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42話 〈五月上旬〉刻まれる言葉

 外では、雨が降っていた。

 しとしとと、一定の調子で地面を打ち、竪穴式住居の屋根を叩いている。

 屋根の下では、稲夫とミズキ、そして眠り込んでいるタケルの姿があった。

 稲夫は腰を下ろし、木の枝で地面に田植えの手順を書き出していた。


(田植えの前に縄引きは必要だな。植え方は正条植えでいいか?俺が植えるなら、誰かに苗取りを頼まないといけないな……)


 ガリガリと地面に文字を書いていく。改めて書き出すと、用意するもの、やらなければいけないことが思いのほか多い。

 稲夫がどうするべきか唸っていた時、ミズキが地面に書かれた文字をじっと見つめているのに気がつく。


「ミズキ、どうかしたか?」


「その、稲夫様。それは、文字?でしょうか?」


「ん?ああ、そうだな」


 稲夫が肯定すると、ミズキは一瞬、息を呑んだ。


「その、もしよろしければ、文字を教えていただけませんか?」


 稲夫は「かまわないぞ」と返事をしかけて、言葉を止めた。


(待て、この世界の文字って何語?)


 分からない。少なくとも、今まで稲夫が見てきた限り、この世界で日本語が文字として使われている様子はない。

 この世界で使われていないかもしれない日本語を教えていいのだろうか?無駄になってしまうのではないだろうか?


「あー、俺のいた世界の文字なら教えられるんだけど、それでもいいか?」


「それは、つまり神の世界の文字……」


(あ、そう捉えるのな)


 ミズキは、一瞬、目を伏せる。

 迷い、考え、顔を上げたその目には、覚悟が宿っていた。


「それでも、教えていただきたいです」


「そっか、分かった」


 稲夫は頷き、近くに落ちていた枝を拾ってミズキに差し出す。


「まず、俺が文字を書いていくから、それを真似して書いていってくれ」


「分かりました」


 稲夫はふとタケルの方を見る。

 横になって寝ているが、一応声をかける。


「タケルもやってみるか?」


 返事はない。完全に寝ていた。

 肩を揺すっても反応はなく、寝息だけが返ってくる。


(こいつ……神話の話をするときは、勝手に起きてくるくせに……)


 溜息をつき、気持ちを切り替え、文字を教える為ミズキと向かい合う。


「今から教える文字は“音”を表している。一つで、一つの“音”を表すんだ。まずは『あ』だ」


 稲夫は地面に枝の先を当て、ゆっくりと『あ』と書いていく。


「あ……」


 ミズキは声を出しながら、稲夫の書いた文字を真似て地面に『あ』と書いていく。


「これで、よろしいでしょうか?」


「ああ、大丈夫だ。上手いじゃないか」


 そう言うと、ミズキは胸に手を当て息をついた。

 少し歪んでいるが、初めて書いたであろう文字にしては上出来だ。


「次は『い』だ。さっきより簡単だ」


「は、はい!い……」


 ミズキは先ほどと同じように、地面に『い』と書いていく。

 続けて『う』『え』『お』と順番に文字を教える。

 そうして、時間をかけて五十音全て教え終わる。


「これで音を表す文字は全てだ。この文字を組み合わせて名前や物を書き記す事ができる。例えば——」


 稲夫は地面にひらがなで『みず』と書き記す。


「これで『水』と読める。川を流れている、喉が渇いたときに口にする、あの水だ」


「これが、水を示す文字なのですね……でしたら——」


 ミズキは不慣れな手つきで地面に文字を書いていく。

 書かれていた文字は『みずき』だった。


「私の名前は、これでで合っていますか?」


「おお!合ってるぞ!凄いな!」


「では!稲夫様の名前はこれであっていますか?」


 ミズキは嬉しそうに地面に『いなお』の文字を書いていく。


「あ、合ってる……凄いなミズキ」


 稲夫はミズキの飲み込みの早さに驚く。前から頭が良いと思っていたが、改めてその事を実感する


「これが、意味や想いを、残していく文字なのですね」


 ミズキは自身で書いた文字を慈しむように指を這わす。

 その指先は、どこか祈るようでもあった。


 ――その時だった。


「むぅ——」


 ごろり、とタケルが寝返りを打った。

 伸びた足が地面を擦り、ミズキが書いた文字をまとめて消してしまった。


「兄様……」


 ミズキは、静かにタケルを見る。

 その目は穏やかではあったが、何処までも冷たく、圧のある身の縮こまるような視線だった。

 心なしか、場の空気が張り詰め、気温が下がった気がした。


「だ、大丈夫だ!ほら!文字は消えても、覚えていればまた書けるから!」


 その空気に耐えきれず稲夫は消された文字を再び書いていく。


「ふふ、そうですね。覚えていれば、何度でも……」


 稲夫が慌てて取り繕ったのが可笑しかったのか、ミズキの目は柔らかくなり、穏やかに笑った。

 その様子に稲夫は、ほっと息をつく。

 今日一番、頭を悩ませたのは田植えの準備や文字の教え方ではなく、二人の兄妹関係だった。

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