1 今生は婚約破棄される
「エリザベス・ペンドーン。俺は、お前との婚約を破棄する!」
金髪碧眼の優男、婚約者(元になるのか?)、エドワード・ヴォーデン辺境伯子息が愛らしい少女を抱きしめ、私、リズことエリザベス・ペンドーン公爵令嬢に向かって大声で、そう宣ってきた。
まさか今生で自分が婚約破棄宣言されるとは思いもしなかった。
しかも、前世の私が婚約破棄するために利用した男の子孫(直系じゃないけど)で、さらには同じ名前と酷似した容姿を持つ相手からされたのだ。何の因果かと思う。
ここは皇宮。
偉大なる皇帝陛下の二十一歳の誕生日会の真っ只中だ。
だというのに、婚約破棄宣言という愚行をするとは、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、私が認識していた以上に元婚約者は馬鹿だったようだ。そんな所まで前世で私が利用したあのエドワードと同じだ。
普通の令嬢であれば、公衆の面前で婚約破棄宣言されれば、傷ついたりショックを受けたりするのだろうが、私は全くそんな事はない。
私は普通の令嬢ではなく前世の記憶を持つ転生者で、なおかつ前世で今生の婚約者と同じ事をしたからだ。
何より、元々、今生は誰とも結婚するつもりはなく婚約者とは円満な婚約解消をしたいと考えていたのだ。向こうから婚約破棄を願われたのは却って都合がよかった。まあ、皇帝陛下の誕生日会で騒動を起こしたのだから婚約破棄宣言された被害者の私であっても、それなりにお咎めはあるだろうが、そこは甘んじて受けるしかない。
「承知いたしました」
元婚約者が私と婚約破棄したい理由は彼が抱きしめている愛らしい少女と結婚するのに婚約者が邪魔になったからなのだろう。別の理由があっても興味ないので、わざわざ言及しなかった。
今はただ注目を浴びてしまったこの場から一刻も早く立ち去りたかった。
「後日、改めて両家の両親を交えて正式に婚約破棄について話し合いましょう」
前世は女王、今生は公爵令嬢の身に恥じない完璧な淑女のお辞儀をしてみせると会場を後にしようとした。
「ま、待て!」
なぜか元婚約者があせったように私を呼び止めたが、もう婚約者でもないので聞いてやる必要もないだろうと無視して出入り口に向かおうとした。
ざわりと周囲がざわめいた。
突然、元婚約者が婚約破棄宣言してくれたものだから、それなりに周囲の注目を浴びていたのだが、今は気のせいではなく会場にいる全ての人間に見られている気がする。
それもそのはず。
このテューダ帝国で最も尊い御方、皇帝陛下が、こちらに、いや、明らかに私に向かって歩いているからだ。
皇帝陛下は黒髪紫眼で均整の取れた長身の超絶美形だ。
彼が皇帝だと知らなくても、その完璧な容姿と誰もが跪かずにはおれないカリスマ性故に、「彼」同様、耳目を集めてしまうのだ。
皇帝陛下は突進してきてはいない。あくまでも静かで優雅な足取りだ。だのに、私には、なぜか獲物を追い詰める肉食獣を連想する。
そう思うのは、彼の私を見る瞳のせいだ。
前世の私と同じ紫眼は、飢えに飢えた獣がようやく獲物を見つけたといわんばかりに、物騒な輝きを放っていた。
……とてもではないが、ようやく見つけた前世の妻に向ける眼ではない。
直に見たのは初めてだが、この国の国民である以上、皇帝陛下のご尊顔は知っていた。名前が「彼」と同じで容姿まで酷似している。
子孫だから似ているのも同じ名前を受け継ぐのも当然だと思っていたが、ただ単に、それだけではなかったのだ。
この男は――。
「――ようやく見つけた」
誰もが聞き惚れるだろう低音の美声。姿だけでなく声まで「彼」と同じだ。
皇帝陛下は彼の気迫に呑まれて動けずにいる私の白い手袋に包まれた右手を取ると手の甲に口づけた。
「今生も他の男になど渡さない」
魂さえ奪われるような艶麗な微笑。
完璧な美しさを持ちながら常に無表情な皇帝陛下の微笑の威力は凄まじいようで、周囲の紳士淑女の中には悲鳴を上げ失神している人までいるようだ。
けれど、彼に微笑を向けられた私は見惚れる事も失神する事もできなかった。
なぜなら、彼の私を見る目は全く笑っていなかったからだ。
――絶対に逃がしはしない。
彼の瞳は、そう語っていた。
狂気すら感じさせる執念、執着。
彼は強い力で私の右手を握ってはいない。あくまでも紳士が淑女に触れているのに相応しい力の入れ具合だ。それでも私には決して外れない強固な鎖に思えた。
「未来永劫、貴女は私のものだ」
二百年前、前世の私が女王をしていたテューダ王国は約百年前に大陸を統一しテューダ帝国となった。
そのテューダ帝国の現皇帝陛下、アーサー・テューダ。
彼こそ前世の私の夫の生まれ変わりだ。
アーサーもリカルドも瞳が互いの前世の色に変わり、前世と今生で姿が入れ替わったようだ。性格による表情や雰囲気の違いで二人を間違える事は決してないけれど。
「――リズ」
瞳の色以外は前世と同じ姿で同じ声で同じイントネーションで彼は私の愛称を囁いた。
前世とは似ても似つかない姿になったのに、彼は「私」に気づくのだ。
今の私は、前世の私の生母、彼が一番嫌いな女に酷似した可憐な顔立ちの絶世の美少女だ。
長く真っ直ぐな銀髪に淡い緑の瞳、小柄で華奢な肢体……顔は、あの女に酷似したというのに、今生も、あの女と違って貧にゅ……胸は小さかった(ないとは言わせない!)。
この時の私は邂逅の衝撃と彼の気迫に呑まれて「あなたの前世の妻ではない」とごまかす事を思いつきもしなかったが、おそらくごまかしても無駄だっただろう。
どんな姿になろうと、それこそ大嫌いな女の姿になろうと、私が「私」であれば、彼にとっては充分なのだ。
唯一絶対の欲してやまぬ女。
愛というより、もはやこれは執着だろうか?
彼に見つかった以上、私は絶対に逃げられない――。