風の人と土の人
初夏の夕暮れ、青いとばりが降りて海と空が混じり合う、透き通った海に手を入れてみれば冷たくて気持ちが良い、周りに島影は見えない、静寂の中で波音が耳に心地良い。
ここは萩市の沖合約45kmの日本海に浮かぶ見島、海の幸に恵まれ、海面から透き通って見える岩礁にウニやサザエ、鮑が手にとるように見える風光明媚な所だ。この島でのびのびと育った勝ち気な私は、理学療法士を目指してしばらく都会の病院に勤務していたが島が忘れられず戻ってきた、ある日私のもとへ、同期の理学療法士の、富田真彩と森本沙織が病院の組織に疲れ、来ることに……。
遠回りしたっていいじゃない、それが自分の道だから。
正面の応接椅子に深々と座っていた白衣の人物が立ち上がり怒鳴り声を発した。
東洋医科大学附属病院に勤める理学療法士、富田真彩、二十六歳、怒鳴り声が響く医局で同期の森本沙織と副院長である脳神経外科医、斎藤三郎に怒鳴られている。
「なんで言ったことができないのだ、病院はリラクゼーションサロンではない、もっと理学療法士に相応しいリハビリができないのだ」
三郎はカルテを振り回し、顔を赤らめ興奮し、一方的に捲し立てる。
その声に怯んだが、耐えなくてはと黙って俯いていると沙織がその声を遮った。
「でも先生、患者が痛がるから少し揉んでいただけです」
「縮んだ筋を伸ばすのだから痛いのは当たり前だろ、患者に我慢させるのだよ、少々無理しても筋は切れん」三郎は叫んだ。
「揉みのマッサージでも伸びますよ」甘えた声で応える沙織。
沙織は二十五歳、怖いもの知らず、病院の組織も慣習も知らない新人理学療法士、もうこれは最悪のパターンである。
ついにカルテで机を叩き始める三郎、鬼の形相である。
「もういい、指示に従ってリハビリできないのならやめてくれ」
ついに言われてしまった、ここは謝罪に限る「すみません」と沙織の頭を押さえ、慌てて沙織を連れて医局を出た。
しょげる沙織の肩を抱き、廊下を歩いていたら理不尽な仕打ちに腹がたってきた。
「沙織、むしゃくしゃするから旅に出ようか」
「エッ!クビになるよ…」
「いいよ、一週間夏休みとって海眺めに千夏の田舎、見島に行こう、夏休みとってクビになるならそれでいい、どうせこんな病院辞めるでしょう」
「そっか、どうせ辞めるならそれもいいかも」あっけらかんと言い放つ沙織、なんて天真爛漫な人間なのだろうと思うが不思議に心が休まる。
朝靄の中で響き渡るセリの声、漁船が沖から低いエンジン音を響かせて戻ってくる、生簀から魚を揚げる漁師たち、トロ箱に浅黒い手で魚種を選り分けて市場に運んでいる。
運び込まれるトロ箱の間を世話しなく動き回るひときわ目立つ女性が私、白石千夏。一年前に東京の病院をやめて故郷に戻ってきた、今は漁協でアルバイトをしている、魚を市場で仕入れ、旅館やホテル、民宿、食堂へと配達している、気が強く勝気な性格で一度は都会に憧れて出ていたが故郷の海が忘れられず戻ってきてしまった。
波止場近くにある民宿は同級生、新井祐一の両親が営み、一階が食堂、二・三階が民宿、祐一は医者になり大学病院に勤めていたが父親の病気が原因で大学病院を辞め診療所の医師として戻ってきた。
仕入れた魚を汗まみれになりながら軽トラの荷台に運ぶ、積み込んだトロ箱越しに眠そうに玄関から出てくる祐一の姿を見つけるが面と向かって話すのは気がひけるのでたまたま仕事中に見つけたような仕草で荷台の上から呼んでみる。
「やあ…、戻ってきていたの」
「親父が倒れては、母一人で民宿をやらせる訳には行かないし、戻るしかないよ、それより千夏、漁協で働いているのだって、昨日母から聞いたよ」
「そうだけど、仲買人みたいだよ。朝早くから肉体労働よ、気の荒い漁師相手だから疲れるよ、今の季節、朝夕は涼しくて気持ちいいけど冬は寒くて大変だよ」
魚臭いゴム手袋と前掛けを置き、荷台から降りて祐一と向かい合うと甘いのか辛いのかわからぬ感情が胸の中を通り過ぎてゆく。
「それに寒くなると漁師や漁港の人たちが足腰を痛めるから時々漁協の事務所でリハビリやらせられるよ」
「リハビリ…?」
中学の頃、祐一としばらく付き合っていたてまえ、照れくささもあり、笑いながら揉む。
人間は忘れるようにできているから、生きていける。
「医師の診断書がないのでリハビリというよりマッサージだよね、これでも理学療法士の資格を持っているのだ、祐一は医者になって大学病院に勤めているとおばさんから聞いたけどやめて診療所に…、専門はなんだい」
「診療所が実家の隣で助かるよ、裏口から歩いて帰れる。専門は脳神経外科だけど、内科から外科までなんでもするよ、でも休診日や暇な時は民宿を手伝っている」
「おばさんから魚を注文されたけど、これ運んだら届けると伝えておいて」
「俺が捌くから生きのいいのをたのむ」
「料理もするのか、器用だね」
「メスを包丁に持ち替えただけだよ」
漁船が民宿の前を通り過すぎる、舷側に足を掛け、舵を取りながら漁師が叫んでいる、同級生の佐野拓郎だ、毬栗頭に赤いタオルを巻いて手を振っている、拓郎はガキ大将でやんちゃばかりしていた、秀才の祐一とは正反対だが憎めないヤツである。
「千夏!今日は大漁だぞ」
「また呼び捨てかよ、せめて白石さんと呼べんのか!買ってやるからさっさと陸揚げしな」いつもの調子で千夏が大声言い返している。
昔のよしみで魚買ってやっているのに、女房のように呼ぶ拓郎、せめて祐一の前ではやめろと言いたい、胸の中がモヤモヤしてムカついてきた。祐一と立ち話をやめ波止場へ軽トラを廻し、荷上げ中の拓郎の船に向かった。
「何が獲れた」
「サワラ」拓郎は一匹、尾を掴んで持ち上げて見せた。
「どれ、生簀を見せてみろ」生簀を覗きこむ。
「おう、なかなかいいね、型が揃っている」
「千夏、サワラも頼むよ」
歩いてきた祐一がサワラを見て注文してくれた、なぜか祐一に呼び捨てにされると心地いい、なんなのこの差は。
「何匹?」
「おう、祐一、トロ箱一つ買えよ、安くするぜ」
「アホか、お前は漁協に卸すだけだろ、売るのは私の仕事だよ」
「食堂でも使うから、一箱貰うよ」
笑いながら裕一が言った。
「後で一緒に届けるよ」
私は祐一のために生きの良さそうなサワラを選び、トロ箱に詰め、果てしなく続く白い波頭を眺めながら、海岸沿いを走らせる、拓郎は残りの魚を漁協に卸すため、市場に向かった。
民宿の一階にある食堂はカウンターとテーブルが四つ、和室二室の店である、和室は民宿のお客専用である、カウンターとテーブルは漁師や漁協職員の常連客でなかなか盛況だ。
祐一の母、坂本洋子が夕食の準備で忙しそうに動いている。
「おばさん、先生は…」
慌ただしく看護師の野田舞佳が厨房に入ってきた。
「魚市場におるで、もう戻ってくると思うのじゃが」
「桟橋で怪我人が出たようで」
「戻ってきたら診療所に行くように言っとくで」
「お願いします」
「大怪我でありませんように」声にせずに呟く舞佳、踵を返し急いで診療所に戻ると千夏がいた。
「舞佳、桟橋で怪我人が出たって、どこにいる?」
「まだ運ばれてきてないし、先生もまだ…」
息を一つ吐いてから感情の在処を探す、もしや真彩と沙織、言うに言えない不安が胸を締め付ける。
