第27話 〈四月中旬〉狼の子
少年と狼を迎え入れた翌日の朝。
村の広場には昨夜、アキが試しに焼いた小さな土器がいくつも並び、そこからは湯気がほわりと立ちのぼっている。
稲夫は思わず目を見張った。
「……おお、これ土器か!」
驚きの声に、アキは少し得意げに胸を張る。
「窯は簡易なものですが、なんとか焼き上がりました。昨夜のうちに冷まして、今朝ようやく使えるようになったんです」
「なるほど、ありがたいな。これで煮炊きも楽になるな」
稲夫は土器を手に取り、中を覗き込む。野草を煮た汁物が、朝の光を反射して揺れていた。
そっと口をつけると、熱い汁が舌を撫で、喉を伝い、胃の奥へと広がっていく。
「はぁ……沁みるな」
思わずこぼれた言葉に、アキは嬉しそうに目を細めた。
隣では、ヒナタが少年に向かって何やら話していた。
「熱いから気をつけて飲んでね」
だが少年は、土器を地面に置いたまま顔を近づけ、水を飲むように一気にすすり込んだ。
「あっ!だめ!」
「……っがぁあ!」
次の瞬間、少年は汁物を吹き出し顔をしかめて後ずさった。熱さに涙をにじませながら、必死に口を押さえる。
「だから言ったのに!熱いのは少しずつだよ!」
慌てたヒナタが竹筒に入れた冷たい水を差し出すと、少年はむさぼるように飲み干し、ようやく落ち着いた。
「……こうやってね、土器を手に持って、フーフーってしてから、少しずつ飲むの」
ヒナタは自分の汁物を両手に持ち、息を吹きかけ飲んで見せる。
その姿を、少年は真剣な目で見つめていた。
「ほら、やってみて」
ヒナタは少年の手に自分の土器を差し出す。少年は一瞬ためらったが、両手で受け取った。
「ふ、ふー、ふー」
少年はヒナタを真似て、息を吹きかけ、恐る恐るちびり、と汁物を口に含む。
「……!」
目を見開き、何度も瞬きを繰り返す少年。
そして再びフーフーと息を吹きかけ、少しずつ飲み始めた。
その様子を見て、稲夫は思わず口元を緩める。
「もう随分、仲良くなったみたいだな。一晩でここまで打ち解けるとは……子供同士だから通じやすいのかな?」
「かもしれませんね。昨日の夜から、ヒナタがずっと世話を焼いていましたから」
少年は昨夜ツチハルたちの住居に泊められ、ヒナタが甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
その甲斐あって、距離が縮まっていたのだろう。
「ヒナタは、ずっと“お姉ちゃんになりたい”って言ってたものね」
「えへへ……」
ヒナタは少し照れながら笑う。
そこで、稲夫がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、この少年……名前はなんて言うんだ?」
「それが分かりませぬ」
ツチハルが首を振る。
「何度か聞いてみたのですが、答えてはくれませんでした」
ヒナタが元気よく尋ねる。
「君、なんて名前なの?」
「ゔぁうい?」
困惑した顔。まるで、言葉そのものが通じていないかのようだった。
ツチハルが真剣な面持ちで言葉を継ぐ。
「親の姿も見当たらず、周囲に集落もありません。なぜ狼と一緒にいたのか……気がかりです」
稲夫は少し考え込み、口を開いた。
「……確かじゃないけど、この子は“狼に育てられた”のかもしれない」
場がざわめいた。
「そんなことが……?」
アキも、ツチハルも信じられないという顔をする。
「昔そういう話を聞いたことがある。もしそうだとすれば、言葉が通じないのも、人里にいなかったのも、狼と一緒にいたのも説明はつく」
皆が半信半疑の中、タケルが低く言った。
「……俺は、信じます」
全員の視線が彼に集まる。
「あの狼は、俺たちに対してあまりにも警戒心が薄い。まるで最初から敵と見ていないかのように。もし少年を育てたのだとすれば、その理由にもなる」
タケルの視線の先には、首に縄を通され木に結わえられた灰色の狼がいた。
地に腹をつけ、静かに寝そべっている。
「奴は戦いの最中、常に少年を守るように動いていた。先ほども湯を飲んで叫んだ少年に真っ先に反応していた」
タケルの言葉に、一同は息を呑んだ。
しばしの沈黙。誰もが、少年と狼の間にある絆を感じ取っていた。
「するとこの少年、名前がないのですがどう呼びましょうか?」
ツチハルが口にすると、アキもうなずく。
「そうだね、名前がないと不便だわ」
「じゃあ、ヒナタがつけてあげる!」
ヒナタが元気よく宣言した。
「えーと、バウバウって喋るから……バウちゃん!」
「ヒナタちゃん。気持ちは嬉しいけれど、名付けは大事な儀なの。だから稲夫様に任せましょうね」
「え、俺!?」
急な無茶振りに声が裏返る。
(いやいや!?なんで急に俺が名付け親!?これも村の代表としての役目なのか!?)
必死に頭をひねっていると、ふと灰色の狼が目に入った。
(そうだ!狼に育てられたなら、狼にちなんだ名前ならみんなも納得してくれるはず!)
稲夫は石を拾い、地面に文字を書き始めた。
「“オオカミ”って言葉は、漢字で書くとこうなる。『狼』って字だ」
「これは……文字?」
ミズキが息を呑む。誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「この“狼”は、“ロウ”とも読む。だから……えーっと……“ロウ”っていうのはどう?」
苦し紛れに名前を口に出す。少し強引な理屈だったが、せめて理由を添えた。
一瞬の沈黙の後、ミズキが微笑む。
「……いい名前だと思います」
皆も頷き、ヒナタが笑顔で言った。
「じゃあ、これから君はロウだね!よろしく!」
「あう?」
しかし、当の少年はきょとんとした顔をして首をかしげている。
「……理解していないようですが」
タケルが苦笑まじりに言うと、稲夫は肩をすくめた。
「まぁ、そのうち答えてくれるさ。ロウ。これからよろしくな」
朝日を浴びながら、少年――ロウはまだ戸惑いの表情を浮かべていた。




