第53話 化け物
「これでアザミさんを、殺す……? 何を言って――」
戸惑いながらもジェノは受け取る。
口足らずで理解できない願いと、木彫りの脇差。
「あははっはあっはははははあはははははぁぁぁぁあああああああああ」
しかし、すぐに意味が分かった。
目の前にはいるのは人ならざる者、化け物。
アザミはもういない。そう思ってしまうほどの変化だった。
「……アザミ、さん?」
無駄だと思いながらも、問いかけてみる。
「はぁっはぁ……」
すると、目が合った。赤い眼光と。
(こ、殺される……)
生物の本能がそう囁き、嫌な汗が体中から溢れ出す。
「ぎゃははあは――っ!!」
化け物は狂乱し、立ちすくむ愚かな相手に振るった、抜き身の刃を。
「……っ」
何もできない。できるわけがなかった。
こっちは草の副作用で、まともに動けないんだから。
「あう、ぐ……」
しかし、不可思議なことが起こった。
刃が首元で止まり、化け物は苦しんでいた。
(アザミさんが、刀を止めてる……?)
頭を巡るのは、似たような経験からくる、確信に近い何か。
「――おっと、お忘れですか。あなたの相手はこの、私です」
その逡巡の隙に、セバスは刃同士を反響させ、音の衝撃波を飛ばしていた。
「うがっ」
化け物の意識はセバスに向き、刀を横に大きく薙ぐ。
音が弾け、消える。ただの一太刀が、衝撃波を打ち消していた。
(つ、つよい)
でたらめな強さだった。
(これなら、セバスさんを――)
薄暗い考えが頭をよぎりそうになる。
(違う。そんなんじゃ駄目だ。誰も、傷付かない方法を探し出すんだ)
今、やるべきことを言語化して、ジェノは静かに戦いを見守った。
◇◇◇
「この太刀筋。忘れもしません。お会いしたかったですよ――将軍」
因縁相手とのリベンジマッチ。体中の血が滾るほどの、面白い展開だった。
「――はぁっ」
ぎろりと血走った赤い目を向けられる。
まるで獣のような前屈の姿勢で、こちらの様子をうかがっていた。
(もって、あと、一分というところでしょうか)
冷静に自身の体調を分析し、受け入れ、始まる。
「奏でましょうか。我々だけの旋律を」
世界の命運を分ける、一分間が。
「――ッッ!」
それが、合図となり、化け物は地を蹴り、振るう。
むき出し殺意を乗せた、刃。斬撃。薙ぎ払い。袈裟切り。唐竹割り。
「――」
火花が散り、剣戟音が鳴り響く。
太刀筋は荒く、重い。まともには受けられない。
近距離戦は不利。だからこそ、刃は受け流し、距離を大きく取る。
「が、ぅ――――ぁぁっ!!」
それならば、と敵は放つ。
乱暴で、横暴で、凶暴で、無作為な風の連撃を。
(これは……避けても、受けても、死にますね。――それなら)
刃が振るわれるまでの刹那。今までの戦闘経験をもとに導き出す。返しの一手。
「――暴虐の黄昏」
それならば、とギリウスは放つ。
繊細で、謙虚で、柔和で、作為的な音の衝撃を。
「――ぅ、ぁっ!」
弾く、弾く、弾く。
風を、斬撃を、音の衝撃が弾いていなす。
「そんな、もの、ですか?」
「――う、ぐ、ぁぁッ!!」
武対暴。理性対本能。人間対化け物。
常軌を逸した両者の衝突は、なお激しさを増し、広がる。
――無数の風刃が。
「……っ、総員、下がれ!」
状況を察したパオロの声が響く。
声に従い、苦戦を強いられる冒険者たちは、後退した。
取り残されたのは、意思と体を失った人の成れの果て。黒い骸骨の群れ。
『『『『『『――――ガ、ギッ!!』』』』』
蹂躙する。駆逐する。破壊する。
無数の風刃は、行き場を求め、哀れな骨たちを次々と、細切れにしていった。
「……はぁ、はぁ……はぁ……っ!!」
息が上がり、熱が上がり、蒸気が上がる。
発汗機能が失われた体は、熱に蝕まれ、動きが鈍っていく。
(終曲の刻は近い。ですが、それは――お互い様、というところでしょうか)
「――う、あっぁあっっ」
無茶な剛力。無理な太刀筋。
人体の限界を遥かに超えた負荷。酷使した代償。
血の涙。化け物の瞳からは、赤い雫が頬を伝わり、落ちていく。
「……」
「……」
突如、鳴り止む、剣戟音。
示し合わせたように動きを止めたのは、同時。
(次の一撃。それで、決着をつけようということですか――面白い)
血涙を流す瞳が物語る、確かな意思。
伝わる。読み取れる。感じられる。言葉などなくても。
「……はぁ、……ふぅ……」
深呼吸し、確保する。一呼吸分だけの空気。
それだけあれば十分だった。それ以外は必要がなかった。
「――あがぁぁぁッッ!!」
「――忘却の彼方」
人間と化け物が織り成す、激しく優しい音色が、今、響き渡る。