祐一が食堂の裏口から厨房へ入ると調理の手をとめた洋子が「はよう、診療所へ! 怪我人じゃ」と叫ぶ。
祐一が診療所に入ると私は狼狽え走り寄った。
「怪我人はどうも私の友達らしい、桟橋に行くと旅行者が怪我をして診療所に運ばれたと聞いたもので、来てみた」
真彩に抱き抱えられた沙織、左足を引きずって診療所に入ってくる、腰まで濡れてはいるが大きな出血は見られない。
沙織を見て駆け寄り「大丈夫」と聞くと一呼吸おいて「桟橋から落ちた」と真彩が告げる。舞佳と悠一が沙織を診察室に連れて入り「どこが痛い」と悠一が聞くと沙織は痛みに顔を引きつらせ左足を指差す、舞佳はスラックスの膝から下を鋏で切り裂き傷口を出す。
脹脛に10センチほどの裂傷を見届けると、祐一は傷口を押さえ念入りに診て言った。
「傷が深いから縫合しよう」
祐一の声に舞佳が消毒液と縫合セットを用意し麻酔薬を注射器に入れる「消毒が痛いから先に局部麻酔するよ」弾けたザクロのような傷口の周辺に何箇所か注射する祐一。
麻酔を打ってから傷口の中に消毒液を浸したガーゼを入れ消毒すると沙織は悲鳴に似た声をあげる、その声に診察室の外にいた真彩が耐えきれず私に抱きついてきた。
「はい、お疲れ、終わったよ」縫合を終え、物静かな声で祐一が沙織に言う。
よほど痛かったのか、沙織の顔は涙に濡れてぐちゃぐちゃだ。
祐一が診察室から出て真彩に「消毒して縫合したから大丈夫、一週間後に抜糸」事務的に喋る、側にいた私に「千夏の友達かい?」と祐一が聞いた。
「はい、友達です。富田真彩と森本沙織です、私たち大学病院の同期です」と私は突然の出来事に力無く応える。
「抜糸まで一週間ぐらいかかるけど、それまでに帰るのなら診断書くから近くの病院で抜糸してもらってもいい」と祐一が真彩に訪ねる、沙織が左足を包帯で巻き松葉杖で診察室から出てきた。
その痛みに耐えた姿に、さあどうしようか、と次の一歩を探している真彩も、悩む時間を飛ばしている。
「私たちは千夏の生まれたこの海で夏休みを過ごそうとやってきました、もう海には入れませんよね」
「入らない方が良い、化膿したら厄介な事になる、夏休みか…、どこに泊まるの」
「そこの民宿」と真彩は看板を指差す。
「そう…、一週間ね。お客さんだね、傷口は毎朝診てあげるよ」
思いもかけない言葉に真彩は驚く。
この人も泊まっているのかなと当てもなく頭の中で答えを探す。
「民宿は隣です、この松葉杖を使ってください」
「俺も帰るわ、舞佳、あとは頼む」裏口を出ると外はまだ日は高くギラギラと眩しい、祐一は母の手伝いに厨房へ入る。
ひと段落ついたのか、洋子は丸椅子に座り「客が二人くる頃なのじゃが…、それと魚がまだ届かんで」
呟きながら茶を啜っている。
「その客なら診療所出たからもう来るし、魚も、もう来るわ」
「どうされた、診療所って? 何かあったんか」
「ちょっとした怪我だよ」
「お待たせ、魚持ってきたよ」裏口から私の元気な声が、そして玄関からも声が聞こえる。
「ごめんください、予約した富田ですが」
洋子を見て玄関を指差す祐一、洋子は丸椅子から立ち上がり玄関へ歩き出す。
「出るのが遅くなってしまって、奥におったもので、すまんな」
「こちらこそ遅くなってしまって、ちょっと怪我をしたものですから」真彩が沙織の足を見る、「どうなされた、怪我かい、大丈夫か」洋子は包帯の巻かれた沙織の足を痛痛しそうに覗き込む。
「大丈夫だよ!若い男に治療してもらったから平気、でも痛かったわ」沙織はいつものノー天気調で言うが先ほどの光景が頭に浮かんできたのか、涙目になっている。
「たいへんな事にならんで良かった、えーっと、富田さんと、森本さんでしたね、一週間のお泊まりですね、待っとったよ、部屋は二階の突き当たりでしたが、これじゃあ2階は大変ですからこの廊下の突き当たり、千鳥の間があいとるからそこに」
洋子は宿泊名簿を見ながら部屋の鍵を真彩に渡し、沙織の荷物を持って部屋に案内する、広くて明るい和室、障子を開けると青い海がパノラマの如く見える。
「うわー海が見える、綺麗だわ」沙織は痛みも忘れてはしゃいでいる、真彩も海を見つめて「怪我したのが残念、海には入れないけど…」「真彩は泳げばいいよ、私は浜で寝ているよ」寂しそうに沙織が呟く、「リハビリは私が…」「真彩がやってくれるの、ありがたや、それにしても腹減ったわ」お腹を抑え悶える、「そういえば、怪我で昼食べてないね」沙織の格好を見て笑う真彩。
「もうじき夕食です、食堂へどうぞ」と言い残し部屋を出る洋子。
厨房で私と祐一が夕食の準備をする「千夏、サワラ出してくれ」まな板の上にサワラを置く、祐一が捌く、「片身は焼き物だね」私は捌いた片身を手に取るそうして舟盛りと塩焼きが手際よく出来上がる、私は小学生の頃からこうして祐一とこの民宿のお手伝いをしてきた。
廊下を車輪のゴムが剥がれるような音が厨房へ近づいてくる、祐一父親、新井剛士が厨房へゆっくりと車椅子を進めて現れる。
「おっ、息が合っているね、上出来だ、昔から千夏ちゃんは上手だったから、いつも手伝ってくれて助かるよ」剛士は笑顔で褒める。
その有り様を洋子も見て見ぬふりをしながら料理を盛り付けている、昨年剛士が脳卒中で倒れて以来、厨房を守っている洋子。夏季の民宿が忙しい時、私は時々手伝いをしている。
真彩と沙織が食堂に入ってきた、テーブルセットしている洋子は「このテーブル席です」と椅子を引き沙織を座らせると厨房へ向かい料理を運んでくる、真彩は厨房の中にいる私を見つけカウンター越しに声をかけた。
「千夏、ここでも働いているの?」不思議そうに私に聞いてくる。
一拍置いてから「ここはお手伝いだよ」と私は屈託のない返事を返す。
厨房では祐一がサワラの身を丁寧に切り大皿に渦潮のごとく盛り付ける。
「あれ…先生? 先生もお手伝いですか」
真彩が驚いたように言葉を掛けた。
「メスを包丁に持ち替えているだけだよ」おどけて祐一はゆらゆらと包丁を振り笑顔で応える、今夜は花火大会、窓の外には観光客が桟橋から連なって海水浴場へ向かって歩いている、夏は終わりに向かっているというのに今なお日に日に暑さが増しているような気がする蒸し暑い夜だ。
車椅子の剛士は車輪がきしむ音を立てながら食堂に入り「捌くのはうめえけど」と言いながら「問題は味よ」と長年割烹料理店で修行してきた浅黒い腕を叩く。
「オヤジには敵わないよ」丁寧に包丁を拭き、前掛けを外しながらテーブル席へと来る、
真彩は診察室で聞いた祐一の言葉の意味をようやく理解した。
「なんだ、そうだったのか、不思議に思っていた」沙織も一拍おいて理解できたのか並べられた器の中の料理を眺めながら囁いた。
「ところで車椅子…、どうなされたのですか」と真彩が突然切り出す「脳梗塞じゃよ、後遺症で左半分がうまく動かん」震える左手を前に「これじゃあ、刺身も満足に切れんわ、ここではリハビリできないし千夏ちゃんに頼んでいる」「沙織、真彩は私と同じ理学療法士です、私が夕食後にリハビリしましょうか」と真彩、「それはありがたい」と嬉しそうに剛士、「沙織は怪我をして海には入れないし、一人で海に入るのも気が引けるから大丈夫ですよ、医師の指示書がないから満足できるリハビリはできませんが」
