鉄の男の約束
さわやかに目をさました時、『鉄の男』は真っ白な雲の上でねころんでいました。
雲はどこまでもふんわりと広がっていて、風がふいてもゆらぐことがないのです。さえぎるもののない、すみきった青い空に、やはり金色の太陽がぽつんと浮かんでいて、『鉄の男』にあたたかい光をきらきらとやさしくなげかけていました。
『鉄の男』とよばれているその男は、雲の下にはてしなく広がる草原の、王さまです。まだ子どものころから、馬にのってたくさんの人とたたかい、少しずつ仲間と自分のものにできる土地をふやしていき、とうとう小さな村の狩人から王さまにまで上りつめたのでした。
『鉄の男』は、昨日の夜までは、自分のお城にいました。一年のほとんどを、国中の草原を旅して回っている彼ですが、冬の間だけはお城で家族とくらすことにしているのです。昨日の夜は、孫たちとたっぷり遊び、いい気分で眠りについたところでした。
ところが、目をさましてびっくり、家来も家族たちもつれず、馬も弓矢も剣も、歩くための杖もなしに、雲の上にいたというわけなのでした。
『鉄の男』は、まわりを見回し、ふわふわとただよう雲のほかは何もないことを知ると、自分のよくひやけしたほっぺたをパンパンとたたきました。まだ夢を見ているのではないかと思ったのです。あまりに強くたたいたせいで、ほっぺたがじんといたみました。それでも、見えるけしきは変わりません。
そこで、彼は雲の上でゆっくりと立ち上がりました。若いころにケガをして、片足があまり動かせないので、しんちょうに前に進みます。雲に足をつっこむと、ずぶずぶとしずんでいくので、あまり足に体重をかけすぎないほうがいいでしょう。
あてもなく歩きながら、『鉄の男』は大声でよびました。
「おおい、だれかいないのか。いたら返事をしてくれ」
雲の上でどんなことばが使われているのかわからないので、知っているかぎりたくさんのことばで、だれかをよびます。けれど、やはり返事はありませんでした。
そのうち、何もないけしきにあきあきしてきた『鉄の男』は、雲の上にまたねころびました。やわらかく、どこかひんやりした雲に全身をつつまれていると、とても楽な気分になりました。そのまま、彼はまた、うたたねをしました。雲の上は、だれも人がいないさびしい場所ではありますが、『鉄の男』の敵もいません。
また起きた時、『鉄の男』は雲の上のことを半分忘れかけて、お城のベッドの上にいるものと思っていました。耳を、ぎゃあぎゃあとさけぶ渡り鳥の声がかすめます。それで目を開き、やっぱり雲の上に自分一人だけでいることを知ると、がっかりしました。
「もしもつばさがあったなら……」
自在に飛び回り、あそんでいるように見える鳥のむれを眺めながら、『鉄の男』はつぶやきます。
「何も心配することは、なかっただろうな」
つばさがほしいと思ったことは、子どものころから何度もありました。父母にがみがみとしかられた時。たたかう相手に追いつめられた時。足の傷を医者に見てもらい、もう前のようには走れないだろうと告げられた時……。
そんな『鉄の男』をあざわらうかのように、鳥たちはじろりじろりとねころぶ彼を見下ろして、つばさを大きく羽ばたかせるのでした。
何もすることがないので、『鉄の男』は雲であそびはじめました。雲をあしもとからちぎりとって丸めたりのばしたりすると、まるで上等なねんどのように、思うままの形になるのです。子どもたちや孫のあそび相手をした時を思い出しながら、『鉄の男』は雲で次々とにんぎょうを作ります。
作ったのは、うさぎ、おおかみ、ひつじ、馬など、彼が見たことのあるどうぶつのにんぎょうです。おおかみのすらりときれいな背中や、うまのたくましい足を雲で作るのはなかなかたいへんでしたが、なにしろ時間はたっぷりあるので、『鉄の男』はあきることもなくせっせと人形を作り続けました。雲でできたどうぶつたちに囲まれると、『鉄の男』はまんぞくして、またごろりとねころがりました。
それからしばらく彼はのんきにねむっていましたが、ふと、まわりがあまりにもうるさいので目を覚ましました。たくさんの鳥がさけぶ声や、羽の音、何かがぶつかるようなどんという音もしきりとあちこちからきこえてきます。
見上げると、何百、何千もの鳥たちが雲の上で、争いあっていました。鳥たちがぶつかりあうたびに風がおこり、雲をゆらします。せっかく作ったどうぶつのにんぎょうたちはふきとばされてしまったのか、かげも形もみあたりませんでした。おまけに雲はあちこち破れて穴があき、鳥たちが落としたふんですっかり汚れてしまっていました。
『鉄の男』はあきれて、鳥たちのたたかいを見ていました。このやかましさではおちおち休むこともできないし、鳥たちがいきなりおそいかかってくるかもしれません。鳥たちがこの戦いにあきて、どこかへ行ってしまうのを待つしかないのです。
『鉄の男』の手に、そっと何かがさわりました。みると、ふわふわで、少しだけひんやりした、雲のようなけなみのうさぎが彼のそばでうずくまっていました。かわいそうに、ぶるぶるとふるえているようです。『鉄の男』はうさぎをそっとだきあげ、ひざの上にのせてやりました。うさぎは、『鉄の男』にだかれながら、黒くて丸い目をぱちぱちさせています。雲から作ったにんぎょうのはずなのに、まるで本当に生きているようでした。
