつりと呟かれた言葉に、春樹はハッと顔を上げた。

 それは決して傷ついたからではない。思い出したのだ。


 春樹が葉に言われたのは歌月渚に出会った翌日、やはり大樹が“力”の消費で眠り込んでいたときだった。

 あのとき彼は何か言いたげにし、けれど父に遮られ、春樹がその先を知ることはなかった。


 葉も自身の失言に気づいたらしい。彼は顔をしかめた。

 だが春樹はそれすら見逃さない。

 ――彼は何かを知っているのだ。


「葉兄」

「……俺、おまえの鋭さが時々嫌になるな。我が弟ながら怖いこと」


 軽くおどけつつ、葉はそれ以上話を逸らそうとはしなかった。近くの一室を指差す。


「もう少しで医者が話に来るそうだ。先に中で待ちながら、ってことでどうだ?」

「人にはあまり聞かれたくない内容なの?」

「どうかな」


 はっきりしない内に葉はさっさと中に入っていく。

 春樹も仕方なしに続いた。


 部屋の中はこざっぱりとしていて、ただ二つある机の内一つだけは資料が山積みになっている。

 あまり使われていないのか空気が冷たい。

 病院なのだから仕方ないかもしれないが、生活感らしきものがまるで見えてこなかった。

 窓から太陽の光が射し込んでいるので雰囲気は暗くないが、もしそうでなかったなら、あまり長居したいとは思えないだろう。


 春樹は後ろ手でドアを閉めた。


「――それで?」

「せっかちな奴だな。だから実年齢よりじじいなんだぞ」


 苦笑しながら葉は椅子に腰を落ち着ける。ゆったりと足を組んだ。


「そもそもどうした? 医者が言ってたんだろ、“力”をちょっと吸収しすぎただけだって」

「誤魔化さないで」

「春樹?」

「葉兄は知ってるんでしょ? 今の大樹がいつもとは違う状態だってこと」

「……おまえ、何が見えている?」


 葉の目が細められる。

 春樹はその視線に押されて口ごもった。

 何だか落ち着かなくなり、葉の近くの椅子に座り込む。意外と上質なのか座り心地は悪くない。


 やがて、春樹は言葉を選び抜くように視線を床へ縛りつけた。

 床のタイルは硬く冷たそうだ。


「……“力”の動きを読むのは、葉兄になんて勝てない。でも“力”の色を見るのなら、僕、葉兄にも……きっと父さんにも負けないよ」

「――色、ね……なるほどな。それで? いつもと今じゃどう違うんだ?」

「うん……。大樹に限らず、“力”ってどこか透き通って見えるんだ。人によって色は違うけど、どれも向こうが見えるような透き通った色。変な喩えだけどセロハン紙みたいって言えばいいのかな」

