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第17話 粘土と汚泥

 朝の冷気がまだ地に残る中、田んぼへ向かおうとしていた稲夫は、拠点の一角から聞こえてくる土を練る音に足を止めた。


「おはようございます、アキさん。もう作業されてたんですね」


 声をかけると、粘土をこねていたアキが顔を上げる。額にうっすら汗を浮かべながらも、その表情はどこか楽しげだった。


「ええ、形にできるうちに進めたくてね。まだ土がしっとりしてるから、よくこねておかないと、あとで割れやすくなるのよ」


「さすがですね。無理せず、頑張って下さいね」


 感心しつつ稲夫がそう言った時だった。拠点の奥から、バタバタと騒がしい足音が近づいてくる。


「おかあさーんっ!!」


 声の主はヒナタだった。泣きそうな顔でアキに向かって全力で突進してくるその姿に、稲夫の脳がフリーズする。


 ヒナタの服の前面には、どこかで見覚えのある土色と質感の物体がべったりとこびりついていた。


「ひっ、ちょっと待ってヒナタ!そのまま来ないで、ほんとに!」


 ヒナタは半泣きになりながら、両手を広げて抱きつこうとする。が、アキは必死の形相で後ずさりし、粘土をかばいつつなんとか距離を取る。


「ころんだぁあ!うんこついたぁああ!」


「今は抱きつくんじゃない!!服がっ!粘土がっ!アアアアアア!!」


 地獄絵図寸前の光景に、稲夫は頭を抱えながら空を仰いだ。


(……もうダメだ。限界だ)


 今まではなんとか凌いできたが、衛生面の問題は常に頭にあった。病気が出れば、全員の命に関わる。


「……よし。トイレ、作ろう」


 つぶやいた稲夫は、巻き込まれぬように踵を返して拠点の外れへと向かった。

 井戸の位置と風下の方向、排水の流れや勾配を見ながら場所を決める。


(この辺りなら、傾斜もあるし、水も下に流れる……よし、ここだな)


 稲夫は手にした鍬で掘り始めた。ある程度の深さまで掘ったところで、底が崩れないようしっかりと踏み固める。

 その周りを竹と葉で簡素な囲いに整え、周囲に目隠しを施した。


「……ひとまず、これでよし。せっかくだし、肥溜めも作っとくか」


 今度は少し離れた場所へ移動する。こちらの穴は、長く使うためにさらに深く掘る。土の質や水分を見ながら、無理のない深さまで鍬を入れ続けた。


 掘り終えると、雨水が流れ込まないよう縁に土を盛り、斜面をつけて周囲からの水の流入を防ぐ。

 応急とはいえ、可能な限り衛生面に配慮した仕上がりだ。


 ようやく完成し、腰を伸ばしたところに足音が近づいてくる。振り返ると、ミズキとヒナタが並んで歩いていた。


「お疲れ様です、稲夫様。アキさんが作業に集中してて……ヒナタちゃん、ちょっと放っておかれて拗ねてたので」


 ミズキが微笑む。その隣で、ヒナタがぷいと顔を背けた。


「拗ねてないもん……!」


 その態度が何より拗ねている証拠だった。

 とはいえ、汚れていた服は、ミズキが洗ってくれたようで、今はすっかりきれいになっている。


 ふと稲夫の視線がヒナタの膝に向く。蔦で巻かれた葉が、応急処置のように巻かれていた。


「それ、さっき転んだ時のケガか?大丈夫か?」


「大丈夫!巫女様が治してくれたの!」


「浅い傷だったので、ヨモギを塗って葉で覆いました。ヨモギには野の神の力が宿っているので、きっと癒えるはずです」


(そういえば、ばあさんが昔、ヨモギは傷に効くって言ってたな……)


 稲夫は内心で呟きつつ、感心して頷いた。


「ありがとな、ミズキ。さすがだ」


「いえ、巫女として出来ることをしただけですから……」


 そう言いながらも、ミズキの頬が少しだけ嬉しそうに緩んだ

 ……けれどその微笑みの奥に、どこか後ろめたさのような影が見えた。

 その視線が、ふと作り終えたトイレに向けられる。


「それで、稲夫様……これは、あの、厠ですよね?」


 ミズキが遠慮がちに囲いを見つめる。ヒナタもきょろきょろと周囲を見回していた。


「ああ、その通りだ。厠と、あと向こうに肥溜めも作った。うんこを集めて、肥料に……いや、待ってくれ」


 稲夫は言葉を濁した。


(ツチハルのとき、"土の神様のごはん"なんて言ったせいで、とんでもない誤解を生んだんだった……)


 少し間を置き、できるだけ落ち着いた声で続ける。


「まぁ、その……土の神様に返すような、自然の一部って考えてくれればいい」


 慎重に言葉を選んだつもりだったが、ミズキが不安そうに顔を曇らせた。


「それは……土の神の怒りを買ったりは、しませんか?」


「いや、むしろちゃんと還すことが大事なんだ。穢れを払って、きちんと自然に返す。それで神様も安心する……はずだよ」


 ミズキは小さく「あ……」と声を漏らすと、何かに気づいたように口元を手で覆った。


「それを受け取る土の神が喜ぶのなら……豊穣の神であられる稲夫様も……」


「待てミズキ!俺はうんこをもらって喜ぶ神様じゃないからな!?絶対に違うからな!?」


「そ、そうですよね……!すみません……!」


 ミズキは申し訳なさそうに頭を下げた。


 稲夫は額に手を当て、深いため息をつく。


(ツチハルの時と同じ展開じゃねぇか……もうこの話は二度とするまい)


 そんな誓いを胸に、立ち上がる稲夫の背後では、ヒナタが「うんこで神様怒らせちゃうの!?」ときゃっきゃと騒いでいた。


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