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0-1 遠足の帰り道

0. 序章



「―――――だから先生、帰りの会で言ってたじゃん。おやつは食べきれる量だけ持ってきなさいって」


 十年前のあの日、校門の手前から市道へジャンプして出ようとするその矢先に、伊織が僕の方を向いて発したセリフは、大方こんな始まり方であったような気がする。


 丁度梅雨シーズンが終わりを迎える頃の事で、ここ鎌田町は奇跡的に二日連続で快晴となっていた。とはいえ相変わらず空気はジメジメしているので、少し歩くだけでTシャツに汗がまとわりついてくる。

 そんな午後の通学路に、降り注ぐ蝉の音にも負けない甲高い声が僕の耳を打った。


「うっせーな。でもだからってチータの奴、持ってきたおやつほとんど取り上げる事なかっただろ?」


 少しばかりムッとした僕は、変声期を迎えたばかりの少し低い、ふてくされた声で彼女に答える。

 すると矢継ぎ早に返事が来た。


「知多先生でしょ。先生にそんな態度とってると、キヨくんのおばさんに言いつけちゃうよ」


「おい、やめろよ!」


「冗談だって」


 いつも通りの他愛ない会話。いつも通りの帰り道。


 ただいつもと違うのは、背負っている鞄が、六年間使い古して革の剥げかけた黒と赤ではなく、カラフルな模様で彩られた真新しいリュックサックである事だ。


 七月七日。

 二十四節気では小暑といって、この日を境に本格的な暑さが到来するらしい。


 しかしそんな小難しい事は、当時小学生であった僕たちにとっては正直知ったことではない。

 僕たちの話題といえば、何を隠そう、昨日から二日間に渡って行われたお泊り遠足の感想についてだ。


 僕と伊織のいた、町立川枝小学校の六年生は、毎年七月六日から翌七日にかけて、町の北東部に位置する鎌北天文台に「七夕お泊り遠足」に行くのが慣例となっている。


 鎌田町自体は、鹿児島県の大隅半島に位置する何の変哲もない小さな田舎町だが、噂によるとこの天文台は、日本の数ある天体観測スポットの中でも評価の高い所らしい。


 そんな地元の偉大な天文台に、しかも七夕の時期の夜に星を眺めることが出来るとあって、お泊り遠足は校内の人気行事の一つとしてよく挙がった。


 なお、鎌田町など全国の一部地域では、旧暦や星の観やすさなどを考慮し、七夕行事を八月七日に行う風習があり、実際に鎌田町ではその日に七夕祭りが開催される。


 しかし、お泊り遠足は夏休み期間中に行う訳にもいかないため、七月七日の方で行われる。


 だから、川枝校区だった僕たちは、特別なことに七夕が年に二回訪れることになっていた。



 長い遠足が終わって家に帰る僕たちの前後には、同じく二日間を共に過ごした同志たちの姿が見えた。


 みんな楽しい遠足を思う存分に満喫して、どことなくくたびれた様子で歩いている。

 かくいう僕も例外ではなかった。


 日中はとことん遊び尽くし、夜は星を見たりクラスメイトと遅くまで話したりなどしていたら、全て終わる頃にはおのずと疲れも出てくる。


 しかしそんな中、僕の隣に並んで歩く伊織だけは、クラスの誰もが驚くほど元気が有り余っていた。


「それにしても、今年は晴れてよかったねぇ。天気予報ではもしかしたら雨が降るかもしれないって言ってたから、ずっと心配してたの。確か去年は雨で、天体観測の時間が屋内レクレーションに変わったみたいだよ」


