2.まどろっこしいのは嫌いですの
それは、夜会から数日がたったある日のことだった。
「あっ……」
ロゼッタが小さく声をあげる。ライノアの勤め先――王太子の執務室でのことだ。
「――先日はどうも」
「ごきげんよう。ライノア様」
表向きはにこやかに挨拶をされながら、ライノアはロゼッタからの探るような視線を感じる。
「今日は殿下へのおつかいですか?」
「ええ。こちらを王太子殿下に渡すようにと」
「ふぅん――今日はカードはついていないんですね」
ライノアはロゼッタが差し出した小包を上から下から眺めつつ、フッと小さく笑い声を漏らす。婚約者のいる侯爵令息マルクルに色目を使うぐらいだから、当然王太子にも……と思って出た発言だったのだが。
「まあ……! あちらは特別な男性にしか渡しませんのよ?」
ロゼッタはほんのり目を丸くし、クスクスと楽しげに笑い声をあげた。
「王太子殿下が特別ではないとでも?」
「そうですねぇ……王族はあくまで王族ですから」
「……? まあ、いいです。お預かりしましょう」
彼女の意図はわからないが、尋ね返すほどの興味もない。ライノアは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。あの……もしよろしければ、わたくしをセリーナ殿下の執務室まで送ってくださいませんか?」
「は?」
なんで僕が、とライノアが眉間にシワを寄せると、ロゼッタが悩ましげにため息をつく。
「さっきからなんだかめまいがして。途中で倒れたらと不安なんです」
「そうですか」
だったらそのまま倒れればいいじゃないか、という言葉を必死にのみこみ、ライノアはロゼッタをジロリと見る。
「相手があなたなら、騎士たちが喜んで介抱してくれそうですけどね」
「まあ、そうでしょうね」
ロゼッタは笑顔を貼り付けたままライノアのほうににじり寄る。それから、彼の耳元に唇を近づけ「話がしたいんです。黙って少し付き合ってください」と、囁いた。
(面倒くさいな)
ロゼッタはなにごともなかったかのようにニコニコと朗らかに微笑んでいる。このまま彼女の申し出を断れば、悪いのは不親切なライノアのほう、ということになるだろう。
ライノアは小さくため息をつきつつ、ロゼッタと一緒に王太子の執務室を出た。
***
「で? いったい僕になんの用なんですか?」
「マルクル様の反応を知りたかったのです。どうです? 脈がありそうでした?」
ライノアが単調直入に切り出せば、ロゼッタはすぐにそれに応じた。
「……本当に隠す気がないんですね」
「まどろっこしいのは嫌いですの。だって、時間がもったいないでしょう?」
ロゼッタはそう言ってふふ、と笑う。ライノアは思わずムッと唇を尖らせた。
「――だったら、従兄弟さんはやめたほうがいい。ああ見えて一途な人だ。時間をかけるだけ無駄ですよ。大体、婚約者がいると知っていて近づくなんて……婚約破棄でもさせるつもりだったんですか?」
ライノアがロゼッタの顔をまじまじと見ると、彼女は目をパチクリさせた。
「そんなまさか。わたくし、そこまでの悪女ではございませんわ。ただ、将来愛妾をお求めなら、候補に加えていただきたいなぁと思いまして」
「は?」
あんぐりと大きく口を開け、ライノアは思わず身を乗りだす。
「愛妾?」
「ええ。わたくし、正妻とか結婚とか、そういう形にこだわりはございませんの。ただ、いい生活を送りたいだけですから。お相手にその気があればそれでいいのですわ」
楽しげに笑うロゼッタに、ライノアは開いた口が塞がらない。
「いい生活……」
「ええ、いい生活です。たった一度きりの人生ですもの。高くて美味しいものが食べたいし、最先端のドレスや髪飾り、ジュエリーに囲まれた生活を送りたいのです。国内外を自由に旅行したいし、将来は遊んで暮らしたい。そのためにはお金持ちに見初められる必要がございますの」
「いや、だけどさっき、王太子殿下には興味がなさそうなことを言ってましたよね?」
「先ほども申し上げましたでしょう? 王族はあくまで王族なのです。まあお金持ちではございますが、自分で自由にできるお金なんてほとんどございませんし、貴族や実業家のほうがよほどお金を持っています。妃としての仕事も大変でしょうし、わたくし興味はございませんわ」
「うわぁ……」
ライノアは半ばげんなりしながら唸り声をあげた。
「なるほど……それで僕には最初から眼中になかったんですね?」
「まあ、有り体に言えばそういうことになります。紋章からキーガン家の一員だということはわかりますが、お召し物がマルクル様と数段違いましたもの。ライノアというお名前も、わたくしのリストには入っておりませんでしたし」
「リストって?」
「我が国及び周辺諸国の爵位持ち、名家の当主、及び将来の後継者、それから実業家の情報は常に頭に入れてありますの。お顔も、新聞などからできる限り収集しておりますし」
「ああ……」
一瞬「そこまでするのか」と突っ込みたくなったものの、もはや指摘する気力は残っていない。
「もちろん、ライノア様はとっても美しい顔立ちをしていらっしゃると思います。けれど、美しさじゃお腹は満たされませんし、いいお召し物も買えませんのよ? それでも、いつかわたくしとは違った価値観の誰かが、あなたのことをきっと愛してくれますわ」
「わかってますよ。別に気にしてません」
というか、自分がロゼッタの眼中にないことはむしろ喜ばしいことなので、変に気を使われたことがなんだか悲しい。
「ああ、見送りはこの辺で結構ですわ。ありがとうございました」
ようやく気が済んだらしい。やっと解放される――と内心安堵しつつ、ライノアは小さく息をついた。
「そうですか。それでは、もう二度とお会いすることはないかと思いますが」
「ええ、ごきげんよう。あなたにも素敵な出会いがありますように」
ロゼッタはそう言って満面の笑みを浮かべる。
(素敵な出会いね……)
ライノアはフッと小さく笑いつつ、もと来た道をひとり戻るのだった。