第71話 やり残したこと②
娼館内、二階、個室。
「……ん? なんだ、忘れ物でもしたのか?」
右目の眼帯をかけ直し、カモラは白スーツ姿の少年――ジェノに問いかける。
「忘れ物……ですか。まぁ、そのようなところですね」
ジェノは小ぶりの窓を開け、外を見ながら、興味なさげに答えた。
「金の件か? なら、さっさと持って帰れ。まだ一銭も手はつけとらん」
「いいえ。お金ではありません。もっと大事なものです」
「大事なもの? なんだ、はっきり言ってくれ」
カモラは訝しげに首を傾けながら、話を促した。
「サーラさんは、いらっしゃいますか?」
「そういうことか。――少し待っていろ」
ジェノが惜しむように切り出した本題。
それに納得したカモラは、ベッドの床下をノックする。
すると、そこから、黒い作業服を着た金髪の少女――サーラが出てきた。
「話は聞いていたな。お前に用があるそうだ」
「……話したくない」
しかし、サーラは完全に警戒した様子で、後ろに隠れてしまう。
まったくもって面倒な反応だった。相手は実の兄だというのに。
「すまんな。こいつは人見知りなんだ」
「構いません。そのままで事は済みますから」
「……? じゃあ、お前はここに何をしにきたんだ」
理由を尋ねるも、ジェノは何も答えない。
その代わりに、一歩、また一歩と、こちらに近付いてくる。
「まさか、お前……」
「あなたの右目にある、沈黙の魔眼。そちらを回収しに参りました」
正面にまで迫ったジェノが発した一言。
それで、理解できてしまった。こいつの目的が。
「――っ!! サーラ、こいつは――」
正体を察し、とっさに名前を口にしようとする。
「んんんんんっ!!」
だが、問答無用で、口を手で塞がれ、声が出ない。
「やめてっ!! 放して、ご主人様を!!」
その間にサーラが向けるのは、古式拳銃――ルガーP08。
「遅いっ!!!」
引き金を引くよりも早く、やつは蹴りを放つ。
一発目は手元を狙って、得物を落とし、二発目は――。
「……あ、ぐっ!!」
サーラの胴を的確に蹴り抜き、そのまま壁に叩きつけられていく。
「あなたはそこで、黙ってみていなさい」
もう、こいつを止められる者はこない。なぜなら。
『任務完了』
肩には、見覚えのあるコウモリ型の聖遺物が止まっているからだ。
「ご苦労様です。……さぁ、仕上げといきましょうか」
偽物は、空いた右手でこちらの眼帯を外し、指を近付けてくる。
「んんんっ!!」
情けない。こんな時に、声をあげることしか、できないなんて。
(……皮肉だな。あの時と真逆なのか)
思い出す。同じ顔をした少年の口を、手で無理やり塞いだ時のことを。
(ここで殺されるのは、天罰、なのかもしれんな)
そう思えば諦めるしかなかった。日頃の行いが招いた、悲劇なんだろうから。
「――やら、せるか!!」
そんな時、窓から飛び込んできたのは、予想外の人物。
〝悪魔の右手〟を携えた、白スーツ姿の少年――本物のジェノだった。
「んんっ!?」
(なぜ、ここに!? いや、どうやって――)
考える間もなく、〝悪魔の右手〟が発光。
赤い光が、肩に止まるコウモリに目がけて、放たれる。
「……っ」
偽物は、瞬時に攻撃を察して手を放し、回避する。
本物は、不格好ながらも受け身を取り、邂逅する。
「あなたを止めにきました、ギリウスさん」
同じ格好で、同じ顔の二人。本物と、偽物が。
◇◇◇
「どうやって止めると?」
同じ顔、同じ声、同じ服の初対面の人が語りかけてくる。
覚えていないはずなのに、なんだか、妙に懐かしい気分になる。
だけど、今は感傷に浸っている暇はない。絶対にここで、止めるんだ。
「もし、変な動きを見せれば、この爆破草を使います」
取り出したのは、灰色の草。ただの雑草だ。
誰も傷つけるわけにはいかない以上、嘘をつく必要があった。
「それが爆破草と? 面白いことをおっしゃいますね」
「試してみますか? お互い、ただでは済みませんよ」
目線を合わせ続け、しらを切る。苦手だけど、やるしかない。
「望むところです。受けて立ちましょう」
「……っ」
駄目だ、見抜かれてる。そんな動揺から視線が泳いでしまう。
(あれは……)
その視線の先には、サーラが地面を這いずり、銃を拾おうとする姿が見える。
「動いちゃ駄目だ!」
「……っ!?」
サーラはぴくっと反応し、動きを止める。
時間を稼げれば、何とかなったかもしれない。
でも、駄目なんだ。誰かが傷つく結末は嫌だから。
「やはり、あなたは嘘が下手なようだ。私と違って」
ちらりと背後に視線を向け、呆れたようにギリウスは言う。
「……もう、帰ってくれませんか。あなたの目的は台無しのはずです」
「ほぅ、詳しくお聞かせ願ってもよろしいですか?」
「あなたは面白いを基準に動くと、アザミさんから聞きました。そこから逆算して、変化草で何をすれば一番面白くなるか考えたら、思いつきました。俺の顔を使ってサーラさんの怨みを買い、復讐を誓わせること。それがあなたの目的だ!」
「なるほど……。どうやら、あなたを少し、見くびっていたようですね」
言い終わると共に、顔が変化していく。
「……え」
顔はひどい火傷を負った姿に戻るはずだった。
(……聞いていた話と、違う!)
