表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/39

39話 〈四月下旬〉巫女と神

 それから、少しの時間が経った。

 焚き火の残り香が、まだ広場に淡く漂っている頃。


「う、うぅ……」


 ヒナタが小さく身を丸め、腹を押さえた。その声に、アキが泣きそうな顔で駆け寄る。


「ヒナタ!?大丈夫!?」


「うんこー!」


 言い終えるより早く、ヒナタは厠へ走り出した。

 突然のことに皆が固まる中、その背を追うようにロウが後を追いかける。

 アキは立ち尽くしたまま、おずおずとミズキへと視線を向けた。


「あの、ミズキ様……これは?」


 声が震えていた。

 困惑、不安、期待、恐れがない交ぜになった眼差しだった。


 呆気にとられいたミズキだったが、ハッと我に返り背筋を正す。


「腹を下したのは、火の神の加護が巡った影響でしょう」


 そして、アキとツチハルに向けてハッキリと答える。


「毒は、峠を越えました」


 その言葉が終わると、アキは崩れ落ちるようにその場に膝をついた。


「巫女様……!ありがとうございます……!」


 声にならない嗚咽が漏れる。

 ツチハルもまた、何も言えず深く深く頭を地に付ける。


「巫女として当然の務めです。それよりも——」


 ミズキは、跪く二人の前に屈み、優しく語りかける。


「今は、ヒナタちゃんの側にいてあげてください」


 その言葉を皮切りに、二人は立ち上がりヒナタの元へと駆け出していった。

 駆け出していく二人の姿を見送った後、タケルが静かに口を開く。


「ミズキ、儀式は終わった。直ぐに傷の手当てをしよう」


 ミズキが振り向く前に、タケルの視線はその腕に落ちていた。


「はい、兄様」


「すぐに戻る。手当てに必要な物を持ってくる」


 それだけ言い残し、タケルは踵を返して広場を離れた。

 広場には、ミズキと稲夫だけが残される。


 ——しばらくの沈黙。


 ミズキは、ようやく大きく息を吐いた。胸の奥に張りつめていたものが、音もなくほどけていく。


 ——遅れて、震えが来た。


 祈っている最中、声も、手も、心も。全て必死に押さえつけていたのだと、今になって気づく。

 もし何も起こらなかったら。もし、誰一人救えなかったら。

 考えてはいけないものを、考えないようにしていただけだった。


「ミズキ、おつかれさま」


 稲夫の声が、静かな夜に落ちる。

 ミズキは小さく首を振った。


「……やるべきことを、しただけです」


 焚き火の跡に視線を落としたまま、しばらく黙って――それから、ぽつりと続けた。


「今日、分かった事があります」


「分かった事?」


「巫女とは、ただ神に祈るものではないのですね」


 ミズキは唇を一度結び、顔を上げる。


「皆が不安に呑まれそうな時、迷いを見せず、言葉を紡ぎ、心を支えること――それが、巫女に与えられた役目なのですね」


 そう言ってから、ミズキは指先を強く結んだ。


「でも、皆の前に立つって、大変なんですね……」


 稲夫は、その横顔を見つめた。

 ミズキは言い終えた後、小さく息を吸い、何事もなかったように整える。


(立派だな……)


 焚き火の跡を見つめるミズキの横顔は、まだ幼さを残していた。

 それでも、逃げずに皆の前に立ち、言葉を選び、役目を引き受けている。


 ――ミズキに比べて、自分はどうだろうか。


 神だと呼ばれ祀り上げられながら、どこか距離を取っていた。

 神でもないのに、神として振る舞う事に負い目があったからだ。

 だが、目の前のミズキは違った。

 思い悩みながらも、巫女としての役割を受け入れ、皆の立つことを選んでいる。

 稲夫は、言葉を探すように一度視線を落とし――そして顔を上げた。


「もし、誰にも頼れないと言うなら、俺を頼ってくれたらいい」


 一瞬、言葉を続けるのをためらう。

 それから、いつもの調子を思い出したように肩をすくめた。


「なんたって、俺は神様だからな」


 軽い言い方だった。冗談めいていて、逃げ道のような言葉。

 だけど、それで誰かが安心できるなら、救われるなら、神として振る舞う事も悪くないと思えた。


 「稲夫様……ありがとう、ございます」


 ミズキは、視線を落とし、静かに息を整えた。


 焚き火の残り香が、夜風に溶けていく。

 儀式は終わった。ヒナタは助かり、きっと明日から同じ日々が続いていく。

 だが、全てが同じではない。

 神として立ち続ける役割は、今日この場から始まるように思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