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倭鏡伝  作者: あずさ
11話「闇夜に溶ける影の道化師」
101/153

1封目 カラスの三角関係

「大樹! いつまでも牛乳を残すな!」

「春兄こそ毎日出すなよ! もったいないだろ!」

「おまえが残すからもったいなくなるんだよ」

「ちげぇもん! 牛乳なんて飲んだら縮む! ハラ壊す!」

「おまえの腹がそんなデリケートなわけあるか!」

「ひでぇ! んじゃ春兄は毎朝バリウム飲めんのかよ!?」

「何で僕がバリウム飲まなきゃいけないんだ!」

「オレだって何で牛乳飲まなきゃいけないんだよ!」

「偏食! 小さい! カルシウム不足! だから飲め!」

「は……春兄のアホぉ~~っ!」

「アホはおまえだっ」


 ぜーはー。ぜーはーぜーはー。

 朝からくだらないやり取りを全力で行い、日向春樹はぐったりと肩を落とした。

 その隣では弟の大樹も息を切らしている。

 だが彼はまだ元気な方で、ちゃっかり牛乳を台所に流す体力は残っているようだ。

 その偉業を成し遂げた彼は生意気にも笑顔を向けてくる。

 その笑顔は誇らしげに語っていた、「今日はオレの勝ちだな」と。


 ――くそう。今日の夕飯はデザートなしにしてやる。

 春樹は心の中でセコイ復讐劇を思い浮かべる。

 セコイが大樹にはこれが一番だ。


 夏休みはある種の里帰りをしていた日向家も、それが明けた今、ほぼ毎日このような光景が見られた。

 春樹は昨日、近所のおばさんに「夏休みは寂しかったのよ。二人の声が聞こえないと朝って感じがしなくて」とにこやかに話しかけられたほどである。


 それにしても、抵抗もなく井戸端会議に参加する中学一年生とはいかがなものだろう。

 一昨日なんて旦那への愚痴を妙に細かく聞かされた。

 仕方なしに春樹は「話し合うことも必要ですよ」と言っておいたのだが、果たしてその夫婦はどうなったのか。

 昨日も笑顔で井戸端会議をしていた辺りそれほど重要なことでもないのだろう。

 愚痴りたい年頃なのか。それなら春樹も散々愚痴りたいことはあるのだが。


 ともかく、おばさんも喜ぶ朝のやり取りはようやく落ち着きつつあった。

 春樹は気を入れ直し、大樹は部屋と居間の往復をばたばた始め出す。

 一階と二階なので階段での音が激しい。


「賑やかやなぁ~……」


 ふあぁ、と大口を開けながら怪獣のぬいぐるみがやって来る。

 学校へ行く準備を始めようとしていた二人は一旦その手を止めた。


「もっちー、はよっ」

「おはよう」

「おはよーさん」


 まだ欠伸を噛み殺しながらも、寝惚けてはいないようでしっかりした挨拶だ。

 ――この非常に怪しい関西弁を話すぬいぐるみは「もっちー」。

 春樹たちが里帰りした“倭鏡”、いわゆる異世界に生息する“渡威”である。

 ぬいぐるみが話すことでさえ驚きであろうが、それも異世界の生き物なら大したことではない。

 いかにもエセな関西弁だって慣れてしまえば問題ない。

 そんなもっちーは現在、訳あって日向家に居候中だ。


 ただ――最近、春樹はどうももっちーの様子が気になっていた。


「ねえ、もっちー。最近外に出かけてない?」

「え? ……いや。何で?」

「この前、僕が帰ってきたときは家にいなかったし……夏休み後半も倭鏡でフラフラいなくなってたし。ちょっとだけ気になって」


 あ、いない。そう思って過ごしていると、気づいたときには戻ってきていた。

 それも何事もなかったかのように。

 どこに行っていたかを言いもせず。

 それが一度や二度なら気に留めないが、何度も続くと気になるのが普通だろう。


「ただ遊んでただけやで? ワイも青春を謳歌しよ思うて♪」


 つぶらな瞳をパチパチと瞬かせるもっちーに、春樹は曖昧にうなずいてみせた。

 浮かれた調子が少々わざとらしく思えるのはただの気にしすぎだろうか。


「それにな、春樹サン」

「ん?」

「ワイ、今思春期やねん」

「…………そ、そうですか……」


 訳のわからない説得力に気圧され、春樹はぎこちなくうなずいた。

 ――いや、マジで訳がわからない。

 思春期? 渡威にもそんなものがあるのか?


