第54話 約束
残る最後の黒い骸骨が、風の刃に倒れる。
「すごい……あれだけの数を一人で……」
「あれは、一体どうなってるんすか、ジェノさん」
目を疑う光景に、ジェノは感嘆の声を漏らし。
そこに、疲弊した様子で黒い鎧姿のメリッサが現れる。
「それが、アザミさんが刀を抜いた途端、急に暴れ出したんだ」
「だから、あの時……。いや、それより、このままじゃまずいっすよ」
化け物は疲労したのか、顔を手で押さえ、止まっている。
ただ、それは一時的なもの。
回復すれば、ここにいる全員、あの刀の餌食になってしまうだろう。
「分かってる。俺がなんとかするから、一つだけ頼みを聞いてくれないかな」
◇◇◇
痛い。痛い。痛い。
(もう、やめて!)
体を酷使され続けた痛みに堪えながらも、アザミは、心で必死に訴える。
「ああぁぁあぁああああっ!!」
でも、体は言う事を聞いてくれない。
ぼやけていた視界が戻り、次の標的へと走り出していた。
「……やめろ、くるな……くるなぁっ!」
目の前には、金髪の少年――パオロがいた。
「――ぅ、ガッ!」
そんな言葉など届くはずがなかった。
アザミの負担も考えず、力任せに刀を構え、振るう。
(やめてぇぇぇぇええええええっ!!)
誰も傷つけたくない。その思いとは裏腹に、刃は、パオロを襲った。
「――っ!?」
が、刃は止まる。突如、現れた黒い影によって。
「――後のことは、任せたっすよ。ジェノさん」
すると、聞き覚えのある声がどこからか響く。
(メリッサさん……? だとしたら、逃げて……っ!!)
心の叫びは、届かない。その代わりに、辺りには、深い闇が訪れた。
◇◇◇
「ありがとう、メリッサ」
深い闇の中、ジェノは感謝を告げ、輝晶石を取り出した。
闇が切り裂かれるように、淡い紫色の光が優しく辺りに満ちていく。
「――ぁ……う……」
その発光に、映し出された人物は、目が眩んでいる。
千載一遇の好機だった。これ以上の、致命的隙は、ないだろう。
「……」
だが、ジェノは目を閉じ、ただ黙って見過ごした。
それが、これから行うことへの、せめてもの誠意だと信じて。
「――ぐぁぁっ!」
頭を振り、混乱状態の化け物は、本能のまま刃を振るう。
あろうことか、その刃は的確に、ジェノの首元へ向けて迫っていた。
「――」
目を見開き、ジェノはしかと見届ける。
アザミが、約束を果たしてくれるのか、どうかを。
もし、果たされないなら、殺されてもいい、という覚悟と決意をもって。
「――――く、あ…………っ……ぎっ!!」
苦しむ声。震える手。揺れる刃。
薄い氷の上を歩くような、危うい状況だった。
だが、刃は首元で止まっている。いや、止まると信じていた。
(ありがとう、アザミさん……。これで、俺たちは、ようやく、対等だ)
ここに、約束は果たされた。
ならば、次はジェノが約束を果たす番だった。
ジェノは構わず、脇差の鞘を抜き、白い刀身を露わにし、告げる。
「――殺しにきたよ、アザミさん。約束通りにね」
死の宣告を。
「――ぐ……ぁ……っ!!!」
防衛本能が働いたのだろうか。
刃がわずかに揺らぎ、首の皮が薄く切れ、血が滴る。
あとほんの少しでも、刃が首に食い込めば、死ぬ。そんな状況だった。
「辛かったよね、痛かったよね。苦しかったよね」
でも、気にならなかった。自分の命を気にする筋合いなんてなかった。
「――全部、俺のせい、なんだよね……」
この状況を作り出したのは、全て、ジェノの力不足が原因なのだから。
「……ごめんね。今、楽にしてあげるから」
謝罪し、前を向き、直視する。
今から、殺してしまう人の顔を、この目に焼き付けるために。
「――っ!!」
相手は、泣いて、笑っていた。
どっらが、本当のアザミさん、なんだろうか。
そう思いを馳せながら、ジェノは静かに、刃を突き立てた。
刀を握る、右の手の甲に。
「……ぁ、ぐ……っっ!?」
耐え忍ぶような苦鳴と共に、赤い雫と共にこぼれ落ちる。
――刀。
「アザミさんを、殺せるわけが、ないだろ――っ!」
千載一遇の好機は、さっきじゃない、たった、今だ。
ジェノは、すかさず、アザミの右手を握り、固く強張った指を広げる。
――そして。
「殺すのは、お前だ。刀の化け物っ!!」
右手の薬指にはめた。持っていた、破邪の指輪を。
「――――ッッ!」
電流が体を駆け巡ったよう震え始める。
そのまま地面に倒れ、化け物はもがき苦しんでいた。
(約束したのは、人は殺さないこと。化け物だったらいいよね……)
かつて、師と交わした約束を思い出しながら、落ちた刀を拾う。
「お願い、これで、戻って!」
そして、刀を鞘に納め、苦しむ化け物を抑え込み、祈った。
――アザミの無事を。
「う、あぁ……」
その願いが届くように、目の色が正常に戻る。
そして、ぐったりと膝を崩し、ジェノはそれをしかと支えた。
「おかえり、アザミさん。化け物は、俺がちゃんと、殺したよ」
この声が届くかは、分からない。上手くいったのかは分からない。
でも、上手くいったに決まっている。こんなに安らかな顔をしているんだから。
◇◇◇
目を覚ます。目の前には、なぜか、見知った顔の人物がいた。
「あ、え……」
温かいものが、アザミの頬を伝い、落ちる。
「……ど、どうして?」
分からない。だから、聞いてみた。
「殺せるわけがないよ。アザミさんは、俺の仲間なんだから」
言葉足らずだったかもしれない。
でも、分かってくれた。答えを教えてくれた。
すると、不思議と胸の奥がぎゅっと締め付けられるようだった。
「……うっ、うっ……」
この感情が何だか、分からない。
ただ、悪いものなんかじゃないことだけは、分かった。
「……うあっぁぁあぁああああああああぁあぁあぁぁあああああ」
今はいっぱい泣こう。答えはいつか、きっと、分かるはずだから。




