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第14話 守りたかったもの

 再会の喜びが一段落したあと、岩屋の奥で横になっていたツチハルの傍らに、アキが膝をついて様子を見守っていた。

 ふと稲夫のほうを振り返り、静かに口を開く。その目はどこか申し訳なさと決意を帯びていた。


「申し訳ないのですが、今はここを離れるのは無理です。ツチハルを休ませないと……」


 稲夫はうなずき、ツチハルの様子にもう一度目をやった。確かに、まだ満足に立つことすら難しい状態だ。


 「そうですね。では三日後、またこちらに伺います。そのときに、私たちの拠点までご案内します」


「拠点?それは、あなた方が今暮らしている場所か?」


 上半身を少し起こすようにしながら、ツチハルは稲夫に視線を向ける。


 「はい。ここより下流に住まいを建てて暮らしています。よろしければ、ご家族も一緒に」


「……ありがたい。見ず知らずの私たちに、そこまでしてくれるとは。しばらくのあいだ、世話になります」


 ツチハルは深く息を吐き、どこか肩の力が抜けたように言った。守るものを抱えた男の、短くも誠実な感謝だった。


「その間に、道具の整理や準備をしておきます。なるべく荷物は少なくしておきますね」


 ヒナタは「ヒナタも荷物、まとめる!」と元気よく胸を張った。

 そうして、ツチハル一家との“次の再会”は、三日後へと約束された。


 ***


 そして三日後。稲夫はツチハル達と合流して自分の拠点に案内していた。


「もう少しで着きます。家の仮組みは、タケルが今日やるって言ってました。全員で手を貸せば、今日中には住めるようになるはずです」


「それはありがたい。道具を使える手があるだけでも、助かる」


 ツチハルは足をかばいつつも、確かな足取りで歩いていた。アキは荷物を背負い、ヒナタは草を踏みしめながらぴょこぴょこと後をついてくる。


 やがて木立が開け、拠点の一角が見えてきた。

 小高い段丘に沿って広がる草地の先に、木材が組まれた骨組みがそびえていた。


「……あれが?」


 アキが思わず足を止める。

 そこには、明らかに三人家族のためには過剰な、いや“大きすぎる”木組みの住居が、どんと建っていた。


「……いささか、いや、だいぶ大きいですね……」


 ツチハルが呟くと、その建材の傍で大きな木を肩に担いだタケルが、梁に木をかけているのが見えた。


「なあ、タケル……これって、少し大きすぎじゃない?」


 稲夫の問いかけに、タケルは汗を拭いもせず真顔で答える。


「家族が住むのですから、こんなものでは?」


 その顔には疑問の色すらない。ツチハルはため息をついて肩をすくめた。


「戦士長は……相変わらずですね。どこかずれていらっしゃる」


「これ……今日中に完成しますかね……?」


 アキがこめかみに手を当てる。対照的にヒナタが叫んだ。


「おっきいおうちだー!中で走ってもいい!?」


 一瞬、全員の手が止まった。その空気の中で、ミズキが首をかしげる。


「これ、大きすぎたでしょうか?家族の住まう場所ですから、当然かと……」


「巫女様……ウチら、三人家族なんですけど……」


(……タケルとミズキって、しっかり兄妹だな)


 稲夫は心の中でそっと苦笑した。


 その後、誰ともなく動き出し、全員で住居の仕上げに取りかかる。

 そして、日が傾き始める頃、ようやく竪穴式住居が形になった。


 太い柱と梁に、編んだ枝。そして屋根には乾いた草を敷き詰めて雨を防ぐ。形だけは立派な住まいだが、細部に手をかける余裕はなかった。


「よし……完成だな」


 タケルが腰に手を当て、出来上がった住居を見上げて満足げにうなずいた。


「一応何とかなりましたけど……これ、本当にここで寝られます?」


 アキが住居の中をのぞき込み、顔をしかめた。

 床は掘り込んだまま、整地は最低限。壁からは草の根がところどころ飛び出し、地面には小石が無数に転がっている。


「俺は寝られる」


 タケルはきっぱりと言い切った。


「……戦士長と巫女様くらいでしょう、そんなこと言うの」


 ツチハルが呆れたように返すと、ミズキは困惑しながら答える。


「そうでしょうか?私、これくらいが普通かと……」


(あの拷問ベッド、小石の地獄指圧、普通じゃなかったんかい!)