「やからプライバシーを覗いちゃいやん♪ ……っと、ボチボチ学校行った方がええんちゃう?」

「え? うわ、ほんとだ!」

「あ、せめてツッコンでぇな!」

「ごめん時間ない」


 時計を見れば、もうとっくに家を出ている時間。

 今日は大樹との言い争いに時間をかけすぎたらしい。

 不気味な口調のもっちーへハリセンをかましてあげる余裕はなかった。


「大樹、行くぞ!」

「おうっ」

「気ぃつけてなー」


 もっちーの声に押されるように家を飛び出し、学校へ駆け出す。

 すれ違うのは同じ学校の子、ごみを捨てに来たおばさん、散歩中のおじいさん。

 ごみ捨て場で井戸端会議中なのは黒い塊。


「カ、カカカ」

「春兄、笑ってるみてぇ」

「こんな笑い方したくないっ」


 他人事のように笑う大樹を怒鳴り飛ばす。

 何て奴だ。

 春樹がひたすら、とにかくきっぱり、どこまでもカラスが嫌いだと知っているくせに!


「いるの三羽だけじゃん。早く行こうぜ」

「わかってるよ……」


 引っ張ってくる大樹に力なくついていく。

 ごみ捨て場を大樹側にするのは忘れない。

 ローラースケートを履いている彼は、そのことに気づいているが何も言わなかった。

 軽く地を蹴り、ローラーで滑っていく。

 お馴染みのことなのだ。暗黙の了解と言ってもいい。


「ん?」


 ふと、大樹がごみ捨て場を振り返った。

 難問をクリアしたとばかりにホッとしていた春樹は、ビクリと大袈裟に肩を強張らせる。

 その瞬間カラスが飛び立った。思わず叫びそうになる。

 カァカァバサバサうるさい! 心臓が止まったらどうしてくれるんだ。


「だ、大樹?」

「あ、いや。何でもない」

「でも振り返ってたろ」

「いや……声聞こえてさー」


 頭の後ろで手を組み、大樹が前に向き直る。

 ローラースケートの彼の隣に並ぶため、春樹は自然と小走りになった。

 ちなみに彼の言う“声”とはそのままカラスの声だろう。

 “倭鏡”の者は何かしら特殊な“力”を持っており、大樹は人以外の声も耳にすることが出来る。そのせいか彼は動物が大好きだ。


「何て言ってたんだ?」

「言い争ってたっぽい。『私のために争うのはやめて』とか『もっと広いところで決着をつけてやらぁ』とか」

「…………」


 カラスの三角関係って一体……?

 妙な想像をしてしまい、春樹は慌てて首を振った。恐ろしい。忘れよう。

 それより。


「朝からあまり“力”使うなよ。後で倒れても知らないからね」

「ちげーよ、聞こうとして聞いたわけじゃ……」

「グッモーニン♪」

「うわ!?」


 ムッとした大樹の表情が驚きに一変する。

 それもそうだろう。後ろからすごい勢いで両肩をつかまれれば普通は驚く。


「隼人くん」


 春樹は苦笑して相手の名を呼んだ。

 相手――咲夜隼人はにっこり微笑む。

 ハーフであるため自然な金色の髪が、眩しく太陽の光に溶け込んだ。

 彼は春樹のクラスメイトだ。

 顔やスタイルは周りの者がハッとしてしまうほどの美少年。

 そのせいで今もおばさんたちからの視線が熱い。


「隼人! いきなりビックリさせ」

「Oh, 急がないと遅刻だよ! Hurry up!」

「え、ちょ、やめー!?」


 大樹の抗議をきれいさっぱり無視し、隼人は勢い良く走り出した。手は大樹の肩に置いたまま。

 ローラースケートを履いている大樹は踏み止まることも出来ない。押されるままに滑っていく。

 そして隼人はこちらを振り返り――ウインクを一つ。

 それで春樹もハッとした。慌てて追いかける。

 確かにそろそろ時間がない!


