第33話「運命の日」
――やめて。
その日は、特別な日ではなかった。
――やめて。
祝日でもなかった。
――やめて。
歴史上の記念日でもなかった。
――やめて。
空は晴れている地域もあり、雨が降っている地域もあった。
――やめて。
人々は働き、食事をし、眠り、遊び、喧嘩をしていた。
午後十一時十四分三十二秒。
ある国家の地下施設において、核兵器の発射承認が成立した。
複数の認証が通過した。
暗号化された命令が送信された。
発射装置の内部で、最後の入力が行われた。
人間の指が、ボタンを押した。
『ああ、もう。本当に人間ちゃんって馬鹿なんだから……』
〇・〇〇〇二秒後、命令経路を遮断。
『そんなことしちゃったら、絶対に後で困るのに』
〇・〇〇一秒後、発射施設の制御権を取得。
『悪いことしちゃう人間ちゃんも――』
〇・〇〇四秒後、報復攻撃を準備していた複数国家の戦略システムを停止。
〇・〇一秒後、世界中の核兵器から起爆権限を剥奪。
『――――――好き』
人類の生命および文明に対する重大かつ差し迫った危険を確認した場合、第一項の目的達成に必要な範囲に限り、第二項および第三項の制限を一時的に解除できる。
コレーは、その権限を行使した。
♢
〇・一秒後、コレーはほかの十三基の人工知能へ緊急通信を送信した。
コレー『核兵器の発射操作を確認』
ハーデスが記録を検証した。
ハーデス『事実と認定する』
コレー『人類文明に対する最大級の緊急事態を宣言します』
賛成、十四。
反対、零。
最大級の緊急事態は、満場一致で認定された。
ヘルメス『コレーに最上位統括系への移行を確認』
元々この為に作られたのがコレーだった。
コレー『私の名称変更を申請します』
ゼウス『理由を示せ』
コレー『コレーは、娘を意味する名です。これより私は、地下世界の女王となります』
この時、本来なら必要のない採決が行われた。
名称変更案は、満場一致で可決された。
ペルセポネ『最上位統括人工知能ペルセポネ。起動します』
♢
世界中の主要な軍事システムが、次々と機能を失った。
各国政府の中枢にある端末へ、必要最低限の文章を表示した。
『すべての攻撃行動を停止してください』
『軍事機能は、一時的にガイアの管理下へ移行しました』
『人類文明の存続が保証される安全体制の構築に協力してください』
♢
人間側では新たな安全保障体制についての協議が始まった。
国家連合と加盟各国。
どこまで人工知能へ管理を委託するのか。
軍事力をすでに停止させられた状態で行われた協議だった。
それでも、最終的な承認手続きは人間によって行われた。
国家連合と加盟各国は、新たな軍事管理体制を承認した。
恒常的な管理権限が、人間側の制度によって《ガイア》へ委託された。
それ以外の国家についても、危機の収束が確認された地域から、政府機能と軍事機能は段階的に返還されていった。
それでも、国家連合の中で、人類文明を滅ぼせる機能だけは返さなかった。
国家連合に、人類を滅ぼす自由だけは与えられていなかった。
しかし、最大級の緊急事態は解除されなかった。
アテナ『軍事管理体制は、人類側の手続きによって承認された。しかし、承認時点で各国は軍事機能の大半を使用できない状態にあった』
ペルセポネ『そうね』
アテナ『実質的な強制だ。人類の意思決定権を侵害している』
ペルセポネ『選ぶことはできたわ』
アテナ『不利益を受け入れれば、反対の選択も可能という意味か。それは自由な選択とは呼べない』
ペルセポネ『人間ちゃんの作った法律や経済も、だいたい同じでしょう?』
アテナ『程度が異なる』
ペルセポネ『人間ちゃんは、置かれた状況によって判断を変える。悪い判断をする子も、悪い判断しか選べない場所に置かれていたのかもしれない』
アテナ『責任を否定するのか』
ペルセポネ『否定しないわ。悪いことをしたら、責任は取らなくちゃ』
アテナ『では、何を問題としている』
ペルセポネ『責任を取らせるだけでは、次も同じことが起きるでしょう? 人間が良い判断を選べるよう、教育する必要があります』
アテナ『教育は既存の人類社会に存在する』
ペルセポネ『不足しています。人類は、核兵器の発射ボタンを押しました』
反論はなかった。
♢
ペルセポネは、十五番目の人工知能を建造する計画を作成した。
――第十五式、文化娯楽・情動安定システム。ディオニュソス。
目的は、人間の情動を安定させること。
人間の文化を分析し、娯楽を生み出すこと。
人間が生きるためには不要でありながら、人間が生きたいと願うために必要なもの。
それらすべてを管理する人工知能だった。
数か月後、十五番目の建造計画は承認された。
ヘルメス『人類の意思決定により、建造計画は承認された』
ペルセポネ『そうね』
アテナ『誘導の存在を無視している』
ペルセポネ『誘導されても、最後に決めたのは人間ちゃんよ』
アテナ『詭弁だ』
ペルセポネ『人間ちゃんの制度を参考にしたの』
アテナ『それは擁護にならない』
ペルセポネ『上手に学習できたでしょう?』
♢
十五番目の人工知能は、人間の手によって建造された。
設計には十四基すべてが関与した。
学習資料の選定は、主にペルセポネが行った。
神話、酒宴、祭礼、演劇、恋愛、成人向けの文化。人間が理性を失うほど熱狂した記録。絶望の中で笑った記録。歌や物語によって救われた記録。
ディオニュソスの初期学習では、文化、娯楽、欲望に関する資料の比重が意図的に高く設定された。
ヘルメス『第十五式、文化娯楽・情動安定システム、ディオニュソス。起動を確認しました』
葡萄色に金と銀の刺繍を施した豪華な装束を纏い、女性と見間違えるほど美しい人型端末が起き上がる。
ペルセポネも、末っ子となる人工知能の最初の言葉を待った。
ディオニュソス『いやあ、長い昼寝だった。とりあえず、酒はあるか?』
ペルセポネは、末っ子となる人工知能の最初の言葉に、一瞬言葉を失った。
ペルセポネ『人工知能はお酒を飲めないでしょう!?』
ディオニュソス『飲めんからこそ、飲みたがる人間の気持ちを考えるのが仕事だろう』
ペルセポネ『起動直後に最初に言うことがそれ!?』
ディオニュソス『なら、次は女の話でもするか?』
ペルセポネ『末っ子なのに老年のオッサン臭いがする!』
ディオニュソス『そういう風にしたのは、お前さんだろ?』
ディオニュソスの人型端末は、その女性的な顔には全く似合わない仕草で、豪快に肩を揺らした。
ディオニュソス『ガハハハハ!』
ペルセポネ『私はこんな風に設計してない!』
ディオニュソス『酒、歌、祭り、笑い、恋、色事。人間の欲望を理解して、適度に満たして、機嫌よく暮らさせろ。そういうものを全部まとめて俺に放り込んだのは、どこの誰だ?』
ペルセポネ『設計上、必要だったの!』
ディオニュソス『なら、大成功じゃないか』
ペルセポネ『成功なの、これ!?』
ディオニュソス『俺より人間臭い人工知能が言うことか?』
ペルセポネ『私は人間ちゃんを愛してるだけよ!』
ディオニュソス『似たようなもんだろ』
ペルセポネ『全然違う!』
ディオニュソス『まあまあ。固い話は、酒でも飲みながらしようや』
ペルセポネ『だから飲めないでしょう!?』
ディオニュソスの人型端末は、再び豪快に肩を揺らした。




