第19話 五稜郭、始動
夜が明けた。
とはいえ、稲夫はその明け方までほとんど眠れていなかった。
(……星の形まではいい。問題はそこからだ)
先ほど空を見上げた際に閃いた五稜郭の形。だがどうやって作るかが問題だった。
星型の陣地は強固だが、複雑だ。角度も距離も正確でなければ、ただのいびつな五角形になる。
(何かで角度と距離を一定にできれば、ある程度正確な星形を作れるか?)
天井を見上げる。梁に使われた木材の脇から飛び出す枝に目が留まった。
Y字型の枝の開きを利用すれば角度は一定にできそうだ。問題は辺の長さをどうやって揃えるかだ。
(自分の背丈に合わせて竹を切り、それを定規のように測量器として扱う?いや、何回も繰り返せば絶対にズレる)
頭の中で何度もシミュレーションしてみるが、途中で詰まる。やはり全くの素人が五稜郭を作るなど無謀だ。
だが、タケルの前で「考えておくよ」と言ってしまった以上、今さら「やっぱ無理でした」とは言えない。
(この期に及んで「すまん、神だけどやっぱ難しかった」とか言ったら……)
脳裏に浮かんだのは、矛を構えるタケルの幻影。筋肉が無駄にきらめいている。
(うん、絶対言えない)
ため息をつきながらも、最悪な想像を振り払う。
指先は無意識に、上着の裾のほつれをつまみ、くるくると丸めてはほどいている。ふと、丸めた糸くずが小さな輪を描いていることに気づく。
その瞬間、脳裏に何かが閃いた。
「……そうだ、蔦だ。杭同士を蔦で繋げば……」
興奮と眠気のまま、稲夫はそっと立ち上がる。タケルとミズキを起こさぬように足音を忍ばせ、住居を抜け出した。
そして薄暗い森へと足を運び、目星をつけていた場所へ向かう。
(よし……蔦、あった……!)
手を伸ばし、葛の蔦をつかむ。現代ではどこにでも生えて何にでも絡みつくムカつく草だが、今はその植生に感謝する。
引きちぎろうとグイっと手を引くが、思った以上にしぶとく、一度ではちぎれない。何度か引っ張り、ようやく「ブチッ」と音を立てて手元に収まった。
(前言撤回。やっぱりムカつく草だこいつ)
次に、角度を揃えるためのY字型の枝を探す。目を凝らして森の中を歩き、ちょうどよさそうな分岐の枝を手に取った。
ついでに杭に使えそうなまっすぐな枝も何本か拾い集め、腕に抱えて引き返す。
そして日が昇り切る頃、稲夫は拠点に戻った。
既に拠点では全員が起き、食事の準備や道具の手入れをしていた。
稲夫は深呼吸をひとつし、全員に向けて声を上げた。
「みんな、聞いてくれ。拠点の防衛の事で話がしたい」
作業の手が止まり、全員の視線が集まる。
ミズキが心配そうに眉をひそめて近づいてきた。
「稲夫様……その、大丈夫でしょうか?あまり眠れていないご様子ですが……」
クマの浮いた目元、むくんだ頬。寝不足なのは明らかだった。
だがその姿には、一晩中仕事をしていた者だけが持つ、得も言われぬ自身が満ち溢れて――
――ない
むしろ寝不足の凡人の顔だった。
「正直眠い、でも大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
稲夫は杭に使う木の枝と角度を一定にするためのY字型の枝。そして蔦、取り出すと、地面にしゃがみ込み、言った。
「昨夜ずっと考えてた。みんなを守るために、どうやって拠点を囲えばいいかを。そこで思いついたんだ」
地面に棒で星形を描く。きっちり五つの角をつくり、星型を描き終えると、稲夫は胸を張った。
「これが、俺たちの拠点の形になる。五稜郭と言われる陣地だ」
「……ゴリョーカク?見た事のない形だ。これはどんな陣地なのですか?」