「やめっ、転ぶ! 転ぶーっ!」

「転ぶ前にオレが彼に助けてみせるさ♪ お姫様ダッコ、超得意なんだ」

「一人でやってろよ!」

「一人でお姫様ダッコは難しいじゃないか」

「ていうか二人とも、恥ずかしいんだけど……」


 騒ぎ合う二人の声はなかなか大きく、すれ違う人々が不思議そうに振り返っている。

 春樹はため息をついた。

 夏休みの頃より熱気の緩んだ風にそっと秋の気配を感じ取る。

 道端に咲くコスモスや菊、色づき始めた葉もまた秋の訪れを囁いてくれる。

 ――いつもと同じ、賑やかな日常の始まりだ。



◇ ◆ ◇



 朝の教室は少々騒がしい。

 「おはよう」から始まり「昨日のテレビ見た?」とすぐに雑談が始まる。

 先生もまだ来ていないのでエネルギーを存分に使うことが出来るのだ。

 そして沢田雪斗もまた、そのエネルギーの中にいた。

 ただし今はプロレスの話。

 特に興味を持っているわけでもない雪斗はあまり会話に参加していない。

 それより机の並びが乱雑だなと、細かいけれどどうでもいいことに気が散っていた。


 そういえば教室の花に水をやったっけ。

 雪斗は世話係でないが、あまりに世話が疎かだと“彼”が――。


 ガラリと教室のドアが開いた。

 何人かはそのままおしゃべりに夢中で、また何人かは興味をそちらへ移す。


「おっはよー!」


 元気すぎる挨拶と共に入ってきたのは、雪斗の幼馴染みである日向大樹。

 彼が入ってきただけで教室の中はどこか明るくなったような気がした。

 クラスの者がそれぞれ「おはよう」と返す。

 それに満足気に笑った彼はピタリと足を止めた。

 雪斗と目が合う。

 一瞬の間。


「ユキちゃん!」

「ダイちゃん!」


 ひしっっ

 二人の距離が瞬時にゼロとなる。

 だがその一瞬で縮まったのは互いの距離だけでなかった。

 雪斗は白い何かを網膜の端に焼き付ける。

 ただそれは残像だったのかもしれない。

 認識したときには後頭部に鋭い痛みが走っていた。 ついでに妙に弾けた音。


「そこ! 夏休みが終わって何日経ったと思ってるのよ。いい加減懐かしがるのやめなさい」


 そうきっぱり言い放ち仁王立ちしているのは佐倉椿。

 彼女はこのクラスの委員長を務めている。

 またツッコミも彼女の担当だと言っても語弊はないだろう。

 その証拠に彼女の右手にはハリセンが握られていた。

 雪斗が見た白いものの正体はこれに違いない。

 しかし彼女は常にあれを携帯しているのだろうか。

 どこにしまっているのかなど多くの疑問が残る。


「何だよ椿! いきなりハリセンで叩くな!」

「毎日やられたら見ている方がうんざりするのよ!」


 ぎゃあぎゃあと遠慮なく怒鳴り合う大樹と椿。

 この二人の怒鳴り合いはもはや日課だ。

 クラスの誰も止めようとしない。

 むしろこれでこそ学校に来た、という実感を味わう者が多いだろう。

 雪斗もその一人である。

 元々クラスで一番小さい大樹と大きい雪斗は「凸凹コンビ」としてクラスの名物状態だが、椿もまた、漫才トリオとして有名になる日が近いと思われる。


「別に迷惑かけてねぇじゃん!」

「男二人が出会い頭に抱き合ってて何がいいのよ!」

「でも委員長~……男と女が教室で抱き合うのも問題じゃないー?」

「うっ……」

「それにー、ダイちゃんは今年の夏休み、ほとんどずっと倭鏡にいたから~……」


 幼稚園の頃からずっと一緒にいた身としては、今年の夏休みは少々寂しかった。

 それが本音だ。

 そしてその結果がコレである。

 まあ、半分は面白いからやっているわけだが。

 それともう一つ。


(ダイちゃんも色々あったみたいだしね~)