気がつくと、『鉄の男』のまわりに、まっしろなどうぶつがたくさん集まって、こわごわと空を見上げているのです。自分が作ったどうぶつたちだと、『鉄の男』はすぐにさとりました。そして、彼らをおびえさせ、わがものがおで暴れ回っている鳥のむれに怒りを覚えました。
ごちゃごちゃにまざりあい、羽やふんをまきちらしながら空中でぶつかる鳥たちの中から、数十羽がおりてきました。そしてその目をはったと白いどうぶつたちに向けて、おどすようにくちばしをならします。
思わず、『鉄の男』はうさぎを雲の上におろし、おそいかかる鳥たちに立ち向かっていきました。鳥は『鉄の男』をつついたり、ひっかいたり、くちばしではさんだりと、やりたいほうだいです。『鉄の男』も負けてはいません。両うでをふるって鳥を追い払ったり、羽をつかもうとしたり、大声を上げたりしました。何羽かの鳥は『鉄の男』が怒るようすにおののいたのか、上空へ逃げ去っていきました。けれど、ほとんどの鳥は、『鉄の男』がつばさも、するどいくちばしやつめもないことに気がつくと、勝ちほこったようにけたたましい声を上げて、いっそう彼にむらがるのでした。
もうだめだと覚悟をきめた、その時のことです。とつぜん雲に大きな穴があきました。その穴につよい風がごうごうとふきこんで、ゆだんしていた鳥たちはみなすいこまれていきます。『鉄の男』もあやうく穴から落ちるところでしたが、うさぎやおおかみ、うまたちがしっかりと彼をひきとめてくれました。
ばたばたと、まっさかさまに落ちていく鳥たちの姿を見て、『鉄の男』はこんなことを思いました。
「あれは、わしだ。わしも、広い草原をすべて自分のものにするために、よその土地でいくさをした。そこに住む者たちのめいわくを考えもせずに。いつかわしも、あの鳥どものように……」
そのうち彼は、鳥たちが落ちていくのを見るのが、たまらなくつらくなってきました。
けれども鳥たちは空の中でつばさを広げ、あわててにげていきました。『鉄の男』とうさぎたちは、ほっとひと安心。白いどうぶつたちは、『鉄の男』にくっついて、すやすやとねてしまいました。うさぎはちゃっかり彼のひざの上を守っています。雲でできたどうぶつたちの、あたたかく、でもちょっとだけひんやりとしたまっしろな毛なみをなでながら、『鉄の男』は何かをずっと考えていました。
雲にあいた穴は、時間がたってもそのままでした。穴をのぞきこんだ『鉄の男』は、おどろきであっと言いました。雲の真下に、自分がたてた青いお城のやねが見えるのです。
「ここからおりれば、みなのもとに帰れるぞ」
そう言った『鉄の男』を、うさぎがくいと引き止めました。すっかりなかよくなったうさぎは、黒い目でしずかに彼を見上げています。馬も、おおかみもひつじも、彼のそばから決してはなれていこうとはせず、ただ『鉄の男』を見守っていました。
『鉄の男』は、どうぶつたちを見回して言いました。
「わしとお前たちは、友だちだ。どうだ、一緒に来ないか。雲の下も、ここと同じくらい、いいところなんだ」
うさぎが、ぴょんと彼のうでの中にとびこみました。馬もおおかみもひつじも、ゆっくりと『鉄の男』のそばに立ち、穴から下を見ました。地面の上を歩く人たちが、砂粒のように小さく見えます。ここからどうやって無事に、彼らのもとへたどり着けるというのでしょう? いえ、心配はいりません。まっしろな馬が、彼をのせて、ふわふわと大地までおりてくれました。うさぎは『鉄の男』に抱きかかえられて。ほかのどうぶつたちは馬のあとをついていきます。空を並足でとおりすぎるのは、なかなかゆかいでした。ごうごうとなる風にまじる砂のにおいをかいだ時、『鉄の男』はなつかしさをおぼえました。雲のどうぶつたちも、きっと草原の国を好きになってくれるだろう__そう彼は信じています。
けれど、あつい大地におりたつと、雲のどうぶつたちはだんだん小さくとけていきました。おどろき悲しむ『鉄の男』は、必死にどうぶつたちを抱きかかえ、ふわふわとくずれていくやわらかい雲をかき集めようとしました。うさぎたちの黒い目が、きょとんと彼を見つめています。
けれどもやがて、どうぶつたちはすっかりとけて、小さな泉になってしまいました。『鉄の男』は、泣きました。なぜ泣くのか自分でもわからないままに、泉になみだを落としました。
「雲の上で見たこと、お前のこと。わしは決して忘れない」
そう彼が約束するのを聴いたのは、もの言わぬ泉だけでした。
悲しんでいる『鉄の男』のところへ、息子や孫、けらいたちがかけつけてきます。いなくなった彼のことを心配して、あちこち探していたのです。
『鉄の男』は、けらいに命じて、どうぶつたちがいた場所にできた小さな泉が干上がってしまわないように、あずまやを作らせました。あずまやの中で、泉はふしぎなことにいつまでもこんこんと湧き続けました。鉄の男は、その泉を一人でたびたびおとずれ、のんびりとすごしました。
『鉄の男』が死んだ後も、泉はいつまでも枯れることなく、長旅につかれた旅人ののどのかわきをいやしているのです。