「医師の指示書があればいいのだね、俺がオヤジのリハビリ指示書作るよ、問題ないだろう」「違法行為にならないから助かります、それに沙織を毎朝診てもらえるし、お相子ですよ」と真彩が言葉を継ぎ足す。
「じゃあ私はせいぜい美味しいものでも作るよ、診療所の人も来るから」青いとばりの落ちた厨房に消えてゆく洋子。
「祐一、島にリハビリセンターができるといいな」私は何気なく言葉に出した、「専門施設として診療所の裏に増築することはできるけど、人材がいない」と祐一が言い切る。
「いるよ、ほらそこ」私は顎をしゃくって真彩と沙織のテーブルを示す「理学療法士三人と看護師がいれば可能だろうが」と祐一に食い下がる、「あの二人は東京の人、島に住む訳ない」とまた言い切る祐一。
「そうかな…?真彩、訳ありでここに来たのと違うかな」私は突然思い出したように来た二人に疑問を持った、「やめとけ、無駄だ。どうせ風の人だ」祐一とヒソヒソ話をしているのに気づく真彩、生きた車海老の頭をとり口に運ぶ、「沙織もほら、とても美味しいよ」「残酷…、でも美味しい」「こうして感謝して食べると海老も成仏するよ」と両手を合わせて食べる真彩。
ワイワイ騒いで食べていると食堂へ看護師の舞佳と漁師の拓郎そしてレントゲン技師の吉岡慎吾が楽しそうに笑いながら入ってくる、「先生、診療所閉めてきました」「祐一、サワラはどうだい、千夏、食べたか?」拓郎が陽気に騒ぐ、「まだ始まったばかりじゃ、これから食ってやる。真彩、あれがサワラ獲ってきた奴」と私は拓郎を指差した。
「私も、真彩も食べたけど美味しい」「これでしょう」箸に挟んだものを見せる沙織、「それはハマチじゃ」呆れ顔で応える拓郎「もう、都会の人は…」拓郎がサワラを指差す「これじゃ」「さっき私が教えたのに、真彩は間違えず食べたのに沙織ったら…」この海のドロボーはプライド持って獲っているから始末が悪い、私は拓郎のがっしりとした筋肉質の肩を揉む、「いけん、間違えて食べてはいけんよ」「いけん…なにそれ」「沙織、ここらの方言でダメだねと言うこと」私は拓郎の肩を揉みながら沙織に教える。
「風の人…だものね」拓郎は肩を揉まれて気持ちよさそうな顔をして呟く。
沙織が訝しそうに「なにその、風の人って」思わぬ言葉に食い下がる、私は立ち上がり慎吾と拓郎を指差し「この人らは土の人、ここで生まれてから何年も島の風習や古くからのしきたりを守りここで生活している、風の人はすーっと飛んできて新しい考え方や、やり方の種を落としてまたすーっと飛んでゆく、そしてその種を土の人は大切に育ててゆくと言うことだよ。真彩、沙織、どうだ土の人にならない」私はどさくさに紛れて誘う。
「おばさん、僕らもここで食べてもいいかな」拓郎もどさくさに紛れて真彩と沙織のテーブルに収まる。
「ここに移住すると美味しいものが食べられるよ、それに仕事もあるし」私は祐一が考えている老人のためのリハビリテーションセンター構想の話をすると真彩の目が輝き始める。
「なんか元気が出てきた、病院やめてここに来る」
心を決めた真彩、真剣な眼差しで私を見つめた。
「そうだ、あんな事言われて、邪魔にされるぐらいならこちらからやめてやる」
拳を振り上げ意気込む沙織。
「オッ!マジ?来てくれたら助かる、ねえ…祐一どうなのだ、私もあの病院のやり方が気にくわないから辞めたのだよ」私は祐一を睨み凄む。
「よし決めた、辞める。沙織はどうする」
「東京に未練ないし、真彩について行くよ」
気分転換に来た真彩と沙織だがどうやら理想のリハビリテーションセンターとここの生活が気に入ったみたいだ。
「千夏、どうしたら移住できる?」
「どうするって? どう…。祐一来て」
私は狼狽えて助けを呼んだ、厨房から出てくる祐一。
「なんだい、どうした?」
「移住したいと言っているのだけど、どうすればいい、それと真彩と沙織が診療所で働きたいと」
「一体どうなっているのだ、藪から棒に」
話が見えない祐一がキョトンとしている。
「だから〜、移住だよ、移住の仕方だよ」
「それは役場に聞いてくれ」本気にしない祐一はそっけなく言い放つ。
「じゃあ診療所に就職は、脳神経外科医と理学療法士が三人、看護師もいるから待望のリハビリテーションセンターができるのでは」と私は食い下がる。
「レントゲン技師も忘れないでくれよ」口を挟む慎吾。
なんなのこいつら、訳がわからん。そんな変なもの食べさせてはいないのだが、あっけに取られボーッとする祐一。
「だから、診療所に来て理学療法士として仕事がしたいから移住すると言っているのだ」
私はムキになり祐一に絡む、「う〜ん」椅子に座って考え込む祐一。
「ちょっと頭の整理させてくれ、とりあえず食べよう、ビールもあるよ」
困り果てとっさに料理とアルコールに切り替え話をはぐらかす祐一、それぞれ飲んで食べて盛り上がる、この日は心残りではあるがそれでお開きとなった。
それから二日ほど経った午後、拓郎を抱えて私は診療所に飛び込んだ、拓郎の右足がブラブラと揺れる。
「どうした千夏」
「祐一、拓郎が船と岸壁の間に足を挟まれて…」
一瞬、診療所の空気が張り詰める、舞佳、受付から出る、レントゲン室から慎吾も飛び出してきた、
「慎吾、レントゲンの準備、舞佳、診察室のベッドへ、ズボンを切って足を出してくれ、千夏、おまえも手伝え、卓郎を運ぶぞ」祐一のきびきびとした指示が診療所内に響き渡る、ハサミでズボンを着る舞佳。
「ズボン買ったばかりだよ」情けない声を出す拓郎。
「切らなきゃ見えんだろうが、黙って寝ていろ」私は拓郎をベッドに押し付ける、ズボンを切り右足を出す舞佳。
「大腿骨だな、折れているかも、慎吾レントゲンを頼む」
移動式の簡易レントゲンを診察室に入れる慎吾。
「大腿骨が圧迫骨折している、プレートで固定しないと…、手術する。舞佳、手術準備、全身麻酔してくれ」
診察室を出て手術室へ向かう舞佳、私は慎吾とストレッチャーに拓郎を乗せ運ぶ、訳あって舞佳は麻酔科医でありながら看護師をしている実は彼女も風の人である、祐一が東洋大学病院を去った後、彼女も理不尽な扱いを受け、研修医期間を終えてすぐ島の診療所にやって来た。
「手術ですか?」弱々しく拓郎が祐一に話しかける。
「プレートで固定しなければ歩けなくなる、二、三ヶ月の辛抱だ、我慢しろ」
祐一にほだされて渋々手術を受ける拓郎。
「真彩、早速仕事かもね、拓郎のリハビリだよ、半年はかかる」
私は待合室のソファーに座ってリハビリ患者を待っている真彩と話す。ギラギラと真夏の日差しの中リハビリを受ける老人たちが集まり始める、診療所のただならぬ緊張した空気に違和感を感じて摂っている、拓郎の事故は昼までに全島民が知ることになるだろう。
夏ってどこか人生に似ている、暑くて、しんどくて、それでも希望が持てる。
痛みに耐えている拓郎を診療所に運ぶ途中、ふと何気なく頭を横切った。
「とにかく沙織が歩けるようになったらひとまず大学病院に戻ってみる」真彩はそれだけ言い残してリハビリ患者を迎えにロビーへ出た。
真彩と沙織が東京に戻っている間に私が役場で移住の仕方を教えてもらい、就職の方は祐一に任そう、増員の件を保健課に聞いてみると言っていたから何とかなるだろう。
