7 愛情の差
アーサーはウィザーズ侯爵を黙らせた後、私室に私を連れてきた。
自分の誕生日会だのに中座してもいいのかと思うが、彼にとっては今生でようやく会えた前世の妻と二人きりになるのが何より重要なのだろう。
連れてこられたのが寝室ではなく応接間だったので内心安堵した。
私を見つけた時のアーサーの瞳が飢えに飢えた獣と同じだったから貞操の危機を感じていたのだ。
今生でようやく会えた前世の妻とはいえ即押し倒すというのは、普段冷静沈着で禁欲的なアーサーだけを知っている人には、ありえないと思うだろうが……ありえるのだ。私だけが知っている彼の一面だが。私を抱こうと決めたら、私がどれだけ泣いても嫌がっても自分が満足するまで解放してくれなかった。
「皇后とは白い結婚ですよ」
アーサーは前置きもなく言いだした。
「貴女以外の女には触れたくもないし、特に、皇后は前世の貴女に似ていますからね。似ているのに『貴女』でない事が余計に癇に障って理不尽だと分かっていても嫌悪感しか湧きませんでした」
結婚して三年、皇帝と皇后の間に子ができなかったのは、そういう理由か。
納得すると同時に、夫から理不尽な嫌悪感を向けられている皇后には申し訳ないが、私を妾になどしないと言い切られた時と同じく喜んでいる自分もいる。
今の私は彼と添い遂げる気などないくせに、彼が私以外の女性に触れるのは絶対に嫌だと思っているのだ。
何て自分勝手なのだろう。
だが、それでも――。
「私は今生まで、あなたと添い遂げる気はないわよ」
私は先程会場で言ったのと同じ言葉を繰り返した。
私が皇后になるのが確定事項のように言ってくれるが、私にその気は全くない。いくら今目の前にいるアーサーを愛していると自覚してもだ。
前世で夫婦になれただけで充分だ。
「私は今度こそ平凡な人生を歩みたいの」
皇帝である彼の妻、皇后になってしまったら、そうできなくなる。
それは、絶対にゴメンだ。
せっかく義務や責任に縛られない出自になれたのに。
「ああ、それなら、私が退位すれば済みますね」
何でもない事のように、さも当然のように、アーサーは言った。
「は? 何言ってるの?」
私にはアーサーの言葉が理解できなかった。
「貴女を見つけるために皇帝になった。その貴女が見つかり、皇后になるのが嫌だというのなら、皇位など、いつでも放り出せますよ」
脅しなどではない。アーサーは本気で言っているのだ。
前世で生涯を共にした夫だ。それくらい分かる。
前世の若い頃はアーサーは義務だけで生きていると思い込んでいた。
だが、彼にとっては人が羨む容姿も身分も才能も、どうでもいい物だった。
本当に、私以外は自分自身すら何の価値も見出せない、ある意味壊れた男だ。
「駄目駄目駄目! そんなの駄目! 皇帝になったのなら生涯その責任を全うしなきゃ!」
「貴女がそれ言いますか?」
心底呆れたと言わんばかりの眼差しを向けられて私は何も言えなくなった。
何せ、前世で女王となる未来を棄てようとした女だ。
「……私とは違うわ」
私は所詮お飾りの女王だった。実質国を統治していたのは優秀な王配であるアーサーだったのだから。
「あなた以上に皇帝に相応しい人などいない。だから、その責任を放棄したりしないで」
「貴女が皇后のなってくれるのなら皇帝のままでいますよ」
「……どうしてそんなに私の拘るの?」
彼ほどの男性が今生でまで生涯を共にしようとする執念や執着が理解できない。
前世でもアーサーを愛していても、彼との結婚は、すなわち私が女王になる未来が確定だったから、それが嫌で公衆の面前で婚約破棄宣言と他の男の子を妊娠している(勿論嘘だけど)と言い放った馬鹿な女なのだ。前世で生涯を共にした事すら信じられないくらいだ。
「まして、今の私は、あなたが一番嫌いな女の姿になったのに」
「人格が『貴女』であれば、外見など、どうでもいい」
それが、たとえ、自分が一番嫌いな女の姿になっても――。
「……私は、あなたがその姿でなければ絶対に受け入れられないけど」
彼の人とは思えない中身も愛しているけれど、彼の完璧に美しい容姿も同じくらい愛しているのだ。
その姿と中身が揃っている「彼」でなければ私は愛せない。
姿がどうでも中身が「私」であればいいと言い切る彼に比べれば、私の愛など薄っぺらいものだろう。
どうして、こんな女を生まれ変わった今でも執着できるのだろう?
「それでも、こんな私を受け入れてくれる女性は貴女以外いませんよ」
自分の完璧な容姿に心を奪われても、人とは思えない中身に恐れ慄くのが関の山だと、彼は思っているのだ。
「……そんな事ないわ」
彼が手に入るなら、どんな困難が待ち受ける人生だろうと、あの子ならば喜んで受け入れるだろう。
平凡な人生のために彼を愛していても彼を切り捨てようとする私とは違う。
あの子のほうが私よりも彼を愛している。
それに気づいたのは、あの子の結婚式で、あの子が彼に縋るような視線を向けた時だ。
「結婚などしたくない。この恋が叶わなくても、ずっと貴方の傍にいたいのだ」と。
気づかなかった。
気づいてやれなかった。
大切な娘が、ずっと禁断の片恋に苦しんでいたのに。
苦しめたまま、逝かせてしまった。
――大好きです。お母様。
久しぶりに、前世の娘を思い出して胸が痛んだ。