「ああ」

「大樹もそう。大樹の場合は……オレンジに近い、かな? 何ていうか、暖色系? あいつらしいんだけど」

「今は?」

「白」

「……白?」

「うん……。白い。でも――濁った白」

「濁った?」


 葉の声に怪訝さが現れる。春樹はようやく顔を上げた。


「言ったよね? 普通は透き通っているって。でも……さっきの大樹の“力”は奥が全く見えなくて……」


 まるで、水の中に白い絵の具の塊を放り込んでしまったような。


「“力”が吸収されたら、いきなりその白い“力”が現れたんだ。白くて、濁っていて、渦巻いていて……。あんなの見たことない……っ!」

「――なくて当然だ。チビ樹が初めてだろうからな」

「……え?」

「春樹。覚えてるか? 俺が跡継ぎの話をしたときのこと」


 思わぬ話の方向に、春樹は戸惑いを隠せずにいた。

 目で応答を促され、ぎこちなくうなずいておく。

 一応覚えているつもりだ。

 まだ小中学生でしかない自分たちへの跡継ぎ宣言はぶっ飛んだものであり、あの衝撃は今でも印象に強い。

 『おまえらのどっちかに継いでもらおうと思ってよ』もあっさりすぎて我が耳を疑ったものだが、その理由が『だって面倒だろ』だったのだからたまったものでない。

 弟として、また王家の一人として存分に嘆いてやりたいところだ。


「……何か地雷踏んじまったみてーだけど、俺は容赦なくスルーしていくからな」

「そんな!?」

「んなことより。おまえ、言ったよな。チビ樹を見てると大きな“力”みたいなものを感じるって」

「あ……うん、言ったけど……」


 それは覚えている。何気なく言ったことではあるけれど。


『よくわかんないけど、大樹を見てると大きな“力”みたいなものを感じるんだ。それが何なのかはわからないし、ただ漠然と思っただけだけど』

「おまえの言う通りだよ」

「え?」

「それも文字通り、な」

「……葉兄……?」


 春樹が漠然と感じた“力”、それがあの白い“力”だというのだろうか。

 それが今になってはっきりと存在を表していると。


「あの“力”はしばらくすりゃ潜むだろ。三年前もそうだった」

「大樹の“力”が暴走したとき?」

「ああ」

「……あの“力”って一体、何?」


 ぽつりと呟くと葉は瞬いた。

 肩をすくめ、「さあな」と息をつく。

 それは決していい加減に言ったわけではないようだった。


「正直、俺にもはっきりしねぇ。わかっているのは異質ででかいってことくらいだ」

「でかい?」

「チビ樹自身があれを制御すんのは難しい。普段は陽の“力”の下で眠っている状態だから問題ねぇけど」


 “力”には陰陽がある。

 それらは個別のものであり、どちらが良く、どちらが悪いというわけではない。

 元々の性質が異なるのだ。

 そして普段、大樹から感じる“力”は紛れもなく陽であった。


「……ねえ、あの白い“力”は? 陰陽、どっちなの?」

「さあ」

「えぇ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げれば、ジロリと突き刺さる視線。

 葉はただでさえ怖い顔をますます仏頂面にした。


「言ったろ、はっきりしねぇって。見たことのない異質な“力”なんだよ。陰でも陽でもないような気はするし、陰でも陽でもあるような気もする。不安定で混沌とした“力”だ。……だからあいつが“力”の使いすぎで倒れたりすると困る。未知なもんだから扱い方がわかんねぇ。他の奴と同様、不足した“力”を注入したところで何か問題が起こらないとも限らない」

「…………」


 ――わかった、ような気がした。

 春樹が幾度か引っ掛かった疑問。

 なぜ、大樹が陰の“力”を持つ春樹の封御を扱えたことがあるのか。

 なぜ“力”を消費しすぎても春樹ほど支障をきたすことがなかったのか。

 それらはきっと、彼の中にあの白い“力”が眠っていたからなのだ。


「とりあえずこのことは他言するな。未知で正体が知れない分、周りに知れたら何に利用されるかわかったもんじゃねぇ」

「うん……気をつけ……」

「春樹?」


 言葉を途切らせた春樹に、葉は怪訝な目を向けてくる。

 だが春樹にはそれに気づく余裕がなかった。

 唐突に浮かんだ考えがぐるぐると頭を回っている。


『あ、けど一つだけ教えといてやる』

『?』

『あえて最初におまえを狙った理由』

『え……』

『親父が言ってた。ここの言葉で言うなら、「人を射んとすれば先ず馬を射よ」だって。それだけだ』


 人を射んとすれば先ず馬を射よ――。


 渚の、正確には彼の父の言葉。どうして今頃思い出すのか。

 いや、どうして今まで考えようとしなかったのか。


 先に狙われた自分が馬であるなら、人――自分がいつも側にいる者は。


(何で気づかなかったんだ……!!)


 思わず立ち上がる。考えるより先に動いていた。


「おい、春樹? ――どこに行くんだ!?」

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