抜糸も終わり杖なしでも歩けるようになった沙織、休暇も終わり慌ただしく東京に戻る準備をしている「もう帰るのか」そっとため息をつく沙織の表情は曇っている「また戻ってくればいいじゃない、どうせ大学病院に居座るつもりはないのでしょう」真彩はもう辞める気でいる、移住はできるとしても今まで通り理学療法士の仕事が続けられるかとりとめもなく湧き出す不安な気持ちを沙織に知られまいと必死でかき消す。
「東洋大学附属病院を辞めないと前に進めない、離職票住民票の移動などやることいっぱいだよ、早くこの辞表、斎藤に叩きつけてやりたい」真彩は不安をかき消すようにいきり立っている、「食堂へ来て」と真彩と沙織を食堂へ呼んだ、そこには祐一、慎吾、舞佳もテーブル席についている、真彩と沙織を席につかせ「祐一から話が…」と私が言い出したとき祐一が言葉をとる。
「新設するリハビリテーションセンターの事について説明したい、先日市役所で市長と相談してきた、市長はとても乗る気で議会にかけてくれるようだ。増築も新しく増設する機器についても理学療法士増員にしても承認されたら支援してくれるそうだが条件を一つ言われた、訪問リハビリも受け持ってくれとのことだ、高齢者が多いこの島だからぜひお願いしたいとのことだった」
「できるけど、範囲は限られるね」私は心配そうに口を出す。
「真彩さん、沙織さん、今のところここまで、承認が取れたら連絡するから東京に戻ってもその気でいてください、承認が取れてもセンターが出来上がるのに一年ぐらいはかかると思うけど、待っているよ」現段階であまり期待をもたせないように祐一は説明した。
「やはり急には辞められませんから一年もあるのはかえってありがたいです」
はやる気持ちを抑え冷静に応える真彩。
私は意外と冷静な真彩に、大事なのは今までのあなたよりも、これからのあなたと言葉を噛み殺し、心を込めて手を握った「戻ってこいよ、待っている」と言うのが精一杯だった。
舞佳は沙織に寄り添い意地悪そうな目をして「拓郎が寂しがるね」と耳打ちする。
そして秋が過ぎ寒風と島全体が白く輝く冬も過ぎ、島に緑色が映える頃、診療所の裏手に完成したリハビリテーションセンター。診療所とセンターのロビーが繋がって、祐一とスタッフが春の陽光を浴びたロビーに集まり打ち合わせをしている。
「完成したリハビリテーションセンターを見に真彩と沙織が東京から来るよ」私は弾んだ声でスタッフに伝えている。
「そうか、彼女たち問題なく辞められるのか聞いとかないと」不安そうに祐一が私を見る「今更ダメだったなんてないよね、もしそんな事言ったらぶっ飛ばしてやる」私はファイティングポーズ。
「先生、そろそろ着く頃ですよ、あれ慎吾さんがいない、どこに行ったのかな」舞佳の急かす声。
「千夏、舞佳、食堂へ行こうか」祐一が先にロビーから出る、海辺の街にも春風が吹き始めた、拓郎が何をしているわけでもなく食堂の前をうろうろしている、見かねた私は声を掛ける。拓郎の骨折はプレートも外し順調に治っている、まだ少し足を引きずっているがリハビリで回復しそうだ。
「拓郎何している、もう漁は終わりかよ」私は突然声を掛ける。
「沙織さんが来ると聞いて…」焦りながら応える拓郎。
「そっか、会いにきたってわけだね」意地悪そうに言う。
「いや、昼メシ食いに来ただけだよ」空を見上げてぼそっと呟く拓郎。
「なら、さっさっと入りな、でも食堂の隅で邪魔しないように」拓郎に釘を刺す私。
「拓郎のヤツきっと誰かに聞いたのだ、でなけりゃあこんな時間にここにいないよ」
私は祐一に耳打ちする、拓郎は気配を悟ったのか素早く食堂に入る。
食堂では慎吾が先に来て、食事をしている、「あれ慎吾さんもう来ていたの」舞佳に言われて「朝食抜きで診療所へ来たものだから打ち合わせが終わってすぐに来た、鯖の味噌煮が美味いよ」とバツが悪いのか鯖の味噌煮ではぐらかそうとしている。
「まだ真彩と沙織はきてないね」店内を見渡す舞佳、「あのな…慎吾、お客さんと待ち合わせだろう、きてから頼むほうが良いと思うのですが」私は無神経な慎吾にチクリと刺す言葉を投げかけると「そうだよ…慎吾、先に食べているのは失礼ですよ」追い討ちをかける舞佳。真彩と沙織が入ってくる、思わず箸を止める慎吾、バツが悪そうに後ろを向く。
「お待たせしました、センター完成ですね、外観だけ見てきました、思っていたよりずっと大きいですね」興奮した様子で矢継ぎ早に話す真彩、「早く中も見たい」と沙織もせっつく。
「そう急がなくても、昼食まだだろう、食べてから案内するよ」祐一ははやる気持ちを抑えきれない二人を宥め食卓に座らせる。
千夏は慎吾を横目に見ながらチクリと刺す「先に食べている人もいるけど」慎吾は食べかけの皿をテーブルの下に隠し、「あの〜、鯖の味噌煮がうまいよ」と一言。
「うるせい!先に食べやがって。今日は生きのいい鰯持ってきているから鰯の煮付けだよ」私が一言、真彩と沙織は顔を見合わせ「じゃあそれ」洋子が厨房から鰯の煮付けを運んでくる。
「あれだけ進めたのにねえ慎吾ちゃん、千夏ちゃんは市場一番の目利きなのに、ほれ…」まるまると太った鰯の煮付けを乗せた皿を慎吾に見せる洋子。
すると真彩と沙織が座り直し、真面目な顔をして「先生、実は一ヶ月前に病院辞めました、どうしても担当医師と意見が合わないのです」祐一は食べかけていた鰯の煮付けから箸を止め「そうか…。話は食べてから、センターで聞くよ、食べなよ」と言ってまた食べ始める。
「鰯がこんなに美味しいとは、何匹でもいける」沙織は黙々と食べ始める。
嬉しい顔をする私「だろう、良い鰯だったからね」と付け加える。すると慎吾が「千夏さん、一匹くれ」と言いながら箸を出し、皿に乗った鰯の煮付けを取ろうとする「こら、泥棒猫」皿を持ち上げ慎吾を睨む。
「可哀想だから、これあげる」と真彩が慎吾の皿に鰯の煮付けを一匹入れる、「真彩は優しいね。せっかく活きの良い鰯仕入れたのに、おばちゃんの言うこと聞かないのだから、ほっとけばいいのに」私は箸を振る、急いで鰯の煮付けを食べる慎吾。
「美味しい、千夏さん、これ最高」と嬉しそうに頬張る、「遅いよ」刃の如く空を切る言葉が飛んでゆく。
「おばちゃん、美味しかったよ、夕食も頼むね」
「千夏ちゃんもかい、家に戻らなくていいの」
「今日は誰もいないから、食べて帰る」
「そんなら用意しとくから、おいで」
「真彩さんと沙織さんは泊まるの」食堂の隅でしばらく黙って食べていた拓郎が不意に言った。
「拓郎、あほか、当たり前だろ、これから東京帰るのかよ」
「そうか、まだセンターの内部見てないね」毬栗頭を掻く拓郎。
「あれ、拓郎さんきていたの」沙織が拓郎を見て立ち上がる。
「私が、一緒だとうるさいから、隅で黙って食べろ…と言ったのだ」
「千夏、それは可哀想」目を丸くしてすかさず沙織が拓郎をかばう。
食事が終わり食堂の裏口から外に出て狭い並木道を歩く、小鳥のさえずり、色鮮やかな新緑が風に踊る音、診療所へと向かう。