しかし、現れたのは、灰色の髪に、左頬には刃物傷。
そして、顔は火傷の痕などない、健康的な褐色の肌になっていた。
「ですが、残念ながら、目的はもう果たされている」
ギリウスは白いネクタイを結び直し、伸びきった生地が高身長に適応していく。
「それって、どういう……」
「変化草には、体を一年前の状態に復元する独自の副作用が生じます」
「……っ!?」
一年前に復元。本来なら、成長した体が退化するデメリットになる。
ただ、この人にとっては、別。
恐らく、一年以内に火傷を負っていて、復元することで健康体に戻したんだ。
「そして、あなたには敏速草の副作用。体の疲労感が生じる時間だ」
そう言われた瞬間、体に変化が起こる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が上がり、動悸がして、視界が眩む。
読み切られていた。ここまで敏速草を使ってきたこと。
そして、目的を見破ったと思い込ませ、副作用まで時間を稼ぐことも。
「これで、私を止められる者はいなくなった」
終わりだった。ギリウスはカモラの方へ近づいていく。
「……舐められたものだな。誰がボスだったか、忘れたか?」
対するカモラは、一切の気後れすることなく眼帯を外し、言い放つ。
(……間違いない。魔眼だ)
現れた黄金色の瞳を向けるその様は、今まで感じなかった威厳と迫力があった。
「なんのことでしょう、か!」「主への攻撃を禁ずる」
発言は、ほぼ同時。
その間に、ギリウスは右手を魔眼に迫らせる。
「っ!!」
しかし、手は止まる。見えない壁に遮られているように。
「俺がお前だと認識する前に、魔眼に手をかければ、勝っていただろうよ」
瞳に触れんばかりの指を見つめながら、カモラは冷やかに語る。
(これが、マランツァーノファミリーのボスの格……)
圧倒されてしまう。自分では敵わなかった相手を軽くあしらう姿に。
「……この借りはいずれ、また」
顔色を変えたギリウスは、小ぶりの窓枠を蹴りで破壊し、去っていった。
「……たす、かった?」
地面に膝をつき、ジェノはぽつりと言いこぼす。
「沈黙の魔眼は、契約した者の行動を縛る。禁則事項の追加を恐れたんだろう」
「攻撃が止まったのは、それで……。いや、あの人は、一体何者なんですか?」
問題はそこじゃない。
今は何より素性を知りたかった。
「マランツァーノファミリーの元若頭。俺の次に偉かった男だ」
「元々、契約していた組員だったから、魔眼が通用したってわけですか」
思い出すのは、マランツァーノファミリー特有の髑髏の刺青。
恐らく、彼の体のどこかに、ファミリーの証である刺青があったんだろう。
「ああ。ただ、それよりも重要なことが分かった」
「……なんです?」
「あのコウモリに触れれば、記憶を元に戻すことができる」
「え……じゃあ!!」
なんとか引き分けた先に見えたのは、一筋の光明。
「記憶忘却事件の被害者たちを救える手段が見つかった、というわけだ」
失った妹の記憶を取り戻せる、目に見えた可能性が広がっていた。