2-1 十年ぶり
2. スコーピオン
プールで僕が経験した出来事というのは、正直伊織には全く関係のない話だった。
なぜなら、そこで失いかけた夢の切れ端を掴んだのはあくまで「僕」であり、伊織の失くしたもの探しという本来の目的には直接関係しないからだ。
それでも、伊織は僕の話を聞いて、まるで自分の事のように喜んでくれた。
キヨくん良かったね、コーチの人に感謝しないと、と彼女は嬉しそうに電話口で語っている。
RINEで文章を打つのが煩わしく今回は通話にしたが、彼女の反応をこうやってリアルに知る事が出来たのはかえって良かったと思う。
切る時に、伊織は、次のヒントである「反ったサソリ」というキーワードを僕に告げた。
「暑いだろうけど、失くしたもの探し、頑張ってね」
そして彼女はゆっくりと電話を切った。
今度のキーワードは、一つ目のものと比べるとさほど難しくはない。
サソリといえば鎌田町ではさそり山。
しかも反っているサソリとは、さそり山公園にある、滑る方が大きなサソリになっている巨大な滑り台のことだろう。
丁度カーブに合わせてサソリが反っているように見えるので、「反ったサソリ」もきっとこの事に違いない。
そう考えた僕は、明日に備えていったん寝る事にした。
八月二日。
僕はさそり山に向かった。
公園に行く前に、丁度通り道にあるさそり山神社にお参りすることにしようか。
そもそもどうしてさそり山という名前がついたのかについては、諸説あるらしいが、どうやら動物のサソリとは直接的には関係ないという説が主流なようだ。
もっとも、さそり山近辺の地区では商店街のアーケードなどにもにデフォルメされた可愛いサソリが掲げてあったりするので、その地区の住民にとっては由来なんてどうでもいいのことかもしれないが。
少し長い階段を上ると、小さなお社が見えて来る。
人生の中で幾度かある一大イベントから、どうでもいい些末な事まで、願掛けやお願い事をする時はいつもこの神社に来てお参りする事にしていた。
ところが中学生になると次第に面倒に思えてきてあまり来なくなっていったので、こうやってお参りするのも久々の事だ。
伊織の失くしたもの探しの無事を祈るつもりできたが、なんだか社の奥から自分の心の奥を見透かすような鋭い気配を感じてしまい、いたたまれなくなった僕は逃げるように神社を後にした。
川沿いの道をしばらく進み続け、さそり山公園に到着した。
昨日訪れたプールとは違い、公園で遊んだりくつろいだりしている人は一人も見当たらず、地面や遊具には今朝方降った桜島の火山灰がうっすらと積もっている。
何しろこの公園は山の頂上付近にあり、町から決してアクセスがいいとはいえない。
だからここを訪れる人は少ないのだが、一方で隠れ家などマイナーな場所を好む子供たちにとっては格好の遊び場でもある。
かくいう僕もかつてはその一人で、いつもここに来ては遅くまで遊んでいた。
ただいくら無人の公園とはいえ、この歳になって遊具遊びに興ずるつもりはない。
小ぢんまりとした見知った公園であるし、滑り台の写真だけ撮って帰ろうかと考えたその時、後ろからどこか懐かしい声が僕を呼んだ。
「……お前、もしかして清彦か?」
振り向くと、朧げな視界から段々と歳が同じくらいの青年が向かってくるのが見えた。
髪を茶色に染めて都会風のいで立ちをしているが、その鋭い目つき、高めの鼻、そして無愛想な口調。
あれは、間違いない、幼馴染の尾崎京介だ。
「ひょっとして、京介? 久しぶり! 正直転校して以来だよな」
「そうなるな。まさかこんな所で会えるとは思わなかったよ」
京介は昔とさほど変わらず淡々と受け答えした。
一見するとその振る舞いは冷徹なようだが、彼の飄々とした立ち振る舞いは、いつも周囲を気にしてばかりの僕にとって密かな憧れだった。
近くのベンチに腰掛けると、傍らの彼は自らの近況を教えてくれた。