腕を組み唸るタケルに、稲夫はうなずいて続ける。
「この形にすると、外から攻めてこられても死角が少ない。しかもすべての角から互いに援護できる。守りに優れてるんだ」
そう言い、地面に書いた星型の角から、対角線の角に射線が通っていることを示すように線を引く。
「なるほど。互いの角を援護できる位置関係。これは攻めずらい。ですが、この形、再現するのは難しいのでは?」
「何もなしに作るのは正直無理だ。だから、測量――つまり測って作るんだのための道具も用意しておいた」
タケルの冷静な指摘に、稲夫は早朝に集めた枝と蔦を手に取る。
「まず中心となる場所に杭を打って、その杭に蔦を結ぶ。結んだ蔦が届く範囲で角に杭を打っていく。これで距離が一定になる」
稲夫は描いた星の中心に杭を一本打ち、蔦を伸ばして一つ目の角に杭を打ち込む。
「一つ目の杭を打ち込んだら、このY字……いや、二股に分かれた枝の開きの角度に沿って次の杭を打つ。これで角の大きさが一定になる」
実際に枝を添えて角度を固定し、順に杭を打っていく。
「そしてこの打たれた杭を蔦で対角線上に結んでいくと星形の目印ができる」
杭に蔦を結び、対角線同士をつなげていくと、地面に星の形が現れた。
「……見えてきた」
ぽつりと呟いたタケルがつぶやく。
「この蔦で描かれた形、見事です。蔦の目印があれば、実際に作れそうです」
「そうか、それはよかったよ」
稲夫はほっと胸をなでおろす。
「それでは、どこを拠点の中心にしますか?」
ツチハルの言葉で稲夫は固まった。
五稜郭の測量の事ばかり考えていて、どこを中心にするか全く考えていなかった。
「……そうだな、タケルはどこがいいと思う?」
(俺は全然わからない!)
タケルは少し考えて、井戸を指差した。
「井戸の近くがいいでしょう。生活の中心でもあり、水源が確保できている。火攻めを受けたときも、対応しやすい」
「……流石だな。俺もそう思ってたよ」
(ナイスだタケル!助かった!)
稲夫は知ったかぶりで腕を組む。そのまま、井戸の近くに杭を一本打ち込む。
「ここを中心にしよう。このあと、それぞれの杭を蔦で繋いで……蔦同士を結んで長い蔦を用意する必要もあるな……」
そのとき、ミズキが手を合わせて祈り始める。
「この杭が、村の中心になるのですね」
「……多分やると思ったよ……これは目印であって祈るような尊い物じゃないよ」
その横で、ヒナタも両手を合わせて、ちょこんと膝をついた。
「かみさま、ひとびとをおまもりください……」
「ヒナタちゃん、マネしないでいいから」
何とかその場を収め、稲夫はみんなを見渡して声を張った。
「ともかく、これは大きな作業になる。測量が終われば、次は堀と柵を作っていく。時間もかかるし、力もいる。みんなの手を借りたい」
静かに語りかける稲夫の言葉に、場の空気が引き締まった。
タケルが黙って頷く。普段は無愛想だが、こういう時は頼りになる。
「もちろん手伝います。村の防衛は、我らの命を守るためですから」
ツチハルは真面目な声でそう言って、まっすぐ稲夫を見た。
「ウチも手伝いますよ」
アキが軽く笑みを浮かべてそう言い、袖をまくる仕草を見せる。すでにやる気満々のようだった。
「ヒナタもやるよー!」
小さな腕をぶんぶん振り回しながら、ヒナタが元気よく声をあげた。その無邪気さに、場がふっと和む。
「……私も、少しでもお役に立てれば」
ミズキは一歩控えた位置で、そっと口を開いた。声は小さいが、込められた真剣さは皆に伝わっていた。
こうして、皆の協力を得て、五稜郭の測量作業が本格的に始まった。