「いつも海側から正面玄関に入っていたから裏側がこんなに綺麗で静かだと知らなかった」「真彩、どう…良いだろう、センターの窓から見ると公園みたいだよ、祐一のアイデアだよ」「ちょっと予算に余裕があったから遊んでみただけだよ、息抜きにベンチでコーヒーなんて、粋だろう、噴水もある」得意げに祐一が喋る。
「良くなったね、拓郎さん、あれ拓郎さんは」沙織がキョロキョロと辺りを探す、「夕食の刺身でも釣ってこいと船に返したよ」と私、「沙織、デートコースではないよ」と真彩、赤くなり先に走り出す沙織。
「どうも怪我が縁で仲良くなったみたいだよ、沙織ちゃんは左足、拓郎さんは右足、それぞれに杖を持って仲良く肩を組んで歩いていたものね、あの格好レントゲンで撮ってやりたかったよ」と慎吾、爪楊枝を空間へ半円を描くように吹き飛ばす。
診療所に入る、吹き抜けの明るいロビーを抜ければリハビリテーションセンターの入り口へ、ロビーから診察室、レントゲン室へはそれぞれ自動ドア一枚で仕切られている、診察してそのままレントゲン室へ行ける、ロビーには受付と薬局、売店もあるテーブル、ソファーもあり、ちょっとしたホテル並みだ。
「リハビリ室に案内しよう」自動扉が左右に開き広く明るいワンルーム、窓からは庭一面の芝生と歩いてきた遊歩道とベンチ、噴水が見える。
室内はリハビリ器具やストレッチベッドが並ぶ、「わっー広い、ガラス張りで明るいし庭の緑が綺麗」沙織が走り回る「カンファレンス室もあるよ」大きな会議用テーブルとリハビリ室がよく見える室内である、「まあ、座って」私はテーブル席へと誘う、祐一を取り囲むように私と真彩、舞佳、沙織、慎吾が座る。
私は席を立ち話し始める「リハビリ勤務のことだけど…当分の間、真彩と沙織そして私と三人でリハビリ担当なのだけど、私は午前中漁協の仕事があるからセンターへ出られるのは午後からになる、午前中は真彩と沙織でお願いしたいのだけれど、どうかな」
「ストレッチする患者の数はどのくらい」真彩が聞き返す「十人前後かな」と私が言うと「ストレッチ機器と併用すれば十人ぐらい大丈夫だよ」と沙織、慎吾が「レントゲン撮影はそう頻繁にないから空いている時は見守りと介助に入るよ」舞佳も「手の空いた時は私も入る」と言ってくれた、頼もしい仲間である。
「午前中はキツイと思うけどよろしく、俺も時間がある限り入るよ」と祐一、すると突然真彩が立ち上がり、祐一に向かって「先生、療法士はなんらかの原因で障害を持たれた方の機能回復を目的としていますが、予防のためのリハビリというのもできるのではないでしょうか、先生はどう思われますか?」沙織が慌てて止めに入る「あ、また言った。
そのことが問題になって辞めたのに」沙織が立ち上がり真彩を止めようとするが真彩は「前の病院でそう提案したら、療法士は医師の指示通りにリハビリしていれば良い、君たちの考える事ではないと頭ごなしに怒られました」その時の悔しさが込み上げてきたのか真彩の瞳が潤んできた「何を言っているのだ、お前らは医者か、偉そうにリハビリ以外のことに口出しするな、とも言われました」「悔しいので、予防策を提案するのも理学療法士の仕事ではないでしょうか、と言ってしまいました。
すると、まだ言うか、予防策をについて検討するは医師の範囲だ、何も知らないくせに医療に口出しするなとも言われました、私たちはリハビリしながら医師の助けになるかもしれないと患者の情報を聞いているのです」とまた言うと、「それが余計なことだと言っているのだ、お前らは医師の指示通りに動け、できないになら辞めてくれ、お前らの代わりはいくらでもいるとまで…」よほど傷ついたのか、真彩の頬を涙がつたう。
「横暴だね、医師と療法士が一緒に考える問題だと思うけど」祐一は腕を組んで天井を見上げる。
「いけすかない医者だね、ここではそんな理不尽なことは言わないから」私は真彩を抱き寄せて慰める、しばらく静寂の時が流れる。
青いとばりの中、漁船が緑と赤の舷灯を灯し、低いエンジン音を響かせながら港に帰ってくる、重苦しい空気を吹き飛ばすように私は話題を変えた。
「それと部屋なのだけど、食堂の隣、倉庫だった所、リホームして住めるようにした、後でみてみるといい、広いキッチンと風呂はないけどシャワーと簡易キッチンルームはあるからね、どうせ食べるのは食堂で、入浴は民宿の広い浴場が良いものね、それと窓から海が見えるよ」
「わーい、見にいこうよ、それに広いお風呂、露天風呂いつでも入れる…シアワセ」沙織がはしゃぐ。
「オッ、もうこんな時間、今日はこのぐらいで食堂へ行こうよ、おばさん待っているよ」
私はテーブルの上を片付け始め皆を急き立てる、「レントゲン室の様子を見てくる」慎吾はロビーへ出る。
「真彩さん、沙織さん、辛い目にあったね、今夜は歓迎会だ、行こうか」祐一は気分を変えるべく楽しげに誘う、初夏も近づき日が長くなったのか外は薄暗く船の灯と潮騒、白い航跡が綺麗だ。
早朝、朝靄に煙る魚市場で、私の甲高い声が市場に響く、屈強な漁師たちの間を縫って走り回っている、祐一にとっては見慣れた風景だが新鮮に見える、ただ一つ違うところは波止場を真彩と沙織が歩いている、「風の人がやって来たか」と呟く祐一、拓郎の船が漁を終えて戻ってきた。
「沙織ちゃん」と叫び手を振っている、「土の人か」と祐一がまた呟く。
「拓郎さんの船が戻って来た、真彩行こうよ」どうも朝早くから付き合わされいる真彩が気の毒だ。
沙織は波止場へ走り出す、ついて走る真彩、千夏がセリを終え魚の入ったトロ箱を軽四に積んでいる、千夏が荷台から叫んでいる、多分「朝から大声出して何考えている拓郎」とでも言っているのだろう、沙織さんも笑顔で駆けて行く、ここで一言かな「中坊じゃあるまいし、青春する歳じゃないよ」とでも言っているのか…、千夏も土の人になったな。
そんなことを考えながら眺めている祐一。
そして波止場では。
「拓郎さん足は大丈夫」と叫ぶ沙織、その大声に両耳を抑える。
「も〜う、びっくりした耳元で叫ぶな」沙織を見つけて近づいた私はその大きな声に驚いて飛び上がる。
すると真彩が息を切らして駆けてくる、「拓郎さん足がよくなってよかったね」と真彩。
「拓郎のヤツ、漁に出てイキイキしている、中坊でもあるまいし青春しているよ、見てみ、カツオぶら下げて何か言っている、キスでもぶら下げろ、このアホ」真彩がお腹を抱えて笑い出す。
「随分と早起きだね」「沙織の耳はロバの耳、拓郎さんの船の音がしていると、私を起こして波止場に行こうって言うから、ついてきた、まだ眠いよ」真彩もまた恋の犠牲者なのだ、沙織は色気より食い気と思っていたがなんと積極的な、マグロ並みに一直線に突進していく、困ったものだ。
「まだ早いからロビーで少し横になっていればいいよ、私は魚配って早めにセンター行くわ」軽トラは青空の下、街路樹の緑が濃くなり始めた夏が漂う海岸通りを走り始める。
配達を終えた私は髪をかき揚げながらロビーへ、リハビリ室では真彩が老婆に付き添い平行棒、歩け始めた老婆の笑顔がやけに眩しい、沙織は拓郎のストレッチをしている。
一ヶ月が経過した、見島の秋は駆け足でやってくる木々の葉が薄っすらと紅くなり始めたある日、漁協の組合長、佐竹信雄が腰をさすりながら舞佳に連れられ車椅子でリハビリルームに入ってくる。
