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第15話 畑と肥料と豊穣神

 朝の空気には、ほんのわずかに湿り気が残っていた。地面はところどころ柔らかく、踏みしめるたびに靴の裏がぬかるみに沈む。


 稲夫は、田んぼの様子を見に外へ出ていたが、ふと土を掘る音に気がついて足を止めた。

 音のする方を見やると、腰を落とし、石器を深く振り下ろしているタケルの姿があった。


「おはよう、タケル。今度は何を作ってるんだ?」


 声をかけながら近づくと、タケルは少しだけ手を止めて振り返った。


「井戸を掘っています」


「井戸か。それはまた……大変そうだな。手伝おうか?」


 申し出ると、タケルは一瞬だけ目を細め、それから首を横に振った。


「ありがとうございます。ですが、これは俺が始めた事、最後まで自分一人でやり遂げます」


「わかった。でも無理はするなよ」


 タケルは無言で小さく頷き、またすぐに石器を振り始めた。石器を握る手に力がこもり、その背中からは決意のようなものがにじんでいる。


 ――ほんと、真面目なやつだな。


 少しは休めよ、と声をかけかけて、やめた。きっと、黙々とやる方が落ち着くんだろう。


 そんなタケルの背中にそっと視線を残したまま、稲夫が数歩歩き出す。すると、ふと視界の端に別の人影が映った。


「おはようございます。稲夫様」


「おはよう、ツチハルさん」


 稲夫があいさつをすると、ツチハルは丁寧に一礼した。


「実は、相談がありまして。畑を作りたいと考えております」


 ツチハルは腰の袋をそっと下ろすと、丁寧に広げて中身を取り出した。いくつかの小さな包みが、綺麗に分けて収められている。


「……逃げ出すとき、村の倉から持ち出したものです。中身については、私にはどれがどれか、詳しくは……」


 そう言いながら、ツチハルは包みを一つずつ丁寧に開いて、掌に広げて見せた。

 稲夫は一歩近づき、しゃがみ込んでその種をじっと見つめる。


「これはヒエだな。こっちはアワ。……これはカブの種か」


 口にしながら、稲夫は農業高校での実習を思い出す。

 あの時はいろんな作物を育てさせられた。それに稲作の合間に畑作も経験していた為、見覚えのある種はすぐに判別できた。

 順に見分けながら、最後の包みを開いたとき、思わず声が上がった。


「大豆もあるのか!これは貴重だぞ、ツチハルさん。これだけあれば、十分畑を作る価値がある!」


「……ですが、私一人では農の知識に乏しく。巫女様から、稲夫様が“豊穣神”と聞きましたので……ご助言をいただけないかと」


 言葉を選びながらも、ツチハルは包み隠さず打ち明けた。その様子は真摯で、どこか申し訳なさそうにも見える。


(……あ、うん、そうだった。そういえば俺、豊穣神だったわ)


