姉の家へ、お手伝いに行った結月さん
街路樹に植わっている、桜の葉も青く生い茂っていく。そんな街に深い春が居座り始めて頃、バス停から降りると、小雨が降り出してきた。雨の中で、通勤用の鞄と中型犬がゆったり収まる鞄を持って、家まで後僅かな道を濡れながら早足で帰る。鞄を二つも持っている事もあって、傘もささずに家へと急いだ。
しかし庭先に足を踏み入れると、俺の帰りを待ってくれる人の、灯す明かりが見えない。
――結月さんはまた、うたた寝しているのだろうか? 街まで行く用事については聞いたなかったはず。そう思いながら、静かに玄関の扉を開ける。
「ただいま」
そう暗い玄関から、呼びかけても誰も出てこない。
――絹さんは帰っているだろうが、結月さんはどうしたんだろう?
とりあえずに鞄を玄関に置き、起こさない様にと廊下の電気をつけてリビングを覗いた。ソファの上で結月さんは寝ている様子はない。
「上だろうか?」
そう天井へ向かい言ってみる。
寝ているなら無理に起こす事もないが、体調が悪い可能性もある。起きるのが遅いようなら声をかけるべきだが……。
そう考えながら、玄関へと荷物を取りに来た。彼女のいつものつっかけはある。
――二階の自室だろうか?
普段居てくれる人が居ないというのは。どうも、落ち着かない。
――彼女とは去年の年末にあったのが、初めてなのに、随分心の弱い事を言うようになったな。おれはダイニングの電気をつける。その机の上に用意された夕食と、メモ書きが置かれている。
『今日、姉から電報が来ました。体調が悪く床から起きるのもやっとなようで、つわりに可能性も考えて、一度、顔を見てきます。明日には一度戻りますね 結月』
彼女の、あのお姉さんに会いに行ったのか、俺も見舞いに行った方がいいだろう。だが婚礼の時の様子から手放しで、喜ばれるのは難しいだろう。彼女が帰って来てから、話を聞きつつ決める事にしよう。
机の上に、メモを置きなおし、椅子に座って念のため手帳にもメモをとり眺める。
――良かった。でも、あまり良くない……。
お腹に置かれた自分の両手をそのままに、ふぅ……吐息を大きくはく。月並みであるが、本当に明かりが消えた様に感じるものなのだなと感心した。なんだかやる気もでない。荷物は今日はそのままいいだろう。
湯ぶねの用意をする事にし、歩き出した。
それから日にちは経ち、帰って来るはずの彼女は帰って来ず、連絡さえない。
電話を借りて話すのでは物足りなく、手紙では返事が来るまで不安が募るだけだろう。
そして彼女が帰って来なかった日の次の日、勤務時間後の夕方、電車を経て、バスに揺られて結月さんの実家を、俺は目指していた。
たぶん持ち合わせの現金も、衣服も、あまり持って行かなかっただろう。
衣服は……箪笥の前で悩んだが、下着が出る確率を考慮して、彼女の部屋を出た。だからいくらかの、現金は持って行く事に変更した。
後は、彼女が書きとめておいた緊急用の連絡先の中から、彼女の実家を見つけ、彼女の姉がそこに居ない可能性、俺の信用が無さそうな事を考えてメモを持ってやって来た。
そして閑静な住宅街に入るとバスガールは、目的地を告げたので降りる。
初めて行った彼女の実家は、普通の住宅とさほど変わりない。家同士の結婚にしては不釣り合いかもしれないが、うちの両親としては、そこが狙い目だったのかもしれない。
玄関をノックすると、すぐに義母が出てきた。さすがに突然の訪問にいい顔はされないか。
「……あら、悠翔さん、突然来るなんてどうしたの?」
「結月さんが、まだ帰って来ていないので、失礼ですがお邪魔しました。彼女は御在宅でしょうか?」
「え? ゆづちゃん帰ってないの? 喧嘩でもしたの?」
「一昨日、お姉さんの体調が悪いようなので見に行くと、メモ書きがあったのですが、ご存じありませんか?」
「えっ? あさこが……?!」
義母は、メモを近づけたり、離しながら見る。
「えっ、あさちゃんが、妊娠!? 今の大変な時に大丈夫なのかしらねぇ……。 だからと言って、麻子も結月を呼び出すなんて困ったものね……。結月も家庭をもったというのに」
「ご婦人だけの家へあがるのもなんですから、そば屋かどこかにご一緒しませんか? お姉さんのおうちの住所がわかれば向かおうと思っているのと、後、義母さん大丈夫でしょうか? 顔色が……」