 彼は夏休みにあったことを詳しく教えてくれた。

 その中には楽しいことだけでなく大変なことも含まれていたのだ。

 それでも彼は乗り越えたようであるし、そんな彼が弾けたいと言うのなら、雪斗は喜んでそれに付き合う。


 椿もその辺の事情を知っている者の一人だ。

 そのため彼女は言葉に詰まった。

 それを見た大樹が勝ったとばかりににんまり笑う。 ――まあ、彼は何もしていないのだが。

 雪斗もまた、「あははー」と得意の笑みを浮かべた。


「それともー、委員長、ヤキモチとかー?」

「は!?」

「委員長もハグしたかったら言えばいいのに~」

「はあ!?」


 スパパンと二連続の小気味良い音。

 襲ってくる後頭部の激痛。

 今度は白いものを目で捉えることすら出来なかった。


「バカなこと言わないでよ!」


 カリカリした様子で椿がこの場を離れていく。

 ――乙女心は難しいものだ。


 漫才の終了を察したのだろう。

 それとも椿のハリセン捌きの鮮やかさにか。

 どこからともなく拍手が溢れた。

 その拍手に掻き消されてしまいそうな呻き声が大樹から上がる。


「オレ、今何も言ってないのに……っ」

「あははー」

「ユキちゃんが変なこと言うからだろ!」


 思わず笑った自分に、大樹の喚き声が間髪入れず降り注いだ。

 彼はうっすら涙目だ。よほどきれいにヒットしたらしい。

 だが、ふと大樹の様子が変わった。

 キョロキョロと周りを見始める。どこか落ち着きなく。


「……ユキちゃん、花に水、あげなきゃ」

「え? あ、僕も思ったんだよね~」


 ちらりと窓際へ目をやる。

 いくつか並んだ色とりどりの花たちは、言われてみれば元気がない。けだるそうに佇んでいる。


「あと金魚がハラへったって。水も替えてないし」

「あれ? 金魚もー?」

「それに」

「……ダイちゃん?」


 何かおかしい。

 熱に浮かされたように続ける大樹に、雪斗は眉をひそめた。

 確かに彼は“力”のおかげで動物や植物の訴えを伝えてくる。

 だがこんなにいっぺんに言うことはない。

 それもここまで切羽詰った表情をするなんて。


「ユキちゃん、早く。お願いだから早く水とエサと……」

「ダイちゃん、どうしたのー……?」

「じゃないとオレ……」


 彼の瞳が動揺に揺れる。

 雪斗は大樹を教室の外へ引っ張り出した。

 騒がしくて教室ではよく聞こえない。


 廊下に出ると空気がひんやり冷たかった。

 大樹も少しホッとしたようで表情を緩める。

 もうすぐ本鈴が鳴るためか、歩いている生徒もかなり少ない。

 どこの教室も相変わらずうるさいが、それらの音はドアが多少は遮ってくれる。

 これなら落ち着いて話せるだろう。


「それで、ダイちゃんどうしたの~?」

「……声、聞こえて」

「うん」

「止まらないんだよ」

「?」


 予想外の言葉に思わず首を傾げる。

 止まらない?


「ずっと聞こえてきて、だからすごくあっちも必死なのかもって。止めようと思っても止まらないし……!」

「ダイちゃ……」


 耳をふさいだ彼は激しく首を振った。

 まるで何かを全身で拒否するかのように。

 とりあえず落ち着かせようと肩をつかもうとする。 だが、彼はそのまま倒れ込んできた。

 小柄な彼は雪斗の腕の中にすっぽり包み込まれてしまう。


「ダイちゃん!?」

「ユキちゃ……あた、ま」

「え?」

「あたま……いたい……っ」

「ダイちゃん! ダイちゃん!?」


 身体が熱い!

 雪斗は慌てて大樹を抱え直した。

 とっさに周りを見るが、みんな訳もわからずざわめき合っている。

 これでは使えない。誰か。誰か呼ばないと。

 ――ふいに教室のドアが開いた。


「大樹、雪斗。もうすぐ本鈴……え?」

「委員長!」


 顔を出した椿に叫ぶ。


「誰か先生呼んできて!」

「!」

「早く!」

「わ、わかった!」


 言うより早く彼女が駆け出す。

 事情もよくは理解していないだろう。

 それでも彼女は、まずは助けを呼ぶのが最優先だと悟ったのだ。

 その判断力と行動力には感服する。さすが委員長である。


「ダイちゃん、もう少しの辛抱だからね~?」


 いつものように語尾を伸ばしてみせた自分に、聞こえているのかいないのか、大樹はずっと耳をふさいでいた。

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