 そう思いながら、稲夫は苦笑する。神様設定、便利なときもあるがプレッシャーもでかい。


「わかりました。それなら、まずは土地選びからですね。探しに行きましょう」


 こうして二人は森の中の緩やかな斜面を下り、開けた場所へと足を進めた。


「まず、畑に適した土地は、日当たりがよくて、風通しがよくて、水はけのいい場所が理想です」


 稲夫は指を折りながら説明する。ツチハルは真剣な眼差しで聞き入り、時折頷いた。


「そうですね。たとえば、こことか――」


 稲夫が足元を指差す。そこは周囲より一段高く、日当たりもよく、地面はさらりと乾いていた。

 表土はやわらかく、踏みしめるとわずかに沈む。水はけもよい。

 ――まさに畑にうってつけの土地だった。


「なるほど……ここを耕して、種をまけば作物が実るのですね」


 ツチハルは足元の土を一つまみ取り、指先で擦りながら感慨深げに言った。


 だが、稲夫はゆっくり首を横に振る。


「いいえ、それだけでは足りません。実は、作物を育てるには――肥料が必要なんです」


 稲夫が声のトーンを少し落として言うと、ツチハルは小さく眉をひそめた。未知の言葉に戸惑いながらも、関心は深そうだ。


「肥料……とは?」


 丁寧に問い返してくるツチハルの目は真剣そのものだ。


「肥料っていうのは、いわば“土の神様のごはん”です」


「土の……神の?」


 ツチハルは神妙に聞き返した。


「そう。作物が育つのは神様の加護のおかげだけど、その神様も腹が減ってたら働かないってことです」


 冗談めかして言うと、ツチハルの顔にうっすらと苦笑が浮かんだ。


「なるほど……神も、空腹では力が出ぬのですね」


 想像してみたのか、どこか遠くを見るような目つきになるツチハル。稲夫は頷きながら、しゃがみこんで草を一本抜き取った。


「そういうことです。例えばこの生えている草を土に混ぜることで、緑肥と言う肥料になり、土の神様のごはんになります」


 稲夫が土に草を押し込むようにして見せると、ツチハルはふむふむと見入っている。


「それと、これもあるといいんだ」


 稲夫はポケットから、幅広の葉を蔓でくるんだ簡易的な包みを取り出した。

 中を開けると、そこには白い細かな灰が入っていた。


「これは草木灰といって、草や木を燃やした時にできる灰です。撒けば葉がよく育ち、実もしっかり太くなりますよ」


「草のままでも肥料になるのに、燃やすとまた別の働きがあるんですね……」


 ツチハルは丁寧に包みを受け取ると、そっと両手で大事そうに抱えた。


 真剣に話を聞くツチハルを見ると、教える側としては、ちょっと楽しくなってくる。

 稲夫はにやりと笑い、少しだけ間を置いて、ふと声のトーンを落とす。


「……あと、一番いい肥料って、うんこなんですよね」


「……え?」


 ツチハルの顔が一瞬固まった。


「そのまま使うと土の神が激怒して作物が台無しになるんですが……草や葉と混ぜて時間をおくと、土の神も大喜びする肥料になります」


「うんこが食事に……土の神とは、そういうお方なのですか?」


 ツチハルが真顔で尋ねる。その神妙な表情に、稲夫は一瞬たじろいだ。


「……たぶん、そう……だと思います」


 自分で言っておきながら、どこか歯切れが悪くなる。神様設定を無理にこじつけたことを、今さらながらに悔やみ始めていた。


 いや、農業的には間違ってない……はず。でも「神のごはんがうんこです」って、言ってる自分で何か違う気がしてきた。

 神ってもっとこう、神聖で、ありがたい存在じゃなかったっけ?と心の中でぐるぐる考え始めていた。


 ツチハルはしばらく黙ったまま、何やら思案しているようだった。そして、ふと顔を上げて真剣な表情になる。


「ということは、豊穣神であられる稲夫様もうんこがお好き……?」


「待て待て待て待て!違う!俺は違う!土の神だけだ!」


「そ、そうですよね。失礼いたしました……」


 ツチハルは穏やかに頭を下げ、ほっとしたように息を吐いた。


「土の神は、その……随分と、変わっておられるのですね⋯⋯」


(ごめん土の神……俺のせいで特殊性癖みたいな設定になっちゃった……)


 心の中で、稲夫は土の神に謝罪した。

 土の神の名誉のためにも、神に例えて説明する時は慎重になろうと誓う。


 そう心に誓っていた稲夫のそばで、ツチハルが改まって口を開いた。


「稲夫様、ありがとうございます。おかげで、畑のことが少しずつ見えてきました」


 その声は穏やかで、けれど静かな決意がこもっていた。


「教えていただいたこと、しっかり胸に刻みます。畑を耕すのは……私に任せてください」


 真っ直ぐな眼差しに、稲夫は肩の力が抜けるような安堵を覚えた。


「うん。よろしくお願いします、ツチハルさん」


 ツチハルは静かに一礼する。その姿はどこか頼もしく見えた。


草木灰そうもくばいとは、草や木の葉などを燃やした際に残る灰のことです。

土壌のpHを調整する効果があり、酸性土壌を中和する目的でも使われます。

また、カリウムを多く含むため、作物の茎や実の生育を助ける働きがあります。

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