「あら、私ったら家へ上がって貰いもしないで、どうぞ上がってください、あまり綺麗にしてませんが、結月の旦那様なんだから大丈夫よ」
「えっ? あっ、はい」
そう言われ、彼女について部屋にあがると、昔の祖父母の家を思い出す。
今もなお、この家では結月さんと彼女の姉が中心のようだ。子どもの作った物や写真館の写真も昔と変わらずに飾られているように感じる。
写真の中の彼女は、どの写真でも家族に寄り添うように、ひそやかな微笑みを浮かべている。
「結月は、昔も今も変わらいでしょう?」
俺の前にお茶をだしてくれ、おぼんを持った義母がそう言って座った。彼女の娘を思う言葉は温かく、そしておぼんを抱えて座る姿は家でよく見た光景だ。俺は思わず笑ってしまう。それに義母は目を丸くする。
「結月さんを見ると、心が安らぐ事が出来るんです。写真の彼女もそんな雰囲気ですね。そしておぼんを抱えて座る姿は、お義母さんそっくりです。最近では思う所があるのか、結月さんは『いけない』と、言っておぼんを台所まで置きに帰りますが」
「そうなの、あの子も旦那様の前だとかっこつける様になったのねー。そうか、そうなのね……」
お盆を膝の上に立てて、頬を擦っている。結月さんもそのうち、そんな仕草をするようになるのだろうか? なぜか不思議と感心した。
母と祖母はあまり似てなかったし、父方の祖父母には会う事は無かった。だから似ている親子がいるのは知っていたが、身内となると不思議だった。
「麻子はしっかりしている方だけど。前々から旦那様の事業が上手くいってなかったのよ。貴方と結月の見合いも、そんな時、彼の会社の取引先が偶然、貴方の親族で異能の血を引く麻子の事を聞きつけて、駄目もとで持って来られた話だったの」
「うちの親族が……」
そうは言ったが、母は俺の事で祖父母の親族と縁は薄い。父はというと今度は俺の方がはまったく詳しくなく、話を合わせるぐらいしか出来なかった。
「彼は悠月の結婚で、犬飼の家とお近づきになることを狙っていたようだけど……。それは上手くいかなかった。というか、嫁の姉の婿の事業をバックアップして貰うなんて、土台無理なはなしよねー。でも、旦那さんはここで結月の目の前で土下座しちゃうから、あの子も姉の手前断るに、断れなくなってー、そしたら、麻子が罪悪感で貴方の事を調べたらしくて、で、婚礼の儀であの不始末だったの」
確かにと、思いもしたが、「いえいえ、そんな事は、現に私は実家とは上手くいってません。たぶん、お姉さんがいろいろ思う気持ちに、反論出来ない事実もあります」
「でも、若い二人の門出の日に、いい大人がしていい振舞いではなかった。もっと噂を信じずに、貴方を知らないといっても、その場で連れて帰る気がないのなら、あの日だけは我慢すべきだったわ。結月を泣かせる相手なら、その後に、あの子を引っ張って、でも、ほうきを片手に貴方を追い回す事も出来たのにね……」
「あっ、はい……」
――ほうきを片手に追い立てられれば、それはそれで困ることだが、案外母親、特に娘の母親ともなるとそういうものなのかもしれない。
「そんな状態だから、麻子は私には言い難かったのかもねー、あの子も優しい結月に頼る所があるから、よし! 私も行くわ。と言いたいけれど、貴方に親子の言い争いを見せるわけにいかないし、結月も少し不安ね。麻子が心配とか言ったら、引っ張ってでも連れて帰るか、私に任せて貰えないかしら?」
「わかりました。判断は結月さんに任せますが、お義母さんのお気持ちはお伝えします」
そうして義母から、お姉さんの住所を受け取り席を立った。玄関先で……。
「婚礼の日の事、改めてごめんなさいね。懲りずに今度は結月と二人で遊びに来てね」
俺はそこで目を泳がせる。「大丈夫よ、結月は結構しっかりしてる。だから、貴方も結月の事を信じてあげてね。じゃーまた来るのよ。一緒に!」
「はい、ありがとうございました」
そう言って、結月さんの実家を後にした。義母は結月さんと似てる。俺の真実は義母にとっても一大事な事だろう。優しさが気が重い。俺にはそういうことがたまにある。
続く
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