「ギックリ腰で歩けない。千夏さんこれ診断書とリハビリ指示書」舞佳は車椅子を止めて私に走り寄る。
「骨の異常は無しか、よろしく…か、祐一らしい」車椅子に乗る信雄を見て「組合長、腰を痛めたのですね、骨に異常がなくてよかったです。これならすぐに歩けますよ」と言い終わる前に「とにかく足が地面につくと腰に電気が走る、痛い」と腰をさする信雄。
「舞佳、ストレッチベッドに寝かせる、腰のマッサージから始めるから終わったら暖かい湿布を貼って」信雄を車椅子からベッドに移動させ腰を摩り始める。
「痛てっ、そっと頼む千夏ちゃん」カエルのようになった信雄、ベッドをさするように手足を動かす」その格好を見て吹き出す舞佳「組合長ったら…」「舞佳笑うな、しかしスゴイ格好だね」私も笑う。
その様子を見ていた沙織が平行棒にいる真彩のそばにより耳打ちをする「前の病院とは雲泥の差だね、前の病院だとこと細かく指示してあったのに。よろしく‥・、だけだよ」
不思議そうな顔を見せる沙織に真彩は「私たちを信頼してくれているのだよ、嬉しいね、でも、あの格好は…」と言い終わらない間に笑い出す二人。
しばらくしてロビーに出ると受付に二人の若い女性がいた、私は組合長のストレッチを終え、軽いリハビリに歩行を沙織に頼み、舞佳と祐一の待つロビーに向かった、受付で二人の若い女性と祐一と話している、祐一が私たちを見つけ招き猫の如く手招きしている。
「千夏、舞佳も一緒で好都合だ」ご機嫌な顔をして二人を私たちに紹介した。
「こちら看護師の坂井智美さんと近藤美玖さん、市民病院から派遣されてここでしばらく応援してくれる」智美さんは体格が良く優しい顔の頼れるタイプだ、美玖さんはキリッとした顔でスマートなモデルタイプだ、そんなことを思っているとロビーから声がした。
「それは助かります、見てくださいこのロビー、リハビリ待ちの人たちです」と言いながら対応する舞佳、「まだかって。もう、うるさくて困っています」。
「これは大盛況だ、真彩に伝えなくては」私はリハビリ室へ入り真彩に身振り手振りで説明する、二人の新人は舞佳に連れられて受付に座った、真彩はロビーに出てリハビリ待ちの人数を数えている。
「八人か…、二人ずつならなんとか」と言いながらリハビリ室に戻ってくる。
診察室からロビーに出た祐一はリハビリ室の私を呼び「受診は済んだみたいだから二人は俺が…」すかさず「やってくれるの、そりゃあ助かる」と瞬時に反応した、舞佳も「もう受診には来ないと思うから私たちも手伝う、智美、美玖、リハビリ室に患者を」と先輩風を吹かし患者を誘導する。
患者がゾロゾロとリハビリ室へ流れ込む、「なんなんこれ、こんなに待っていたのか」沙織が人の流れを目で追う。私は「真彩、沙織、二人ずつ担当して」「二人?二人残るよ」と真彩「千夏、真彩、沙織、ストレッチだ、二人は俺が診る」と祐一、「見守りは私ら三人で」と舞佳、息の合ったチームプレーである。
歩行訓練を終えた信雄が「先生もリハビリするのかい」と聞く「スタッフが足りないからね、ここは助け合わないと」と切り返す祐一「どこかのアホ医者に聞かせたいわ」と沙織、「こら、もう言わないの」と真彩に頭を小突かれる。
騒がしいリハビリ室が気になる慎吾、レントゲン室から出てくる「騒がしいと思ったら何これ、人が溢れている」「暇なら慎吾も付き合え」と私の声が響く、おどおどしながら慎吾は「俺、ストレッチ機器のリハビリ、見守りするよ」「くるしゅうない、それで良い」と私、「ははっ、お局様」慎吾が平伏す、これは老人たちにバカ受け、もっと見せてくれと囃し立てられている、和やかなリハビリ室を見て祐一も「風が吹いている」と笑顔で一言。
夕方、私は一足早く食堂へ、いつもの風景だが、常連の漁師仲間がカウンターで飲んでいる、洋子は落ち着かない様子で外を見る「まだ来んねえ、どうしたのかね」「そのうち腹すかしてくる、今日は人数分用意しといたほうが良いみたいだ」剛士は車椅子で厨房へ入る。
「どういう訳か先ほど爺さん、婆さんが団体で診療所に入って行ったもの」「いつも早く現れる慎吾もまだ来とらん」やきもきしながら待っていると祐一、真彩、舞佳、智美、美玖、慎吾たちが揃って入ってきた。
「待っていたよ」洋子が厨房から顔を出す、「みんなで来たけど大丈夫」私が心配そうに聞くと「新しい看護婦さんの分もあるよ」「さすがおばさん、ありがとう」と言って座敷に上がる。
祐一、剛士が立って料理しているのを見て「大丈夫かい父さん」「大丈夫だよ、リハビリが効いておる」と明るい返事が返ってきた、このまま車椅子生活かと心配していた私は内心ほっとして「おじさん真面目にリハビリしてくれるから効果があるわ」と言うとすかさず「お前さんが真面目に」と洋子、そして笑う。
「老人が増えたからね、若者は都会へ、漁師にしても後継者がいないから老人が無理して海に出る、海の上は冷えるから思うように身体が動かない、だから怪我も多い」カウンターで飲んでいた漁師が思い詰めたように言う。
組合長の信雄が拓郎と入ってきた「みんな来ていたのか」カウンターの漁師たちに声を掛ける信雄は漁師たちの面倒見がよく、人気者だ「お先に、飲んでいます」と挨拶する漁師たちに手を挙げて応える、「あれ、診療所もご一同様だ」「ここしか営業してないもん、空腹で寝るのはごめんだよ」と沙織が舌を出す。
「ところで先生これから寒くなるし、リハビリを必要としている老人が多いこと、三人で大丈夫かい」と組合長「これまで私一人だったのだよ」と私、祐一は「スタッフの補充は簡単にできないので皆で協力して凌いでいくしかないですね、患者がいないときは私も看護師三人慎吾も協力しています」すると真彩も「協力していただいているおかげで歩行指導やストレッチに専念できます。大きな病院では出来ない私が理想としていたリハビリがここで出来ます」
すると拓郎「船もそう、エンジン、航行機器、その他補助機能がバランス良く噛み合ってこそ綺麗な航跡を残して走れる」私は拓郎の額に手を当てる「熱ない…、拓郎らしからぬお言葉、お前なんか悪いもの食べたか」舞佳が沙織をチラッと見て「格好つけちゃって、ねえ沙織」沙織の頬が赤くなり「なんで…わたし」かぼそく呟いて下を向く。
「いつも良いこと言っているだろう」と拓郎が沙織を見る、私は拓郎の前へ立ち「アホか、いつもスカタンなことばかり言ってやがるのになんで沙織の前ではそうなるの、お前はジキルとハイドか、それとも…」「それぐらいにして食べよう」と祐一が止めに入る。
「そうそう、智美ちゃんと美玖ちゃんの部屋、用意してあるからね、今日は遅いから民宿へ泊まって」と洋子、「ラッキー、大きなお風呂に入れる、智美、露天風呂も一緒に入ろう」と美玖、「俺も」自分の顔を指差す慎吾、「アウト、慎吾、セクハラ!アホ、それが一言多いと言うのだよ、嫌われるぞ」と私は智美と美玖の前に立ちはだかる。
「ここへ来るまでこんなにもリハビリを必要としている人々達を見たことなかった」
真彩がボソッと言った。
「年取って無理しているから急にガタが来る、そして早く死にたいという、今までここには治療できるリハビリ専門の施設がなかったから痛いのを我慢して働いている」拓郎は漆黒の波止場に灯る常夜灯を見て呟く。