京介は小六の夏に親の仕事の都合で県外へ引っ越した。
その後様々な場所を転々とし、大学生になる時に親御さんは鎌田町へ戻り、京介は京都にある大学に通って、一年の頃から寮生活をしているそうだ。
この町に帰ってくるのは実に小六の時以来らしい。
そこまで聞いたところで、僕は尋ねた。
「どうして今このタイミングで帰ってこようと思ったの?」
すると彼は無表情で答えた。
「丁度十年目の節目だし、いい機会だと思って。元々帰る予定はあったんだが、一番の理由はこれだ」
そして彼は、スマホの画面を開き僕に見せてきた。
「何日か前、知らないメルアドからメールが来て、最初はただのDMかと思ったが、開いてみると、『私の失くしたものを取り戻して欲しいの。鎌田町に来て。』って書いてる。そして文章の最後には」
「……伊織、って書いてあるな」
身体から尋常のないほどの汗が湧き出てくるのを嫌でも感じる。
まるで、温度感を失っていたかのような気分だった。
「ああ。突然の事だったし驚いたけど、伊織ちゃんと会うのなんて久しぶりだから、ひょっとしたらここで会えるかもと楽しみにして来たんだが、まさかお前が居るとはな」
……悪かったな、伊織じゃなくて。
それにしても、普段はクールに振る舞っている京介も、伊織の事になると少しばかり口調が熱くなる。
これも昔から変わらない彼の癖だ。
ずっと斜め下を向いていた京介の視線が、僅かに僕の方を向いた。
「そういえばお前こそ何でこんな所にいるんだ」
隠しても仕方ない。
僕は彼に、先月伊織から電話で失くしたもの探しを頼まれた事や、五つのキーワードの事、一つ目の「赤イルカ」の話などをなるべく端的に伝えた。
京介は伊織と違って長話をあまり好まない。
無駄話ばかりすると、露骨にいらいらするから気を遣う。
僕が話し終えた時、京介は自らの苛立ちを隠そうともせず僕に言った。
「お前は、伊織ちゃんから〝直接〟お願いされたのか?」
残念。
わずかばかりの気遣いは、このタイミングでは完全に無意味だったようだ。
「仕方ないよ。京介は結構前に居なくなっちゃったし、メールしか手段がなかったんじゃないかな」
慌てて僕がそう取り繕うと、彼は低い声で、
「んなの、わかってるよ」
と小さく吐き捨てた。
これからどうするのか尋ねると、特に何もする事がないと言うので、僕たちはさそり山を下り、ふもとにある商業地周辺を歩き回る事にした。
商店街は十年前と比べ、シャッターが閉まっている店が多くなった気がした。
京介いわく、都会の商業地は移り変わりがもっと激しく、毎年のように街の様子が変わるらしい。
都会に馴染みのない僕には想像もつかなかったが、住所の鹿児島市やここ鎌田町でも、都会ほどではないにせよゆっくりと変化は生じているのだ。
歩いていると見慣れない大きな建物が見えた。
看板を見上げると、最近地方にまでシェアを伸ばしている量販店の名前が書いてある。
この場所は確か、昔地元ゆかりのスーパーが営業していたはずだ。
僕が市の方に移る頃にはまだあったはずだから、閉店したのはつい最近の事なのだろうか。
食料品売り場の片隅には、当時流行っていたゲーム「ボッケモン」のカードが売られていて、休みの日には多くの子供たちで賑わっていた。
しかし、かのスイミングスクールと同じく、この世はきっと移り変わるものであり、老舗スーパーの消滅もまた時の定めなのだろう。
そうじんわりと考えていると、それまで黙って店の方を見ていた京介が声をかけてきた。
「なぁ、前から聞こうと思っていたんだけど」
「ん、どうしたの?」
すると、彼は少しだけ迷うような素振りを見せたが、やがて僕を真正面から見据えると、ぼそりと呟くように問いかけた。
「どうしてあの時、お前は俺をかばってくれたんだ?」
京介は、元来た道を歩きながら昔の事を語りだした。