 稲夫はそれを聞いて、思わず頭を抱えた。

 冷えた地面の上で背中をぐりぐり押されたあの感覚を思い出し、こめかみにじんわりと汗が滲む。


「ま、まぁ今は時間がなかったしな。そのうちちゃんと床を均して、石を取り除いて草でも敷こう」


 そう結論づけた稲男の言葉に、一同は軽くうなずき、夕食の準備へと移っていった。

 簡素ながらも温かい食事を囲んだあとは、皆それぞれに体を横たえた。


 やがて夜も深まり、住居の中が静けさに包まれる頃、稲夫は焚火の残り火を用いて、住居を立てる際に集めた草を肥料にするために燃やしていた。


 ふと、背後の竪穴式住居の入口で足音がする。振り向くと、ツチハルが静かに外へ出てくるところだった。


「……どうしました、ツチハルさん?」


 声をかけると、ツチハルは眠そうに目をこすりながら苦笑を浮かべた。


「いや……寝ていたんですが、どうにも床の小石が背中に食い込んで、目が覚めてしまいましてね」


 一瞬ぽかんとしたあと、稲夫は吹き出しかけた。


「それ、すごくわかります。俺も毎晩、小石たちに無言の責めを受けてますから……」


 肩を揺らして笑いながら、稲夫は地面のほうに目をやった。

 ごろごろ転がる無数の小石。愛嬌のかけらもないこいつらが、いかに人体にダメージを与えてくるか、よく知っている。


 二人の笑い声が夜の闇に溶けていく。


 ふと、笑いが落ち着いたあとの静けさが訪れた。

 火の粉がひとつ、夜空へ舞い上がるのを目で追いながら、ツチハルがぽつりとつぶやいた。


 「……改めて、礼を言わせてください」


 その声は先ほどの冗談交じりのものではなく、芯のある静かな響きを持っていた。


「いえ……家族が、誰一人欠けずに再会できて。本当に、よかったと思ってます」


 その言葉に、ツチハルはふっと目を細めた。


「優しいんですね。稲夫殿は……」


 そう呟いてから、少し黙って、また言葉を続けた。


「……正直に言うと、あの時、私は逃げ出していたんです。土砂が崩れ始めた瞬間、怖くなって、無意識に体が後ろへ下がった」


 稲夫が火を見つめたまま耳を傾けている。ツチハルは、静かに続けた。


「……あの時だけじゃありません。戦士長と村を守るため矛を握っていたときも、自分の村が守れないとわかった瞬間、家族だけを連れて……逃げたんです」


 淡々とした声の奥に、苦いものがにじんでいた。


「稲夫殿は……土砂が迫っていたのに、逃げませんでした……あのときの姿を、私は忘れません」


 その言葉の熱に、稲夫は少しだけ目を見開いた。だが、ツチハルはすぐに落ち着いた声で問いかけてきた。


「……なぜ、あのような行動が取れたのですか?自分が押し潰されるかもしれない状況で、それでも他人を助けるという選択を」


 問われて、稲夫はしばらく答えられなかった。

 焚き火を見つめ、手のひらをかざしながら、ゆっくりと口を開いた。


「どうして……ですかね」


 稲夫はしばし黙る。そして、ぽつぽつと語りはじめた。


「俺には……両親はいませんでした」


 ツチハルは目を伏せ、小さく頷いた。それ以上の言葉は挟まない。ただ、静かに耳を傾けている。


「でも、祖父母が育ててくれた。不自由はなかった。優しかったし、何もかも教えてくれた」


 語りながら、稲夫は掌を火にかざした。じんわりとした温かさが、指の先から腕を伝ってくる。


「けど、どこかでずっと思ってたんですよ。俺にとって“家族”って、これで全部なのかって」


 住居の中で、誰かが寝返りを打つ気配がする。だが、ふたたび静寂が戻ると、稲夫の声もまた、夜気に沈み込むように続いた。


「親を恨んだりもしました。何で俺だけって。周りのやつが両親と笑ってるのを見ては、意味もなくひねくれて」


 唇の端に、少しだけ自嘲めいた笑みが浮かぶ。

 けれどその表情は、どこか柔らかかった。


「だから、ヒナタちゃんに……そんな思いをさせたくなかった」


 そこで言葉を切ると、稲夫は火の粉がふわりと宙に舞うのを見つめた。

 そして、そっと吐き出すように、最後の一言を零す。


「――いや……多分、自分が欲しかったものを、守りたかっただけです」


 ツチハルは目を細めた。火の明かりが、その横顔を静かに照らす。

 やがて、何かを噛みしめるように、ゆっくりと口を開いた。


「稲夫殿……いえ、稲夫様。ありがとうございます。本当に、心の底から感謝しています」


 しばしの沈黙の後、ツチハルはゆっくりと姿勢を正し、深く頭を下げる。

 稲夫はそれを止めようとはせず、小さく息を吐いた。


 住居の中から、寝息が微かに聞こえる。

 ヒナタが、アキに腕を回すようにして寄り添っていた。

 アキは、その小さな手を包むように優しく握り返している。


 その姿をちらりと見た稲夫は、火の揺らめきの中で、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じた。


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