漁協組合員にも歩きづらい者や神経が麻痺している者もおる、君たちが助けてやってくれ」信雄がいつの間にか座敷に上がって頭を下げる。
「身体の自由が効かないと気弱になるからね、よく話を聞いて効率よくリハビリします、そのために私たちは来たのですから」沙織がグラスを高々と持ち上げながらドラマの主人公のような台詞を、その姿は滑稽でもあったし、どこか憎めない気配も漂っている、真彩はなによりその品のなさにほっとするのであった。
真彩は自分達の新しい生活が多くの人に助けられながら滑り出したことに満足した。リハビリテーションセンターで感じたさざ波も、ほんの少し遠ざかる。そのぶん、沙織の存在が迫ってくる、連れてきてよかったと心の底から思うのである。
私も真彩と沙織に来ることを勧めてよかったと思う。秋は台風が多い冬は海が荒れる、そのため漁船で沖に出る漁はあまり出来ない、天候の定まらない時期ゆえ陸での仕事が必然的に増えてくる。
仕事といっても漁師が集まればたわいもない雑談で時が過ぎてゆく、センターを雑談場所にしてその着地点の無い話をしている間にリハビリを、と祐一と私は考えていた。
食事も終わりそれぞれ帰ってゆく、外に出ると夜空は宝石箱をひっくり返したように輝いている、浜風も心地良い、沙織が言った、「ここにきてもう半年近いね、毎日楽しく仕事しているから早いね」真彩「先生が自由にリハビリさせてくれるから楽しい、患者さんの意見や要望も聞けるからその人に合ったリハビリできる、来て良かった、その分計画を考えなくちゃならないかけど楽しい。
今までずっと言われるままだもんね、まるでリハロボだったもの」「もう、沙織らしいご意見」と真彩が笑う、「ところで真彩、夢があるって先生さっき言っていたけどなんだろう?」思い出したように沙織が尋ねる、「そのうちわかる、明日はセンターの掃除だね、沙織も頼むよ」夜空を見ながら歩く私と沙織と真彩。
翌朝、舞佳がロビーのソファーを、智美、美玖はフロアーを掃除している、「早く終わったから、掃除手伝うよ」とわざとらしく元気な声を出して私はロビーへ入る。「ここは良いからリハビリ室手伝って、真彩と沙織が機器の移動している」
「やっているね、早く終わったから手伝うよ」
「千夏いい所に来た、これだけど移動手伝って、沙織と二人では無理みたい」
カンファレンス室から顔を出す祐一「片付いたらカンファレンス始めるよ、それ重たいよ、俺も手伝うよ」鉄の塊みたいなストレッチマシーンの移動を手伝う。
移動を終えてカンファレンス室に入る汗まみれの私と真彩そして沙織はソファーに倒れ込む「ああ、しんどい」タオルで吹き出る額の汗を拭き取る。
舞佳、智美、美玖も疲れ果てて入ってくる。
慎吾がレントゲン室から道具箱を持って出て来る。
「リハビリセンターも充実してきた、真彩、沙織、リハビリ室はどう?それと島に少しは慣れてきた」躊躇いもなく立ち上がった舞佳が唐突な質問を投げかけてくる「だいぶ慣れました」汗を拭きながら応える真彩、「リゾートみたいで楽しくやっています」天真爛漫な言葉を放つ沙織。
「夏も終わるし、観光客も少なくなる。これからが本当の島生活だよ、寒くなるに従って老人が多くやってくるよ」祐一の言葉に一呼吸置いて真彩は応える。
「えっ、先生、なんで?今でも大変なのに…まだ増える」
「島は風が強いし冷たい、足腰を痛める人が増えるという事だよ」
「脳卒中、船や波止場から風に煽られて転落事故も増えてくるのだよ。こんな患者を少しでも減らしたいのが俺の夢だよ。
それに冬の海は荒れる、そのような時に重傷者が出たら設備の整った病院へ搬送できない、そうなるとこの診療所で対応せざるをえない、日頃から島民の健康状態を把握して予防対策を取っておくのも必要だよ」諭すように祐一が喋る。
「リハビリだけしか考えられなかった自分が恥ずかしいです。確かに必要な事ですね、都会の病院では全て人任せでした」と真彩「専門医頼みだったもん、責任ないし。そういうことが患者に寄り添ってないと言うのだね、なんだか少しは分かってきたような気がする」能天気な沙織がしんみようになる。
「そうだよ、口では寄り添ってとか簡単に言えるけど、その人の日常や持病など全て把握しておかないといけないのだ」と私は追い打ちをかける。
「だからこそ専門分野を活かした協力や情報交換も大切なことです。と言うことで、今日も頑張って始めよう」と祐一がうまく話を纏める。
舞佳は受付、美玖は智美とロビー、祐一は診察室、私と真彩、沙織はリハビリ室へ。それぞれの担当場所に向かうスタッフたち。
信雄が車椅子でやって来た、どうやらまた腰が痛むらしい、受付を済まし診察室に入る、祐一が診察をする「ここは、どうかな、痛いかい」腰を触る祐一、「いてっ、痛い先生」
「前よりひどくなっている、また何かしたのですか」「急に立ち上がってしまって」「ではリハビリ室へ、その前に痛み止めを打っておきましょうか」信雄は舞佳に手伝ってもらい車椅子からベッドに移動、うつ伏せにさせ注射を腰に打つ。
リハビリ室では真彩が信雄のリハビリ指示書を見る、「腰痛が激しいので緩めにとしか書いてないよ」沙織に指示書を見せる。
「マッサージだね、これは」と沙織「ところで千夏、先生はどこの大学出られたのですか」不意に真彩が尋ねる、「確か東洋大学の医学部だよ、それから東洋大学附属病院にしばらく勤めていたけど父親が倒れたからここに戻ってきたと言ってはいたけど、他にも理由があるみたいだけどね」驚く真彩「私と沙織が勤めていた前の病院」「そうだよ、知らなかった」私は平然と言葉を返す。
「やはりそうだったのですね」真彩の表情に私は息を呑む、「いえ…、以前看護師長に聞いたことだけど、人間的にも医師としても優秀な先生が脳神経外科におられたのだけど副院長と意見が合わなくて辞められたと聞いたことが…、あの斉藤のやつ自分に靡かない人は排除していたのか、えげつない」珍しく感情をモロ出しする真彩。
「白い巨塔よこの世界は、医療の原点に戻らないといけないのだけど」他人事のように私は言い放つ。
信雄が美玖に付き添われ車椅子でリハビリ室に入ってくる。
「さあ、お仕事だよ、真彩」千夏と真彩は話を切り上げ信雄のところに、私は天候が気になって窓から空を見上げると雲の流れが早い、「今日は荒れるぞ、台風がきている」と信雄は心配そうに言う。
その頃、波止場では係留された自分の船に乗って忙しく動き回っている拓郎の姿が。しきりに雲の流れが早い空を見上げている、漁師の勘で台風の気配を感じ、急いで船を出そうとしている、仲間の漁師が沖から戻り「拓郎!出船は無理だ、海が荒れて来た」と話す、「沖の生簀が心配だ、係留ロープを見てくる、大丈夫台風はまだだ、繋ぎ止めたらすぐ戻るよ」仲間の漁師の心配をよそに外海へ出てゆく拓郎。
「組合長は…」数人の漁師が診療所ロビーに現れる、車椅子で信雄と祐一が診察室から出てくる「どうした、何かあったのか」「拓郎の船が消息不明」「この嵐の中、拓郎が出たのか」「生簀が心配だと言って止めるのも聞かずに出た」「あのバカ…、すぐ無線で連絡してみてくれ、それと海保にも、俺は組合事務所に行く」信雄、急いで車椅子でロビーへ出る。
