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第5話 神のゆりかご

 朝日が差し込むよりも早く、稲夫はひとり静かに目を覚ました。


(……全然眠れなかった)


 背中は石の感触でゴリゴリだし、腰は痛い。体力を回復するどころか、HPが削れてる気がする。


 それに加え、昨日の会話が昨夜ずっと頭をよぎっていた。


 タケルの『神ではないと分かったときは――俺が斬る』という発言。

 そして『神じゃないとバレたら死ぬ』という、理不尽かつ笑えない現実。


(……神らしくしなきゃ、マジで命がもたない……)


 気を引き締めて体を起こす。

 眠れずに一晩中、どうすれば“神らしさ”を見せられるのか考え続けた。


 体を起こし、住居の隅に積まれた縄と細い枝材を手に取る。


 高校時代、弓道部の道具室で古い竹片を使い、遊び半分で『弓切り式火起こし』を試したことがある。

 顧問に見つかり「的場で火遊びとは何事だ!」と烈火のごとく怒鳴られ、二時間正座させられたのも今となっては苦い思い出だ。


(顧問ブチギレてたな……まぁそのおかげで、やり方は覚えてる)


 枝を削り、板にくぼみを刻む。縄を張った弓で棒を押しつけ、往復させる。腕が熱を帯び、額に汗がにじむ。

 やがて焦げた粉が立ちのぼり、草に火が移る。ぱちぱちと小さな音を立て、炎が息を吹き返すように灯った。


(……ついた!)


 稲夫は喉の奥からこみ上げる声を押さえ、静かに息を吐いた。


(よし……これを渡せば、少しは神っぽいところを見せられる!)


 当時は顧問に死ぬほど怒られたが、まさか役に立つ時が来るとは思っていなかった。


 立ち上がると、丁度ミズキとタケルが起きてきた。


「おはよう。見てくれ、これ」


 稲夫は手にした火起こしセットを掲げた。


「これは……弓でしょうか……?」


 ミズキの目が少し見開かれ、すぐに落ち着いた声音で言う。


「いや、『弓切り式火起こし』といってな。楽に火がつけられるようになる道具だ。昨日、ミズキが火おこしに一生懸命だったから作っといた。」


「……もしかして、それを私に?」


「もちろん。それと俺は今日から田んぼを作る作業に入るから、芽出しの水の管理をお願いしたい。毎日ちゃんと替えないと、神様スネるからな」


 ミズキは一瞬だけ目を見開き、すぐにふわりと微笑んだ。


「はい、承知しました……神のご機嫌を損ねぬよう、水を整えさせていただきます」


 その笑顔には、どこか嬉しさのようなものがにじんでいた。ただ言いつけを守るだけではない、大切な役目を任されたことへの喜びと責任感が見てとれた。

 

(よし、完全に“神様のお告げ”って感じで受け取られてる……!)


 うまくいったと内心喜ぶ。しかしミズキのまっすぐな笑顔に、騙してるようで胸が痛む。

 だが、ここで「実はただの米農家です」と言おうものなら……


 ちらりと横目でタケルを見ると、無言でじっとこちらを見つめていた。

 表情は読めないが、なんか目が怖い。


(ダメだ、今このタイミングで「実は神じゃない」とか言ったら、確実に斬られる!)


 稲夫はぎこちなく笑ってごまかしながら、背筋を伸ばした。


(よし、今の俺は“豊穣の神”だ。それっぽく振る舞えばいいんだ……)


「……さて、今日の作業だけど……田んぼを作るとは言ったが、まずは“苗代”ってやつを作る」


「なわしろ……とは一体何でしょうか?」


 澄んだ声で、ミズキがそっと問いかけた。


「簡単に言えば、苗たちの“ゆりかご”だ。広い田にいきなり撒くと、育たず腐ったりする。だから水の管理がしやすい小さい田で、芽が出て大きく育つまで面倒を見るんだ」


「田に立つ前に、静かに命を整える場所……ふふ、なんだか神様の前で身を清める“禊”みたいですね」


(その発想はなかった……でも、伝わってるならヨシ!) 


 その後、タケルから石器の鍬を借りうけ、川沿いの草だらけの湿地に到着した。


 手で草を抜いては山にまとめ、ようやく鍬で土を掘り起こす。石器では苦戦したが、それでも一歩ずつ進めていく。


 しばらくして、大事そうに両手で種籾の入った土器を抱えたミズキが訪れた。


「芽出しの水、張り替えてきました」


「おお、ありがとう……あ、気になってるな、その草の山」


 稲夫がふと笑みを浮かべ、視線を草の山へ向けたミズキに気づく。


「ええ、……あの草たちは、何かのお役目があるのですか?」


「これは“緑肥”っていってな。草を埋めとくと、時間が経って土の栄養になるんだよ……まあ、草が神様のごはんになって、いずれ神様になるってとこかな?」


「では……この草たちは、“神に昇格”したのですね!」


「……そう言われると草がやたら尊く見えてくるな……」


 ミズキは穏やかな眼差しで積まれた草を眺める。その表情には、信仰に基づく静かな敬意があった。


「それと、畦も作る。田のまわりに土を盛って、水を囲う。畦がないと、水が逃げて育たないんだ。簡単に言えば……“結界”だな」


「結界……」 


 ミズキがその言葉を静かに繰り返す。目を細め、畦になりかけの土を見つめた。


「そうそう。神様の力――つまり水を、ちゃんと留めておくための工夫だ。これがないと、せっかくの恵みも流れてっちゃうからな」


 ミズキは膝をついて、そっと土に触れる。まだ柔らかい感触を確かめるように、手のひらを軽く滑らせた。


「ならばここは……神様がいてくれる場所ですね。ちゃんと、大事に作らないと……」


 言葉は穏やかだったが、その表情には静かな決意がにじんでいた。


「よし、じゃあ俺は残りの草をすき込む。ミズキは山菜採りだっけ?」


「はい。がんばって、いいのを見つけてきますね」


 軽やかに笑って、彼女は山のほうへと歩いていった。


 その後は、土を盛って畦を築き、草をすき込み、小さな苗代を完成させた。


「ふう……なんとか形になったな。水路はまた今度作るか」


 肩で息をつきながら川辺を見渡すと、陽は傾き始めていた。

 焚火の場所に戻ると、採集から戻ったミズキが山菜やキノコ類を選り分け、調理の準備を進めていた。


 薪はまだくべていないが、料理に使う材料を調理台の平石に整えて並べるその姿勢は、まるで祭の支度のように丁寧だった。


「お疲れ様です。稲夫様」


 稲夫の方を向き、ミズキはにこりと微笑んだ。その目には、どこか安堵と労わりがにじんでいた。


「ただいま。もう準備してくれてたんだな。俺も何か手伝うよ」 


 そう言い、稲夫がミズキに近寄った、そのとき――。


 ガサ……ガサガサ……


 草むらの奥から、何かが重たく地面を踏みしめる音が響いた。


「タケルか?」と声をかけて振り向くと、そこにはモコモコとした黒い影。


「……熊だ」


稲男の声は、自然と喉の奥でかすれた。

※現代では、伝統的な田んぼを使う苗代ではなく、育苗箱を使ってビニールハウスなどで苗を育てる方法が主流です。

緑肥は土にすき込むことで微生物に分解され、土壌中の窒素分が増え、植物の生育を助けます。

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