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腹鳴り

作者: 宮野ひの

 あっ。テスト中なのに、お腹が鳴りそう。私は全身に力を入れた。頼むから鳴らないで欲しいと、いるかわからない神様に向かって祈った。

 

 東小学校5年3組の4時間目の授業は国語だった。今の時刻は12時。給食の時間までたっぷり30分はある。


 こんなことなら、朝ごはんをもっと食べておけば良かった。今朝は、食パン一枚と少なめのサラダしか食べていない。3時間目の終わり頃、担任の山本先生から抜き打ちで国語のテストをすることを聞かされた時は絶望した。昨日からわかっていたら、ご飯とお味噌汁とサラダと目玉焼きとヨーグルトをしっかりと食べてきたのに。


 さんさんと照りつける太陽が、教室の中にさし込んでいる。みんな暑そうにしながら、目の前のテスト問題を解いている。今すぐ窓際に座っている誰かがカーテンを閉めてくれたら良いな。シャーという音が教室に響くだけでも気がまぎれそう。


 遠くの方で歓声が聞こえる。わーとか、おーとか。窓が閉まっているから、くぐもって聞こえるけど、楽しそう。きっと、グラウンドで体育をしているクラスがいるんだ。羨ましい。


 体を動かしている時は、時間が過ぎるのが早い。何よりも大きな音を立てていいから、お腹の音が鳴っても気にしなくて良い。むしろ空腹なのも忘れて、お腹いっぱいになることもある。私は4時間目の体育が好きだった。きっと今、外にいる人たちは、お腹の音が鳴らないように、歯を食いしばって耐えていることもないんだろうな。羨ましい。


 国語のテストは、3分の2は解けた。気持ちに余裕が出てきたからか、一層、お腹が空いていることに意識が向いた。


 私は国語の教科が好きだ。算数や理科よりも、すらすら解ける。きっと国語が苦手だったら、冷や汗を流して、お腹が空いていることにも気が付かなかっただろう。


 恐ろしいほど教室の中はしんとしている。たまに鼻をすする音、筆入れをガチャガチャと鳴らす音、紙をめくる音は聞こえてくるけど、何も消してはくれない。


「へーくしょん」


 あっ、田口がくしゃみをした。面白いことを言って、いつもみんなを笑わせる人気者の男子だ。くすくすという笑い声が一部の女子からした。私はドキッとした。


 お腹が鳴ったら同じように笑われてしまう。それだけは絶対に絶対に避けたい。「くぅー」なんて情けない音が鳴ったら、テストが終わった後「お腹鳴った奴、いたよな」と噂話をされてしまう。それだけは絶対に嫌だ。


 私は太ももに手を伸ばして、勢いに任せて軽くつねった。痛い。こんなことするのは本当はやめたい。


 最近わかったことだけど、お腹が鳴るかどうか不安な時に、痛みを感じると、気が紛れることがわかった。スーッと波が引いていく。


 私は限界を迎えそうな時に、最後の手段で太ももをつねる癖がついた。下に目線を向けると、ヒリヒリした部分が赤くなっていた。


 みんなの前で、お腹が鳴るよりはマシ。


 私は国語のテストを最後まで書き切ることに集中した。外では、ヒューと強い風が吹いた。誰かの声みたい。このまま雨でも降ってくれたら良いのに。だけど今日の天気は一日晴れと、家を出る時お母さんが言っていた。


 今の時刻は12時15分。結構進んだと思っていても、残り15分もある。頭をゆらゆら動かしている人が多いから、みんなテスト解き終わったのかな。


 キィと椅子を引く音が斜め前から聞こえた。あぁ、"あず"もお腹空いたのかな。私も、お腹が鳴る直前、わざと椅子を引いて、音を出すことがある。


 その時、鳥肌が立つような嫌な予感がした。私のお腹は、空洞を作るように、外側に締め付けられて、脂汗が一気に湧き出た。一番なってほしくない結末を、自分から選び、ただ待つことしかできない。太ももをつねるのが間に合わない。お腹、鳴っちゃうかも。


「先生、暑い! カーテン閉めていい?」


 田口が大声で言った。鋭い日差しが教室全体を包み込む。雲ひとつない晴天。反射的に顔を上げると、膝の裏からつーっと汗が流れるのを感じた。


「いいですよ」


 山本先生が落ち着いた、いつもの調子で返事をした。キラッとメガネを光らせている。


 助かった。急な出来事で、お腹の音は引っ込んでしまった。予想外のことが起こると、お腹は空気を読んで、鳴るのを止めてくれる。本当に不思議。


 田口は白いカーテンを、しゃーっと、めいいっぱい引いた。友達の雷都(らいと)から「カンニングすんなよ」なんていじられている。田口は「はっ? 全部書き終わったし」と本気で嫌そうにあしらっている。


 時刻は12時20分。授業が終わるまで後10分もある。でも、もうここまできたら、なんとか誤魔化せそうだ。明るい希望が見えてくると汗も引いた。もうちょっとの辛抱だ。今日の給食は五目ご飯だったっけ。楽しみ。


 その時だった。


 きゃーというような叫び声が外から聞こえてきた。一人だけじゃない。複数人の叫び声が次々に聞こえてくる。


 えっ。


 外で体育をしていたクラスの人の、叫び声かもしれない。確認したかったけどまだテスト中だから、席を立つことはできない。カーテンも引かれてあるから、想像することしかできない。


 しかし、緊急事態によって、ざわざわと近くの人と顔を見合わせる時間ができた。「えっ、今の何?」「怖っ」と不安げな顔をしている。国語の授業が終わるまで、真相がわかることはないだろう。


 体育で誰か怪我をしたのかな。何のスポーツをしていたのだろう。サッカーかドッジボール?


 授業が終わるまでの残りの10分間は、自問自答をする時間になった。皮肉なことに、お腹が鳴る予感はまったくしなかった。


 不謹慎だけど、一瞬良かったと思った。


 しかし、すぐに、そんな気持ちになってはいけないと自分を正した。気持ちを無理やり消し去るように、怪我したであろう人物を心から心配した。


 時計を何度も見なくとも、12時30分は自然にやってきた。


 山本先生が合図を出して、後ろの人からテストを集めた。まだ、授業が終わる挨拶はしていないけど、クラスのみんなは解放感でいっぱいだった。背伸びをしたり、近くの友達の席まで移動して「どうだった?」と声をかけている子もいる。


 ポツンと1人席に取り残された私に、親友の"るう"がやってきた。


「国語、結構むずくなかった?」


 大きな目をしたるうが、私に不安げな顔を向けてきた。一瞬、迷った後、


「むずかった」


 と私は愛想笑いをした。


 誰にも聞こえないお腹の音が、くぅと鳴った。


「うわ、誰もいなーい」


 田口がカーテンをめくってグラウンドを確認する声が、ざわざわとした教室に冷たく響いた。

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