第24話 〈四月中旬〉血と嘘の献身
ヒナタは森の中を必死に走っていた。湿った土を踏みしめるたびに、足元からぐしゅりと鈍い音がした。
足に巻かれた傷当ての下から、じわりと熱が広がっていた。痛みは脈打つように増していく。
(もう一度行かなきゃ。あの子と……あの狼のところへ)
正直、再び狼のいる場所へ戻るのは気が引けた。
自分でも理由は分かっている。怖い。
しかし、身の危険を冒して助けてくれた少年の頼みを忘れ、知らぬふりをすることはできなかった。
木々の合間を走り抜け、記憶をたどりに森を進むと、そこに少年と大きな狼が横たわっていた。
「お待たせ。今、手当てしてあげるからね」
息が上がりながらも少年に声をかける。少年はヒナタの葉の傷当てから漏れ出た血を見て心配そうにヒナタを見る。
「うぁ、うー……」
「安心して、ヒナタは平気だよ。よく転ぶから、これくらい慣れっこなの」
ヒナタは少年に笑顔を作って安心させる。
そしてヒナタはごくりと唾を飲み込み、狼へと歩を進める。
やはり狼は怖い。牙も爪も恐ろしい。けれど狼はヒナタが近づいても、じっと身を伏せている。
ただ苦しげに荒い息をつくだけで、敵意は見せていなかった。
「染みるかもかもしれないけど、我慢してね」
ヒナタは狼のそばまで行くと、自分の足に巻かれていた傷当てを剥がし始めた。
傷当ての葉が血に固まって肌に張り付き、引き剥がすたびに痛みが走る。
「……っ!」
息が詰まる。
それでも手を止めず、狼の傷口へと傷当てを押し当て、蔦で固定していく。
傷当てを外すたび、冷たい外気が自分の傷口に触れ、滲むような痛みが広がる。自然と涙が目に滲み、呼吸が浅くなった。
「うぅ……」
少年が心配そうに声を上げ近寄り、ヒナタの腕をつかんだ。
長い黒髪の隙間から覗く顔からは「無理しないで」と言わんばかりの泣きそうな表情をしていた。
ヒナタは痛みをこらえ、必死に笑顔を作ってみせる。
「だ、大丈夫。心配しないで」
少年と、自分にそう言い聞かせる。
そして、自身についていた傷当てを全て剥ぎ取り、狼の傷口を覆い終えた。
冷えた血が自分の足を伝って地面に滴る感触が、ひどく現実的だった。
「これで大丈夫、たぶん……」
手当てを終えたが、正しい手当てができたかは自信がなかった。
(巫女様……ごめんなさい。ヒナタ、嘘ついちゃった)
本当は最初からお願いしたかった。狼を助けたいと。
でも、それが許されないことは分かっていた。
だから、自分で傷を作り、巫女様に手当てをしてもらい、それを狼に移すしか方法が思いつかなかった。
嘘をついた罪悪感で胸が締め付けられる。
俯き、瞳が揺れる。
そのとき、不意に頬に温かい感触が走った。
手当てをした狼が、舌でぺろりと顔を舐めてきたのだ。
「わっ!? ちょ、ちょっと!くすぐったいよ!」
狼のざらりとした舌が肌を擦る。普通なら恐怖で身を固くするはずなのに、不思議と怖くはなかった。
優しく、丁寧に舐められるような感覚。生暖かい舌先からどこか親しさと信頼を伝えるものがあった。
けれど次の瞬間、狼は急に舐めるのをやめた。
「ガウウゥ……」
かばう様にヒナタの前に立ちふさがるように身を寄せ、唸り声をあげながら牙を剥き出す。
「え……な、なに?」
森の茂みがガサガサと音を立てて揺れる。次いで、低い足音が土を踏みしめる音が近づいてきた。
茂みの奥から茶色の毛並みをした狼が現れる。一匹、二匹、三匹、四匹——。
どの狼も毛を逆立て、敵意をむき出しにしている。ぎらつく目でヒナタ達を睨んでいた。
「ひっ……」
背中を冷たい汗が伝う。
「ゔぁ!うがあ!」
ヒナタの前に、少年が立ちはだかった。
尖らせた骨片を握り、背を丸めてヒナタを後ろへ押しやる。
「ゔううぅぅぅ!!」
喉の奥から低い唸り声を漏らし、狼のように威嚇する。
「ど、どうして……こんなに……」
ヒナタは震える声で呟く。ふと視線の先で、一匹の狼の鼻先に赤黒い染みがついているのに気づく。
——血だ。
ヒナタは慌てて自分の足元を見た。
足の傷口から血が垂れ、地面に黒々とした斑点を作っていた。
「まさか……ヒナタの血が……」
助けに来たつもりが、逆に危険を呼び寄せてしまった。青ざめた顔で、ヒナタは唇を震わせる。
「ご、ごめんなさい。ヒナタのせいで……」
ざわめく気配の中、さらに茂みが揺れる。
次々に姿を現す狼の姿に、ヒナタは息を呑んだ。
気づけば周囲は唸り声で満ち、囲まれていた。
低い唸りが重なって地鳴りのように響く。
剣呑な雰囲気が辺りを支配した。