 縁石の上を渡りながら、満面の笑みで伊織が言った。


「まあ、それはそれで夜中に騒いだりなんかして、楽しい思い出になるんだろうけどな」


 そう言って軽く受け流すと、少し前を行っていた伊織がぴょんと飛び降りて目の前に立ち、僕の顔をまじまじと見ながら言った。


「ダメだよ、キヨくん。天文台に来てまでただのレクレーションじゃもったいないじゃん」


 突然の伊織の接近に、僕は少しだけ心臓がどきりとした。



 伊織は、伊織のじいちゃんの影響で小さい頃から天体観測にハマっていた。


 作文発表会の時、将来は宇宙飛行士になると屈託のない笑顔で宣言したくらい、天体をこよなく愛する少女だ。

 そんな伊織が天文台でのお泊り遠足を楽しみにしなかった訳がないのである。


 伊織は再び縁石に乗ると、その上を歩きながらふと呟いた。


「ただ一つ残念だったのは、天体観測の時間がすごく短かった事かなぁ」


「ああ、アスレチックが長引いたのと、元々寝る時間が早かったからね。一時間半くらいしかできなかったんじゃないの」


「うん。それにおじいちゃんが、夏の大三角は八月上旬の方が早い時間からよく見えるって言ってたよ。あーあ、そんな事なら遠足も八月七日が良かったなぁ」


 僕は内心すかさず異を唱える。

 とんでもない。


 なぜなら夏休み期間中は、登校日を除いて小学生は学校に来てはならない。

 昔からそう法律で決まっているのだから。


 それに何より、八月七日はお祭りの日じゃないか。

 今年こそ、僕はお楽しみ抽選会でゲーム機本体と、「ボッケモン」の新しいゲームソフトのセットを当ててやると堅く心に決めているんだ。


 毎日神社に通っては、当たりますようにと念入りにお願いしている。

 この日を決して逃す訳にはいかないのだ。


「そうだ! ねぇ、キヨくん」


そう、絶対逃す訳には……


「八月七日の、さぁ……」


 逃す訳には……


「夜におじいちゃんと三人で天文台に行こうよ!」


 逃さざるを得なくなった。


 天体欲に火がついてしまった時の伊織を、もはや誰も止める事は出来ない。

 仕方ない、ここは潔く運命を受け入れる事にしよう。


 僕はゆっくりと頷いた。


「おじいちゃん、台長さんと知り合いだから、きっとオーケーしてくれるよ。今度は遠足の時と違って、長い間天文台に居る事が出来るし。ああ、今から楽しみだなぁ」


 伊織は嬉しそうにまた先を行き出した。


 衝撃的な事を言われた時は脳みそがフリーズしかけたが、こうやって伊織が喜ぶ顔を見ていると、自然と僕も綻んでくる。


 相変わらず伊織には甘いなぁと思っていると、彼女は別れ道で立ち止まり、僕の方を見て笑顔で言った。


「そうだ! ついでにもう一つお願いを聞いてくれる?」


 前言撤回。いつまでも彼女を甘やかしてはいけない。


そう思った僕は、

「やだよ。メンドくさい」

と突き放した。


「いいじゃんいいじゃん。お願い事のもう一つくらいさ。あ、さっきの事おばさんに言っちゃおうかな」


 おいおい、告げ口の件は冗談じゃなかったのか。

 ここまでくるといい加減しつこいぞ。


 僕の機嫌を察知した伊織は、俯いて少し小さな声で言った。


「ゴメンね。だけどお願い、これだけはどうしても聞いて欲しいの。ね、アイス奢るから」


 おいおい、アイスでつられるほど僕は単純な男ではない。


 さっき堅く胸に誓ったのだ。

 何でもかんでも言う事を聞いていては本人の為にならないと。


 だから僕は。


「…仕方ないな。一体お願いって、何なの?」


 残念ながらアイスを前に伊織に完全敗北した。

「ありがとう!すごく助かるよ」


再び笑顔が戻った彼女は、不意に優しげな表情をすると僕に近づいてお願い事を告げた。


「私のお願いはね、―――――」





 ここで瞼の裏の映像は途切れた。



 そうだ、思い出した。あの時の彼女のお願いは、確か…。


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