ロビーに全スタッフを呼ぶ祐一。「台風が近づいている、今夜は全員当直してくれ、何か起きるような気がする、真彩と沙織は救命救急セットを用意してくれ、舞佳と智美、美玖、診療室と手術室の用意を頼む、慎吾はレントゲンの用意を、千夏はロビーを頼む」と受け入れ態勢を整える祐一。
慌てて玄関に急ぐ信雄を呼び止める祐一、「組合長どうした」
「拓郎が生簀を見に沖へ出た、連絡が取れない」血相を変える信雄。
「あのバカ!組合長、監視船貸して私が見に行く」私はロビーから叫ぶ。
私は駆け出し、組合事務所へ向かう、事務員から鍵を受け取ると波止場に係留している監視船に飛び乗りエンジンを掛ける、うねりが港内にも入ってくる、風も吹き出した、「早くロープを解いて」波止場にいた漁師に声を掛ける「千夏、何をするのだ、海が荒れてきた、出るのは危険だ」漁師が叫ぶ、「行かなくちゃ、拓郎が危ない」叫ぶ千夏の威勢に負けて数人の漁師が監視船のロープを解く。
漆黒の海、三角波をかき分け、木の葉のように揺れながら監視船は進む。
風が吠え出し、波止場も波を被っている、係留した漁船の軋む音がロビーにも聞こえる、祐一は診療所の窓から沖を見つめる。
突然、診療所の電話が鳴る、舞佳、受話器を取る。
「先生、怪我人が来ます」舞佳の声が重苦しい空気の中、ロビーに響く。
スタッフ全員の顔が硬直する、「智美、美玖受け入れ準備」舞佳の冷静な声に反応するように智美と美玖が玄関にストレッチャーを回す、慎吾、真彩、沙織も玄関へ急ぐ。
消防団と駐在にだき抱えられて数人の患者が玄関に、祐一が素早くトリアージ、診療室で傷を見て指示を出す。
「風で家が崩壊、下敷きになった」と駐在、「智美、美玖、この二人は擦過傷だ、手当をしてくれ、」祐一の声を聞き患部をそれぞれに診る智美と美玖「この人は胸を挟まれて、動けないところを救出しました」と消防団員「圧迫気胸の疑いがある、慎吾、胸部レントゲン」祐一の指示でストレッチャーを真彩と慎吾がレントゲン室に運ぶ、「この人は大腿部骨折だ、舞佳手術室へ、先にオペするぞ」冷静に診断する祐一、「沙織も手伝って」と舞佳。
着替えて手術室に入る沙織と舞佳、「舞佳、全身麻酔」祐一が言うと沙織が驚いたように「えっ、舞佳さん、麻酔できるの?」「大丈夫、舞佳は麻酔科医だよ」と祐一、驚く沙織の顔が引き攣る。
「その間にレントゲン見てくる」手術室を出る祐一、麻酔をかける舞佳。
「やはり気胸だ、先に診察室で胸腔ドレナージしよう、真彩、局部麻酔、チューブとドレンポンプだ、診察室で挿入する」局部麻酔を打ちチューブを入れる祐一。
手術室に戻る祐一「麻酔は」「大丈夫です、プレート固定するよ。沙織この数値が変わったら教えて」と舞佳、沙織は麻酔機器の前に、祐一のオペ看をする舞佳。
「生簀はこの辺りだと思うけど」激しく舷窓に当たる雨と波に揉まれながら拓郎の船を探す千夏、レーダーとGPSを覗き、サーチライトで海面を照らす。
拓郎の船は生簀の固定用ロープにスクリューが絡まり生簀の側で止まり波に揉まれている、外そうと船尾でロープと格闘している拓郎、サーチライトの光に気がつきこちらの船を見る。
「監視船だ、誰が操船している?」暗夜の中に伸びる希望の光、「助かった」と拓郎は手を振り上げる、私は低速で拓郎の船の舷側に着ける。
「生きているか拓郎」私は叫ぶ、拓郎が監視船に乗り移る、「千夏、おまえどうして」「お前を殺したら沙織が泣くからな、仕方なく来てやったよ、船はおいとけあれだけ絡まっていたら流されないよ」ずぶ濡れの卓郎にタオルを投げる。
「港へ帰るよ」拓郎の船から離れて港を目指す、レーダーを見ていた拓郎が「なんだ、これ、小さな光点が写っている」「この先だね、行ってみるわ」船を少し左に回す、「サーチライトつけて、あれプレジャーボートだよ、半分沈んでいる」「あんな船でこんな時に、無謀だよ」「人いるのかな、叫んでみるよ」拓郎は懐中電灯を持って監視船の舳先に行く。
拓郎が照らして叫ぶと、親子らしい三人が手を振っている、用心深く船を着ける。
「助かりました」夫婦と中学生ぐらいの男の子が乗ってくる。
「なんでこんな日に、出てきた」と私が怒る、「朝早く出港したのですが、その時は何もなく穏やかでしたが昼過ぎて風と波が急に出て、引き返そうとしたのですが流されて暗礁にぶつかり浸水してしまって」「怪我はしてないかい」と拓郎が聞く。
「子供がちょっと」母親らしい人が子供の上着を上げると脇腹が赤黒く腫れている「拓郎操船してくれ」と舵を卓郎に任せ子供を診る「これは…」「どうなのだ、千夏」「無線で漁協を呼んで、出たら変わって」拓郎、漁協を呼ぶ「拓郎か、心配していた」と信雄が出る、「祐一先生医を呼んで」拓郎が無線で言う、漁師の一人が診療所に走る。
「千夏、どうした」祐一が無線で聞く「拓郎を助けて、戻りに浸水したプレジャーボートで三人助けたのですが、中学生ぐらいの男の子の左脇腹がすごく腫れています、あと十分ぐらいで戻りますから」「わかった、すぐ診療所に」と祐一。
診療所に戻った祐一、舞佳を呼ぶ「舞佳もう一人、オペだ、中学生ぐらいの男の子打撲か何かで左脇腹が異常に腫れているみたいだ」「もしや、肝臓破裂」驚く舞佳「でなければいいが、とにかく応急処置をして総合病院へ送ろう」
拓郎が子供を抱いて診療所に、祐一は手術室で少年の脇腹を診る。「エコーだ」すかさずエコーの準備をする舞佳、「破裂まではしてないが出血している、美玖と智美を呼んでくれ、舞佳は総合病院へ連絡、天候が治まり次第、肝臓出血の少年を搬送すると伝えてくれ」
ただならぬ祐一の言葉に不安を感じる私と拓郎。
「肝臓から出血している、応急処置で出血を止める」千夏、オペ看してくれ。
舞佳が麻酔を、私は優一のオペ看として少年の出血を止める手術を始める。
空が白み始める、台風も治まり波も穏やかに、救急艇が波止場に到着。診療所から救急艇に少年と両親を移動、慌ただしくサイレンを響かせて救急艇が波止場を離れる。
長い夜だったな…、皆、お疲れ、ロビーで少し休もう。食堂から洋子と剛士が差し入れを持ってくる。
「オペ看の資格取っておいてよかったね、役に立った」私が舞佳に言うと「ほんと、千夏と一緒だったから良かったです、今度はあの二人に取らさないと」智美と美玖を見る。
「大変だった」知らず知らずに涙が頬を伝う沙織、「風の人と土の人か…」そっと呟く真彩、「そうだ分かってきたかい、真彩も沙織も土の人になれそうだね、風に乗ってふらっと来た知らない土地で、少し遠回りしたけど自分の道を見つけたのだよ」茜色の朝日がロビーに染み込むように広がる、その朝焼けを見ながら私は二人に言った。
何日かして総合病院から少年は助かったと連絡があり両親からもお礼の電話があった。
初冬の空は鉛色で海も荒れているが真彩と沙織はリハビリ室に舞佳は受付で智美は忙しなくロビーを見渡し、美玖は患者の容態を聞いている、慎吾はレントゲン室にこもっている。私と祐一は診察室でリハビリ計画、と忙しい日々が過ぎてゆく。
どうでした面白かった。
下にある☆から作品への応援お願いいたします。
面白かったら☆五つ、つまらないなら☆一つ。
正直に感じたお気持ちで大丈夫です。